歩み寄りに少しの後悔
「これってさ、期待してもいいってことか?」
「まだ自分の中で決着がついたわけじゃないの…。だけど…渡しておかなきゃいけないような気がして…」
「…ほんとに持ってても構わないのか?」
「嫌じゃなければ…」
「じゃあ…預かっておく。ただ、黙って入るような真似はしないから。2人に何かあったときは別だけどな」
「ええ、それでいいわ」
じゃあ、また明日…そう言って出て行く彼を見送ると、戸締りをする。
そして部屋を通り抜けてベランダのサッシを開け、彼が車を停めていたであろう場所を見下ろした。
今夜はすぐ近くのコインパーキングを利用したらしい。
数分後には聞きなれたエンジン音を響かせて、部屋の下を通過していった。
明日の準備をすると部屋に戻った翔太は、そのまま入浴までもすませたらしい。
キッチンまで水を飲みに来た翔太は、既にパジャマ姿だった。
「おかさん、またおじちゃん来るかなぁ?」
首を傾げながら翔太を見る。
「どうして?」
「おじちゃん、僕のおとさんになってくれないかなって思って…」
「翔太…?」
「僕、ほんとのおとさんみたいなおとさんはいらない。でも、僕…おじちゃんは大好きなんだ」
小学校に入る前には、夫は出て行った。
だから宿題を見てもらったことはないし、食事を一緒に取った記憶も殆どない。
そんな翔太が、彼を慕うのは当たり前で…。
「おじちゃんね、おかさんが大好きだって。だから僕と一緒におかさんを守ってあげたいって言ってたよ」
「…小栗さんが?」
「うん、そうだよ? おじちゃん、僕も大好きだって言ってくれたよ? ねえ、だめなの?」
「…そうね…チャンスがあったら、小栗さんに聞いてみるわね…」
「うん! じゃあ、僕寝るね。おやすみ、おかさん」
「おやすみ、翔太」
何をどう聞けばいいのやら…頭を抱えたくなった。
宿題を教えながら、何を教えてるんだか…呆れて何も言えなかった。
翌日もいつも通りに出勤する。
ごみを捨てたり、各デスク周りの清掃の後、給湯室に残っていたカップを洗っていた。
「おはよう」
「…おはようございます」
眠そうな顔で入ってきたのは小栗さんで。
「悪いんだけどさ、コーヒー入れてもらってもいい?」
「…眠そうですね。無理して寄るから…」
「無理はしてないよ。嬉しすぎて眠れなかっただけ。やっと誰かさんが、少し歩み寄ってくれたみたいだからね」
「…翔太に余計な事、言わないでくださいね? 期待外れに終わったら、あの子…」
「駄目になんてしないよ。俺は、それだけ本気だって事。ちゃんと翔太のことも考えてるから」
「…ちょっと濃いめにしましたから、ミルクだけでも入れてください」
「ありがとう」
入れたコーヒーと一緒に、ポーションミルクを2つ手渡す。
その場でミルクを入れると、ありがとう…ともう一度言うと戻っていった。
洗い物を済ませると、私も業務が始まる前に戻る事にする。
そして自分の席に着く前に、たまっている伝票を手に取った。
朝礼の後、早速入力を始めると、書類の束を持った小栗さんが背後に立った。
「これも頼んでいいか?」
「はい、急ぎですか?」
「いや、まだ大丈夫。 2・3日中に出来れば助かる」
「解りました。お預かりします」
伝票の束を受け取ると、内容を確認する。
その中にはメモと一緒に、銀行のカードが1枚入っていた。
メモには今夜食べたいものと、カードの暗証番号。
そして、自分が行く事で増える食費の足しにして欲しいとも書いてあった。
「食費の足しって…・毎日来る気かしら…」
一気に押し切られていくような、そんな予感がする。
そして聞こえないように、溜息を1つついた。
ばれていないと思ったのに、社内メールで【溜息つくなよ】と直ぐに届く。
…どれだけ地獄耳なの?
今度は聞こえてもいいと、大きく溜息をつく。
「藤森、何か問題でもあったか?」
「いいえ…別に」
「そうか?」
「ええ、特には」
っていうか、問題あっても今は言えるわけないじゃない!
このままだとYESと言うまで、気苦労が絶えないのかな・
ちょっぴり、鍵を渡すのを早まった様な気がしてしまう。
既にほんの少しだけ、後悔をしているのだった。
ちょーっと短いですw




