13 ゲイシーさんが教えてくれる
彼女は足を地面に引きずりながら吹っ飛び、その数瞬後に両手を着こうとワタワタしながらガラスの海に落ちていく。
「いぎぃいぃいああああぁああぁあっ!」
手を切り、受け身も取れないままに破片の中へとうつ伏せで滑り込んでいく。彼女の通ったところに、血の跡で道が出来た。
「くぁあっ! ひたぃいっ! ぃぎぃいっ!」
口の中を切ったのか、呂律が回らなくなっている。痛みから逃れるように彼女は剣山の様な床で痛くないところを探すようにのたうつ。
しばらく暴れたあと彼女は仰向けになり、真っ赤な顔を上に向けて動かなくなった。はあはあと激しく呼吸をし、それに合せて胸が上下していることから、まだ息があることがわかる。
顔には無数のガラス片が刺さり、見ているだけでも痛々しい。そのガラス片の根本からはそれぞれ赤い筋が伝い、よく見ると目からも同じように赤い筋が伝っている。
「……あぁ……ひたい……ひたぃよぅ……おねぇ……あにも見えあいよ……たふけて……」
つぶやくように、うわ言のようにルゥは繰り返している。その言葉を聞くたびに、胸が締め付けられた。
わたしが下らないミスをしたからこうなったのだ。
だから、わたしがこれをしたのだ。
わたしが彼女をあんなにした。
そう考えると、頭が痛くなる。
「ハッハッハ! お仲間はどうやら眠ってしまったようだな。邪魔してはいけないし、また君に銃の使い方でも教えてあげようか」
ゲイシーはそう言ってわたしの右手の銃を、リボルバーを握った拳で叩き落とした。そして、何も言わずに今度は左足を撃つ。わたしは痛みで思わず座り込んだ。
「あぁああぁああああっ!」
その痛みが、今の私には心地よかった。
わたしは悪いことをしたから、なんだか叱ってもらってるみたいだ。
どうしようもなく辛い時は、罰を与えてもらえる方が良い。
「よし、じゃあこうしよう」
悲鳴によってこじ開けられたわたしの口へ、彼は乱暴にリボルバーをねじ込む。
「……っ……おごっ……っ……」
弾丸を放ったばかりのそれは熱く、喉の奥が焼けるようだ。しかし、その熱も心地よく、わたしの心を叱りつける。
「普通に教えたんじゃつまらないから、ゲーム形式で教えてあげよう」
ゲイシーがひざまずくようにして顔をのぞきこんでくる。彼は撃鉄を起こし、リボルバーの弾倉をガリガリと回した。
「この銃は6発式だ。さっきのでもう5発撃ったから、あと1発しか残ってない。だから、これでロシアンルーレットをしよう」
そう言って、ゲイシーは引き金を引いた。わずかな振動が喉の奥に伝わり、脳の底を揺さぶる。遅まきに自分が何をされたのかを理解して、背筋が凍った。
「今みたいな感じで引き金を引いていく。そうだな、あと3回引き金を引いて、生き残ったら君の勝ちってのはどうだ? 面白いだろ」
話しながら彼はまた撃鉄を起こして引き金を引く。
なんでもないことのように。
ただのゲームのように。
「ふ……っ……んぅ……っ!」
頭の処理が追いつかない。先ほどまでのことを反芻して、心臓が暴れだす。呼吸が乱れ、息を吐く毎に視界がくらんだ。
自然と涙がこぼれてくる。この恐怖が心地よい。彼の指先が少し動くだけで命を脅かされるこの状況が、たまらなく気持ち良かった。
もっと叱ってほしい。
上手く出来なかったわたしに、もっとちゃんと罰を与えてほしい。
だけど彼は、具体的な言葉を告げない。
遊びを楽しむようにして、わたしに微笑みかけるだけだ。
そのイジワルな笑顔が身体を熱くする。お腹の奥がキュッとなり、下半身の感覚がしびれるようになくなっていく。
ルゥ、ごめんね。ちゃんとできなくて。
こんなお姉ちゃんを許して。
真っ赤に染まった妹がゲイシーの肩越しに見える。その彼女に、心の中でそう祈った。
「あと2発か……。なら、ここからはじっくり行こう。よく見ているといい」
彼はゆっくりと撃鉄を起こし、そして引き金に指をかけたまま止まる。
「っ……ふっ……うっ……?」
乱れる息を整えながら、彼の様子を伺う。考え込むようにして動かない。
その彼の口元が、ほのかに動き出す。色の白いゲイシーの頬が顎に引かれてわずかに歪んだ。
「君のこれまで頑張ってきたことを考えてごらん」
急に言われて、これまでのことが頭の中を駆け巡る。学校のこととか、勉強のこととか、ゲイシー逮捕のためにいろいろ考えて行動したこととか、人間関係少しでも良くしようとあれこれ気を使っていたこととか、ダイエットのこととか……かな。
「これで死んだら、全部無駄になってしまうね。愉快だと思わないかい? これまでの努力が全てゼロになるんだ。こんなに楽しいことはないだろ?」
そう言われて、これまでの人生がフラッシュバックする。楽しくない勉強とか、美味しくないピーマンとか、それらを受け入れ頑張ってきた今までがゼロになるのだ。
そう考えて、頭の奥がじんじんしてくる。
心が高鳴り、腰から下の感覚がなくなり、じんわりと暖かくなるのを感じた。アンモニアの匂いが鼻をつく。
悲しさが胸を締め付ける。苦しくて、どうしたらいいかわからなくて、でもそれが最高に気持ち良かった。
人生の意味がわからなくなる。
何のために生きてるのか。
嫌な出来事に耐えてきたのには、なんの意味があったのか。
空っぽな気持ちが喉の奥から這い上がり、目からあふれた。
「さあ、よく見ていろよ」
ゲイシーはそういうと、もったいぶるように、焦らすように、見せつけるように、引き金を引いていく。わたしの頭は意思と関係なしにブルブルと震えていた。
怖い。怖い。怖い……!
