彼の気持ち…
帰りの車内は、ずっと無言のままだった。
というか、私的にはプライベートのことをベラベラ話されたのも納得いかないけれど、勝手に捨てたみたいに言われてむかついていたから。
捨てた記憶なんかない。
だって、あの頃は転勤で引越しの準備もあったし、彼も受験で精一杯だった。
移動先で落ち着いて、彼も大学生活に慣れてきた頃には、メールしたって返事も殆ど来なくなっていた。
加えて言えば、彼からのメールも電話も皆無に等しかった。
だったら…捨てられたのは私じゃないの?
普通はそう思うはずだ。
なのに『別れたつもりはなかった』とか『いつの間にか結婚して…』なんて言う。
窓の外をぼんやり眺めながら、そんなもやもやした気持ちを切り捨てようって試みる。
「…何を考えてる?」
ふいにそんな風に問われて、彼の方にチラッと視線を送る。
「…別に何も…」
「そんな風には見えなかったけど?」
「だとしても、自分の中で消化したい事なので、小栗さんには関係のないことです」
「それでも知りたい。今何を考えてるのか」
「…教える気はありませんよ」
「なぜ?」
「小栗さんの事じゃないからです」
「…そ…」
嘘ばっかり…今考えてたのは夫との離婚調停の事でも、仕事の事でもない。
翔太の事でもなく…今日彼の言った言葉についてだった。
「…あの時さ、俺受験でいっぱいいっぱいだったろ?合格してもバイトばっかりでさ。綾子も転勤だったし、移動先は結構遠かったじゃん?」
「…今話す必要ありますか?」
「今じゃなきゃ話も聞いてくれそうもないからな。で、綾子からメールが来てもなかなか返事も出来なかったし、帰ってくるとバタンキューでさ…電話をかけてる余裕もなかった」
信号で止まると、こちらをじっと見つめてくる。
その視線が真剣に付き合っていたあの頃のようで、なんとなく言ったまれない気持ちが一杯になる。
「…もう済んだことよ…」
「いや、まだだよ。だって俺は、別れたつもりはないからな」
「今更じゃない!」
「…お前は待てなかったのかもしれない。俺を信じられなかったのかもしれない。でも俺は、待っていてくれるって信じてた。誰よりもお前が好きだったから!」
「…じゃあ、私のせいだっていうの?」
「そんなことは言わない。俺がもっと連絡してやれていたら、それだけで違ったのかもしれない。でもそれが出来なかった…でもきっと大丈夫だって、思い込もうとしてたよ」
「…それこそ今更よ…」
「離れ離れになって10年か…。でも俺は、忘れた事はなかったよ。今までも付き合ってた女はいるけど、それでも忘れた事はなかった。お前以上に、好きだった女はいない…」
「…残念だけれど、私は結婚しているのよ」
「離婚調停中だろ?」
「だとしてもよ。私は夫と同じ事はしたくないの。絶対にしたくない…」
「だったら俺は、調停が終わるのを待つよ」
「やめてよ、そんなこと聞きたくない…」
「待つよ…今度こそ…」
「聞きたくない!」
「綾子!」
必死に耳を塞ぎ、彼から目を背けた。
その私の手を掴むと、耳から引き離す。
そして今、彼の口からは聞きたくなかった言葉を、彼は口にした…。
「今でも愛してる…綾子…」
今日は直帰の許可を得ていたから、私は最寄の駅で社用車を降りた。
そしてそこから、一番早いルートを使って帰宅する。
駅に着いた時点で、いつもよりも少し遅くなっていた。
電車に乗る前に、翔太に連絡を入れる。
「もしもし、翔太? ごめんね、ちょっと遅くなっちゃったの。急いで帰るから待っていてくれる?」
「うん、僕なら平気だよ。気をつけてね、おかさん」
「うん、ありがとう。じゃあ、急いで帰るからね」
「分かった。じゃあね」
翔太との電話を早々に切ると、ホームに停車中の電車に急いで乗り込む。
いつもの電車ではないけれど、今からならいつもより30分程度遅くなるだけで済むだろう。
誰に似たのか、素直に育ってくれているのだけが救いだった。
夫は当時の上司に薦められた見合いで知り合い、結婚した。
初めのころはまだ良かった。
翔太を妊娠した時は、ものすごく喜んでくれていたのだから。
変わったのは、彼が今の部署に移って半年ほど経ってから。
今から3年くらい前だったと思う。
もう既に気持ちは離れてしまっているけれど、今の人と一緒になったとして…また同じことをしないといいけれどって思う。
そして、あたしが生きてきたこの10年と同じ期間を、彼はどんな風に生きてきたんだろう。
どんな人と付き合って、どんな風に感じてきたんだろう。