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神殺しさまの謀略  作者: 百華あお
第一章《誓いと契り》
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 ← 鳥籠の姫君

「使えんな」


 高い空を見上げて、男は吐き捨てた。

 憎々しげに細めた目は鋭く、翡翠の瞳には仄暗い光が灯っている。

 まるでこの世の全てを憎むかのような――そんな目だった。


「騎士団に処理させるなど生温すぎる。箝口令など、馬鹿げているとは思わんか?」


 グレーの背広を軽く羽織り、背後に迫っていた影に吐き捨てるように投げかける。

 ふわと舞い上がる息に、その向こうの視界が霞んで見えた。

 突然話し掛けられた背後の影は、その言葉に、びくりと肩を震わせる。


「……気付いていたんだね。相変わらず、鋭い人だ」

「ふん」


 影はまだ若く、精悍な顔つきをひどく歪めて男に笑い掛けた。

 皇帝アシリス十三世。彼は人々にそう呼ばれる男だ。五年前――先王の没後、弱冠十八歳にして一国の主の座につき、様々な政策により民から絶大な信頼を寄せられる若き君主。

 帝国の中では絶対権力を持つ彼にも、老いた男は恨めしげな視線を向ける。或いは、世界で一番偉いかもしれない皇帝にさえ。


「それにしても酷いな。箝口令を敷いた本人の前でそんなことを言うなんてね、気付いていたならやめて欲しかったなあ」

「いいだろう。別に盗み聞きをしている奴がいる訳でもあるまい? 皇帝どのよ」

「まあね。――それよりも、用は何だい? こんなところまで呼び出しておいて無用ということはないだろう、アズ?」


 東と呼ばれた男は鋭い瞳を更に細め、不機嫌そうに口を結ぶ。

 けれどそれが彼の元来の顔であることを知っている皇帝は、特に気分を害した様子もなくただふわりと微笑んだ。


「言うまでもない――か? だろうね。勇者のことだろう」

「……ついでに言えば、答えるまでもないな」


 穏やかな笑みすら嫌うかのように顔を背ける東。けれど皇帝はそれを見て面白そうに笑う。

 弱冠二十三歳の青年は、ひどく老獪な表情を浮かべて東の隣に並んだ。


「そういえば、女勇者に反対していたのも東だったね」

「当然だ。女ではどう頑張っても男には劣る」

「それじゃ一昔前の考えだよ、東。男女平等は名だけかい?」

「本当の平等を目指したいならば、差異くらい明確にさせるべきだ。私は、女では勇者に向いていないと言っているのだ」


 お互い棘の含まれた言葉にも動じることなく、二人は並んで淡々と言い合いを続ける。

 白髪混じりの東よりも皇帝の背の方が高く、柔和な顔立ちながらも威圧感がある。けれど東は皇帝の方を見ることもなく、用意されたような言葉を並べ続けた。


「箝口令で人の口が塞げるのなら、安いものだ。噂は何処からでも漏れ出る」

「まあね。それじゃあ、元老院議長さん。そこまで言うのなら、貴方の御意見を聞かせて欲しいものです」

「勇者は早めに始末するべきだ」

「ほう?」


 あっさりと返ってきた答えに、皇帝は興味深そうに――或いは面白そうに、目を細める。

 勇者の始末。

 予想していた答えから大きくずれた東の考えに、皇帝は少なからず興味があった。無言で先を促すと、東はしわがれた声で詳細を語る。


「今度の勇者は女で――しかも、小娘。あれでは大した戦力ステータスにもなりはしないだろう。今時勇者など古いのだ、あれは魔物討伐のお飾りに過ぎん」

「お飾り、か。面白いことを言うね、東」

「事実であろう。今は馬鹿正直に力でぶつかる時代ではない、戦略が物を言うのだ」

「けれど、力は必要だろう?」

「あれ程軟弱な小娘が何の力になろうか」


 ふんと鼻を鳴らし、東はそう呟く。吐き捨てるような物の言い方は変わらず、これにはさすがの皇帝も少しだけ困った顔をした。


「まあ、元老院の皆で話し合ってみてよ。正直勇者の処理はそちらさんの方が慣れてるでしょう」


 ひらりと手を上げ、皇帝は老いた男に背中を向ける。

 東は顔を上げることもなく、ただじっと目を閉じて足音が遠ざかるのを待っていた。

 皇帝もそれを気にすることはない。彼の頭には既に業務のことしかなく、東を肩越しに振り返ることもせずに歩いていく。


 そしてただ一人、老いた男だけが取り残された。

 押し殺したような沈黙が支配する中で。


 泡のように沸々と浮かび上がる、憎悪も憤怒もじっと押し殺して――東は、その世界に立っていた。







 ◇◆◇◆◇◆◇







 神名は言い聞かせる。自分自身に、きつく、強く。


(駄目、まだ駄目よ――我慢するの)


 唇をぐっと噛み、顔は真っ青なまま。

 淡いパールピンクの袖から伸びた白い腕は、震えを抑えるように反対の手でぐっと強く握られている。

 鍛えている割にはひどく細い四肢が、煌びやかでも派手ではないフォーマルドレスからちらりと覗いた。何だかいつもより蒼白いと、神名は何故だか自嘲気味に思う。


(もう少し我慢すれば、必ず来るから……)


 それまで、と小さく呟く。

 震える肩を押さえ、蒼い唇を噛み締め、神名はじっと壁の一点を見つめていた。

 何があるというわけではない。神名は、ただ強く念じるように変わり映えのしない壁を見据えていた。

 奇妙なほどの沈黙と静寂が鬩ぎ合う、城の一角で。

 一心に信じ続ける。信じ続けた。彼女は、それの到来を――




(絶対、魔王さまが助けてくれるんだから!)









