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よみきりもの(異世界恋愛他中短編)

残りもの令嬢の回想〜「あなたとは結婚できない」と言われ僧院送りになりましたが覚えていらっしゃいますか?

作者: 雲丹屋

「では、お前が"残りもの令嬢"というわけか」


 あからさまな軽侮と揶揄が浮かんだ顔つきで、下級騎士は私を見下ろした。

 私本人に、このように面と向かってその言葉を告げる無礼なバカ者はこれまでいなかった。だが確かに、この程度の木っ端騎士でもその蔑称を耳にする機会があった程度には、私はそのように呼ばれていた。


 残りもの


 今となってはいっそ愉快ですらある響きだ。

 私はただ大人しく目を伏せ、礼拝堂のすり減った冷たい石床に跪いた。


「僧院に入る前の身分は、ここでは語らぬ決まりです」


 下級騎士はそんな私を鼻で笑った。


 §§§


 天の祝福と大地の恩寵を賜わりし(とこ)しえの王国ファタの公爵家の娘、それが私だった。我がサルス家は由緒正しい家系で、その紋章は王家の紋と意匠が対になっているほどである。なんならたまに簒奪が起きる王家よりも正しく建国の祖の古い血脈を繋いできたと言える旧家なのだ。

 私は7歳の時には己が生まれの特異さを自覚し、以後は王国の礎として、生まれた身分に相応しい行動をとるべく努めた。


 王家には私と年の近い直系男子がいた。ヴィアム殿下は先王の末子だったが、第一王位継承者とみなされていた。国王には当時、子がなく、戦場での傷のために以後も子は望めぬだろうと言われていた。そのこともあって殿下が次期国王になることは、ファタ宮廷政治の暗黙の了解だったのだ。

 そして、私が彼に嫁ぐことも。



「ラティ、内園にあなたが好む白い芙蓉の花が咲いた。見に来ると良い」


 ヴィアム殿下は物静かな少年で、周囲の大人の意向に敏感なたちだった。

 彼は欠かさず毎月の中日に私を茶会に呼び、ささいなことを1つ2つ語り、私の取るに足りない話をいくつか聴くことを多忙な習慣の中に組み込んでいた。後日、話題に沿ったちょっとした小物が贈られるのも毎回の決まり事で、彼が凪の海のような目でその指示を出しているところを考えると、それはいっそ心苦しくなるほどの几帳面さだった。

 私が返す礼状と返礼の品も、多少の時節の趣向は入れるとはいえ、あくまで典範に沿ったものだったから、お互いに堅苦しいことをしていたものだと思う。



 14歳になるころには、主要な貴族の令嬢は婚約相手が決まる。しかし、私は15になっても誰からも結婚の申し入れをされていなかった。

 理由は2つ。

 ・順当なら王家とが当然。

 ・国王はうちの父が嫌い。

 酷い話だ。


 簒奪も同然に今の地位についた国王は、古い権威と伝統が嫌いだった。王は慣習を破壊し、旧体制を弱体化することに励んだ。だから、古い権威の象徴で伝統の守り手である我がサルス家は徹底的に疎まれた。

 それはそうだろう。権力を自身がすべて握りたい王にとって、王家よりも力のある公爵家とその口煩い当主など煩わしい邪魔者以外の何者でもない。

 うちの父は、典範どころか王国法全般に通じ、建国の説話、伝承を諳んじ、戦場での軍学、兵法にも明るいという知性派で、正論と軍事力で相手を叩き潰すのが得意という、あまり宮廷雀の受けが良くない性格の人だった。


