団欒と鍵
翔太はいつもよりも更に食欲があるようで、すごい勢いで次々に口へ放り込む。
「翔太、お前なー。ちゃんと噛まないとだめだろう?」
「んー、ふぁふぁっへうー」
「翔太…行儀悪いでしょ」
「ん、解ってるよ。ごめんなさい」
急いで噛んで飲み下すと、笑顔でそう返事をする。
「美味いのは解るけどな。でもきちんと噛まないとだめだ」
「はーい」
夫がいた頃、殆どともに食卓を囲んだ事のない翔太。
だから今夜は、父ではないとしても誠実に接してくれている人と囲む食卓が、嬉しくて楽しくて…食も進むというものなんだろう。
「翔太は野菜もしっかり食べるんだな」
「ええ、ピーマンが少し苦手だけれど…基本的には何でも食べるわ」
「いい事だ。君の育て方もいいんだろうな」
「そんな事…」
この子には自分しかいないのだと覚悟を決めてから、手を抜く事のないよう頑張ってはいるつもりだ。
「煮物をしたりとか、今夜みたいにミックスベジタブルとかは冷凍物をよく使っちゃうし、スープとかサラダ用にだって豆類は水煮缶とかよく使うのよ?」
「素材はそうかもしれないけど、料理はきちんとしてるだろう? サラダだってしっかり食べてる。俺の兄貴のところじゃ、野菜嫌いで困ってるぞ?」
「お兄さんって…」
「言った事なかった? 俺、5つ上に兄貴がいるんだよ。そこんちも姉さん女房」
「え?」
「義姉は兄貴の3つ上なんだよ。しかもバツ2」
「あぁ…そう…」
「だから心配しなくても、反対される事はない」
「…そんな心配はしてませんけど。考えてもいなかったし」
「そう? ほんとに?」
したり顔で笑ってみせる小栗さんに、少々むっとしながらも食事を続ける。
「ご馳走様―」
一足先に食事を済ませた翔太が、使った食器やカトラリーをシンクまで運んでいく。
「へえ…自分で運んでるなんて偉いな」
「だっておかさんは、仕事してるし、ご飯も作ってくれるし、掃除だって洗濯だってやるんだよ? そしたらお手伝い出来る事は、僕だってするよ?」
「そっか、偉いぞ翔太」
普段褒められ慣れていない翔太は、くすぐったそうな顔をする。
そしておもむろに「明日の支度しなくちゃ!」と言って、自分の部屋に逃げるように走っていった。
「なんだ? 照れてるのか、あれは?」
「父親が殆ど家にはいなかったでしょう? 褒められ慣れていないのよ」
「そういうことか」
「頑張ったって、私には父親役は出来ないものね」
「でも思いやりのある優しい子だ。自慢していい」
「ありがとう…」
その晩の小栗さんは、遅くまで我が家に滞在し、翔太の相手をしてくれた。
翔太も本当に嬉しそうで、見ていて私も嬉しくなった。
翔太が眠ってしまった後、リビングに戻ってきた小栗さんの顔は満足そうだった。
「お疲れ様。ありがとう…あの子ったらすっかりあなたに懐いちゃったわね」
「そうか? そうならいいんだけどな」
「…」
リビングの隅にある私の、DVDラックも兼ねている本棚に近付く。
「これ…まだ持ってたのか」
「気に入ってるものだから…」
彼が手にしたものは【三銃士】のDVD。
何度か製作された、17世紀フランスを舞台にしたアレクサンドル・デュマの書いた話だ。
私が持っているのは、そのうちの7作目にあたる。
三銃士を含め続編まで、今までに11度映画が作成されている。
「原作も読んでたよな。まだ持ってるのか?」
「あるけど…全部がどうしても揃わなくて」
「何が?」
「さすがに古い話でしょう? ブラジュロンヌ子爵だけ、全部揃わないままなの」
「そうか…」
「仕方ないわね、これだけ古いんだし」
小栗さんは黙ってDVDのパッケージを眺めている。
棚の中には、2人で一緒に見た映画のDVDが並んでいるのを思い出した。
「あ、あの…」
「懐かしいタイトルが揃ってるな。この辺の、俺と一緒に見た映画ばっかりだ」
そして嬉しげに目を輝かせて、こちらを振り返る。
「…別に意味はないわ」
「ほんとに?」
期待に満ちた目をまっすぐにこちらに向け、私の返事を待っている。
でもどう答えていいのか解らない…。
「…私はね…これから翔太と2人で生きていかなくちゃいけないの。でもあなたは違う。あなたは…いつか誰かと幸せにならなきゃいけないのよ。私達はそれを邪魔したくないの」
「俺はね、他の女はどうでもいいんだ。綾子と翔太と3人で幸せになりたいと思ってる。さっきも言ったろ? うちの家族からの反対は、絶対にありえない」
「でも私は…」
「もう離婚してるんだし、法的に結婚出来るようになるまでは待つよ。でも俺はもう諦めるつもりはない。絶対に綾子と翔太を手に入れてみせる」
その言葉に、返す言葉が何も出てこなかった。
「今夜は帰るよ。ゆっくり寝て?」
「え、ええ…ありがとう…」
「じゃ、また明日な」
おやすみ…そう言って、私の頬に手を伸ばす。
するりと指の背で撫でると、玄関に向かう。
見送りと戸締りのために、彼の後を追う。
でも私はまだ迷っていて。
このまま帰してしまっていいのかを迷っていて…。
彼が靴をはいている時に、シューズボックスの上に置いてある予備の鍵が目に入った。
「…修平…」
久しぶりに呼ぶ彼の名前に、驚いたように振り返った。
そして黙ったまま彼の手を取り、その鍵をその掌に落とした。




