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異世界xロック 〜天まで届く音〜

作者: ふたつき

「やっぱり一人で楽団魔法(スコア)演奏()るのは、無理あるか……くっ……もう弓が……」


 短時間で無理をさせたせいだろう。

 弓の毛がぶちぶちと切れていく。


魔旋律(フレーズ)が途切れる……ここまでか……みんな、ちゃんと逃げられたよな……」


 ステージは歪み、足元が揺れる。演奏を止めた瞬間、精霊は離れ、魔獣(ノイズ)が押し寄せてくるだろう。

 もはや意識を手放して楽になろうかと、自分も彼女の元へ……そんな考えが頭をよぎったその時──僕は後ろから聞こえた大きな声に反射的に振り向いた──



********



 ──演者がひしめく狭い楽屋にて、帰り支度をしていると背中から声が掛かった。


「お疲れ様、今日もありがとうね、ミラー」


 丁度、重たいケースの蓋を閉じた所だった僕が振り向くと、そこにはこのホール兼酒場のオーナーが品の良い笑顔をして立っていた。

 背筋こそ伸びているが老婆に差し掛かったと言える彼女も、若い頃は美人で有名だったと言う。

 勿論、今でもその片鱗が残っている。


「こちらこそ。いつも呼んで貰って助かってます」


「それじゃ、はい。いつも少なくて悪いけど……」


「いえ、そんな事ないですよ。いつもわざわざ手ずからで、ありがとうございます」


 これまで何度もしたやり取りの後、差し出されていた数枚の硬貨を受け取る。

 実際のところ、そう大した金額では無い。

 数日飲み食いしたら無くなるような金額だ。

 それでも、今の僕には貴重な収入である事に違いは無い。

 ありがたく受け取る。


「いいのいいの、私がそうしたいんだから。みんなにはお世話になってるしね。ミラー君も、こんなオンボロホールに付き合ってくれてありがとうね。精霊奏者の貴方なら、もっと──」


