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希望者四十人ほどの半数以上が貴族の子だった。服装や立ち居振る舞いは元より顔立ちからして一般庶民とどこか違う。残り半分の庶民も化粧や高価そうな服で自分を飾り立て、どうにか目立とうとしていた。場違いな感じがして、フィリウスは居心地の悪さに少し身を小さくする。
(失敗、したかしら……)
一日休みをもらってまで来るべきところではなかったかもしれないと、少し後悔する。そもそも王宮に勤めたいという願い自体が希薄なのだけれど、この場にはおそらく、ただお金が欲しいだけなんていう理由の人間はいないのだろう。
「次。フィリウス・ラウル」
やっぱり場違いだわ、と後悔している間に名を呼ばれて、溜息一つ、とりあえずやるだけやろうと覚悟を決める。前に入った少年とすれ違いに扉へ向かい、ノックをして、返事を聞いて扉を開ける。閉めて振り向き、背を伸ばして立つ。
大きな部屋の中央に、向かい合って二十人は座れるだろう会議用机がある。その向こう側に五人の人間が座っている。
「どうぞ、おかけください」
五人の真ん中に座っている青年……五人中一番若いだろう彼が、どうやら一番偉いようだ。そんなことを考えながら、その青年の正面に座った。履歴書を見ながら、まずは事務的な質問がされる。
「お名前は」
「フィリウス・ラウルです」
「年は」
「十六歳です」
「ご出身は」
「カディアです」
「何故王都へ?」
質問内容が変わる。フィリウスはいらない説明を排除しながら、明瞭に答え続ける。
「五ヶ月前、私を養ってくれていた祖父が亡くなったので、職を得ようと思い参りました」
「それは、お辛いことですね」
「はい。ですが、いつまでも悲しんではいられませんので」
「何故、カディアで職を探さなかったのです?」
「探しましたが、私のような若輩者を雇ってくださる方はいませんでした。それに、一度は王都を訪れてみたいと。私のような田舎者からすると、王都は憧れの場ですから……」
そして今回の掲示を知りまして、これは良い機会だと思ったのです。と微笑みながら嘘八百を並べ立ててみたら、ぶっと誰かが吹き出した。
笑う点などあったかと、目の前の五人に左から順番に目をやる。全員フィリウスと同じような顔をしていた。中心核の青年が肩越しに後ろを向く。今まで気付かなかったけれど、壁際に騎士が二人立っていて、その片方がうつむき気味に肩を震わせていた。
「……グラン、何か?」
名を呼ばれて顔を上げたその騎士を見て、フィリウスは声を上げそうになった。
(あの巡回騎士……何でいるの!)
それで、彼が何故笑ったかわかった。
――彼は、とにかくお金が欲しい、というフィリウスの独り言を聞いている。そして何より、彼がこの情報を教えたのだ。
それで何だか、どっと気が抜けた。飾り立てた嘘っぱちの言葉を話しても、本音を知る人間がいる時点で無駄なことだ。それに元々、場違いだと思っていたところだ。
「失礼しました。先ほどの言葉は嘘です。取り消させてください」
フィリウスはすっぱりと、受かろうという欲を捨てた。
「……嘘、ですか?」
グランと呼ばれた青年に向いていた五人の視線がフィリウスへと戻る。怪訝な視線にはいと答え、にこりと微笑みながら、先の言葉より自分らしく言葉を紡ぐ。
「私、王都に憧れてなんかいません。王宮で働きたいとも思っていません。ただ、普通に働くよりお金がたくさん稼げるから、面接を受けたのです」
フィリウスにこう言わせた原因であるグランですら、いきなりの不躾な物言いに目を丸くする。当然、面接官の五人は驚いて、左端に座った壮年の男性は怒気すら露わにした。
「フィリウス・ラウル!!なんだ、その態度は!」
机をバンと叩いて立ち上がり怒鳴りつける。その左腰には剣。年と気迫とこの場の雰囲気から、騎士の中でも位の高い人物だとわかる。
「申し訳ありません。ですが、偽りない言葉です」
けれどフィリウスは怯むことなく男性を睨みつけた。
しばらく、無言。男性は怒りに顔を赤くしていたが、深呼吸を一つすると乱暴に椅子へ座り直した。
「……ラウルさん」
それを待っていたかのように、中心核の青年がフィリウスを呼ぶ。視線を目の前に戻せば、青年は机の上にゆっくりと手を組み口元だけの笑顔を作った。
「何故、お金が欲しいのですか?」
自分の呼吸を一つ数えてから、フィリウスは青年のものと同種の笑みを返す。目が笑っていない、口元だけの作り笑い。
「一人で、生き続けていくためです」
青年は、そうですか、と言って視線を外した。
「お疲れ様です。採用かどうかは三日後に掲示いたします」
打ち切るような唐突さで終わった面接に、フィリウスはありがとうございましたとさっと立ち上がり礼をして、踵を返した。扉の前でもう一度深く礼をして出る。静かに扉を閉めた。
かちゃりという音を耳に入れると同時、やってしまった、と思う。面接を控えた者は、あと十数人。フィリウスの次のひとが呼ばれて立ち上がるのを横目で見ながら、その場を後にした。
「ああ、失敗したわ。……まあ、いいか」
どんな端部屋でも王宮に入ることなど二度とないだろう。いい経験だったと片付けることにした。
ここ数日、機嫌が良かった。
「フィリウス、これをあっちのテーブルに」