 父は王から疎まれ、我が家は次第に孤立させられた。

 殿下は私をお茶会に招待しなくなり、私達は行事で顔を合わせる機会があっても定型通りの挨拶を交わすだけになっていった。


「サルス公爵令嬢におかれてはご機嫌麗しゅう」


 そう挨拶を述べる彼の目は諦観に凪いでいて、誰が見ても王の意向に逆らう気はないのは明白だった。




 私が16歳になった頃、ヴィアム殿下のそばに、ある令嬢が頻繁に侍るようになった。

 彼女は外様の成り上がり貴族の養女という胡乱な身分で、本来ならば殿下の傍らどころか、王宮に入ることすら難しいような娘だった。だが、彼女を養女にした家は成り上がるだけの財力と勢いがあり、王にとっては組むに値する相手だった。

 当時、公表されてはいなかったが、ちょうどその頃に王の寵姫に懐妊の兆しがあったはずなので、王にとっては邪魔な王位継承権保持者の地位を下げる意図もあったのかもしれない。


 ヴィアム殿下は、夜会では相変わらず家格順に従って私を優先してくれていたが、くだんの令嬢は規範的にはもちろん、貴族の通例からみても非常識な振る舞いで無遠慮に彼を独占し始めるようになった。


「どうだ。似合いではないか」


 国王本人が満足気にこう言う状況では、下級貴族の令嬢が礼節を無視した態度で王子にぴったり侍っていても、周囲は咎め立てしにくい。王に正道を説けば疎まれて割りを食うのは、その頃には皆よくわかっていたから、誰もが見て見ぬふりをしたり、追従の笑みを浮かべたりした。

 私もまた何も言えなかった。父の立場をこれ以上悪くする口実を与えるわけにはいかなかったからだ。

 下級貴族の令嬢が無邪気な笑みを浮かべ、殿下を愛称で呼びながら駆け寄ってきて、私など存在しないかのように(しかしながらしっかりと意図的に)押しのけるような真似をしても、私は黙って殿下の御前から身を引いた。

 互いに夜会での最低限度の礼節を保つための黙礼を交わすときも、ヴィアム殿下の目は冬の乾いた空のように空虚で、凪いだ淵のように静かなまま何の感情のさざ波も現れていなかった。

 なんの抗議もしない私を敗者だと軽んじたのだろう。かの令嬢は私に"残りもの令嬢"という渾名をつけ、自らの取り巻きに吹聴した。事あるごとに面白可笑しく繰り返されるそのフレーズは、彼女の取り巻き以外にも徐々に浸透した。貴族にはあまり馴染みがなく庶民的な"残りもの"という語と、最も由緒正しい旧家の令嬢という組み合わせが揶揄としては面白かったのだろう。

 蔑称が広まり定着するにつれ、人々は私を王族しか得られぬ"高嶺の花"ではなく、誰もが見向きもしない"残りもの"として見るようになった。




 聖殿での定例の奉仕活動中に、珍しく父が施療院を訪ねてきた。


「ラティア、奥へ」


 一緒に働いていた人達に一言ことわってから、父の後について礼拝堂の奥に向かう。


「第三妾妃に子が生まれた」


 前を向いたままそう小さく告げた父の表情は厳しい。きっと腹の奥では「いい年をしてあの好色漢めが」だの、「誰の子だかわかったもんじゃない」だのろくでもない悪態をついているのだろう。だが、さすがに筆頭宰相。聖殿でそれを口走らないだけの分別はあった。しかし考慮すべき深刻な事態であることは間違いなかったので、父の眉間の皺は常以上に深く、口元は強く引き結ばれていた。


 礼拝堂を抜けて、案内されたのは祭司長の私室だった。

 しかし部屋の一番奥の椅子に座っていたのは、祭司長ではなかった。


「娘を連れてまいりました」


 父はそれだけ言うと一礼して退室していった。

 室内なのにマントのフードを目深に被っていた男は、椅子から立ち上がってこちらに数歩歩み寄った。身分を表すものを身につけていない平服の男に、私は王族への正式な礼をとった。

