3.お見合い
ぬいぐるみには、淡いピンクのドレスを作っている。
ギャザーを寄せる作業の最中に、兄様が帰宅し私の顔を見に来た。
兄様の婚約者のミュウリリア様のお父様は王城にお勤めなので、城で聞いた噂話などはミュウリリア様経由で兄様の耳に入る。
今日も何かを仕入れたのだろうか、と思いながら縫う手を止めずにいたら、『お前に紹介したい男がいる!』と扉を開けるなり叫ばれた。
「兄様、声が大きいわ」
「いや、すまない、早めに紹介したいと思っているからか、興奮してしまった」
「はあ、そうですか。で?その方は兄様がご存知の方ですか?」
「ああ。学園時代は同級生だったし、今でも時々会っている」
「そうですか。でも、それならば婚約者がいてもおかしくないのでは?」
「実は侯爵家の三男で、爵位は親から伯爵位をもらえたが領地がなくてね。本人はずっと騎士として生きていこうと思っていたのだが、この度、陛下の護衛としての活躍から陞爵とそれに伴い領地もいただけることになったそうだ。ポッと出てきた優良物件だからな、早い者勝ちだ。侯爵になる前に話を決めてしまいたい。お前、明日は空いているか?」
「日中は学園におりますが」
「よし。授業終わりに学園に迎えに行こう。彼には話をつけておく」
「というか、もしかするとその方、ボルダック卿ですか?」
「そうだ。おや?知り合いか?」
「今日、殿下とのお茶会で第二騎士団に異動になるからと紹介されました」
「ちっ、殿下はまだ婚約解消を進めてないのか」
「あ、でもヴァトー男爵令嬢がロンベール伯爵に養女にいく話が進んでいると言ってましたけど」
「そっちの話は進んでいるのにこっちは放置か?まさかお前を正妃にしてヴァトー男爵令嬢を側妃にするとか考えてないだろうな」
「そんなことは無いと思うけど」
そう。そんなことはしないと思うが、今ひとつ自信がない。
殿下はチシェリナに後ろめたいことはしないだろうと思っているが、それは私の思い込みかもしれない。
これは明日、こっそり殿下に確認しないといけない。
そう考えた私は、明日どのように尋ねようかとしばらく頭を悩ませた。
「メリッサ、今日城に来ないか?話がまだ途中だっただろう?」
殿下が一人になったらこっそりと話しかけようと思っていたのに、結局殿下が一人になることはなく放課後を迎えた。
今日は諦めか。
そう思って正門前に迎えに来ているであろう兄様を待たせてはいけないと、急いで勉強道具をバッグに詰め込んでいる私に、殿下が話しかけてきた。
珍しくチシェリナがいない。
いつもなら王室の馬車で送っているのに、どこにいるのだろうか。
そんな私の考えが顔に出ていたのか、『チシェリナは先に帰した』と驚くべきことを言ってのける。
「え?チシェリナさんを一人で帰したんですか?」
「何を驚いているんだ。まだチシェリナとは婚約できていないから、おかしくないだろうに」
「いえ、だって毎日送ってらしたから」
「う、まあそうだが。で?城に来ないか?話の続きがしたいのだが」
「申し訳ありません。今日は兄が迎えに来ておりまして」
「珍しい。何かあるのか?」
「ええと、ちょっとしたお付き合いです」
「なんだ?よくわからないが、相変わらずアルケイデスから溺愛されているのだな。分かった。また話の続きは近いうちにしよう」
「ありがとうございます。では、お先に失礼いたしますね」
昨日のお茶会では、確かに話の途中で殿下は離席したが、なんの話の途中だったか今ひとつ思い出せない。
たぶんあまり興味のないことだったのだろう。
とにかく今は兄様の所に急がなくては、と焦る気持ちを抑えつつ、マナーに反しない程度に急いだ。
正門により掛かるように兄様が私を待っていた。
「お待たせしました」
「いや、私も学生時代を思い出して懐かしんでいたところだ」
そう言いながら兄様は私に手を差し出す。
私はその手を取って馬車へと乗り込んだ。
馬車がゆっくりと動き出すと、兄様は今日のスケジュールを話し始めた。
「まず帰って着替えだ。食事の場を予約してあるから、そこで顔合わせだ」
「ボルダック卿は忙しいのではないですか?」
「いや、やっと落ち着いてきたと言っていたし、今日の話をしたら必ず来ると言っていた」
「まあ。無理なさってなければ良いけど」
「あいつは多少無理してもチャンスはモノにする男だからな」
「何言ってるの?兄様は」
「はははっ、まあそのうち分かるさ」
そう言ってご機嫌に笑った兄様は、時々思い出し笑いをしながらも私にはそれ以上話しかけなかった。
てっきり、食事の席にはアルケイデス兄様も同席すると思っていた。
それなのに、『お前一人で行け』と馬車に放り込まれ、店に着くと通された部屋は個室で、既にボルダック卿は到着していた。
「申し訳ありません。遅くなりました」
