愛してるから
一度目は、あんたの嘘を信じた振りをした。
二度目は、アタシを選んだあんたを許した。
三度目に、自分の愚かさをようやく知った。
──アタシは本当にあんたを想ってたのよ。
秋乃は、手を繋いで歩くカップルに目を眇めていた。
仲良さげに顔をよせて笑いあっている二人。見覚えのある姿に、彼女の胸の内は、今にも爆発しそうだった。
高いハイヒールでツカツカと二人に近づくと、一声かける。
「ねぇ、あんた達、なにしてるわけ?」
ぱっと振り向いた二人は、秋乃の冷えた視線を受けて、一瞬で顔を青ざめさせた。
男の名前は智紀。女の名前は麻美。
そう、相手は自分の彼氏と、親友だと思っていた相手だった。
「秋乃……」
「呼ばないでくれる? あんたになんか名前を呼ばれたくないわ」
慌てて手を離した麻美は、縋るように秋乃を見る。だが、今更そんな目で見られても、少しも心は動かない。
秋乃は腕を組んで、低く声を落とす。
「ここじゃ目立つし、喫茶店でも入って、じっくり話をしましょうか? 言い訳くらいは聞いてあげる」
二人を見下して、秋乃は冷ややかに笑ってみせた。
近くの喫茶店に入り、ウェイトレスが下がると智紀が頭を下げた。
「……ごめん、秋乃」
「それは何に対しての謝罪なの?」
秋乃は煙草に火をつけて、ゆっくりとくゆらせながら智紀に尋ねる。
「俺が全部悪いんだ。仕事忙しいのはわかってるけど、中々会えないし、連絡もあんまないし……。お前はオレのこと、本当に好きでいてくれるのかわからなくなったんだ。……麻美は全然悪くない。許してくれ」
「違うのっ! 私が誘ったんだから、智紀くんは全然悪くないのよ。だからお願い、智紀くんを許してあげて……」
声を上ずらせて、麻美が必死に智紀を庇う。そんな女の目に、恋慕の情を見つけて、秋乃は静かに目を細める。
彼女は智紀に惚れていたのだろう。だからと言って、何をしても許されるわけではないが。
「なぁ、頼むから別れないでくれよ……」
泣きそうな顔で縋る男に、秋乃は黙って煙草の火を消した。凍えた心はひび割れて、血を流している。
いつもこの顔に絆されて、秋乃は男に許しを与えてきた。しかし、今回は違う。よりによって相手は自分の親友で、しかも、その親友だったはずの女は、彼に恋慕の情を抱いている。
──もう、この恋は終わりにしよう。
裏切りにはもう耐えられなかった。
「……もういいわ」
「それってどういう……」
「別れましょう」
はっきりと別れを告げるのはこれが始めてだった。秋乃は、泣き出した麻美をちらりと見やり、ため息を吐く。
「悲劇のヒロインぶるのもいい加減にしなさい。泣きたいのはこっちよ。アタシは今日、親友と彼氏を一度に失くしたんだから」
「ごめ、んなさい……っ」
「どうしてだよ? 今までだったら許してくれたじゃないか。……オレが愛してるのはお前だけだ。本気だったわけじゃない。それでも駄目なのか? お前は、やっぱりオレを愛してないのかよっ?」
「……愛してるから、許せないのよ」
初めて口にされた『愛してる』の一言に、智紀は大きく目を見開いた。
照れくさくて、なかなか言えずにいた言葉。
まさか別れの時に伝えることになるとは、思っていなかった。なんて皮肉だろうか。
秋乃は口には出せなかったが、本当に智紀を想っていたのだ。
「あ……きの……」
智紀がくしゃりと顔を歪める。
「アタシは好きじゃない相手と付き合えるほど、器用な女じゃないわ。三年も一緒にいたのに、あんたには伝わってなかったのね……」
それだけを告げて、秋乃は席を立った。
きっと口に出せなかった自分にも責任はあるのだろう。だが、今はあまりにも胸が痛すぎて、何も考えたくなかった。
普段飲まない酒だけど、今夜は飲みに出かけよう。
そうして上手に酔えたなら、自分に涙を許そうか。
二つものを忘れれば、夜の眠りも深いだろう。
****
一度目の浮気は、オレの嘘を信じてくれた。
二度目の浮気は、謝罪を受け入れてくれた。
三度目の浮気に、キミの心を初めて知った。
──オレは本当にお前を愛してるんだ。
秋乃の後ろ姿が入り口から消えると、智紀は脱力してテーブルに項垂れた。
「こんなつもりじゃなかったのに……」
そう、こんな風に別れたかったわけじゃない。ただ、秋乃の心が知りたかっただけなのだ。
浮気を繰り返したのは、彼女に妬いてほしかっただけ。少しも本気じゃなかった。
「智紀、くん……ごめんなさい。私が智紀くんに相手をしてほしいなんて頼んだから……」
麻美は泣きすぎて、マスカラが崩れた酷い顔をしていた。
二人は高校からの親友だったと聞いている。社会人になっても関係が続いているのだから、その付き合いは智紀よりも断然長い。
「いや、それに応えたのはオレだから。結局オレが悪いんだ。麻美は気にしなくていいよ」
「でも……」
「それよりも、自分のことを心配したほうがいい。お前の彼氏に知られたら同じことになるかもしれないだろ?」
二人はお互いの相手を妬かせるために浮気をしたのだ。
しかし智紀の言葉を聞いた瞬間、麻美は更に泣きそうに顔を歪める。
「ごめんなさい……っ! わ、私、嘘をついてたの……」
突然の謝罪に、智紀は怪訝な目を向けた。
「どういうこと?」
「私、本当は彼氏なんかいないの……。ず、ずっと、智紀くんが好きで……一度だけ付き合ってもらえればって、そう思っただけなの……」
こんな風に関係を壊すつもりはなかったと麻美は泣く。
「……そうだったのか。だけどごめんな、お前の気持ちには応えられないよ。オレはやっぱり秋乃が好きだから」
「うん……わかってる。あんな告白聞いちゃったら諦めるしかないよ」
麻美は涙を拭いて、小さく笑った。
「智紀くんはこれからどうするの?」
「あいつに許してほしいけど、秋乃がああ言ったんだ。きっと土下座して謝っても、あいつは許してくれないだろうな。だけど、それでもオレには秋乃が必要なんだ」
「諦めないのね?」
「一生かかってもいい、許してもらえるまでずっと頭を下げ続ける。今度こそ、下手な小細工はなしで素直にぶつかるよ」
「そっか。それじゃあ、私は消えるね? 智紀くんにももう電話しないし、二度と会わないよ」
「……元気でな」
「うん。でも、もしいつか──……」
「えっ?」
「……ううん、なんでもない。さよなら、智紀くん」
麻美は寂しそうに笑うと、離れていった。
残された智紀は苦しそうな顔で、一人呟く。
「結局、オレが全部壊しちゃったんだな……」
欲しかったものが、ずっと前から差し出されていたことを気づけずに。
今夜は少しも酔えないが、それでも酒を傾けた。
そうして想いを飲み下し、キミを想って涙する。
見上げた夜空に鼻唄歌い、眠れぬ夜を隠そうか。
初めての方はお初にお目にかかります、二度、三度とお越しの方はお久しぶりです、天川です。足を運んでくださって本当にありがとうございました! 拙い作品ですが、秋乃と智紀を通して、読んでくれた貴方に何かが伝わっていればと思います。