 ヴィアム殿下は、私に顔を上げるようにと告げると、自らもフードをとった。


「こういう形で伝えることになったことを許して欲しい」


 彼は私をじっと見つめ、両手で私の手を取って自分の目の前に立たせた。


「私はあなたとは結婚できない」


 静かな別離の言葉だった。


「ベスタの僧院に入ってはもらえないだろうか」


 ベスタの尼僧は生涯未婚で処女であることが求められる。

 私は彼の目を覗き込んだ。


 苦悩と焦燥。そして不安。

 そんなものがざわついていた。


「承知いたしました」

「……何も聞かぬのか」

「お言葉にするのはつろうございましょう」

「すまない」


 私は彼のフードをもう一度被り直させて、顔が隠しやすいように整えた。


「このまま祭司長に許可をいただき、その足で僧院に参ります。殿下もお早く公務にお戻りください」

「わかった。……もう会えぬ」

「最後に一目お会いできて嬉しゅうございました」


 私はそのまま屋敷に帰ることもなくベスタの僧院に入り、殿下は下級貴族の養女との婚約を発表した。

 王は筆頭宰相の座からサルス公を解任し、伝統的なファタの紋章の使用を止め、自らの個人紋章である"太陽を喰らう獅子"の紋を公式の国王主催の行事で使用し始めた。



 新興の財閥の資本を背景に急速に拡張された王直属の軍は、稚拙な侵略戦争ではかなく散った。

 野心に燃えた王は失意の底で味方に裏切られ、その野望は王城に掲げられた"太陽を喰らう獅子"の旗とともに灰燼に帰した。

 古き王国ファタはヴィアムの妻の出身地である隣国に併合されたが、ヴィアム本人は戦場で生死不明となったまま、その行方は杳として知れなかった。



 §§§



「そのヴィアム・パシーマがここに逃げ込んでいる疑いがあるのだ」


 下級騎士は僧院の礼拝堂の祭壇を足で蹴り、隠すと為にならんぞと私を脅した。


「何を隠し立てすることがございましょう」


 私は頭を垂れたまま静かに答えた。


「父を追放し、私をここに押し込めたファタの王家には遺恨こそあれ返すべき恩はありません」

「気の強い女だ」


 下級騎士は鼻先で笑い、そういう可愛げのない了見だから"残りもの"呼ばわりされてまともに嫁にも行けぬのだと私を揶揄した。


「ベスタの尼僧は生涯未婚の掟です」


 下級騎士は、跪いて俯いていた私のおとがいに指をかけ、無理やり顔を上げさせ、墨染の僧衣の胸元に目をやり、ゲスな笑みを浮かべた。


「性根はともかくツラと身体だけはいいのにもったいない話だな。……俺が使ってやろうか」


 おぞましさに肌が粟立つ思いだった。


 命令で形式的な確認に来ただけの、この木っ端騎士を切り捨てた場合、帰ってこないと問題になって追加の人員が送られる可能性はいかほどで、来るとしたらどのくらいの人数がどれぐらい後に来るかを、一瞬真剣に検討した。


「僧院での無法はなりませぬぞ」

「僧院長様」


 他の尼僧が知らせてくれたのだろう。急いで駆けつけてくださったらしい僧院長様は、私に狼藉を働こうとしていた騎士を厳しく叱責して追い払ってくださった。

 この大柄な僧院長様は僧院に入る前にはかなり勇猛な武勇伝があるお方だそうで、日頃は穏やかな人物だが、こういう時にはたいそう迫力がある。僧院長様の僧衣の胸元と二の腕がパンパンにはちきれそうになっているのを見た下級騎士は、顔色を変えて去っていった。