「変な気を使わないで下さいよ。それこそ僕がしたくてしてるので」


「ありがとう……うん……それじゃ、またお願いね」


 申し訳なさそうに微笑むオーナーへ、僕は何と答えれば良いのだろうか。


「はい、またよろしくお願いします」


 結局、無難な言葉しか出てこなかった。生憎と僕の口は詩人のようには回らないのだ。


 僕に出演料を渡したオーナーは、次のグループのところへと向かった。

 それなりに出演者がいるのに、公演が終われば毎回こうして出演料を手渡ししてくれる。

 律儀な人だ。

 そう言えば、駆け出しの頃にはアドバイスを貰ったりもしていたな……



 今更確かめるまでも無い量の硬貨を財布にしまい、自分の体より大きいケースを背負う。

 大の大人でも、丸まればすっぽり収まってしまいそうなケースだ。

 僕にとっては、そのまま中で寝れそうなサイズだけど。


 他の出演者にお疲れ様と声を掛け、楽屋を出たらホールの裏口から通りへと出る。

 ごみごみとした通りだが、それが逆に落ち着く、不思議な場所だ。

 大きいケースを背負ったまま、人波をすり抜ける。もう慣れっこの芸当である。


 「精霊奏者なら……か……」


 そのさなか、思わず先ほどのオーナーの言葉を反芻してしまう。


 幼少の頃に音楽に触れ、あっという間に音楽の虜になった僕は、程なくして自分でも演奏するようになった。

 それ以来、大きな楽団に所属し、大きなホールで演奏する事を夢に見て、死ぬほど練習をした。

 練習すればするほど、音が体に馴染んでいく、あの感覚が大好きだった。

 仲間たちと小さな楽団を立ち上げて、さっきのホールでの初の単独公演を成功させた時は、三日三晩飲み明かし、出演料を吹っ飛ばしてオーナーに呆れられたもんだ。


 この世には二種類の演奏者が居る。

 精霊の力を借りられる者とそうでない者。

 前者は普通に奏者、後者は精霊奏者と呼ばれる。

 そして幸か不幸か、僕は後者だった。


 僕は別に精霊奏者になりたかった訳じゃ無い。

 そもそも、精霊奏者になれる条件は良く分かっていない。

 一説には精霊に愛された者だけがなれるとか、遺伝だとか、色々と言われているが知った事では無い。


 そして精霊奏者が精霊の力を借りて、一体何が出来るかと言うと──


「魔法なんか使えたって、音楽が楽しくなる訳じゃ無いんだ……」


 当初、自分が精霊奏者になれると気づいた時は喜んだ。

 大きな楽団に所属できるし、各地を公演で回れる、泊も付く。

 勿論、報酬も一杯貰える。

 良い事づくめだと思った。

 仲間も笑って送り出してくれた。

 でも僕は、とても大事な事を知らなかった。


 各地を巡る魔法楽団が回る所には──ホールなんか一つも無かった。


 赴くのは、戦地。


 慰労のために営所で演奏? もしそうだったならば、どんなにマシだった事か。

 僕らの舞台は常に最前線。

 周囲には目を血走らせた魔獣(ノイズ)と、それに怯えた兵士達。

 観客は沢山居たけど、誰もまともに音楽なんて聴いちゃいない。


 そんなさなか演奏するのは、敵を打ち倒すための曲ばかり。

 どんな曲を何度やっても、音が僕に馴染む事は無かった。


 それでも、最初は僕にも人々を守ると言う、使命感のような物があったと思う。

 しかし、そんな想いは、僕らが奏でる音楽よりも小さいはずの怒号や、断末魔に掻き消され、いつの間にか擦り切れて無くなってしまった。


 あんなに愛した音楽が──楽しく、無い。


 やがてそんな生活に疲れ果てた僕は、魔法楽団を抜け、少し前にこの町に戻って来た。

 出戻って来た僕をオーナーは快く迎えてくれ、仕事まで回してくれている。


 最初は昔の仲間の所へ行こうかと思った。

 でも、あの頃は小さな楽団だったアイツらも、今やそれなりに大きな楽団になっていた。

 当然、精霊奏者の居ない普通の楽団だ。

 今は団長になっているハーディガーディも僕の顔を見ては楽団へ誘ってくれるが、今更、僕みたいな元魔法楽団員が加わったら周囲が扱いに困るだけだろう。

 そんな事もあって、僕はハーディを避けていた。

 今はオーナーが回してくれるサポートの仕事が生命線だ。

 しばらく続けて来て、当時の仲間とは違うが、顔見知りも増えて来た。

 お陰で今はそれなりに楽しくやれている……はずだ。



「うぉっとぉぃ!」


「あっと!」


 感傷に浸り過ぎていたのだろう、すれ違う人との距離を誤り盛大に肩がぶつかってしまった。

 僕が小さかったお陰か、相手は変な声を出しつつも、少し体勢を崩しただけだった。


 一瞬、僕の視界が金色に染まる。それはぶつかった相手の、長くてサラサラな金髪だった。

 そこからは人を惑わす香気が漂って来るようだ。

 やがて金色のベールの向こうから現れたのは、背の高い、綺麗な女性だった。


 先ほどの変な声はきっと別の人のだろう。


「あ! ごめんなさい! 僕、考え事してて……」


 少し見惚れてしまったせいで、謝罪が遅れてしまう。


「あはは! いいっていいって、しょーねん! あってし、がんじょーだからー!」

 

 なるほど、先ほどの変な声はきっとこの変な人のだろう。


 彼女はひらひらと手を振って、無事をアピールしてくれている。

 少年じゃありません、これでも僕は成人してます。


 身長差のせいで、大きく開いた服の胸元が目の前に来てしまい、僕の視線が定まらない。

 その定まらない視線が、彼女の背中の大きな黒いケースに留まる。

 もしかして楽器だろうか? 大きいと言っても僕のより一回りは小さいケースだ。

 形状的に竿物──弦楽器だろうか。


 服もケースも、この辺りでは見ない意匠だ。

 余所から来た同業者だろう。


「こんにゃよにゃかに、であるくのはよくにゃーぞー、しょーねん! あってしが言えるこっちゃねーけど! あっはは!」


 ちょっと何言ってるか分からないですけど。

 あ、大丈夫です、僕は成人してます。


 しかし、極端に呂律が回って無いが大丈夫だろうか?

 そして気づいてしまったが、かなりお酒臭い。

 いや訂正しよう、めちゃめちゃお酒臭い。

 ふわりと揺れた髪の毛からもお酒の匂いが漂っていた。


 うん、綺麗だと思ったのは何かの錯覚、或いは気の迷いだろう。


 それはそれとして、ぶつかってしまったのは自分のせいなので、申し訳ないと、頭を下げようとしたら足元に何かが落ちてるのが見えた。

 水滴型とでも言うような、半透明な赤い小さな何かの欠けらのような物だった。

 先ほどまであっただろうか?

 分からないが、当然、自分の物では無い。

 状況的に、ぶつかった拍子に落ちた彼女の持ち物である可能性が高いと思われる。


「すいません。これ、貴方の──」


「よーし! ちゅぎのおみせはこっこだー!とーつげきー!」


「あ、ちょっと──」


 声を掛けようとするやいなや。

 彼女は目の前の酒場のドアを乱暴に開けて入っていった。


「はぁ……嵐みたいな人だ……まぁ、何だか分からないけど、届けて上げた方が良いよね……」


 正直、高価な物には見えないが、だからと言って、人に落し物をさせて知らんぷりをするのも寝覚めが悪い。


「ただ、ここの酒場はガラ悪いの多いんだよなぁ……」


 最悪、彼女を連れて逃げる算段を幾つか考えてから、僕は店の扉に手を掛け、静かに開いた。幸いこれでも精霊奏者だ、街のゴロツキ程度なら問題ない……背中のケースを開く暇さえあれば。




 扉を開けた先、酒場の中央では、先ほどの女性が変な楽器を片手に、男たちと肩を組みながら意味不明な歌を唄っていた。


 やはりさっきのケースはあの見慣れない楽器だったようだ。形も構え方も、どこもかしこも異様だ。

 ギターに似ているようだが、サウンドホールがない、ネックの付け根から二本のツノが生えたような真っ赤なボディをしており、僕の知る物とは全く別物のようでもある。


 ──だけど、その音は、良かった。


 ガヤガヤと賑やかな酒場の喧噪の中で、それでも耳を引く芯のある音。歪んでいて、粗くて、まるで怒鳴るような音色なのに、何故か心地いい。


 なんだ……あれ……?


