お座敷童子編01-07 『傀儡化』
side 吉祥天
「さて、降臨するかの。」
本来、神々が降臨するには数多くの厳しい制限がある。
それは法に基づく物であったり、影響力による物であったり、消耗による物であったりと多岐にわたる。
今回、全ての条件をクリアしている訳ではないが、道理を投げ捨ててでも譲れない物が彼女にはあった。
吉祥天は『目』引っ込め、間をおくことなく降臨した。
「妾、降臨!
ふん、『幻妖界』などというからには辛気臭い空気かと思ったが、存外下界と大差ないの。」
憎まれ口を叩きながらも、彼女は彼女の僕の髪を優しく撫でていた。
某神ならばきっと優しい瞳でこの光景を見つめていただろう。
尤も、覗き見している可能性は否定できないが。
やがて満足したのか、彼女は少女の髪から手を離した。
そして少女の口腔を優しく広げる。
「あまり長居すると面倒な連中に見つかりかねんからの。
よし、とっとと済ますのじゃ。
そもそも主神の手を煩わせるなど、童のくせに生意気なんじゃ。
眷属になってすぐに死ぬるなどもっての他じゃ。」
吉祥天は何かを紛らわすようにブツブツと呟きながら陣を描く。
「うん?ここはこうかの?」
吉祥天が実行しようとしている術に名はない。
魔法に詳しい者が聞けば白目を剥きそうな話ではあるが、彼女はやっつけで魔法を『創造』しようとしている。
彼女自身が卓越した魔法技術を持っているのはもちろんだが、権能の大黒柱である『運』で力任せにぶん回そうとしているのだ。
力業の極みではあるが、それは力があるからこその奇跡ともいえる。
「して、こっちじゃな。あとは、こうするかの。」
好き放題に落書きをしているように見えて、その実は極めて精密な出来だった。
一応の完成を見て、改めて陣を確認する。
「まぁ、しくじっても逆流はせんじゃろ。」
そう呟きながら、不肖の眷属の額に両手の二指を左右に添える。
額を見つめていた瞳の焦点がズレると同時に黄金色のマナが立ち昇り、床の陣へとぐんぐん吸い込まれる。
「《オン・マカ・シュリエイ・ソワカ》」
それは吉祥天の、吉祥天による、吉祥天のための『真言』だ。
それは吉祥天の真実の、秘密の言葉。
黄金色の瞳が光を増す。
「《オン・マカ・シュリエイ・ソワカ》」
朗々と響き渡る声が徐々にブレてふたつになる。
ノイズに遮られた低い男性のような声だった。
「《オン・マカ・シュリエイ・ソワカ》」
さらに声がブレる。
ノイズさらに酷くなり、誰のものともつかぬ声が幾重にも重なる。
部屋のあちこちでパン、パァンと『ラップ音』が響く。
魔方陣から黄金色のマナが溢れだし、ぐるぐると渦を巻く。
「我は『左に徳叉迦』を戴き、右に『鬼子母』を戴く者なり。
而して、『吉祥』にして『功徳』にして『宝蔵』を担う者なり。
而して、『幸』並びに『美』並びに『富』を司る者なり。
而して、『天津』の徒にして『高天原』の徒なり。
即ち我、女神吉祥天なり。」
「世界よ、我を識れ。」
己が定義を高天原に宣言し、自らの存在を世界へと叩き付ける。
やがて黄金色の渦は濃密な蜜のような粘液へと変貌する。
「ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほれけ
布瑠部 由良由良止 布瑠部」
『ひふみ祝詞』はあらゆる『災厄』を『幸福』へと転換させる祝詞だ。
古くから人々の間でも連綿と受け継がれる強力な祝詞であるが、幸運の化身たる吉祥天が唄うと、それはもはや世界を書き換えるほどの影響をもたらす。
黄金色の粘液は膨張しその限界を迎えると二本の触手が姿を顕す。
それらは絡み合いながらはげしく蠢いた。
「《オン・アボギャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン》」
『不空大灌頂光真言』通称『光明真言』は『功徳』により『退魔』を成し、『利益』を『請願』する。
本来は光明により死者の諸罪を消去し、極楽浄土へと往かせるものであるが、吉祥天は己の豪運で結果を都合よくねじ曲げた。
往く先を己の中へと。
「さあ、参れ!妾の中へ疾く参れ!」
パァンと柏手を一拍打つと同時に絡み合った触手は弾けるように分かれ、一本は術者である吉祥天の口腔へ、もう一本は少女の口腔へと飛び込んだ。
「じゅるっ、あっ、ちょっ、れろっ、じゅるっ、まっ、んっ、んあっ。
ちょ、まっ、じゅるっ、むっ、あぁっ、むりっ、じゅるるるっ、死っ、じゅるるるるる。」
吉祥天はその体躯を遥かに上回る量の黄金を全て飲み干す。
少女もまた体を激しく震わせながら、大量の黄金を吸収していた。
「はぁはぁはぁ、もー無理・・・死ぬるかと思ったのじゃ・・・
多すぎるわ!どうなっとるんじゃ!