「ありがとうございます」

「あなたを止めるのに間に合ってよかった」


 あんまりな言われ様に、私が物言いたげな視線を返したのを感じ取ったのだろう。僧院長様はカラカラと笑って、大きく分厚い手で私の背を優しく押した。


「さあ、()()()のところへ行ってお上げなさい」

「はい」


 私は礼拝堂を出て、僧院の中にある療養房に向かった。

 名指しで呼び出されていた私を心配してくれていた同僚たちが、私の無事を喜んで口々にねぎらってくれるのに応えながら、私は療養房の一番奥の個室に向かった。


「先生、どんな様子ですか」

「ああ、君か。無事だったんだね。良かった」


 ここは伝染る病の隔離病室だと言ったら、兵士らはここまでは入ってこなかったと言って、療養房の医師は笑った。

 兵士を引き連れてきていた騎士は僧院長が追い返してくれたと説明すると「それで急に兵士どもが引いたのか」と医師は膝を打った。去り際にあの下級騎士が鳴らしていたラッパが退却か集合の合図だったのだろう。

 私が個室の奥に置かれた寝台を気にすると、医師は優しい目で一つ頷いた。


「今しがた意識を取り戻したところだ。傷の手当ては一通り済んでいる。少し話しかけて、意識がはっきり戻っているか様子をみてやってくれないかね。私は他の患者の様子を診てくる」

「はい」


 医師が退室して扉を閉めたので、部屋は少し薄暗くなった。私は窓の鎧戸に付いた明かり取りのスリットを調整してから、寝台の脇に座った。

 寝台に横たわっている人物はうっすらと目を開けて、ぼんやりと天井を眺めていた。


「お目覚めですか」

「ここは……」

「安全なところですよ。あなたは怪我と疲労で意識を失っていました。あなたがここに着いたのは2日前の深夜で、今は昼過ぎです」


 ずっと高熱が続いていたのでまだ怠いでしょうと傷に障らぬよう気をつけながら背を抱え起こし、小さな吸飲みで水を飲ませてあげる。彼はよほど喉が渇いていたのか貪るように飲んで、少し咳き込んだ。


「落ち着いて。ゆっくりとですよ」


 私は相手の上半身を後ろから半ば抱きかかえる形で支えながら、残りの水を飲ませた。空になった器を置いたあとも、ゆったりとその背中や胸をさすって落ち着かせる。額にかかった髪を上げて、よく絞った布で汗を拭ってやるとようやく彼の呼吸は整って来たが、覗き込んで見た彼の顔には当惑が浮かんでいた。


「ラティ……なぜ……あなたが」

「まあ、お忘れですか?」


 私は自分の胸元にもたれかかっている彼の頭を、後ろから柔らかく抱きしめて、ゆっくりと丁寧にその金色の髪を手で梳く。


「『あなたとは結婚できない』と仰って、私をこの僧院に逃がしたのはあなた様ですよ」


 おかげで私は王の暴走による最悪の混乱期とその後の戦争に巻き込まれることなく、この地で安全に過ごすことができた。


「覚えていらっしゃいますか?」

「すまなかった。私にもっと強い意志と力があれば、もっと違う方法も選べたであろうに」

「あの時、ああしていただけていなかったら、私の命はありませんでした」


 あの時は水面下で何もかもが急速に動きすぎていた。父ですらその全てに対して十分な手が打てない状況だったのだ。だから、彼が直接動いて僧院入りの話を大聖堂の祭司長に取り付けてくれたことは本当にありがたかった。祭司長は、パシーマの金の八芒星とサルスの銀の八芒星は一つに結ばれるべきだとずっとおっしゃっていたから、父の言葉だけでは、私の僧院入りを納得してはくださらなかっただろう。


 天の祝福と大地の恩寵を賜わりし(とこ)しえの王国ファタは、天にあり火を司る精霊と、大地で水を司る精霊と(よしみ)を結んだ二人の英雄が建てた国だ。

 金の八芒星と蛇喰鷲の紋章のパシーマと、銀の八芒星と那伽(ナーガ)の紋章のサルス。

 二つの家系は精霊の祝福を受けており、その子孫には時折、始祖の英雄の生まれ変わりが輩出される。最初の人生では不幸にも生涯結ばれることがなかった二人は精霊の恩寵により、世代を超えていつの日か幸せに結ばれるために転生を重ねているのだ。