 不覚にも、立ち止まってしまっていた。酒場の空気に溶け込みながら、彼女の弦が一度かき鳴らされるたびに、空間が揺れるような錯覚すら覚える。


 その音が、精霊奏者の音ともまるで違う“異質”だと、なぜか直感だけでわかった。


 ただ──あんなガラの悪そうな男たちと一緒になって騒ぐなんて、絶対まともな人じゃない……

 て言うか、さっき一人で店に入ったばかりなのに、何でもう仲良くなってるんだろう? 元々仲間だったのかな?

 前金でウッハウハーとかどんな歌だ?


「うん。関わらない方が良いな……」


 僕は彼女の落し物をカウンターの従業員に預け、そそくさとその店を後にした。


「やばい人だったな……」




 ──数日後。


 昼下がりのホール裏、いつものように次の出演者が機材を運び込んでくる脇で、僕はコントラバスの弦を張り直していた。


「ミラー!良かった、ここにいたか!」


 名前を呼ばれて顔を上げると、懐かしい顔が手を振っていた。かつての楽団仲間──今は中規模楽団の団長をしているハーディガーディだった。


「ハーディじゃないか……久しぶり。楽団への勧誘なら──」


 こっちに帰って来てからと言うもの、意図的に彼を避けていたので少し気まずい。おそらくそれは彼も気づいているだろうが……。

 でも別に彼が嫌いになった訳じゃない、不意の再会は思いのほか嬉しいものだった。


「それはまだ俺も諦めてないけど──いや、そうじゃなくて。今日はちょっと頼みがあってさ。来週、慰問公演が一本あるんだけど……万が一に備えて精霊奏者に居て欲しくてさ……」


 つまりは用心棒の仕事だ。

 断ろうと思った。即座に。


「……悪いけど、最近はそういうの、やってないんだ」


 言葉を濁すまでもなく、ハーディは察していたようだ。少しだけ困ったように笑う。


「いや、すまない、分かってる。だけど今回の場所が……ちょっと事情があってさ」


 彼が差し出してきた書類には、公演予定地の名前が記されていた。

 見た瞬間、心臓が跳ねるように止まった。

 その地名は、知っている。

 かつて、あの子が言っていた──「私の故郷ね、なーんにもないけど、それだけに音だけはよく響く場所なんだよ!それこそ天まで届きそうな、ね!」──と。


 ここ数週間、魔獣(ノイズ)の活動が活発化していたのは知っていた。あの村も例外ではなかったのだろう。


「……演奏目的は?」


 口の動きが鈍い。

 鎮魂歌(レクイエム)か?との言葉は腹の奥底の奥に引っかかって出て来なかった。

 喉の渇きを感じる、思いの外動揺が強いようだ。

 

「慰問と、復興支援の名目だよ。幸い大した事はなかったらしいが魔獣(ノイズ)の襲撃があったせいで精霊も弱ってるらしくて、強いステージがあった方が安心なんだ……」


 ハーディの言葉を聞きながら、僕は何も言えずにいた。

 大した事は無かったと言う言葉に驚くほどの安堵感を覚えている自分が居る。

 昔、彼女が守ったあの村──人々は何を感じて、どんな音を鳴らしていたんだろう。


「……行くよ」

 

「助かる。すまんな──ちなみに今回、もう一人精霊奏者に声かけてあってな。すごい腕だって噂でさ」


「へえ……で、一体誰だそいつは?」


 この小さな街にはもう僕以外の精霊奏者は居ないはずだった。

 多かった時期ですら僕を含めてたった2人だ。


「流れの精霊奏者らしくてな。まぁ、変わり者だけど……でも──音が良い。それだけで充分、信用に足ると思ってるよ、俺は」


「おい、急に変な奴と組ませるなよ……?」


「なんにせよ精霊奏者は多い方が俺も村の人も安心だからさ!」


「……分かった、なんとか合わせるよ……」


 そう告げてから、僕は弦の調整を終え、コントラバスのケースに手をかけた。

 久しぶりに、その重さを意識した気がした。



 

 ──そして、出発の朝。


 集合場所に現れたのは、僕と楽団員たちだけだった。


「……なぁ、例のもう一人の凄腕精霊奏者ってのは?」


「うーん……寝坊かな……」


 ハーディが苦笑して頭を掻く。


「前金貰って逃げたんじゃないだろうな?」


 最近そんな歌を聴いた気がする。


「いやいや、それは無い……と思いたい。ちょっと宿屋を見てくるから先に行っててくれ、寝坊だったら急いで追いかけてもらうよ」


「はぁ……まぁ、期待しないでおくよ」


 程なくして乗客の人数を確認した御者が出発を告げる笛を鳴らした──

 


 

 馬車に揺られながら、僕は目を閉じた。目的地はまだ遠いらしい。

 そうして僕は、いつの間にか眠りに落ちていた。

 