「いいえ。今日も学園に通われていたのでしょう?お疲れのところありがとうございます」
「いいえ、ボルダック卿こそお忙しい中わざわざありがとうございます」
混乱と不安の中とりあえず無難な挨拶を交わした私は席についた。
ちらりと見たテーブルには、やはり二人分しか用意がない。
ほぼ初対面の男性相手に、どのような会話が良いのかと急いで頭を働かせたが、まずは陞爵のお祝いを伝えるべきだろう。
そう考え、給仕係が静かに配膳をしている中、正面に座るボルダック卿を見て笑顔を作った。
「この度は陞爵、おめでとうございます」
「ありがとうございます。少々王家の無理があったようにも思いますが、最低でも侯爵位は欲しいところでしたのでありがたく思います」
「まあ、侯爵位を。向上心のあるお方なんですね」
「ああ、いえ、侯爵位は欲しいものを手に入れるための手段というか、最低限必要な地位でした。なんとか間に合いそうでホッとしているところです」
「そうですか。侯爵でないと手に入らないものなんて、いったい······あ、失礼しました。踏み込みすぎましたね」
「いいえ、まったく」
ボルダック卿はほんの少し目を細め、あ、笑ったのかな、という程度に表情が緩んだように見えたが、私は次の話題を考えていてそこに反応する余裕はなかった。
給仕係の仕事は丁寧だったが素早く、この会話のうちに既に退室していた。
「美味しいワインもあるのですが、まだシュワルベ公爵令嬢は学生ですから今日はぶどうジュースで」
ボルダック卿が指差す先は私の近くにあるグラスで、赤ワインの色味だったがどうやらジュースを用意してくれたらしい。
「ありがとうございます」
「いいえ。ご卒業なさったら、ワインで乾杯しましょう」
「そうですね。楽しみにしております」
卒業まではあと一年半ある。
この国の成人は十六歳だし、社交界デビューも済んでいるので今ワインを飲んでも咎められることはないが、きっと気を使ってくれたのだろう。
そう思ったら、私の立場的に卒業後に乾杯なんてする余裕があるのかわからないが、そう答えるのが正解な気がした。
そう、このまま殿下が婚約を解消してくれないと、悪役令嬢まっしぐらな私は卒業パーティーどころではないはず。
どんなに家族が動いても、結局こちらから解消などできない立場なのだからどうにもできないのだ。
そんな考えが頭をよぎり、少しだけ視線をおとしてしまった。
「シュワルベ公爵令嬢?」
「あっ、なんでもありません」
私の表情を見てボルダック卿が心配そうに問いてきたので、私は慌てて視線を上げ、次の話題に入ろうとした。
「ボルダック卿は兄のご友人だとお聞きしました。私のことはメリッサとお呼びください」
「では貴女も私のことはぜひアントニオと」
「まあ、そんな」
「ぜひお願いします」
「は、はい。では、アントニオ様」
「はい。メリッサ嬢」
今度ははっきりと分かる笑みを返され、なぜか突然お見合いの場だったと思い出した。
目の前のこの方は、そのつもりでこの場に居るのだろうか。
私はまだ、残念ながらマシュード殿下の婚約者なのに。
食事中は、兄様との学園時代の思い出話や学園の先生の話などで、意外にも大いに盛り上がった。
アントニオ様は真面目な印象だったのにとても話術に長けていて、どんどん話に引き込まれてしまう。
あっという間にデザートも終え、最初は不安で始まった食事も終わりの時間になった。
「ああ残念。楽しい時間はあっという間ですね。今日は公爵邸まで送らせてください」
「いいえ、そんな我が家の馬車もおりますし、そこまでは申し訳ないですから」
「いや、アルケイデスからしっかり送り届けるようにと申し使ってますので。それにほら、シュワルベ公爵家の馬車は帰ってしまったようですよ」
「あら本当に」
どうやら兄様が最初から謀っていたようで、我が家の馬車は居るべき所にいなかった。
「では、お言葉に甘えて」
「はい。ではお手をどうぞ」
私はアントニオ様にエスコートされ馬車に乗った。
アントニオ様が正面に座ると静かに扉が閉まり、ゆっくりと動き出す。
シュワルベ公爵邸までは馬車で二十分程の距離だが、先程までの室内よりも狭い空間に、また緊張が私を襲った。
そんな私に気がついたのか、アントニオ様は笑みを向けながらまた会話を始めてくれた。
思えば食事の最中も、破顔するとまではいかなくても穏やかな笑みをたたえ、私の緊張を解してくれた。
真面目で性格も良くて話をしていても楽しい。その上侯爵様だ。
これは本当に早いものがちだろう。
ああ、本当にどうして殿下はさっさと婚約解消してくれなかったのか。
最後に行き着く先は結局そこになるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次話はすぐに投稿します。