むせ返るような恐怖が邪魔して、息が上手くできない。
「……ぅうっ!……ふぅっ……っ!」
どうしよう。
気持ちよくて死んじゃう。
涙が止まらないのも気持ちいいし、お腹がずっと変で、苦しくて、じんじんして――。
――カチリ、と撃鉄がぶつかる音が、喉の奥で響いた。
「ふっ……!」
身体がビクリと反応する。それで、お腹の下の感覚が弾けた。
「……っ……うっ……んんっ!」
頭が真っ白になり、心臓が跳ね回る。わたしの身体全体が嬉しそうに震えていた。先ほどのアンモニアの匂いがいっそう強くなった気がする。
「かはっ……あがっ……あぁ……」
リボルバーの銃口を押し退けて、快感がもれ出した。
死を覚悟して、それでも生きてる安堵感が目の奥をにじませる。
ああ、気持ちいい。
寝起きの時みたいな、頭の奥がツーンとするような、スッキリするようなその感じがたまらなく心地よかった。
「ハッハッハ! いい顔だな保安官! 部下たちにも見せてやりたいところだ! そのぐちゃぐちゃな顔を見れば、みんな君のことを一層尊敬してくれることだろう!」
ゲイシーが空いた左手を額にやりながら心底愉快そうに笑う。
頭が真っ白で、自分が何をされてるのかよくわからなくなってくる。
まあ、いいや。気持ちいいし。
「さて、次が最後だよ。どっちが勝つんだろうね」
そう言って、彼はまた親指を動かした。
「もう弾が出るのは3分の1の確率だよ。残り3分の2で君の勝ちだ」
そう言って、ゲイシーはいっそう喉の奥へと銃を押し込む。
「おごっ!……おぇ……」
こみ上げる嗚咽をこらえながら、わたしは違和感を覚えた。
6発のリボルバーで4回引き金を引いて、1発しかない弾が出る確率は3分の2のだ。それは今も変わらない。なら今は、むしろ、一番怖い時、では……?
回らないはずの頭が、今に限ってよく回る。
ダメだ。
怖い。
さっきの気持ち良かった感覚が冷めて、心の奥で氷になる。わたしの身体は寒いかのようブルブル震える。
さすがの私も、もう無理だ。
だって二度目だよ? 状況はさっきより酷い。
こんなことされたら、こんなことされたら……。
震える身体に力を入れてぎゅっと耐える。この恐怖に。絶望に。
意識をもぎ取ろうとするその感情の波を無理やり押し留める。
そんなわたしの姿なんてお構いなしに、ゲイシーは引き金を人差し指で引き寄せる。それと一緒に、死の気配が歩み寄るのを感じた。
その時のわたしはこう思った。
ゲイシーは遊ぶはずなのだ、最初の戦闘だと。
どれだけ追い詰めたとしても見逃してくれるはず。
事実、ルゥだってあんなになってるのにまだ生きてる。
だから、これだって余興だ。
嘘なんだ。
確率論に見せかけて、ゲイシーはリボルバーの弾の位置を知っていて、それで遊んでるんだ。
だから、わたしがここで死ぬなんて嘘のはず。
やだやだやだやだ!
死にたくない!
嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ!
嘘だ!
嘘なんだ!
こんなに、こんなに頭おかしくなっちゃうくらい気持ちいいなんて。
嘘だ。
少しだけ、口元が緩むのを感じた。
ずっと、こうしていたい。
頭の中真っ白になって、バカになっちゃうくらいに。おかしくなっちゃうくらいに。
絶望に溺れたい。
絶望で溺れ死にたい。
人生の意味なんてわからないままで。
自分の存在意義なんてわからないままで。
ずっと、もてあそばれていたい。
だから、銃でなんて、死にたくない。
ずっと、ずっとずっとこのままがいい。
このまま溺れさせて欲しい。
いや、違う。本当は、そうじゃない。
わたしはこの先を知っている。もっと気持ちよくなる方法を、知っているんだ。
彼が、引き金を引くこと。
でも、そうしたら死ぬかもしれないけどそれが気持ちいいんだけどだもやっぱりして欲しくないけど引き金を引いて欲し――。
なんて考えなど知らずに、わたしの頭を押しつぶすような銃声が、鼓膜を貫き響き渡った。
喉の奥が焼けるように痛くなる。
これまで溜まりに溜まった快楽が頭の中で弾けまわり、わたしの意識は糸のように限界のところでぷつりと千切れた。
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