 ──僕は時々、あの子との演奏を思い出す。いや、思い出してしまう。


 夢の中で、僕は弓を握っていた。目の前には、ソリストであるあの子の背中。

 夕焼けの差し込むホール。2人きりのオーケストラ。

 彼女の音が軽やかに跳ねれば、僕の弓もそれに続いて跳ねる。


 “合わせよう”としたことなんて、お互い一度もなかった。


 それでも音が重なる瞬間が、あの頃は何より嬉しかった。


『言葉なんていらないじゃん、ミラー。音があれば、だいたい分かるでしょ?』


 振り返って笑う顔に、何も言い返せなかった。

 だって本当に、その通りだったから──



「──着きましたよ、ミラーさん」


 御者の声にハッと目が醒める。どうやら割と深く眠ってしまったようだ。体が少し重い。

 起こしてくれた彼に礼をして、重たいケースを慌てて背負い直し、他の楽団員と共に馬車を降りた。

 

 村は静かだった。

 けれど、それは死んだような静けさではない。

 むしろどこか──あたたかい。


 焼け跡の残る家もある。崩れた柵や、曲がった井戸の柱。

 それでも、土の匂いと、草花のざわめきが村を包んでいる。

 魔獣(ノイズ)に襲われた場所だとは信じられないほど、穏やかな空気があった。


 


「貴方が精霊奏者のミラーさんかね……?」


 荷下ろしをしていると、年老いた男性が近づいてきた。

 背は小さいが、しっかりとした足取り。顔には深い皺と、優しげな目。


「はい、そうですが?」

 

「失礼、ここの村長をやらせて貰っておる者です。あなたの事はハーディガーディさんから伺っております――小さい体でとっても頼りになる精霊奏者だと……」

 

「恐れ入ります……」


 ハーディのやつめ余計な一言を……

 

「村の者たちには、貴方たちの演奏を楽しみにしている者も多いが――セラの――あの子の、最後の演奏のこともあって、怖い思い出に怯える者も少なくなくてね……」


「――――つ」


 セラの名前にまた心臓が止まりそうになる。

 ここにくればその名前を聞くであろう事くらい覚悟していたのに、このザマか。

 

 長老の声は穏やかだが、その目には深い苦悩が滲んでいた。


「大人たちの中には、“また魔獣(ノイズ)を呼ぶんじゃないか”なんて言い出す者もいる。精霊奏者を恐れて、貴方達に冷たくあたる者がいるかもしれんが──どうか、許してやってくれ」


 到着から既に、僕らを遠巻きに見てなにやらヒソヒソと喋ってる大人が見えているのには気付いていた。


「……はい、分かってます」


 ミラーは小さく頷いた。


 それも、仕方のないことだ。

 誰かが命を賭して守った場所には──どうしたって、痛みが残る。


「精霊奏者さんっ!」


 急に大声が聞こえたかと思うと、少し離れたところから、ぱたぱたと駆けてくる小さな姿が見えた。


「これ、ポルカ!家にいなさいと言っただろう?」


 ポルカと呼ばれたのは、年の頃十もいかない少女だった。

 金色の髪が陽を受けて揺れる。細い腕でしっかりと何かを抱えていた。

 ──譜面だ。手書きの、子供の字で綴られた、音楽の設計図。精霊奏者用の譜面(スクロール)とは違う、優しい素朴な譜面。


「ねえ、精霊奏者さん! 本当に、演奏してくれるの?」


「え……ああ、うん。もちろん」


 突然の勢いに戸惑いながらも、ミラーは答えた。


「よかった……! あたし、すっごく楽しみにしてたの! 魔獣(ノイズ)は……ほんとはすごく怖いけど、でも、あのときのセラお姉ちゃんの音楽、もっと聴きたいって思ったの」


 少女は少しだけ目を伏せると、ゆっくりと言葉を繋いだ。


「逃げるとき、あたし動けなかったの。でも、聴こえてたの。きれいで、つよくて──あの音があったから、走れたの」


 彼女はそのまま、譜面をぎゅっと抱きしめた。


「今、怖がってる子たちも、きっとほんとはまた聴きたいって思ってるんだと思う。あたし、みんな連れてくよ。絶対に!」


 その目に、迷いはなかった。


「だから……だからこれ! あの時のセラお姉ちゃんが演奏してくれた曲、頑張って覚えてるだけでも譜面にしたの!」


「私、楽器下手くそだから……上手く演奏できなくて……」


「でも、精霊奏者さんなら、簡単だよね? この曲を、また聴かせてください!」


 そう言ってポルカは手に持っていた譜面を僕に押し付けて走り去る。

 

「ポルカ!なんて失礼な……!」


 ミラーは言葉を失ったまま、その小さな背中を見つめていた。


「ミラーさん、申し訳ありません。読み書きを覚え出したばかりなのに、こんなお目汚しな物を……我が孫ながら大変不躾な真似をして全くお恥ずかしい……」


「いえ、気になさらないで下さい……」


 お目汚し?とんでもない、拙いながらも気持ちの籠った良い譜面だ。

 

