14 ごちそうさま
暗闇の中でわたしは、自分の口から何かが引き抜かれるのを感じる。それは硬くて太くて、わたしの中から出ていく時に内側を引っ掻き、前歯を叩いた。その痛みで、頭の中に星が散る。
ついで、衝撃。
顔面を何かに殴りつけられたかのような痛みがわたしを襲った。
床に頭から倒れたようだ。
それで、わたしの意識は再び現実へと連れ戻される。
「ハッハッハ! どうやら君の勝ちのようだな! リボルバーから弾は出ていないよ。ちょっと、君の銃を貸してもらった」
わたしが顔を上げると、ゲイシーは見せびらかすようにして二丁の拳銃を持っていた。
「君の勝利へのサプライズだ。こういうのは、ビックリする方が楽しいだろ?」
わたしの手から叩き落とした拳銃を使って、リボルバーで当たりを引いたように勘違いさせたらしい。その事実を、寝起きの時みたいに回らない頭でゆっくりと理解した。
生きてる……?
意識がだんだんとはっきりとし、それに伴い全身の感覚が敏感になっていく。快感の名残をなめ取るようにして鳥肌が広がっていくのがわかる。
絶望の先にある、希望。
その中に、わたしはいるんだ。
快感がわたしの奥からあふれてきて、それを抱きしめるように自分の身体に腕をまわす。
これが幸せなんだと感じ、目から涙が一筋こぼれた。
「おいおいどうした呆けた顔をして? 君は勝ったんだぞ? もっと喜べ! このゲイシーに勝ったのだから。もっとも、君にそれを理解する頭が残っていたらだがね。どうだ、銃の使い方はわかったかな?」
彼が愉快そうに笑っている。それを聞いて、わたしもなんだか愉快な気持ちになった。
「は……はは……」
顔を上げ、ゲイシーに向けて彼に笑顔を見せる。それを見て、彼は狂気に満ちた笑顔を向け返してくれた。
「あーあー、これではもう戦うどころではないな」
そう言って彼は両手の拳銃をコートの内側へとしまい、入り口近くに落としたままのナタへゆっくりと近づいていく。そして、それを拾い上げ、わたしの方を振り向いた。
「この私とのゲームに勝ったのだ。それに免じて見逃してやってもいいぞ。どうする、保安官。このまま帰って、『あのゲイシーを逮捕寸前まで追い詰めたが、すんでのところで逃がしてしまった』と自慢しても良いんだぞ? そうしたら、もし逮捕された時に『いやぁ、あの時の保安官には本当に参った』と話を合わせてやる!」
ハッハッハ! と、心の底から愉快そうに彼が笑う。
「ふふ……」
釣られるように、わたしも笑った。
だって、これでわたしの勝ちなのだから。
最初のは、本当にただのミスだ。
だが、そのあとは全て最善手を打ったつもりである。
例えば、ゲイシーに右手を捕まれ銃を使えなくされたが、別にあれは左手に持ち変えれば攻撃できた。なんだったら、左手でジャックナイフを抜き、それで脇腹なり刺しても良かっただろう。
それでもバカみたいにゲイシーの良いようにさせたのは、例の「ワープ」を使わせないことと、この「見逃し」を誘うためだ。
妹を見殺しにしたのも、あんなに深い絶望へ叩き落とされたのも、全部このためである。
あ、でもさっきのは死ぬほど気持ち良かったので全部ってのは嘘か。
とにかく、最初でミスをした以上、これしか勝ち筋はなかったのだ。
下手に善戦してしまえば、教会内で「ワープ」をしようとしたゲイシーが能力無効化に気づき、わたしたちの作戦がおじゃんになってしまう恐れがあった。ルゥには悪いが、勝ち筋が見えている以上、勝たなければ意味がない。
でも、結果オーライか。圧勝してたら、さっきみたいなのは味わえなかったしね。
気だるい身体を引きずるようにして立ち上がる。腰の下の水たまりがぐちゃりと嫌な音を立てた。その音が、わたしの背筋をぬるぬると這い回り、思わず顔が緩みそうになる。
だが、まだだ。もう少し我慢。
ニヤニヤと嫌らしく笑うゲイシーのもとへ、極めて陰鬱な顔を意識して歩みを進める。余裕を見せてはいけない。あくまでも弱者を、敗北者を演じて見せる。
フラフラと、倒れそうな風に、廃人のように、彼のところへと近づく。
勝てば確かに気分は良いけど、でも別に勝つことにそこまで興味はない。けど、わざと負けたのでは気持ちよくないのだ。
だから、毎回最善を尽くすクセをつけなければならない。欲張ってはダメだ。次に繋げるために、わたしは仕方なく、勝ちへと手を伸ばす。
「なんだ、その手は?」
ゲイシーのもとへと辿り着き、ジャックナイフを振り上げる。わたしは今、どんな表情をしてるのかな。無表情かも知れないし、残念そうかもしれないし、ひょっとすると怒っているかもしれない。
