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はらりと、窓の外に白いものが舞った。
「また、降ってきましたね」
音はなく、ひらひらと増えていく雪。今年になって降るのはこれで三回目である。前回の二回は翌日にあらかた溶けていたので、今回も積もりはしないだろう。
「ああ……そうですね。今日は冷え込んでいますから。寒くはありませんか?」
「大丈夫です。寒さには慣れていますから」
窓から視線を外す。目の前の書類を片付けるために再度ペンを走らせれば、ユリウスも書類へ視線を戻した。年末なだけあって、処理すべき書類も多い。
年越しの、夜。王宮の中はとても静かだ。シリカの話によると、王族達は新しい年を毎年家族そろって静かに祝うという。王宮で働く侍女や料理人、文官や騎士も、あらかたは家庭に戻って新年を迎える。かくいうシリカも今は王宮内にいない。警護にあたる騎士の数も最低限なので、ただでさえ人の少ないこの場所には、現在フィリウスとユリウスの二人しかいない。元々静かな場所なのに、今日はそのため雪の降る音すら聞こえそうなほどだ。
……そのうち、遠く、鐘の音が響き始める。ユリウスは目を上げて時間を確かめる。もうすでに、年は明けていた。
「少し、休憩しましょうか」
その言葉を合図にフィリウスはペンを置く。お茶を淹れますと立ち上がれば、
「いえ、今日は私が。座っていなさい」
そう言われ、頷く。ユリウスの不思議な色合いの髪が扉の向こうへ消えるのを見送った。
カップと湯と茶葉、軽食や菓子類などは全て、誰も使い手のいない隣室にそろえられている。ユリウスがそれらを持って現れるのは、数分後。ふと立ち上がり窓を開け、バルコニーに出る。バルコニーの屋根からはみ出たところは雪に覆われ、寒気は途端に肌を刺した。
白い部分に一歩踏み出せば足跡が残る。雪は肩や頭に降りかかって積もり始める。
――それは神の御業。その腕に抱かれれば、我らは永久の安息へたどりつく。
フィリウスの故郷では、雪はそう恐れられていた。ほぼ毎年、雪が降るたびに、誰かがいなくなっていたから。
「……フィリ」
カディアは今頃雪だらけだろうな、などととりとめもなく考えていれば、名を呼ばれる。
「そんな薄着で雪に降られて、風邪でも引きたいのですか?早く中に入りなさい」
呆れた様子のユリウスに、ごめんなさいと謝り室内へ戻る。ほんのわずかな間だけれど、体は冷えてしまった。
「珍しくもないでしょうに、雪など。カディアの生まれでしょう?」
「ええ。……ただ、少し懐かしくなりまして」
出された紅茶に口をつける。じんわりと体の中が温まる。
――カディアは、北の霊峰ガエトのふもとにある。王都からは徒歩で二ヶ月以上かかる、グレフィアス国でも辺境の、一番北端に位置する街だ。山向こうには隣国マルカートがあり、マルカート国との交易の中継地とされることが多い。けれど地理が悪いために街は小さく、馬を生活手段として生活を営んでいる。特に冬は雪に覆われ、大雪の時などは三日三晩家に閉じ込められることもある土地だ。
「……フィリ。後悔、していますか?」
懐かしいと口にしたフィリウスに、ユリウスは問うた。当然ながら、フィリウスは首を横へ振る。
「していません。……先生は?」
するはずがない、とユリウスも首を横へ。
カップの半分ほど飲んだ後、ユリウスはさらに問いを投げる。
「そういえば、手に入れたお金は、何に使うつもりですか?」
王宮に勤めれば、金は嫌でも手に入る。ましてや宰相、その弟子ともなれば。けれど、あまりに忙しくて、実際に使う機会などそう多くはない現状だ。面接の時からお金が欲しいと言っていたけれど、と思い至りふと問えば、フィリウスは小さく笑った。
「どこかに土地を買って、家を建てて……そこで、静かに暮らしたいと思っています」
それは、夢というのもおこがましい、現実的な夢だった。
そうですかと相槌を打ち、ユリウスは口を閉じる。フィリウスもまた静かに、残りの紅茶を飲み干す。
しんしんと、雪が世界を染めていく。しばらく鳴り続けていた鐘の音は、もう余韻も残さず消えていた。
「今年も、よろしくお願いします。先生」
フィリウスが言えば、ユリウスは持ち上げたカップ越しに微笑む。
「こちらこそ、フィリ」
新年最初の夜は、静寂の中、ゆっくりと過ぎていく。