危うく妾が持っていかれるところじゃったわ。」
疲労困憊の態ではあるが、吉祥天は想定を上回る『絶好調』な結果に満足した。
儀式が終わると吉祥天と少女の間に明確な『経路』が出来上がっていた。
それはか細い魔力の糸のようだったが、その実、極限まで圧縮された濃密なものだった。
「よしよし、完璧以上の出来じゃ。さすが妾。
早速試してみるのじゃ。
・・・目覚めよ」
むくり。
動くはずのない少女の起き上がる。
「む、意外と難しいのじゃ。
こうかの?ほれ、右、左、右、左。」
少女は震えながら生まれたての仔馬のように歩いていたが、徐々によちよちと歩めるようになっていった。
その光景は人形使いが人形を動かす光景に酷似していた。
「てすてす。吉祥天様こんにちは。」
音声の同期もうまくいったようだ。
吉祥天は満足そうに頷く。
そしてふと邪念がよぎる。
邪念というには無邪気に過ぎるものではあったが、ともあれ、彼女はその欲求に抗えなかった。
「んんっ、これも練習じゃ。
ちょ、ちょっとだけじゃからの。」
誰に言い訳しているのかわからないが、本人としては明確に罪悪感を認めていた。
「吉祥天様、好き。」
「ふぉっ。」
思わず『本体』から声が出た。
吉祥天はぶるぶると震えている。
「吉祥天様、大好きだよ?」
「お慕いしております、吉祥天様。」
「寂しゅうございました、吉祥様。」
「私を抱っこし」
「ふぉーーーー!」
吉祥天は両手で両目を塞ぎながら、くねくねと体を揺らしていた。
「ぬふふ、つ、次はもそっと、ぐふっ。」
「吉祥・・・うぬは何をしておるのだ・・・」
「あいっぇぇえっぇぇぇえええ!!」
吉祥天は文字通り飛び上がってひっくり返った。
吉祥天の背後では身の丈三メートルを越える筋骨隆々とした大男が天を仰いでいた。
金糸で飾り付けられた『日緋色金』の甲冑は無骨で力強い印象だ。
また、腰の右に『宝塔』を提げ、左には『宝棒』を提げる大樹のような姿は、戦国の世の『武将』の枠には留まらず、まさに『武の神』を彷彿とさせる出で立ちだった。
そのようないかつい大男が天を仰ぐ絵面は、どこか喜劇を思わせた。
声を掛けてきた相手をようやく認識した吉祥天はおかわりを叫んだ。
「だだだっ旦那様!?
こ、これは違う!違うのじゃ!」
「喝ぁつ!!」
「ひうっ。」
「・・・落ち着いたか?吉祥。」
「あっ、はい・・・醜態を見せてすまなかったのじゃ。」
ようやく理性を取り戻した吉祥は顔を真っ赤にして詫びる。
「それはよい。して、最後のアレは?」
「ぐぬ・・・」
「言えぬことか?」
「はぁぁああ、、、愛でておったのじゃ。」
「ふむ、そこな童子か?」
「さようじゃ・・・」
「我らに子はおらぬからな。許せ、吉祥。」
「・・・そんなつもりではなかったのじゃ。
ただ、不覚にも愛が溢れてしまったのじゃ。」
「クク。愛いの、吉祥。」
「余り苛めてくれるでないぞ、旦那様。」
「うむ、このくらいにしておこう。
それより吉祥、うぬの儀式のせいで『天部』が蜂の巣をつついた騒ぎになっておる。」
「うぇえ、バレてしもうたか。まぁ、無視するんじゃが。」
「後始末をするのは我であるのだが・・・」
「お慕い申し上げておるぞ、旦那様。」
「うむ、知っておる。だが我はよい。
今しばし、そこな娘を寵せ。」
「旦那様・・・」
「不憫である。
ましてうぬの僕だ。」
「ありがとう存じます。」
「良い。」
「ところで旦那様はいつから・・・」
「だいぶ前だ。
恐らくうぬが宇迦之御魂神と接触したあたりであろう。
ヤツからの連絡が切っ掛けであったからな。」
「なんたる・・・」
吉祥天は宇迦を呪った。
「ゆえに概ねの事情は把握しておる。
励め吉祥。
案ずるな、己がついておる。」
「旦那様が支えてくれるならば吉祥は大丈夫じゃ。」
「さぁ、もう戻れ。そろそろ連中が来る。」
「では、旦那様に御武運を。」
「うむ。」
吉祥天と毘沙門天は同時に姿を消した。
そして少女は外に出た。
その足取りは軽やかによちよちとしていた。
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ちゃむだよ? >_(:3」∠)_
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