若返った女
「私は数年前に信じられない体験をしました。
あの、私……いくつくらいに見えますか?
正直に答えて下さい。」
男は、カーテンを少し開けて女の顔を確認した。
女も男の顔を見ようとしたが男の顔は闇に隠れよく見えなかった。
「私より、かなり年下なのは間違いないですね。」
若い男にそう言われ女は満足そうに微笑んだ。
「そうでしょう!!20歳くらいに見えますよね?
実は私……年齢は60歳なんです!
嘘じゃありません。本当の話です。」
「それは興味深い……どうぞ続きを。」
男は別段、驚く訳でもなく冷静にそう言った。
「私は茨城県の平和な田舎町の出身です。
家はそこそこ裕福でした。
厳格な両親の元で高校生まで退屈でつまらない生活をしていました。
でも、都内の大学に進学し私の人生は変わりました。
一人暮らしを始めてから、自分の好きな服を買い、化粧を覚え、お洒落をしました。
すると信じられないくらい男性が寄って来てモテるようになりました。
私はその時初めて自分が美しいことに気がつきました。
周りの男性達は私の願いを何でも叶えてくれました。
バッグに靴、アクセサリー、食事も全部なにもかも。
どこかに出かける時は、どんな時間でも誰かしらベンツやBMWで送り迎えしてくれました。
あの時代、私が特別我儘だったわけでは無く、綺麗な子はみんなそんな感じでした。
でも、そのうち、それは無くなりました。」
女はため息をついた。
「大学を卒業してしばらくした頃、バブルが弾けたんです。だんだん景気が悪くなり、私が就職した会社は倒産しました。
そして、気がついたら私は無職になり、周りにいた男性は皆んな年下の若い女や地味でつまらない女と結婚していました。
『君は美人すぎる……お金がかかる……』と皆んな私を諦めて離れて行ってしまいました。」
女は言葉に詰まって話ができなくなってしまった。
男は部屋の奥の誰かに何か囁いた。
すると、部屋の奥から正装した紳士がティーワゴンを押して来た。
大きな銀盆にロイヤルコペンハーゲンのフルレースのティーセットが乗っている。
「どうぞ……召し上がれ」
紳士は女性の椅子の横に小さなコーヒーテーブルを置き紅茶を出すと静かに下がった。
ティーカップからアールグレイの強い香りが部屋に広がった。
女は恐る恐る、ティーカップを持ち紅茶を飲んだ。
女は驚いた。「熱くない……」
紳士の気遣いだろうか、紅茶は丁度飲みやすい温度に調整してあった。
喉を潤わせ幾分か落ち着きを取り戻した女は話を続けた。
「無職になった私は、実家には帰らず、迷った挙句、銀座でホステスになりました。雇ってもらうために年齢をかなり誤魔化したけれど周りにはバレませんでした。
私はその頃、まだ凄く綺麗で若かったから問題なかったんです。
仕事は大変だったけどお金もかなり稼げ、恋人もできました。
でも、それは長くは続きませんでした。」
女は黙って一呼吸した。膝の上の手が震えていた。
「私が悪かったんです。世の中をなめていたんです……
年齢詐称していた事や後輩ホステスを虐めていた事、ママの旦那さんと不倫していたことがバレて店をクビになりました。
悪い噂が広がり私はもう銀座にはいられませんでした。
その後は最悪でした。
あちこちを転々として最後は、ある小さなスナックで雇われて働くようになりました。
その頃になると私はただの年老いた女になっていました。
鏡を見るたびに悲しくなりました。
田舎の両親も亡くなり帰るところもありません。
友達もいません。孤独でした……
でも、ある日奇跡が起きたんです!
私、若返ったんです。ある人のお陰で!」
そう話す女の目はギラギラと輝いていた。
「その人は30歳くらいの綺麗な女性で私の店の常連でした。
彼女は身なりもきちんとしていてお金持ちそうでした。
地味な服装でしたが着ているスーツや時計、指輪など高級なブランド物で……
なんで、うちの店なんかに来るのか不思議でした。
でも、話してみると優しく誠実な人柄で、すぐに打ち解けました。
彼女は私の愚痴や悩みを全て聞いてくれました。
そして、ある時、彼女の口から信じられないことを聞きました。
なんと、私よりずっと若いと思っていた彼女は私と同じ年齢だったんです。
信じられますか?
その時の私と彼女は50歳過ぎていたんです。
彼女は30そこそこにしか見えませんでした。
実は彼女、ある製薬会社の研究者で老化を止める薬を作っていたんです。
まだ、実験段階で、企業秘密で、世間には内緒で、自分の身体で治験していると。
彼女は私に治験に参加しないかと言ってくれました。
『会社には内緒で貴方だけ参加させてあげる。このことは絶対に誰にも言っては駄目!』と。
私は彼女から薬が買えるようにりました。
薬を飲み始めた私は徐々に若返りました。
諦めていた美貌を取り戻せたんです。
肌も、髪も、身体も20歳の時より美しくなったんです。
私はたちまちこの薬の虜になりました。
これは、その薬です……」
彼女はハンドバッグから美しい瓶を取り出した。
「この小さなチョコレートが若返りの薬なんです。
食べるとたちまち気分が高揚して身体が若返るのがわかるんです。
でもこれ、とても高価なんです……びっくりするくらい。
収入のほとんどをこのチョコレートに使っています。
でも、もう、食べずにはいられなくて。
こうして、いつも持ち歩いているんです。
これが私の話の身の上話と不思議な体験の全てです。
一切、嘘はありません。信じて、下さいますか?」
「貴方は嘘はついていない。」
「良かった……」
女は男の言葉を聞いて何故か心底ほっとして『助かった』と感じた。
女の背後で低い声がした。
「有り難うございました。どうぞ、こちらへ。」
先程、紅茶を運んできた紳士が出口のドアを開け待ってくれていた。
「お気をつけてお帰りください。」
女は紳士に見送られてOffice鈴木を後にした。
紳士は奥に座っている男に言った。
「旦那様、あの方は裸足でしたね……真冬なのに随分薄着で。あの方のお召し物は、まるで、下着に見えました。」
「あれは、下着だね。」
「あのご婦人は自分が若返ったと嘘を仰っていましたが、なぜ地獄にお送りにならなかったのですか?
私には80歳過ぎに見えました。
無論、私や旦那様の年齢と比べれば、かなり年下ですが……」
「あの人間の女にとって、あの話は真実。嘘は一つも言っていなかった。」
「さようでございますか。
哀れな……あの女に救いはあるのでしょうか?」
「あの女は毒にやられている。今夜寿命が尽きる。」
「それは……ようございました。」
男は紅茶を飲みながら呟いた。
「退屈だ……次は、嘘をつく客だと良いがな……」