 ──音楽が誰かの背中を押すなんて綺麗事だ。

 少なくともそんな話、僕はもう信じられなくなっていた。


 けれど今、自分の目の前で、確かにその“音の記憶”に生きている人間がいる。


 セラの音は、届いていた。


 ならば──


「ありがとう。君がそう言ってくれると……すごく、心強いよ」


 ミラーはもう見えなくなったポルカにそう呟いた。



 ──そうして演奏会の幕が上がった。


 簡素な広場に組まれた即席のステージ。だが、精霊(オーディエンス)たちはそこに確かな“場”を感じ取っていた。

 少し前まで音を恐れていた人々が、今はじっとこちらを見つめている。

 ポルカの姿も見える。最前列のど真ん中、真っ直ぐこちらを見て、祈るように両手を握っていた。


 だから、大丈夫。


 僕は深く息を吸って、弓を構えた。


 演奏が始まる。


 最初の曲は、ポルカの譜面を元に僕が譜面(スクロール)に起こした魔旋律(フレーズ)だ。

 拙く、単純な構成──おそらくセラの物とはかけ離れてるけれど、不思議と精霊(オーディエンス)がよく反応する。

 軽やかな、彼女の笑い声のような音が、場に染み渡っていく。


 少しずつ、空気が変わるのを感じた。

 ステージが広がり、音の魔法陣が描かれ、村人たちの表情も和らいでいく。


 ──このまま最後までいける。そう思った、その時。


 


「――おい、何か……くるぞ!」


 誰かの叫びとともに、地面が揺れた。


 突如、空の彼方から押し寄せるような重低音──魔獣(ノイズ)だ。

 クソッタレ共が。

 どうして運命ってのは毎度よりにもよっての事しか起こさないんだ。


 空間が軋むような歪んだ音が、村人たちの叫び声が、精霊たちを怯えさせる。

 ステージが一瞬、崩れかけた。


「っ……!」


 演奏を止めてはいけない。今、音を止めれば全てが崩れる。

 僕は歯を食いしばり、弓を振るい続けた。


「演奏を……続けて! 今ステージが消えたら、みんなを守れない!」


 精霊奏者では無い楽団員たちも必死に音を重ねるが、魔獣(ノイズ)の咆哮にかき消されていく。

 ステージの端が崩れ、精霊たちが悲鳴を上げるように消えていく。


「くそっ……!」


 ポルカの譜面を、僕はもう一度見つめる。


 ──ここで止めたら、何も変わらない。


 


「みんな、逃げろ!」


 ミラーの叫びが響いた。


「俺が、最後まで演奏する! 今度は、俺が──しんがりを務める!!」


 


 仲間たちが、村人たちが、ポルカが驚いたようにこちらを見る。


「いいから!さっさと走れ!」


 ミラーらしからぬ乱暴な口調ではあったが、その一声で弾けるように村人達が駆け出して行く。

 精霊奏者で無くともミラーの演奏を支えていた楽団員達も、楽器をその場に捨てて一人二人と駆け出していく。

 

 それでも、ポツンと一つ。小さな影が残った。


 ポルカだ。


「お前もさっさと行け!……演奏の――邪魔だ――!」


「あ……ぅ……」


 ポルカの瞳は今にも涙を溢れさせるところだったが、彼女は腕で目を擦るとキッと村の出口を向いて走り出した。


「いいぞ……それでいい……」


 駆けていく小さな背中がどんどんと見えなくなって行く。


「精霊たち……どうか、あと少しだけ……!せめてあの子が逃げる時間を俺に稼がせてくれ!」


 揺らぎ始めたステージを必死で支えながら、ミラーは音を重ね続けた。

 譜面を超えて、自分の音を、心の底からぶつけるように。


魔獣(ノイズ)共、お前達のためだけの演奏会がここにあるぞ!俺の一世一代の演奏、死ぬまで聴いていけ!」


 セラが、最期に演奏()ったように──





 

 ──どれほどの時間耐えただろう。10曲分か、20曲分か……そんな判断も覚束なくなってきた頃。


 「やっぱり一人で楽団魔法(スコア)演奏()るのは、無理あるか……くそっ……もう弓が……」


 短時間で無理をさせたせいだろう。

 弓の毛がぶちぶちと切れていく。魔力切れだ。


魔旋律(フレーズ)が途切れる……ここまでか……ポルカ……みんな……ちゃんと逃げられたよな……」


  ステージは歪み、足元が揺れる。演奏を止めた瞬間、精霊(オーディエンス)は離れ、魔獣(ノイズ)が押し寄せてくるだろう。

 もはや意識を手放して楽になろうかと、自分も彼女の元へ……そんな考えが頭をよぎった時──


 大きな獣の咆哮のような音ともに周囲の魔獣(ノイズ)が吹き飛んだ。


「──よお、少年! 良い音出してんじゃん! ちょっくらアタシも混ぜてくれよ!」

 

 何が起こったのか把握する前に、後ろから聞こえた大きな声に反射的に振り向いた。


 そこには先日、酒場で見た変な格好をした変な女の人が居た。

 ベロベロに酔っ払って、ガラの悪い酒場でガラの悪い男たちと肩を組んで飲みながらギターを弾いて唄っていた変な人だ。

 あの妙な形の真っ赤なボディを見間違える事はないだろう。

 先ほどの獣の咆哮のような音はあの変なギターからだろうか。


「何で……こんなところに……」


「いや悪い悪い。昨夜飲み過ぎたら寝坊しちゃてよ、依頼主に怒られちゃってさー。急いで来たんだけど迷っちゃって、さっき子供に道を聞こうとしたらよぉ、そんな事よりお兄ちゃんを助けてくれって、泣き付かれちゃって」


