4.前進
馬車に乗った時の緊張などすぐになくなり、楽しくおしゃべりをしているとあっという間に我が家に着いた。
馬車寄せに静かにとまり、外から声をかけた執事が扉を開ける。
アントニオ様が外に出て私に手を差し出してくれたので、私もその手を取って降りた。
「今日は楽しい時間をありがとうございました」
「いえ、こちらこそメリッサ嬢との貴重なお時間をいただき、光栄でした。ぜひまたお会いしたいのですが、いかがでしょう」
「大変嬉しいお誘いですが、次回があっても二人でというのはこれきりになると思います。······婚約者がおりますので」
「ああ。そうですね。そちらを早めになんとか進めてもらわないと、ですね。では、いずれまたお誘いいたしますので、その時はぜひ」
「あ、はい」
私が殿下の婚約者である以上、この先二人で会うことはないだろう。
今日だってアルケイデス兄様も一緒だと思っていたから了承したのであって、二人きりだと知っていたらお断りしていた。
こちらに瑕疵があっての婚約解消は絶対に避けたい。
今のところ学園では上手く立ち回れているのか、私に対しての悪口は聞こえていない。
だからこのまま静かに婚約者の位置からフェイドアウトしたい。
しかし、私が他の男性と二人きりで会っていると話の流れは変わってくるだろう。
素敵な人だったのに、残念だったわ。
アントニオ様の馬車を見送ってから部屋へ戻ると、兄様が待ち構えていた。
「おかえり」
「ただいま帰りました」
「どうだった?良い男だったろう?」
「そうですね。素敵な方でした。きっとすぐに婚約の申込みをなさるご令嬢が湧いてくるでしょうね」
「今なら一番乗りできそうだけど」
「残念ながら、私にはまだ婚約者がいますからね」
「ああ、それなら気にしなくて良いよ。父上が解消の手続き書類を作っていた。明日登城して陛下と最後の話し合いをするらしい」
「そんなことをして大丈夫なの?」
そもそも格下である我が家から王家に婚約解消を申し出るなど、理由がどうあれ不敬に当たる。
それをしようというのだから、処罰も甘んじて受けるという覚悟があるということだ。
しかし私は、私が後ろ指さされることになろうとも、家族がその憂き目にあうのは避けたいと思っている。
もし明日登城し、陛下との話し合いが穏便に済まなければ我が家がこれから先冷遇されることもあり得る。それだけは避けたいと思った私は兄様に尋ねたが、兄様は少し微笑んで、『お前が考えているような悪いことにはならないだろうよ』と言って部屋を出て行った。
我が家の今後を心配しているとなかなか寝付けず、ウトウトしたのが夜明け間近の頃だったせいか、目が覚めたのは既に十時を過ぎていた。
学園が休みの日で良かった。
しかし父様は既に登城した後で、急いで追いかけようとする私は母様と兄様に止められた。
まず兄様が、『遅く起きたとはいえ、食事はしっかり取らないとだめだ』と私が食べ終えるまで正面に座って監視をし、私の食事が終わると今度は母様が、『仕立て屋が来たから、メリッサのドレスを作るわよ。いらっしゃいな』と私の手を引いて応接室へと歩いた。
社交シーズンに向けて、新しいドレスを何着か用意しないといけないと言われたが、昨日まで何も言われていなかったのだから突然決めた言い訳なのだろう。
私が城に行っても何もできないことは分かっている。だけど心配で仕方がなくて、せめて目の前でどのようなやりとりが行われているのか確認したかっただけなのだが、ここまで家族に止められるのならば大人しくしている方が良いだろう。
もし、とんでもない罰を受けることになるなら、私がこの家を出ることが早まるだけだ。
その前に殿下に苦情の一つも言わずにはいられないけど。
母様が張り切って仕立て屋と打ち合わせをしている姿を見ながら、見つからないようにため息を吐き、気持ちを固めた私は父様の帰りを待つことにした。
父様は夕方帰宅した。
思っていた以上に遅かったので、父様の心労はいかばかりか、と申し訳なく思っていた私の目には、スッキリにこやかな笑顔の父様が映った。
「殿下との婚約は無事に解消できたよ。陛下からは殿下の行動について謝罪もされた」
そう言う父様の表情はとても作り笑顔には見えない。
しかも陛下から謝罪もされたなんて、詳しくは分からないけどほぼ我が家の勝ちではないだろうか。
「まあ、良うございましたわ。詳しくお聞かせいただけますよね」
母様の嬉しそうな言葉により、家族だけで説明を聞くために父様の執務室へと向かうことになった。
父様が着替えている間にメイドがお茶を淹れ、すぐに退室する。
私は兄様の隣に座り、母様は正面で優雅にお茶を口にした。
父様は素早く着替えを終え、母様の隣に座ると、はぁ~と大きく息を吐いた。
「陛下には今回、ここまで婚約を続けていた理由を教えていただいた。そもそも殿下の行いには思うところがあるが、まあ、なんとも複雑な心境になったよ」
父様はこめかみをグリグリと指で押し、私と視線を合わせた。
