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5.これから


「メリッサ宛には多数の婚約の申込みが来るだろうが、ボルダック卿を選んでほしい、と、これはボルダック卿から言われたのだ」

「アントニオ様が?」

「不思議かい?不思議なら本人に聞くと良い。しかし、現在の国内の貴族を見ても、確かにボルダック卿が一番メリッサに相応しいと判断したのは私だ。アルケイデスから聞いている人柄も、好感が持てる。だからボルダック卿から正式に婚約の話が持ち込まれたら、私としては受けたいと思っているが、メリッサはどうだろうか」


 確かに素敵な人だと、自分に婚約者がいなければ良かったのにと思っていた。しかし、話が急過ぎて頭がついていかない。

 えっと、と口ごもる私に、兄様がそっと手を握ってニコリと微笑んだ。


「メリッサ。アントニオは良い奴だ。ここに遊びに来た時のことを忘れてしまったのか?」


 兄様は学園のご友人を邸に呼ぶことは頻繁にあったが、その中にアントニオ様がいたのだろうか。

 私は記憶を手繰り寄せようと悩んでいると、『忘れているのか』と兄様が苦笑いを浮かべた。


「最後に会ったのは我々が卒業する直前のことだ。アントニオは卒業後は騎士団に入ることが決まっていて、暫く辺境へ訓練も兼ねて行くことになり我が家へ挨拶に来てくれたことがあった」


 その頃の私といえば王太子妃教育が始まり、あまりに厳しくて苦しかった記憶しかない。

 王城の一室を与えられて教師もつけられたのだが、教師と二人きりになると教師は私の出来が悪いと言い、毎日何度も私の手の甲をつねるのだ。

 これが鞭で打たれたならあとが残ってすぐに発覚したのだろうが、つねる程度では私が痛いだけであとが残らなかった。

 私も自分が悪いのだと思い、誰にも言わなかったのだが、それが発覚したのはたまたま私が風邪をひき、高熱でうなされている時に、『先生ごめんなさい。つねらないで』と言った言葉を看病で傍にいたメイドが聞いたからだった。

 そこからはあっという間に教師が変更され、前の教師に会うことはなくなった。

 当時、前の教師がなぜ体罰をしたのかは分からなかったが、新しい教師は体罰などすることもなく、また出来が悪いと詰ることもないどころか、飲み込みが早いと褒められてしまうことも多々あった。

 兄様が話しているのはその頃で、気持ちが追い詰められていたのか記憶があまりない。

 

「ごめんなさい。あまり覚えていなくて······」

「そうだろうな。あの頃はお前も大変だった」


 兄様は私の手を両手で包み込み、優しくなでてくれた。

 それはつねられた記憶を優しく覆い隠してくれているようで、なんとも言えない気持ちになる。


「アントニオが挨拶に来たんだが、帰る時にお前が王城から帰ってきたんだ。その時に玄関ホールでお前にも挨拶をしていた。その時、お前はアントニオにハンカチと傷薬を渡したと聞いた。その時に交わした言葉で、アントニオは一日も早く騎士として一人前になってお前の護衛をしようと決めたそうだ。何を話したのか、思い出せないか?」


 あの頃は教師が私をつねる時に、偶に爪で傷をつけられてしまうことがあった。だから傷薬はいつも持ち歩いていたのだが、確かに誰かに渡した覚えはある。


「新しくなくて申し訳ありませんが、良かったらお使いください。でも、本当は怪我などしないと良いのですが」


 確かそんなことを言った。他にも何かしら会話を交わした覚えはあるが、学園帰りに王城であの心を削る王太子妃教育だったため、はっきりとは思い出せない。

 兄様は私の曖昧な笑みを見て、『まあ良いさ』と優しく微笑んだ。


「詳しい話はアントニオに聞くと良い。ただ、アントニオはその時からお前を守ろうと必死に訓練にも食らいついたと言っていた。そして最近は違う意味でも守ろうとしていた。そこもアントニオに聞きなさい。私が言うことではないからね」


 そう言って私の顔を見て、『アントニオなら安心して任せられる』と笑った。

 



 結局、私は無事に殿下との婚約解消ができ、アントニオ様との婚約もほぼ決まりのようだった。

 父様も兄様も、「アントニオに聞きなさい」ばかりで、詳しい経緯はアントニオ様に聞かなくては全くわからない。

 しかし話を聞こうにも、婚約解消がはっきり公表される前に違う男性と会うのは気が引ける。

 全ては一ヶ月後、婚約解消が公表されてからだ、と気を抜いていた私だったが、なんと次の週末アントニオ様と早速会うことになってしまうのだった。



 父様の執務室での婚約解消報告の後から、私は当時のことを少しずつ思い出していた。

 あの教師は、最初は優しかった。

 気持ち悪いくらいの猫なで声だったし、体罰どころか怒鳴ることもなかった。

 しかし、あの教師から自分の娘をアルケイデス兄様に嫁がせたい、との縁談を我が家が断った頃から態度が変わった気がする。

 今、客観的に考えれば単なる嫌がらせと八つ当たりだったのだろうが、私はそんな話があったことは教師が変更された時に知ったため、長い事自分が悪いのだと思い込んでいた。

 あの教師は子爵夫人で夫である子爵は文官。ご令嬢はアルケイデス兄様の五歳上だったはず。

 二十三歳の娘が結婚どころか婚約者もいなかったのだから、それなりに問題があった娘なのだろう。

 それに、当時既に兄様はミュウリリア様と婚約していた。

 侯爵令嬢のミュウリリア様と破談してまで受ける話ではない。

 王家で雇った教師であったが、きっと我が家から王家へ苦情が行き教師を変更となったのだろう。その後、何かしら処罰があったのか、未だに社交の場でも子爵夫人を見かけることはない。