「ポルカ……」


 みんなは無事に逃げられたようだ。

 そしてどうやらハーディの前金も無駄にならなかったらしい。


 ──しかし、事態はまだ終わっていない。

 足元ではステージが軋み、魔獣(ノイズ)たちがこちらを睨んでいる。

 僕のフレーズも限界に近い。精霊(オーディエンス)たちも、今にも離れかけている。


 そこに現れた“変な女の人”は、場の空気も読まず──いや、読んだ上でか──あっけらかんと言い放った。


 「ま、いいや。ライブの大トリには、ギリ間に合ったろ?あんたのエモい演奏聴いてたら気分もアガって来たし、このまま適当に合わせるわ」

 

「適当に合わせる……って即興ですか!? 普通の演奏とは違うんですよ!? この数の魔獣(ノイズ)を相手に、譜面(スクロール)指揮者(コンダクター)も無しなんて、正気ですか!?」


「さっきまでソロでしんがり務めてたアンタがよく言うよ」


「それとこれとは──!」


 僕の言葉を、変な女の人は手で制した。


「なぁに、アンタはさっきのエモい魔旋律(フレーズ)をもっかいやってくれれば良い。テンポは少し上げるけど、ついてこれる?」


 ニヤニヤとした挑戦的な笑みで美人にこうも言われれば、絶望的状況なのに不思議と対抗心が湧き上がってくる。


「……っ! どうなっても知りませんよ!凄腕なんでしょ!?」


「おうよ。大丈夫だって。ま、観客が魔獣(ノイズ)共だけなのは不満だけど──トラ!」


「はい、ここに」


 何処からともなく、執事然とした格好の老人が彼女の脇に現れた。

 髪と髭は白髪混じりではあるが、綺麗に切りそろえられており品を感じさせる。


「……え? え? 何処から……?」


 僕は思わず周囲を見回してしまう。

 さっきまで何処に居たんだろうか?


「セッティングは如何なさいますか?」


「この数なら……アンプはダブルスタック、ペダルはいつもの――いや、ブースター追加で」


「かしこまりました……気をつけて下さい、魔導機材を壊したらまたあの方に怒られますよ」


「分かってるってば! んじゃ、イントロはアタシが()る、少年は16小節後に入って来て。トラが入るタイミングは──ま、いっか。あんたに任す。とりあえず、少年のそばに居てやってくれ」


 ざっと指示を出し終えると、変な女の人は変な形のギターを構えた。執事然とした人は僕のそばにスッと控えるように立つ。


 

「さぁ、魔獣(ノイズ)ども……()ろうぜ──セッションだ!」


 

 周りを魔獣(ノイズ)に囲まれ、絶体絶命な状況にも関わらず、変な女の人は楽しそうな笑顔で変な形のギターを弾いている。

 その音は先ほどの荒々しい咆哮の様な物とは打って変わり、ギターらしい澄んだ音色での流麗なアルペジオが響き渡る。

 正直言って彼女の性格からは考えられないような綺麗な魔旋律(フレーズ)だった。


 そんな彼女の演奏に誘われて、精霊(オーディエンス)が集まりだし、すぐさま周囲にステージを形成し始める。

 周りの魔獣(ノイズ)達はそれだけでステージに押されて弾かれていく。


 「少し聞いただけで……」


 テンポこそ早くなっているが、それはさっきまで僕が弾いていた魔旋律(フレーズ)にそのまま乗るものだった。

 普通の音楽と違い、魔楽器を使ったそれは魔術的な難しさも加わってくるため、一度聴いただけで合わせられる様な物では無い。

 それに、あの譜面はセラが最期に遺した音をポルカが形にし、更にそれを僕が譜面(スクロール)に起こした物だ。昔からある曲じゃない。


「どうした、少年!ビビったん!?」


 急に声を掛けられハッとする。どうやら気づけば16小節目に迫っていたようだ。

 

 僕はコントラバスを地面に寝かせるように、横向きに抱え直す。こうじゃないとこの楽器は僕には大きすぎる。つくづく何でこの楽器を選んでしまったのかと思うが、しょうがないじゃないか、最初に見た時に一目惚れしてしまったのだから。

 

 握りしめたネックを胸に当てて深呼吸する。開演前に必ずやる癖だ。

 これをするだけで不思議と心が落ち着いてくる。


「ビビってなんかない!」


 こんな状況にも関わらず、心底楽しそうにギターを弾く変な女の人を睨み返す。

 ハーディの言う通り凄腕なのは間違いなさそうだ、相当な魔力量なのだろう。

 その証拠にあのギターの音はやたらと大きい──まるで、自分はここに居ると、世界を超えて響かせようとしてるみたいだ。


 僕も負けてられない。


 目一杯強く鳴らす、最初の音はDだ。


「ハハッ! 良いね、良いね! それっぽくなってきた!」


「それでは私も」


 トラと呼ばれていた執事風の老人が両手を広げると、空中にたくさんのフェーダーと呼ばれる魔法陣が浮かび上がる、そして大小様々な魔導機材が僕たちを囲むように周囲へと広がった。