「今日は陛下の隣にマシュード殿下もおられてね、殿下から経緯を伺った。まず、チシェリナ・ヴァトー男爵令嬢を選んだことを謝罪された。そして殿下は、メリッサと婚約を解消したらメリッサが次に誰と婚約を結ぶことになるか心配して、なかなか婚約解消に踏み切れなかったとおっしゃられた。しかしアントニオ・ボルダック伯爵が騎士団で台頭してきたことから、いずれ近いうちに彼は功績を上げ騎士団内で地位を上げるだろう。そしてゆくゆくは陞爵するだろうと期待していた矢先、陛下が襲撃され、ボルダック卿が陛下をお守りしたことで、ボルダック卿が第二騎士団の副団長になることが決定した。そして殿下は今がボルダック卿の陞爵のチャンスだと思い、ボルダック卿を陞爵しメリッサとの婚約を整えてほしいと陛下に頭を下げたと······ボルダック卿は人間性も素晴らしいから、メリッサを大切にするだろうとまでおっしゃられてね。我が家としてもアルケイデスの友人であるボルダック卿は狙っていた人物でもあったし、メリッサの婚約者として不服はない。とはいえ即答なんてせず、勿体ぶってからボルダック卿との婚約の話も受けてきたよ。メリッサを安く見られても嫌だからね」
父様はそこまで話し切り、一口お茶を飲んで喉を潤した。
婚約解消が進まなかった理由は分かった。
しかし、なんとも釈然としない。
この話だと、殿下との婚約を解消された私は、王命により新しい婚約者を充てがわれてごまかされた感じではないだろうか。
父様もいくら目をつけていたアントニオ・ボルダック卿との婚約話とはいえ、王命なんてものを受け入れるなんて、と少しずつ怒りが湧いてくる。
そう、今回の王命ははねつけることもできたはずだ。
こちらから解消の書類を整えての登城だったのだから、不敬な行動は覚悟の上だ。
それに、私は公爵家を離れて市井で生きていこうと思っていたのだから、王命なんてもので婚約者が決まるなんて、それが素敵だと思った男性であれ素直に嬉しいとは思えない。
沸々と怒りがこみ上げてきて、父様に一言言ってやろうと口を開く直前に、目の前の母様がすっくと立ち上がり父様に向かって大声を出した。
「あなたは!メリッサが王命でないと求婚者が現れないと!そんなふうにお思いですか!そんな王命は取り消していただきなさい!今回はこちらに分があるのですから!なぜ強気でいかないのですか!」
いつも公爵夫人としてふさわしい振る舞いをしている母様にしては珍しく出した大声に、私はもちろん父様も兄様も固まった。
しばし沈黙の後、母様は顔を真赤にし肩で息をしていたが、ふらりとソファに崩れ落ちた。
慌てた父様が受け止めたのでどこかを打ち付けることはなかったが、母様は今度は青白い顔色に変わっている。
急に怒って頭に血が上ってから、その普段しない行動の反動がきたのだろうか。
父様は母様を抱きしめながら、『ああ、その点は抜かり無く話してきたから心配するな。ほら、落ち着いて。まだ話の途中だ』とゆっくりと母様をソファに座らせ、母様の肩を抱いて心配そうに見つめていた。
少し気まずい空気感の中、父様は顔だけこちらに向けて話を再開した。
「悪かったね。まだ話の途中だった。一息つくところがまずかったな。まず、ボルダック卿との婚約については王命ではない」
先程は勿体ぶってから受けてきたと言っていたはずなのに、という疑問は兄様も同じだったようで、『は?』と不機嫌そうな声を出す。
その声が聞こえていたはずなのに、父様は全く気にしないで話を続けた。
「実は先程までボルダック卿とも話をしてきた。そこで決まった流れを話すから、とりあえず頭に入れておいてほしい」
父様は母様の顔を覗き込んで顔色を確認し、このまま話を続けても差し支えないと判断したようで、また私の顔を見て話を続けた。
「一ヶ月後にある王室主催の舞踏会で、陛下からボルダック卿の陞爵の話がある。その後、メリッサとマシュード殿下の婚約解消及びヴァトー男爵令嬢が殿下の新しい婚約者に決定したことも公表される。ただ、その時は男爵令嬢ではなくロンベール伯爵令嬢となっているはずだ」
「伯爵令嬢では、殿下の婚約者として爵位が少々足りないのでは?」
「ああ、そうなんだが殿下がおっしゃるには、そういった不満の声にも自分が矢面に立って受け止める。ヴァトー男爵令嬢の能力はメリッサほどではなくともかなり高いので、暫くすれば不満も静まるはずだ、とね」
チシェリナの能力は、はっきり言って私よりは高いと思う。
学園での定期試験でも、チシェリナはいつも上位五人の中にいたことを思い出した。
また彼女の穏やかな性質もあって、殿下の恋人でありながらも嫌がらせをされている場面などは見たことがない。
もっとも、先陣きってそれをするはずの私が静観しているというのが大きいのかもしれないけど。
きっと学園に在籍している生徒達は、チシェリナが殿下の新しい婚約者に決まっても、あっさり受け入れる気がする。
そういったことから不満の声は、長くても我々世代が爵位を継承する頃には消えているだろうと思った。
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