「はい」
できあがった料理を運び、別のテーブルの客に呼ばれてそのまま注文をとる。ここで働き出してから、やることは毎日同じ。けれど、最近は断然面白くなってきた。
――二日ほど前。老夫婦、リーオとダンの態度はフィリウス自身のそれと同じものなのだと気付いた。フィリウスが警戒していたから、彼らは距離を保ってくれていたのだと。そうわかったのは、王宮で面接を受けるために休んだ日の夜。老夫婦は言った。
“お前がよく働いてくれるから、私達はとても助かってるよ。いたいだけここにいなさい、遠慮はしなくていいんだからね。たまには今日みたいに休みをとって、羽を伸ばしなさい”
思い返せば、働き始めてそろそろ二ヶ月、フィリウスが自分の予定で休みをもらったのは今回が初めてだった。ちゃんと話せば、彼らはとても心根の優しい人間だ。フィリウスを心配し、慈しんでくれる。
「おーい、こっち注文!」
「はい、ちょっと待ってくださいね!」
フィリウスが笑うとお客も笑う。今まで軽口一つ言わなかった常連のおじさんが、楽しそうだねえと声をかけてくれる。フィリウスは今、とても充実していた。
「フィリウス、ちょっと」
……だから、王宮で面接を受けたことなんて、実はすっかり頭から飛んでいた。
注文を書いたメモを厨房に渡し、出された料理をテーブルへ運んでいこうとしたところ、リーオが裏口の方からフィリウスを呼んだ。彼女は慌てた様子で、早く来なさい!と激しく手招いている。首を傾げつつそちらへ寄る。
「リーオさん、どうかしたんですか?」
フィリウスの問いにリーオは、よくわからない、とりあえず出なさいと、裏口を指し示す。
「……?」
誰か、フィリウスにお客のようだ。訝しみながら戸を開ける。
「……どちらさまですか?」
全く見覚えのない青年は、フィリウス・ラウル様ですね、と訊く。それに頷いて答えれば、
「掲示をご覧になられたでしょうか?三日ほど前から、王宮に上がるようにと命令が下されておりましたが」
「王宮?……あ」
苦笑いする青年の言葉に、はっと思い出す。そういえば面接を受けていた。頭の中で数えると、あの日から六日が過ぎている。今の今まで面接を受けたことすらすっかり忘れていたのだけれど。
「採用、されてたんですか……?」
まさかと思う。胡乱な眼差しを向ければ、青年は軽く頷いてみせた。
「……いつまで経ってもいらっしゃらないので、こうしてお迎えにあがりました次第です。どうぞ、至急王宮へお上がりください」
渋い顔をする青年の襟首を掴み、どうして私が!と問いただしてやりたかったけれど、それを理性で押し留め。やや逡巡した後、首を縦に振った。
リーオに事情を話した。彼女はずいぶん驚いて、面接を受けたことを黙っていたフィリウスを叱った。それからダンを呼び、今日はもう店じまいすることになった。リーオは裏口で待っていた青年に、日のあるうちに自分達が王宮へ連れて行くから少し準備の時間をくれと話し、青年はそれに承諾して去っていった。
準備といってもフィリウスの持ち物などたいして多くはない。故郷を出る時からずっと使っている汚れた肩かけの大きい鞄に全て詰まってしまった。
――二ヶ月近くを過ごした場所を名残惜しむ余裕もなく、〈風見亭〉を後にした。
「全くもう、あんたって子は!」
リーオは肩から鞄をかけたフィリウスの背を押し、王宮へと早足で進む。ダンはその隣に付き添って黙々と歩く。
気付けば、もう日が暮れるところだった。赤い夕日に照らされて、三人の影は長く伸びる。
「ごめんなさい。迷惑をかけてしまって……」
リーオとダン。彼らの下を離れることに寂しさを感じる。食堂での仕事は、ようやく慣れて楽しくなってきたところだった。……けれど同時に、信じられないことだけれど王宮に採用されたとわかって、根底に深く根付く願いにどうしようもなく突き動かされる。
(私は、そう。お金が、欲しいの)
あれだけ無礼な口をきいたのに何故だとか、これから自分はどんな仕事をしていくのかとか、疑問も不安も多くある。それでもフィリウスは。ただ、挑むように前を向きたいと思う。
王宮の門のすぐ前まで来て、リーオの手が離れる。慣性のまま数歩進み、足を止める。振り返れば目が合って、数ヶ月をともにした二人へ、フィリウスは深く頭を下げた。
「……少しの間でしたけど、ありがとうございました。リーオさん、ダンさん」
寄り添いフィリウスを見送る二人へ、ふわりと微笑む。ダンは一歩前に出て、フィリウスの手を取って布袋をそっと置いた。
「今日まで働いてくれて、ありがとう。これから王宮で働くお前には大した金ではないだろうが、これを」
受け取った袋は、ずしりと重かった。
「ダン、さん……こんなにいただくほど、私」
慌てるフィリウスの言葉を遮って、餞別だと柔らかく笑う。
「フィリウス、王宮に勤めるなんて、名誉なことだよ。しっかりおやり……」
「体に気を付けてな……」
リーオの隣に並んだダンは、彼の妻の腰をそっと抱く。抱かれるままに身を寄せたリーオは、休みの日には訪ねておいで、美味しい料理を食べさせてあげる、と優しく笑んだ。
……フィリウスは無言で、深く深く、頭を下げた。
門番の騎士に、告げる。
「王命に従い参りました。フィリウス・ラウルです」
そしてフィリウスは、もう一度、王宮の敷居をまたいだ。