 しかし、この精霊の祝福と恩寵というものは、実に精霊的な尺度で効果を発揮する御業で、人間の身で受ける側としては、実のところ呪いと大差なかった。


 両家の転生者は生誕の時期が揃うことが滅多になく、たとえ同時期に生きていることができたとしても結婚するには難がある年の差であることがほとんどだった。さらに問題なのは精霊が人間の性差というものをあまり理解していないということで、どちらの性別で生まれてくるかということが、まったくのランダムだったのだ。

 結果として、建国から現在に至るまでの王国の長い歴史の中で始祖の二人(わたしたち)がまともに結ばれたことは一度としてなかった。


 精霊を祀る祭司長としては、私とヴィアムという男女で同年代の転生者が揃ったこの最大の好機を絶対に逃したくはなかっただろう。始祖の二人との約束の成就は精霊の悲願だったのだ。

 だからヴィアムが私とは結婚しないと告げるということは、精霊が己を生まれ変わらせた理由を否定することになる重篤な背信であり、聖殿という自身の最大の後ろ盾を失う可能性のある危険な行為だと言えた。だが彼は私を王の手の届かない場所に逃すためにそうしてくれた。

 己を殺して他を優先してしまうのは、この優しい人の悪癖であり美徳だ。

 私はこの自分を粗末に扱ってばかりの困った人を大切に抱きしめた。


「おかげで私はここにいて、あなたを迎えることができました。生き延びてここまで来てくださったことに感謝いたします」

「迎え入れてはもらえないだろうと思っていた……それでもあなたに今一度会いたいと思った」


 たとえ、魂が何度も生まれ変わり再び出会い続ける運命だとしても、今のこの彼と私としての記憶と関係は引き継がれない。あのささやかなお茶会の幸せな記憶は、今この現世の彼と私だけが積み重ねた思い出なのだ。


「あなたとまたこうして話ができて良かった。これでもう思い残すことはない……」


 深々と息を吐いて、そんな馬鹿げたことを言い出した彼の頭を、私はピシリと叩いた。


「あ痛」

「何をおっしゃいますか」

「諌めるなら、先に言葉で諌めて欲しい……生まれ変わるたびにお願いしている気がするぞ」

「毎度毎度、思い込むと勝手に自虐に走って自滅する癖を直してからおっしゃい」

「ううう」


 私の腕の中で、おでこを押さえて涙目になっている彼を見下ろす。


「もっと貪欲になりなさい。そのためにあなたが王で私が宰相になったのだから」

「あなたの書記官だった僕が王であなたの上というのは間違っているんだよ。それに王が貪欲では国の民は不幸になるではないか」


 そういうことが言えるからお前が王なのだと、私は微笑んだ。


「それでもあなたはあなた自身の望みをもっと多く持って良い」

「僕の望みはあなたの平穏と幸せだ」

「ヴィアム・パシーマとしての望みは?」

「……私の望みもラティ、あなただ」


 彼がおずおずと伸ばした腕に私は顔を埋めた。


「では二人ですべてを得よう」


 私もまた、お前の幸せを願い、あなたのすべてを望む。


「幸い、あなたの決断が早かったおかげで、サルスの主力と資産は事前にほぼ隠しておくことができたからな」

「え……?」

「お父様も貴殿の無事を知れば、良い反攻の旗頭が手に入ったと大喜びだろう」

「ご存命でいらっしゃるのか?」

「情勢が悪くなったとたんにさっさとこちらに来て、山奥で山菜採りの真似事などなさっているよ」

「山菜採り……」

「意外に楽しいと言っていた」


 国取りのほうが得意な人だ。山奥からでも、各地に残した密偵に指示を出して生き生きと過ごしていた。本当に我が家の当主は代々始祖の血を強く受け継いでいるものだと、父を見ると思う。