 一方、神名が信じていた《魔王さま》は。



「ぐす、ぐすっ……」


 まだ泣いていた。


「神威さん、そろそろ泣き止んで下さいよ。周りの目がさっきから痛いんです」

「それは甘楽さんにだって原因があるでしょう……? 僕だって、泣きたくて泣いてるわけじゃ」


 神威はぼろぼろと大粒の涙を流しながら、甘楽をじっと睨む。

 けれど元々柔和な顔立ちだということもあり、実際その迫力は大したものではない。


「おい兄ちゃんたち、そこで戯れてないでそろそろこっちの話も聞いてくんねえか? 仲良いのは分かるけどよ」


 しかも兵童に『戯れ』と一蹴され、神威は拗ねたように牢の隅っこで丸くなってしまった。どうやら、本人は至って本気だったらしい。

 けれどそんな神威に既に慣れてしまった二人は、拗ねる神威を気にもしない。甘楽などは鉄格子に指を絡ませると、兵童の方に身を乗り出した。


「どうしたんスか? 兵童さん。何かありましたか」

「何かありましたかじゃねえだろ。いつまでもこんな暗いとこ居座ってられるか? 帝国の地下牢は、捕まったら最後生きては出られねえって話だぜ」

「……え」

「知らなかったのか、兄ちゃん」


 思わず反応した神威に、兵童はからかうように笑ってみせる。だが、それは笑いごとではなかった。

 帝国の地下牢――つまり此処――捕まったら最後――生きては出られない――

 神威の中で一瞬のうちに絶望的観測がなされる。臆病な性格に拍車もとい追い討ちをかけるように、地下には重い沈黙が降りた。


「……こ、こんなところで死ぬなんて嫌だよう……」

「俺だって嫌っスよ」

「馬鹿言え、俺だって嫌でえ。もう七年もこんな陰気臭いとこに閉じ込められてんだ」

「……え、兵童さん、どうして出なかったんですか……?」

「出られねえからに決まってんだろうが」


 やれやれと肩を竦める兵童に、神威は困ったように顔を歪める。

 更なる絶望的観測が、神威の脳裏を掠めた。出られない――此処で死ぬ――マーくんに怒られる!


「そ、そんなの嫌だよお! 絶対出てやる!」

「おー、燃えてるっスね」


 くわあと奇声を上げて葛藤する神威に、のんびりと言い放つ甘楽。その理由は怒られるという単純な理由からなのだが――神威はすっかりやる気を出して甘楽を睨み、強気に告げた。


「じゃあ甘楽さん! 出ましょう!」

「……どうやってっスか?」

「それは――」


 神威は一瞬押し黙る。


「――牢屋を壊すとか」

「壊せるなら苦労してねえだろ、兄ちゃん。此処は極悪人を閉じ込めておく牢だぜ? そんな簡単に壊れるようにはなってねえっての」

「う……だ、だったら、……頑張るとか」

「具体的にお願いしますよ神威さん」

「うあ……だって……」


 冷めた二人の射竦められ、神威は再び小さくなった。

 ――神威をじとっと見る二人はそんな彼を面白いと認識していたが、今はそれどころの話ではない。


「まあ、そんな心配すんなって。言われねえでも、七年のうちに方法くらい考えてあるからよ」

「え、でも、そしたら何で兵童さんは――」

「俺一人でこんなとこから出てもまた捕まるだけだからな。でもな」


 兵童はにかりと笑う。

 それは超のつく悪党とは思えない、人の好い笑みだった。

 神威は兵童を見据え、じっと黙って次の言葉を待つ。


「そうだな――兄ちゃん、もしあんたがほら吹きなんかじゃあなくて、例えば本物の《神殺しさま》だったとしたならよお」


 にかりと明るい笑みが、にやりと妖しく歪む。

 閉ざされた片目が、ウインクのようにも見え。


「賭けてみる価値が、あるんじゃねえのか?」


 それは兵童にとって精一杯の、神威への信頼の言葉であったに違いない。

 神威はそんな彼の言葉を、真摯に受け止めた。


「そう――だね」


 神威がこくりと項垂れ同意する。そして彼が再び顔を上げれば、その蒼い瞳には、先程とは打って変わった強い意志の光が宿っていた。

 海のように深く、空のように澄んだ瞳。

 全てを受け入れる優しい光は、凛として兵童を見据える。


「じゃあ……任せて下さい。僕が貴方たちを、責任を持って逃がしてみせますから」


 そしてここに――たった三人きりの、脱獄同盟が結成された。








 それをこっそりと見守る影があったのは、また別の話で――。


 未だ三人の知ることのない、もう一つの話。




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