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――もう随分立派になった。ユリウスはため息をともに、その姿を見る。
ここに来て、そろそろ三年。十六歳だった少女は、あと少しで十九歳になる。いつの間にか大人びて、もう女性と呼ぶべき横顔になった。
早いものだと思う。たった三年、されど三年。子どもが育つには十分な時間。小鳥はいつまでも親鳥から餌を貰うばかりではない。気付けば自身が親となる。フィリウスと一緒にいて、時々ユリウスの方が、フィリウスから何かを得ることがあった。フィリウスはもう小鳥ではないのだと思い・・・初めから小鳥ではなかったと小さく笑う。
(小鳥というより、うり坊みたいな)
可憐な鳥のイメージよりも、猪のような荒々しい動き。言葉。けれどこの頃は、その過激さも落ち着くところに落ち着いてきた気がする。
ひとは、住む場所に慣れる。触れあう人々に慣れる。
故郷のことを、そこで共に暮らしていた者達のことを、忘れたわけではないだろう。けれど、目まぐるしく、そして穏やかな日々の中、一歩ずつ歩いていくフィリウスの強さは、過去を全て抱え込んでも決して消えはしない。強くあろうと思っても強くいられない者は多い。それらひとの中で前に進めることの、何と稀有なことか。・・・真っ白な服で花をまくフィリウスの、その笑顔がまぶしい。
ユリウスは、ため息をつく。出来のよい弟子をもつと、苦労するものだ。
「・・・どうした?」
横に立っていたオルグが問う。
「いえ・・・」
濁すもじっと見つめてくる視線に負け、ユリウスは苦笑いし、呟く。
「・・・子が育っていくのは、寂しいものだな、と」
オルグは途端破顔し、お前は早く妻をとって子どもを作れ、とユリウスの笑みをさらに苦々しいものに変えさせた。
花祭りの開会を宣言してすぐ、前回のペアを解消したフィリウスが戻り、笑顔で言った。
「先生。私は今年、祭りには出ません。ちゃんと仕事しておきますから、今日は先生がしっかり遊んできてください」
そして、あれよあれよという間に王宮を追い出された。
「・・・恨みますよ、フィリ」
それは奇しくも二年前の花祭りでフィリウスが思ったのと同じ感情だが、ユリウスはそんなことは知らない。
しょうがなく城下に下りていく。こんな昼間に城下へ遊びに下りるなど、随分久しぶりだ。
「・・・まあ、楽しみますか」
まあ、意識を一度切り替えれば、ユリウスはとことん楽しめるタイプである。
屋台を色々見て回り、飴を二つ買う。べっこう色で、羽ばたく鳥を模したもの。ただ丸く固めただけもの。後者をぺろぺろと舐めながらさらに屋台を見て回る。と、
「あ」
右手から聞き覚えのある声。そちらを向くと、
「ああ・・・皆様、お揃いで」
驚いた顔のリアリス、ライディア、アレクリット、グラン、シィザ、バルカス、ザギという大所帯がいた。
「ユ、ユリウス?何でここに・・・」
何だか引き気味に、リアリスが尋ねる。城に連れ戻されると思っているのかと首をひねりつつ、
「フィリに追い出されました」
正直に言えば、相手方は何とも言えない表情を浮かべる。
「追い出されたって・・・」
「すごいじゃねえか!フィリ」
師弟の力関係が逆転していることが面白いのだろう、ザギだけが大笑い。ユリウスは苦笑して、なお飴を舐める。
「楽しんでますか?」
主にライディアあたりに目をやり訊く。ライディアはさっと目を逸らし、
「楽しんでる。アレクも、楽しんでるだろう?」
話を振る。アレクリットは慌てて頷く。それを見てユリウスは、そうですか、とあっさり話を打ち切る。
「なら、よろしいです。どうぞ心から楽しんでください。では、私はこれで」
そしてまたあっさりと挨拶をしてその場を去る。あんな大所帯では逆に目立つな、と思いながら。
・・・余談だが。彼らが引いていたのは、身分あるいい年した大人の男が子どもみたいに飴を舐めつつ道を歩くという衝撃的な状況を、目に止めてしまったから。
飴を舐め終わって次は飲み物を買う。香り茶だ。温かなそれを飲みつつ歩いていたら、城下のほぼ中心にある噴水広場で、ラドアリア家の兄弟達に会った。
「ああ、お久しぶりです。レガート様、サジタス様、グレイル様」
三人はふっとこちらを振り返り、同時に会釈する。レガートが代表で口をきく。
「久しぶりです、ユリウス様。・・・フィリウスは?」
とりあえず気になるのは“妹”のことらしい。その事実にほっと息をつき、