「ラティの顔でその笑顔は止めてくれないか」

「む、すまん」

「あと、口調……」

「お前……あなたと二人だけだとたまに混ざる。変に聞こえるかもしれないけれど、どちらも自分だから許して欲しい」

「僕……私もそうだな。気持ちはわかるよ。たぶんその気持ちが完全にわかる世界でただ一人だという自信はある」


 私達は額をくっつけ合って笑った。


「あなたと生きたい」

「もう一度ここから始めましょう」

「全身全霊を捧げるよ」

「丸投げは困るから自分なりにちゃんと生きて」

「ごめん。そうだね」

「でも精霊に誓おう。我々は今一度共に支え合い、高め合い、互いを満たして、今度こそ悔いのない人生を送る」


 私の手に彼はその一回り大きな手を重ねた。


「共に誓う。今度は手放さない」


 私達は指を絡め合うように互いの手を握った。


「あなたを」

「互いを、そして我が国土を取り戻す!」

「えー、やっぱりそうなるの」

「精霊のおわす大地は我々で治めないと……ちゃんとした祀り方をしないと諸々危ないのは知っているだろう」

「知っている。地震、大水……」

「干ばつ、嵐……精霊の怒りの兆しだけで十分に民は困窮する」

「ううう、碑文の丘の精霊が本気で目覚めたりしたらどうなるか考えたくない」


 恩寵を与えられたものというのは、要するに"お前らの言うことなら聞いてやらんこともない"というこの地に眠る超越存在のお目溢しなのだ。その他の同胞を守るためには、私達はこの境遇を最大限に生かせる地位にある必要がある。


「さあ、まずはここの僧院長様に私をベスタの尼僧から還俗させてくださいとお願いするところから始めていただきましょうか」

「急にラティに戻って目前のリアルな問題を突きつけてくるの止めてくれないか」

「ハイ、逃げない。すぐにやる。傷は治したから」

「え……本当だ。痛みがない……って、精霊の加護の力がそこまで強く現れているとは聞いてないぞ!」

「あの王の下でそんなこと公にできるわけがないでしょう。それに癒しの水の力がこれほど顕著に効果を表すのは相手があなただからです」


 おかげであんな致命傷を負っていても生き延びられたのだとまでは教えなかった。それほどの効果があると教えると、この自己犠牲男は何をやらかすかわからない。


「私のためだと願えば、あなたも本来の力をそれなりに使えると思いますよ」


 大地で水を司る精霊の力は癒しや生育に関して発現するが、天にあり火を司る精霊の力は、主に身体能力や戦闘に関する力として現れる。

 本来与えられていたはずの力を取り戻すことができれば、この先、戦場でどんな相手にも後れを取ることはないので安心できるから頑張れと告げると、彼はなんとも情けない顔をした。その顔があまりにも彼が私の書記官だった頃とそっくりだったから、私は彼の両目の間にそっと唇を落とした。


 もう一度、間近から瞳を覗き込んでやると、もう彼の目は諦めに凪いでも、不安に揺れてもいなかった。


「できますね」

「僧院長のところに行こう」




 ベスタの尼僧から還俗した私は、彼とともに王国を取り戻し、再び建国の祖となった。


 ささやかなお茶の時間は、子どもが生まれたあとでも夫婦揃っての大切な習慣で、今年も白い芙蓉の花は美しく咲いた。

残りものには福がある


2025/8/19追記

沢山の方にお読みいただき、楽しい感想もいただけて大変感謝しております。

というわけで、短編なのであとがきに感謝のおまけ足しときますね!


