2.養女になる人、陞爵する人
「マシュード殿下のお相手、ヴァトー男爵令嬢だが、どうやら教会派のどこかに養女として迎え入れるという話が出ているらしい」
「あら、それはどちらと言われているんです?」
マシュード殿下が男爵令嬢と恋仲と聞いてから、殿下のことなど興味も示さなかった母様が食いついた。
きっと御婦人方の勢力図に動きが出るからだろう。
「一番有力なのはカーグランド侯爵家。教会派のリーダー格だからね」
「男爵家からいきなり侯爵家ですの?」
「途中どこか挟むかもしれないが、最終的にはカーグランド家だろうと噂されている」
「そんな事になったら、マシュード殿下はどうなさるのかしらね」
爵位が男爵では結婚は難しいかもしれないけど、侯爵家なら正妃も夢じゃないのでは?と思ったが、やはり派閥の問題が壁になるそうだ。
国王派の家の私と婚約を解消して教会派から正妃を娶るとなると、国王派が黙ってないだろう。そうすると国内情勢が一気に不穏なものになる、と兄様が隣からコソコソと教えてくれた。
「こんな噂が出る前に、さっさと婚約解消してくだされば良かったのに」
「メリッサは結局解消したいのは変わらないのか?」
「はい。あんなに仲睦まじいお二人を見ていると、私が正妃なんて絶対にありえませんって」
「そう何度も陛下にはお伝えしているんだけどね。もう少し待って欲しいと言われるばかりで」
「いっそのこと、修道院に駆け込んじゃおうかしら」
「それは駄目よ。メリッサの生む女の子を抱っこするのが夢なんだから」
「それはこのままだと叶いそうもありませんけどね」
「もういっそのこと、不敬を承知でこちらから解消の書類を整えるか」
父様が言った投げやりな言葉に家族は黙っていたけど、みんなの顔には“それもあり”と書いてあった。
国王陛下襲撃事件から一ヶ月後、首謀者が捕まった。
襲撃者の自供とそれに伴う捜査で、証拠もしっかりと見つかった。
首謀者はノートル伯爵で、教会派に属していた。
過激な思想の持ち主だったようで、教会派の中でも異質な人物として有名で、ほとんどの教会派の者達からは遠巻きにされていたそうだ。
そしてノートル伯爵が牢に入ってから二ヶ月後、ノートル伯爵の処罰が確定したと公示がされた。
ノートル伯爵は爵位剥奪領地没収の上、西の孤島にある炭鉱行き。
妻と娘は修道院行き。
ノートル伯爵の子供は娘一人だったそうだ。
教会派の中で今回の襲撃に関わった者はいなかったようで、これで一応の決着がついた。
国王襲撃から決着まで約三ヶ月。
これまでマシュード殿下にチシェリナという恋人ができても、婚約者として定期的にお茶会という顔合わせをしていたマシュード殿下と私だったが、この三ヶ月間は一度もプライベートで会うことはなかった。
それは私としては気が楽なのだが、未だに婚約解消の話が進んでいないことには我慢の限界が近かった。
家族は婚約解消を前提として新しいお相手の選定に入っている。
アルケイデス兄様は、一度私とご友人を引き合わせようと画策したが、国王襲撃によりなくなったと悔しがっている。
国王夫妻を主に護衛する第一騎士団にいる人だったようで、とにかく襲撃後は忙しいらしい。
マシュード殿下を護衛する第二騎士団からも応援が入っているそうで、どうやらマシュード殿下自身も陣頭指揮にたっているらしい。
いや、学園に通っているから、たぶん名前だけなのだろうけど。
そんな平和な日々を送っていたが、久しぶりにお茶のお誘いがマシュード殿下からきた。
面倒だとは思ったが、婚約解消を進めるように一発かましてやろうと気合を入れて城へと向かった。
暑くもなく寒くもない気持ちの良い春の日で、案内されたのは庭の四阿だった。
マシュード殿下も遅れること無くやって来て、表面上は穏やかなお茶会が始まった。
マシュード殿下の背後には、見たことのない護衛が一人。
しかしマシュード殿下に護衛がつくのは当然なので、私は気にもせず椅子に座った。
国王襲撃から決着までの話をさらりとした後、以前噂で聞いたチシェリナの養女の話が話題に登った。
「チシェリナはね、ロンベール伯爵の養女にしてもらおうと話が進んでいる」
私との婚約解消は進まないのにそっちは進んでいるのね、と若干イラつきはしたが、最終的には逃げれば良いかと思っているのであえて突っ込まずに話を続ける。
ロンベール伯爵は、中立派のリーダー格だ。
公爵に中立派はいないし、侯爵にもいない。
教会派の養女と言う話はどうなったのかと尋ねると、さすがにそれはまずい、と苦笑いされた。
「でも、伯爵だと正妃にするにはあれこれ言う貴族もいるんじゃないですか?」
「いるだろうけど、教会派に養女にいかれるよりは文句も少ないんじゃないかな」
「そうですか。それでは婚約解消の話も近いということで良いんですよね」
「メリッサはさ、私と婚約解消したらどうするの?」