ただ、彼はあんまり楽しそうではないし、きっといい顔はしてないんだろう。
「へぇ、まだやるかい? 君にできるのか? どこを刺したら良いかわかるのかい? ほら、ここだよここ。一発で殺すなら首のここのところだ」
さっきまでつまらなそうだった彼は、再び興味を示してくれたのか口角を上げ、首筋のところを左手で指さした。
だが、わたしは動かない。まだだ、もう少し。
「おや? お気に召さないか、勇敢な保安官。なら、私は抵抗しないからどこでも好きなところを刺してみろ。出来るだろう? どうした、やらないのか?」
開かれた教会の扉をバックにゲイシーが両手を広げる。十字のシルエットが浮かび上がり、教会に相応しいと少しだけ思った。光が少しだけ眩しかったが、そろそろ慣れる。
わたしは、彼の左肩の辺りをめがけて勢い良くナイフを突き刺した。
「つっ……! ぐぁっ……! なんだこれ!?」
一瞬驚いて、すぐに彼はナタを振った。
見逃しをすると決めたゲイシーは、こちらが攻撃すると反撃してくる。これは前回と同じだ。
攻撃してくるナタを避けるようにしてふところへと潜り込み、その腕を掴んで巻き込み腰を沈め、彼を背負うようにして足に力を入れる。
この格闘技が普及した社会で、警官が柔道をやってないなんてことないでしょ。ね? ゲイシー。
一本背負い。
彼のその巨体が宙を舞い、古びた教会の床へと叩き付けられる。骨と木とがぶつかり合い、机を床に叩きつけたような音が耳を震わせた。
「……がはっ!」
床に激突したあと、少し遅れて彼がむせるようにして咳き込む。左腕は先ほどの肩の痛みがあるから、まともに受け身なんて取れなかったハズである。
でも、油断はしない。
衝撃で緩んだ右手からナタをもぎ取り、両手で掴んで彼の右足の膝関節辺りに振り下ろす。
「ぐぁああぁっ! くそっ……、話が、話が違――」
次に左足。
「あがぁっ! どうしてだ、何故ワープできない! ちくしょう! どうなってるんだ悪魔! いるんだろ! おい! 出てこい!」
パニックに陥ったゲイシーが怒鳴るようにして例の悪魔を呼びつける。しかし、何も起きる気配はなかった。
彼の叫びを特に気にせず、今度は彼の右肩へとナタを振り下ろす。
「あがぁあああっああぁっ!」
もちろん、とんでもない切れ味を持っているこの悪魔のナタも、教会の中であるため今はナマクラだ。取りあえず切れてはいるが、ギリギリ骨にヒビが入るかどうかってところかな。
念には念を、と彼の膝関節の少し上辺りを入念に叩き、膝の腱を切る。
ついで、右肩と左肩も同じように叩く。出来るだけ筋肉を動かしにくいように、関節を少し外した位置に刃を入れる。
「ぐがぁあああぁあああっ! や……やめろ! やめてくれっ!」
ナマクラでも、両手で力を入れて振り下ろせばなんとかなるもので、どうにかゲイシーを行動不能に出来たようだ。
一本背負いからはほとんど作業だったな。これだから、勝つのってあんまり好きじゃない。
「あがぁっ、痛いっ! 膝が、膝があぁああっ!」
見ると、腱が切れたために筋肉が痛みで収縮し、彼の太ももはいびつに隆起してしまっている。自分でやっておいてなんだが、これは相当痛そうだ。彼もわたしにこれくらいやってくれてれば、またコンティニューできたんだけどなぁ。
「がはっ……わかった、俺が悪かった! もう痛いのはこりごりだ! やめてくれ……」
「ええ、そうするわ。ただその前に、上半身を起こして手を後ろに回しなさい」
強い口調でそう言うと、彼は両手をかばうようにして身体を浮かす。「ぐぅう……」と苦しそうな声をあげるので、ちょっとだけ背中を押して手伝ってあげた。
次に彼は、手を震わせながら腰の辺りに持っていく。さっきわたしが肩の骨を折ったか砕いたかしたのでこれが限界のようだ。
スポーツか何かやっていたのであろう、その腕は太くたくましい。だが、今は強そうだとは感じなかった。
「エドワード・ゲイシー、あなたを殺人の容疑で逮捕します」
まず右手に手錠をかけ、その手錠を引っ張るようにして左手にもかける。彼がうめくのを少し感じた。
これで、どうにか最初のボス、クリアかな。
そんなことを考えながら、わたしはため息のように肺の空気を長く吐き、さっきまでの出来事を思い返してみた。
……とりあえず、本当にごちそうさまでした。
心の中でそんなことをつぶやきながら、彼にバレないようにそっと手を合わせ、お辞儀をする。
一段落したら、さっきの戦闘シーンのムービー見返そう。50回は見返そう。