【おまけ:登場人物紹介】


■ガラティア・サルス

銀の八芒星と那伽の紋章を戴くサルス公爵家の令嬢。

王国建国の祖である英雄の転生者。大地と水の精霊の恩寵を得ており、治癒能力を持つ。

知性、美貌、品格、胆力と、どこをとっても何の不足もない無敵令嬢だが、宮廷政治とやっかみから”残りもの令嬢”呼ばわりされていた。

孤高、毅然、慇懃無礼は転生前からの得意技。しとやかで従順なフリは今世で習得した新技。

イラッとしたら口で説明する前に行動に出てしまうのはもう個性だから死んでも治らない。

ヴィアムのためなら辛抱強い。


■ヴィアム・パシーマ

先王の末子にして第一王位継承者。

紋章は金の八芒星と蛇喰鷲。

建国の祖である英雄の専属書記官だったが、建国時に国王に据えられた。

自己犠牲型の苦労性。

英雄に心からの忠誠を誓っていたのに、素敵な笑顔で「生涯お前に仕えて支えてやるから頑張れ!」と言われた。

天空の火を司る精霊の祝福を得ているので、本気で戦うとバカ強い。

英雄とは相思相愛だったが思いを成就できないまま死んでいる。

書記官時代から今世まで、英雄の抑止力になれるのはコイツだけ。

公益と規則に従順。

天然の無私の公僕。

私利私欲の発想に乏しく、好きの反対は無関心なので、結果として一見クール。転生前はお人好しな感じの童顔だったが、転生後は怜悧なイケメン方向に精霊による補正が入っている。


■国王

直系血族でないほぼ簒奪王。

強いコンプレックスを抱えている。

精霊の存在を否定して王国の既存勢力と聖殿の権力を奪い改革を推進した。

隣国につけ込まれ罠にはまり無謀な侵略戦争を起こし自滅。

燃え盛る炎の只中で「我は精霊などには殺されぬ。見よ!人を殺すのは人だ」と狂笑しながら、裏切り者に切られる。

太陽を喰らう獅子の紋章を掲げた王は己の野望の炎に身を喰い尽くされた。


■下級貴族の養女

ハニトラ令嬢。隣国の工作員。

上手く公爵令嬢を追い落とし、ヴィアムの婚約者になったが、彼からは徹底的に塩対応され続ける。(嫌がるとか嫌うという反応すら薄い完全無視)

使命は達成したが、女としてのプライド(と無自覚な恋情)を粉々に粉砕される。

敗戦時に「これで王国は滅びたわ! あなたは王子でも何でもないただの男になったのよ。跪いて私が必要だと泣いてねだってくれたら養ってあげるわよ」と深手を負っていたヴィアムに手を差し伸べたが、彼は「国務がなくなったのならばお前の脇にいる理由はない」と言って立ち去った。

彼女はその後、ヴィアム捜索隊を編成し逃亡、潜伏中の彼に追っ手を差し向け、自らも捜索にあたった。

ヴィアムが死にかけたのはぶっちゃけコイツのせい。

その後、反攻軍の手にかかったとも精霊の勘気に触れ事故死したとも言われているが詳細不明。


■サルス公爵

主人公の父。筆頭宰相。

国王に疎まれ失脚後は、早々に山奥に身を隠した。

山菜採りは意外に性に合って楽しかったらしい。(精霊の加護があるので大地の恵みはめっちゃ採れる)

娘のいる僧院にはちょくちょく山菜や薬草を納品しに来ていた。

僧院の畑の小作人などはサルスの手のものなので「お館様……楽しそうだなぁ」と皆、思っていたらしい。


■僧院長

元優秀な騎士。熊のような大男。

主人公が還俗時に僧院長の任を辞し、聖騎士隊を率いて戦争に参加。

大将軍として王国再建に貢献した。


■下級騎士

逃げ帰る途中、部下ともども山中で獣に襲われたらしい。山奥は熊とか出るから……怖い怖い。


とまぁ、色々こぼれ話は一杯ありますが、詳細は精霊のみぞ知る。とにかく一番大切なことはただ一つ……

二人は末永く幸せに暮らしました。



Fata viam invenient

運命は道を見出すだろう

ーーー

お読みいただきありがとうございました。感想、評価☆、リアクションなどいただけますと大変励みになります。(このおまけの量が物語っていますねw)

よろしくお願いします。

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