「家族がお相手を鋭意物色中です」
「でも、公爵令嬢の相手になる男なんて、みんな婚約者ありでしょ?あまり爵位の低い所に嫁がせるわけにいかないし」
「そうなったら家を抜けて好きに生きていきますよ」
「メリッサが?何したいの?」
「うーん、どこかでのんびり過ごすのも良いですよね」
王都から離れた街で給仕をするなんてことは言わないでいた。
そんなことはわざわざ吹聴すると、あんまり良いことがないだろうから。
しかしどこかでのんびりということを、マシュード殿下は領地でのんびりと捉えたようだった。
「領地に籠もるのも良いけど、ずっとその生活というわけにもいくまい。で、突然だが······」
殿下は後ろについている護衛に顔を向けると、その護衛がスッと一歩前に出た。
「第一騎士団所属のアントニオ・ボルダックだ。アズルレイド侯爵の三男で、今はボルダック伯爵位を持っている。三ヶ月前の陛下襲撃事件の際には、一騎当千の活躍を見せてくれて、彼一人で陛下の命を救ったと言っても過言ではない活躍ぶりでね。その報奨で近々陞爵の予定だ。もちろん領地も恩賞としてつける」
まだ二十代前半と見られる騎士は、既に親と同じ爵位を約束されているのか。出世が早いな、と思い護衛の騎士に目を向けると、そのボルダック卿は頭を下げ、騎士の礼をした。
なでつけられた黒髪は、多少頭を上下させたところで乱れない。
その整えられた具合から、真面目そうだなと思ったのが最初で、次いで赤い瞳が綺麗だなと感じた。
「ボルダック卿、おめでとうございます。陞爵ということは、侯爵におなりですか?」
「ありがとうございます。あの時は陛下のお側におりまして、私自身は必死に剣を振るっただけなのですが、ありがたいことに侯爵位を賜ることになりました」
「そうですか。話では襲撃者もかなりの手練れだったと伺っております。ご無事でなによりでした」
「かなり周到に準備されていたようで、襲撃者はこちらより多かったので手こずりましたが、陛下がご無事であったことと、第一騎士団に死者も出ずに抑えられたことに安堵しております」
少し表情を崩しているが、やはり真面目な受け答えだった。
「ところで、第一騎士団の方がどうして殿下の護衛に?」
「ああ。ボルダックはこれから第二騎士団の副騎士団長になるからね。メリッサとも顔合わせをと思って」
「私と顔合わせより、チシェリナさんと顔合わせをした方が良いのでは?」
「ああ。そっちの意味じゃなくてね」
「殿下、お話中失礼いたします」
マシュード殿下の言葉の最中に、殿下の侍従が小走りにやって来て何やら紙を殿下に見せた。
すると殿下は一瞬表情を曇らせ、『すまない、メリッサ。少々片付けないといけないことができた』と言って席を立つ。
結局この日のお茶会はこれで終わった。
ボルダック卿も殿下の後に続き、私は少しゆっくりお茶を堪能してから帰った。
アルケイデス兄様は最近、父様の手伝いをしながら公爵領の仕事を覚えている。
三ヶ月後に婚約者のミュウリリア様との結婚を控えていて、ミュウリリア様のご実家の侯爵家にも頻繁に出かけていて忙しそうだ。
殿下とのお茶会を早めに終えた私が帰宅すると、今日もミュウリリア様の所へ出かけている兄様はまだ帰っておらず、父様は執務室で仕事をし、母様はご友人方と観劇のためお出かけの仕度に忙しそうだった。
私は自室で身軽なデイドレスに着替えた後、最近勉強を始めた針仕事の続きをすることにした。
これからどこかで一人で暮らすとなると、簡単な縫い物はできた方が良い。
なんせ前世の日本人大学生だった頃は、ミシンでガガガッと直線縫いしかした覚えがない。
ボタンつけはできるけど、きっと平民となるなら縫い物は必要な知識となるはずだ。
残念ながらこの世界にミシンは無い。
とはいえ、母様にそんなことは言えないので、ぬいぐるみを作りたいと相談し、メイドの中で針仕事の得意な人に教えてもらうことになったのだった。
ぬいぐるみの型紙を作るところから始まり、今はそのぬいぐるみにお洋服を作っている。
ぬいぐるみはクマだから、前世の記憶のある私にはテ◯ィ・◯アを一から作っている感じで、これはこれで楽しい。
母様は、『出来上がったぬいぐるみは、メリッサの赤ちゃんにあげると良いわね』といつになるか分からないことをうっとりとした表情で話すので、申し訳無さが勝っていつも苦笑いしかできない。
作っているぬいぐるみは女の子という設定で、今はドレスを縫っている。
一針ずつゆっくりと進めているが、縫い目が綺麗だとメイドからは褒められている。
話半分で聞いても、やはり褒められるのは嬉しいので、女の子が仕上がったら対で男の子を作ろうと思っている。
今日も褒め上手なメイドに見守られながら、チクチクと作業を進める。
お読みいただきありがとうございます。
次話はすぐに投稿します。