8
ぎらぎらと照る太陽が目に痛い。ひどくなる頭痛にふらつきながら、フィリウスはユリウスの執務室に向かっている。
・・・昨日の記憶が、飛んでいる。そして今日はこの状態だ。一体何があったというのだろう。レガートとサジタスは含み笑いだし、グレイルはものすごく不機嫌だ。何かやったのだろうか。思いだせない。
頭が痛いとはいえ、たんこぶがあるわけではない。体のどこにも怪我はない。外的要因でなく、内的な・・・しかし、記憶が飛ぶような内的要因などあっただろうか。思いつかない。
(何かした、よね。きっとした。でも、何をしたんだろう。・・・ああもう!何で覚えてないの!)
ぐるぐる悩みながらどうにか執務室に辿り着いた頃、頭痛はピークで、フィリウスはドアに寄りかかったまま動けなくなる。頭痛と一緒に感じていた胸のむかむかが吐き気を催させて、唾を飲み込む。
「フィリっ?どうしました、体調でも悪いのですか?」
駆け寄ってくるユリウスの声までも頭に響く。ああこれは無理だ、とさすがに思う。
「すいません・・・。今日、こんな状態なので、お休みさせてください」
何しに来たんだという感じだが、これでは正直仕事にならない。ユリウスは心配そうな顔をして、
「いいですけれど・・・一体、どうしたのです?」
ごく普通に尋ねられても、経緯がわからないフィリウスは弱々しく首を横に振るしかない。
「私にも、何が何だか・・・」
何かあった・・・したのは確かだと思うのですけれど、ラドアリア家の皆様が教えてくれなくて、と続ける。ユリウスはそれを深く追究はせず、
「そうですか・・・。わかりました。今日は一日、ゆっくり休みなさい」
そう微笑み、シィザを呼ぶと、二人で一階までフィリウスを送る。シィザは家まで送ろうとしたが、大丈夫だとフィリウスが断った。よろけながら廊下を進んでいく後姿を見送って、
「大丈夫でしょうかね・・・」
ぽつりと呟いたユリウスに、
「大丈夫そうには、見えませんが・・・」
そう答えるシィザ。二人は非常に不安そうな顔をしながら、執務室に戻っていった。
それから十分ほど後、フィリウスは案の定、行き倒れた。
「ううぅ・・・無理、何これ、気持ち悪・・・」
廊下で倒れていたら騒ぎになるだろうと思いどうにか庭の片隅に隠れ、身を休めるも、頭の中で鐘でも鳴らされているような痛みと、それに伴う吐き気は治まらない。
木の影に横たわり、空を見上げる。青々した木々の葉の向こうにあるそれは、素晴らしい快晴だ。雲一つなく、青が濃い。
(目が回る・・・)
本当にどうしたというのだろう。熱も外傷もないのに、頭痛吐き気、次は目眩ときた。目を閉じて深呼吸を繰り返す。まぶたの裏の暗闇がうねる。
――いつしか、意識が飛んでいたようだ。
「おい、フィリウス」
名を呼ばれ、はっと目を開ける。グランがフィリウスをのぞきこんでいた。
「お、起きたか」
笑顔を向けられ、狼狽する。無防備にも、寝顔を見られた。
「・・・グラン様。いつの間に」
五分くらい前からと返事があり、お前はいつからいたんだと問われる。
「いつからって・・・」
体を起こしつつ空に目をやり、
「・・・ええっ?」
驚いて声を上げる。日は中点を大きく過ぎていた。今何時なんですか、とグランを見る。
「午後二時過ぎくらいだな。・・・朝からずっといたのか?」
「そう、いうことに、なりますね。寝過ぎだって・・・」
思わず付け足してしまった言葉に、確かにな、とグランは笑い、
「二日酔いは、もういいのか?」
尋ねられ、二日酔い?と問い返すフィリウス。黙る二人。
「・・・二日酔いだったんですか?私」
「・・・ええと、違ったのか?」
情報に差異があるようだ。グランは、自分が聞いた情報をフィリウスに教えてやる。
「ラドアリア家のグレイルが騎士団にいるだろ。あいつが、フィリが昨日変な飲み物を飲んで今日ひどい二日酔いになっている、と俺に言ってきてな。王宮の奥の方とかで行き倒れたりしないか様子を見てきてくれないか、と言われたから確認に来て、それで今、この状況なわけだ」
フィリウスはそれでようやく得心がいった。
「ああ・・・そういうわけだったんですか」
この体調不良も。記憶がないのも。全部その、変な飲み物のせいらしい。
「・・・ちょっと待って。変な飲み物?」
やっぱり納得できない。何だ、それは。
「二日酔いだから、酒じゃないのか?」
そう簡単に言うグランに、
「貴方、私がちょっとやそっとでは酔わないのを忘れましたか?・・・それに、昨日は絶対、お酒なんて飲んでない。まだ昼間のうちから、そんな飲んだくれたりしないもの」
最後の方はぶつぶつともう独り言に近い。ああでもない、こうでもない、といくつか説を立て、結局、よくわからない。
「・・・私、本当に何をやったんだろう」
何かとんでもないことをしでかしたのでは、と不安が募る。
黙り込みうつむいたフィリウスに断りを入れ、グランはその場を離れる。そして三分後、手にポットを、後ろに一人の下働きをつれて戻ってくると、
「喉乾いてるだろ。とりあえず、茶でも飲んで落ち着け」
下働きの青年が持っていたカップと砂糖の乗った盆を受け取り、御苦労と声をかけ彼を返す。フィリウスの隣、地面に直接腰を下ろす。
「まあ、何だ。グレイルも怒ってるようではなかったし、事情を知ってるやつらが説明しないということは、そこまで気にしなくても大丈夫だろう。・・・たまには、ひとに心配されたり、迷惑かけたり、構われたりするのも、悪くないぞ?」
雑にポットの紅茶を注ぎフィリウスに差し出すと、グランはそう言ってにやりとする。
「・・・私は、いやですけどね」
フィリウスは、不服げにカップを受け取り口をつける。渋みに顔をしかめ、砂糖もミルクも入れない主義なのに、砂糖を三杯も入れる。
「グラン様、美味しくないのですけど」
渋みと甘さに顔を歪め、文句を言いつつ一気飲みする。もう一杯、とカップを差し出す。
「しょうがないだろ、俺は侍女じゃないんだからな」
不味ければ飲むなと言いつつ、もう一杯注いで渡す。グラン自身も自分が淹れた茶に顔をしかめながら、ちょっとずつ飲んでいく。
「喉が乾いてるんです。質より量ですから、我慢してますけど」
おかわりの一杯を半分ほど一気に飲み、フィリウスは苦笑い。
「・・・わたしを構うつもりでしたら、せめて、もっと上手に構ってください」
珍しい言葉にグランは一瞬きょとんとし、それから、苦笑を返す。
「・・・わかった。今度は、ちゃんと上手い茶を淹れてやる」
フィリウスは小さなため息をつき、頷く。
「楽しみに、していますよ」
そして・・・捜しに来てくれてありがとうと、やや照れながら微笑んだ。