 思い出したくないことだったので、すっかり忘れていた。

 そういえば、そういえば······とそれらに付随する事柄は思い出すのに、肝心のアントニオ様に関することは全く思い出せずに毎日学園生活を過ごしていたが、週の半ばにアントニオ様から手紙が来て、次の休みにはまた食事に行きましょう、とのお誘いが書かれていた。

 両親も兄様も、手紙を開封する前から、『ぜひ行ってらっしゃい』と中身の要件を知っているかのように後押しをしてきて、執事も返事を書くための紙とペンを用意していた。

 そしてあっさりと私とアントニオ様との食事の場がセッティングされたのだった。




「先日、王城でシュワルベ公爵とお会いしました」


 約一週間ぶりに会ったアントニオ様は、以前よりも少しだけ表情が柔らかかった。

 ルビー色の瞳には、きっと見とれている私が映っているのだろう。

 話しかけられたことで意識を現実に戻した私は、咄嗟に、『なんとかまとまりそうです』と答える。

 恥ずかしさをごまかすために、グラスを手に取る。

 今日もブドウジュースだ。

 アントニオ様も私に付き合ってジュースにしようとしたが、どこで誰が見ているか分からないので変な噂が出ないようにワインにしてもらった。

 今日も個室ではあるし、一流店なので従業員教育はしっかりされているだろうが、大人の男性が小娘に付き合ってジュースなんて対外的に良く無いだろう、との気持ちがあったからだった。

 

 一口ジュースを口に含み、緊張から喉が鳴りそうなところを慎重に飲む。

 今日も二人きりなので、アントニオ様の視線が私に向かっているのが分かる。

 だから余計に緊張していた。

 アントニオ様には聞きたいことがあるが、そこにたどり着くまでに婚約の話もしなくてはいけない。

 殿下との婚約は政略的なものだったし、そもそも王家とシュワルベ公爵家での取り決めだったので、私は何も関与していない。

 今、アントニオ様に、『婚約の申込みをしてくださるのですか?』なんて恥ずかしくて聞けるはずもなく、ましてや四年前の玄関ホールでのやり取りなど話題に出すこともできない。

 四年前にどんな会話をして、なぜ今回申込みをしてくれる気持ちになったのか知りたかったが、私は話の切り出し方に困っていた。

 そんな私の気持ちを酌んでくれたのか、アントニオ様から話し始めてくれた。


「あちらとは解消されたとお聞きしました」

「あ、はい。父の話では円満解消のようです」

「メリッサ嬢は以前から解消を願い出ていましたよね。おめでとう、でよろしいのですか?」

「はい。ありがとうございます」

「それでは、私が婚約を申し込んでいる話もご存知で?」

「そ、そうですね。父からどうしたいかと聞かれました」


 まっすぐ見つめられ婚約の話になったことから、なんとなく気恥ずかしくなりまたジュースを一口飲んだ。

 アントニオ様はふっと少しだけ口角を上げると、カトラリーを手に取り、『せっかくなので食べながら話しましょう』と目の前の白身魚のソテーに視線を落とした。

 私もそれに倣い、カトラリーを持つ。

 私も視線を落として食事を始めた。

 

「それで、メリッサ嬢は考えていてくださいましたか?」

「そうですね······」


 私は切り分ける手を止め、アントニオ様を見た。

 

「どうして私と婚約しようと思われたのでしょう。兄は四年前に起因していると申しておりましたが」


 羞恥心を隠してまっすぐ見つめた私に、アントニオ様は一瞬口元をグッと引き締めた後、静かに話し始めた。

 

「私がアルケイデスと友人となったのは学園に入学してすぐのこと。それからお互いの邸を訪ねるようになり、メリッサ嬢を初めて見たのはあなたがまだ九歳の時でした。学園の帰りにシュワルベ公爵邸に遊びに行った時、あなたがいないと使用人達が探していて、私もその中に加わったんですよ。多くの使用人達が邸内を探す中、私は庭を捜索しました。すると、日差しを逃れるように低木の下に寝ているあなたを見つけたんです」


 ああ、あの探検したけど疲れて寝てしまった時のことだ、とすぐに分かった私は、恥ずかしくなってかあっとなってしまった。

 アントニオ様は赤くなった私を見るとフッと表情を緩め、『スヤスヤとよく寝てらした』と笑った。

 





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 次話は明日午前11時に投稿します。

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