「スリーピースならこれくらいでしょう」


「────!?」


 その光景に、思わず手元がトチりそうになるが、なんとか堪える。

 彼が使ったのは、大きい楽団でしか見ないような拡声魔法だ。


 彼女の音に僕の音が重なるたび、空間が震えて魔獣(ノイズ)たちが後退するのが見える。

 ステージがどんどんと広がっていくのを感じた。


「よっし、アガって来た!」


 そう言ってボディに貼り付けていた何かを手に取った。

 あ、あれは酒場の前で落としてたやつじゃないか。

 変な女の人のフレーズは、爪弾いていたアルペジオから、掻き鳴らすような激しい物へと変わる。


「お供いたします」


 フレーズに合わせるように、拡声魔法の強度が上がり、音も大きくなっていく。

 そしてフレーズの切れ目と同時に、変な女の人は足元の何か──小さな魔導機材だ──を踏んだ。



 途端、澄んでいたギターの音色が獣の咆哮のように荒々しく猛る。最初に聴いたあの音だ。

 叩きつけるような音がお腹へと響いてくる──ヒャッハーというゴロツキのような彼女の叫び声と共に。



 合わせて執事風の老人が手元を軽く動かすと、何処からともなく打楽器の音が鳴り始める。

 巷で噂の再生魔法だろうか?この規模の拡声魔法と同時に使用するとは、あの執事風の老人も只者では無いようだ。


「凄い……たった三人でステージが維持できてる……」


 三人での演奏ではあるが、ステージには十分な強度があるらしく、周囲の魔獣(ノイズ)達は攻めあぐねている。

 しかし、このまま囲まれているだけでは、そのうち魔旋律(フレーズ)が尽きて終わりだ。


「でも、この後どうするんですか!? 戦士もリードも居ませんよ!」


 どうにかして魔獣(ノイズ)達を倒さなければならない。

 それにはステージ内から攻撃を担当するリードパートが居なくてはならない。

 オーケストラは演奏中に動けない、だから精霊達(オーディエンス)のステージに守ってもらい、戦士は物理攻撃、リードパートは中から魔法で攻撃するのだ。

 しかし、この場には三人しかおらず、既に手一杯な状態である。


「あぁん? アタシが居るだろうが!」


 そう言って、変な女の人はステージの外へと躍り出る。


「言ったろ! 先陣(イントロ)はアタシが()るって!」


 天に向かって突き抜けるようなロングトーンを大きく鳴らした変な女の人は、大きく跳躍し魔獣(ノイズ)の群れの真ん中へと飛び込んだ。


「──ちょ!」


 自殺行為だ。


 魔獣(ノイズ)の群れに飛び込んだ彼女を見て、思わず演奏を止めてしまう。その拍子に僕の弓に残った毛も千切れてしまった。


「おや、ブレイクですか」


 トラと呼ばれた人が軽く手を振ると、残響を残して全ての音が止まった。


「あの人を助けに行かないと!」


「大丈夫です。あの程度でしたら、心配ありませんよ」


 訪れた静寂に落ち着いた声が響いた。


「いや! でも──!」


「せめて貴方だけは、お嬢様の演奏を聴いてあげて下さい。演奏者が観客ではいけないと言うルールはありませんからね」


 そして僕は、ウィンクする執事風の老人と言う貴重な物を見た。


「あの方はブレイク後のギターソロが大好きですから──お嬢様!32小節だけですよ!フルテンで行きます!」


 執事風の老人の手元が動くと共に、打楽器が激しく打ち鳴らされ、フェーダーの魔法陣も緑から真っ赤に色を変えた。

 箱型の拡声器が空気どころか山を震わせそうな音を発する。

 およそ音楽とは思えない音の暴力だ。


 しかし、不思議と音が何処に繋がるのかイメージ出来た。

 楽団魔法(スコア)が初めからその空白を必要としていたかのように繋がる。


「キターー! アタシの、独、壇、場!」


 僕からは魔獣(ノイズ)の群れしか見えないが、彼女の声が空に轟く。

 無事なのは良くわかる、異様に楽しそうな声だった。


 打楽器の勢いに乗って、あの変なギターが更に唸る。

 全てを蹴散らす百獣の王の咆哮のごとく吠える。

 あいも変わらず荒々しい音であるのに、歌うような魔旋律(フレーズ)が僕の心に突き刺さる。


「ステージの外でリードを取るなんて……イカれてる……」


「どうした!?少年!あんたは来ないのか!?置いてくぜ!?」


 くそ、敵のど真ん中で僕を呼ぶ声が聞こえる。

 僕を音に誘う悪魔の声がする。

 でももう弓が……。


「あたし不思議に思ってたんだけどさぁ、ベースってよぉ、指で弾くもんじゃねーの!?」


 そう言う手法があるにはあるが、それは要所要所で使うだけで――

 ――いや、やってやろうじゃないか。

 僕は……これでも負けず嫌いなんだ。

 

 目一杯大きく響くように、楽器が壊れそうな程乱暴に、叩きつけるように指で弦を弾く。


 そして奏でられた僕の音は──

 

「これ……は!」

 

 放たれた重低音がステージ近くの魔獣(ノイズ)を消し飛ばした。

 僕の演奏が彼女の音に似た咆哮のような音に変化する、しかしそれでもこれが僕の音だとわかる。

 

 ふと隣の執事風の老人を見る。

 

「はい、サービスです」

 