「今日は、私と役目を交代して仕事をしています。・・・実のところ、遊んでこいと追い出されてしまいまして」
言えば、彼らは鮮やかに笑う。あまり似ていない兄弟だが、笑顔は少し似ている。
「そうですか、大変ですね。・・・でも、たまにはいいでしょう」
そういうお休みも、とレガートが尋ねるので、ユリウスは、そうですねと答える。
「本当に、久々です。こうして羽を伸ばしに城下に下りるのは」
ああ確かに、ユリウス様はいつでも城にいますもんね、とグレイルがややくだけた敬語を使う。ユリウスはその言葉に、小さく微笑む。
「私には、今となっては・・・城が家ですから」
三人は静かに頷き、理解を示した。ユリウスとフィリウスの違いが、浮き彫りになる。
「あの子のこと、ありがとうございます。私と同じようでは、あまりにかわいそうで」
・・・フィリウスをラドアリア家に預けて、本当に良かったと思う。ユリウスがオルフェレアだったので、二大貴族間の釣り合いをとるためにラドアリアの養子となったのだが、それでも、ラドアリア家で良かったと笑む。レガートは困った表情で、
「礼を言われるようなことは、何もありません。私達は、フィリウスを受け入れただけですから」
そう、簡単に言ってのけるが・・・ただ受け入れることほど、困難なことはない。それを気負うことなくやってしまうところが、彼らのすごいところだ。
ユリウスは何も言わず、一度頭を下げて、その場を辞した。
昼を食べて、午後も中頃、そろそろ見るところもやることもなくなってきて、ユリウスは人込みをはずれ墓地へ向かう。ルカの墓に、花を届けに。
春めく季節、木々には花の蕾が膨らんでいる。静かにゆっくりと、けれど自然に従って育つそれらは、花を咲かせる日を、今か今かと待っている。
わずかな足音を響かせ、ユリウスは姉の前に立つ。花を一輪供え、片膝をついて胸の前で両手を組む。祈る。無心で祈る。
――ふと、自分より若い姉の姿が頭に浮かぶ。自分とよく似た顔で笑っていた。
目を開ける。すると、自分が影の中に座っていることに気付く。不思議に思って振り返り、目を見開く。
「ガルシア・・・様」
金の髪、濃い紫の目。ユリウスの後ろに静かに立っていたのは、ガルシア・ディス・オルフェレア。・・・ユリウスの、義父であった。
「墓参りか」
ガルシアは、その波立つことのない紫の目で墓石を見る。ユリウスははいと答えて立ち上がる。居心地悪げに身を縮め、やや引きつり気味の笑みを浮かべる。
「珍しいところで、お会いしましたね。・・・ガルシア様は、何故このような場所に?」
問われたガルシアは背後に目をやって、妻の墓参りだ、と告げる。この墓地の奥は貴族の墓になっていて、そこに彼の永遠の妻クルティの墓があるということを、初めて知った。
「・・・そう、ですか」
「・・・ああ」
「・・・」
「・・・え、っと」
元々、会話のない名ばかりの家族。三呼吸ほど数えた後、ユリウスはその場を去るための言葉を紡ごうと口を開く。が、同時に、ガルシアがユリウスの目を見る。
「私も、参ってもよいか」
そう訊く。ユリウスを呆気にとられてしばし言葉が出てこなかった。
「ど、どうぞ」
ようやくの思いで短く答えれば、ガルシアはユリウスがやったように片膝をつき、胸の前で両手を組んで、ルカの墓に向かい合った。
・・・名ばかりの義父が、死んだ姉の墓に手を合わせている。それは何とも不自然な構図で、少なくともユリウスの頭の中では、たったの一度も想像したことのない景色だった。
「この姉がいるから、今のお前がいるのであろう」
風の音に溶けるように、ガルシアが囁く。ともすれば、聞き逃しそうな低い声。
「私は、グレフィアス国に生きる者として、この者に敬意を表する義務がある」
ガルシアはすらりと立ち上がり、絶句しているユリウスを見つめる。
「ユリウス。お前の弟子は、どうだ」
何かしら答えようと口を開くが、衝撃からまだ立ち直れない。重ねて、
「よい弟子か」
尋ねられ、子どものように頷く。ガルシアは、そんなユリウスに、微笑む。
「そうか。良かったな」
そう、優しく声にして。
「・・・ありがとう、ございます」
何故だか目頭が熱くなったユリウスは、慌ててうつむき、震えの走る声で、答えた。
その日、オルフェレア家の親子の距離は、ほんの少しだけ、近付いた。
――オルフェレアを利用したという負い目のあるユリウス。亡き妻を十年以上も忘れられないガルシア。二人の仲を今この場で取り持ったのは、一体誰の存在であろう。