 ウィンクする執事風の老人は実は珍しくないのかもしれない。


「ナイス、スラップー!あったしスラップ大っ好きー!」

  

 よく分からない事を叫びながら、敵の攻撃を踊るように躱し、止まる事を知らない演奏に合わせて発動する魔法が、魔獣(ノイズ)を吹き飛ばし、斬り飛ばし、叩き潰す。

 彼女がギターを、腕を、頭を振り回すたび、魔獣(ノイズ)が塵となって消えていく。


「凄い……こんな音、初めて聴いた……」


 こんな譜面(スクロール)は知らない。


 これはもう、楽団魔法(スコア)じゃ無い、なのに音が馴染む。


 精霊奏者として譜面(スクロール)が馴染むのは初めての感覚だ。


 初めて合わせた演奏なのに、何故かぴったりと噛み合う。


 そして──楽しい。


「貴方様も、楽しそうで何よりでございます」


「求められる音が分かる、何かに導かれてるみたいだ……」


 悔しい事に、それはきっとあの変な女の人にだろう。


「それがお嬢様の唯一の魅力ですので」


 気のせいだろうか。この執事風の老人、お嬢様とやらに何気に酷い事を言ったのでは無いだろうか。


 


 いつの間にか、辺りに魔獣(ノイズ)の姿は一体も見当たらなくなっていた。

 彼女の魔法で全て蹴散らされたようだ。


 それでも、演奏は止まらない。


 彼女は手頃なサイズの岩のてっぺんで、まだギターを鳴らしていた。

 けれど、さっきのような咆哮ではない。

 音が──変わっていた。


 歪んでいたはずのギターの音が、今は優しく、まるで語りかけるように響いている。


 フレーズは静かに、けれど確かに──あの音に似ていた。

 セラの“音”。

 ポルカが譜面に残そうとした、あの旋律。


 彼女はそれを、知っていたわけでも、譜面を覗き見たわけでもない。

 ただ“聴いていた”のだ。

 僕の音を通して。ポルカの願いを通して。

 そして今、それを自分の音にして、再び鳴らしていた。


 音が空に滲んでいく。

 どこまでも澄んで、やさしく、遠くへ。


 僕も、音を重ねた。


 もう戦いのためじゃない。

 誰かを守るためでもない。

 ただ、自分の中にある“ありがとう”を、音にして響かせるために。


 ポルカに──セラに──この音を届けたかった。


 

 そして、彼女のギターと、僕のコントラバスが、最後にひとつの音で重なったとき──

 


 風が吹いた。

 精霊(オーディエンス)たちが、その風に舞うように笑った。

 音が静かに、遠くへ、どこまでも滲んでいく、天高くへと。

 なるほど、この村では音がよく響く。


 その時だった。


 「ほら──もう大丈夫ですよ」


 振り向くと、ステージの少し外に立っていたのは、執事然としたあの老人──トラだった。

 彼の背後には、見慣れた顔がいくつもあった。

 ポルカ、長老、楽団員、そして村の人たち──逃げたはずの面々が、皆、ゆっくりと、こちらへ戻ってきていた。


 「演奏中は、喋っちゃいけないと思って……」

 

 と、ポルカがぽつりと呟く。


 その目には涙が滲んでいた。

 その隣の老婆も、少年も、腕を組んだ父親たちも、誰一人、言葉を発しない。

 ただ、黙って聴いていた

 

 ──誰も、音を邪魔しようとしなかった。


 僕らが重ねる音は、もう戦いのものではない。

 それは、ただの音楽だった。

 だけど──だからこそ、届いた。

 魔獣(ノイズ)に沈みかけた街に、確かに音が戻ってきた。

 その場にいた全員が、思ったはずだ。



 “ああ、音楽って──こういうものだったんだな”って。


 

 どこからか、小さな拍手が始まった。

 ポルカだった。

 それに誰かが続き、やがて村全体に拍手が広がっていく。


 


 誰かの手が、また誰かの手を引いて、ステージへと集まり出す。

 楽団員達も楽器を手に取り直し、やりきれなかった演奏会を続けていく。

 最初は不安そうだった顔も、次第に綻んでいった――



 

 やがて日も暮れて、最後の音が空に溶けていったとき──


 


 彼女は一度だけ、大きく空を仰ぎ、ギターを背負い直した。


「おう、少年」

 

「……ミラーです、これでも成人してます」


 あの時言えなかった言葉がスッと言えた。


「お、おう……それはすまん……いや、ミラー。アンタの音、悪くなかったよ。マジで──だからさ」


 彼女は、まっすぐ僕を見た。


「また演ろうぜ。どこかで、またな」


 そう言って彼女は拳をこちらに突き出してきた。


「喜んで」


 僕もそれに応えて、彼女の拳に自らの拳をぶつけた。

 一瞬どう言う意味かは分からなかったがこうするのが正解だとなんとなく思った。






 ──音楽、それ自体は何もしてくれない。


 けれど、確かに今、あの音は、みんなの中に“残った”。


 


 僕もコントラバスのケースを背負い直すと、小さく呟いた。


「そういえば、あの人の名前聞きそびれたな……」

ずっとやりたかった音楽と魔法の組み合わせ。短編にしては長くなりましたがお付き合いありがとうございました。

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