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ぼくらは友だち

作者: 佐藤瑞枝

「今日、遅刻したんだって」

 帰るなり母さんが玄関に飛んできた。

「先生から連絡があったよ」

「あんたの足ならちょっと走れば間にあったろうに」

 そう言って母さんはため息をついた。

「まさか、カメ吉くんと一緒に行ったんじゃないだろうね」

 ぼくは、あわてて首をふった。


 亀屋の家の人と仲良くしてはいけない。生まれた時からそう言われて育った。和菓子店の「うさぎや」と洋菓子店の「Kameya」はとなり同士で商売敵だ。それだけじゃない。兎屋には、クリスマスに大福が売れないことよりももっと悔しいできごとがずっと昔にあったのだ。


 ひいひいひいじいちゃんが、徒競走で亀屋の息子に負けたのだ。


 理由は、途中で昼寝をして休んでしまったから。歴代一位の座を守り続けてきた兎屋が亀屋に負けたのは後にも先にもこの時だけだ。兎屋の歴史で唯一の汚点として語り継がれているこのできごとは、兎屋の教訓になっている。


「亀屋に負けたくなかったらさぼるんじゃないよ」


 口癖のように言って、父さんも母さんも毎日せわしなく働いている。ぼくも一日じゅうせかされる。


「さっさと宿題をやるんだよ」

「早くお風呂に入るんだよ」

「急がないと亀屋の息子に先を越されるよ」


 和室の壁にずらりと並んだ歴代の徒競走の写真には、父さんも、じいちゃんも、ひいじいちゃんも、一等の旗を持って誇らしげに笑っている。その旗を亀の子供が持っている白黒の写真が一枚だけある。ひいひいひいじいちゃんの代のものだ。胸をはって、しっかと旗を握りしめている亀屋のひいひいひいじいちゃんの横で、ぼくのひいひいひいじいちゃんは、ぺろりと舌を出して笑っている。負けたのに、ちっとも悔しそうに見えない。


 「うさ助じいちゃんはちょっと頭が足りなかったのさ」

 父さんはそう言うけれど、ぼくはずっと気になっている。写真のひいひいひいじいちゃんの笑顔の理由。


 来月、ぼくは徒競走に出ることになっている。対戦相手は、もちろん亀屋のカメ吉くんだ。ぼくらは生まれながらのライバルで、宿敵だ。けれど、ぼくはカメ吉くんのことを一度もそんなふうに思ったことがない。ぼくらは仲良しだ。毎朝、お互いの店から見えない場所で待ち合わせて、一緒に学校へ行っている。父さんや母さんには内緒だ。ばれたらきっと叱られる。


 カメ吉くんと仲良くなったのは、小学校に入ってから、ぼくが忘れ物をとりに学校へもどった時だ。カメ吉くんはまだ学校に残っていた。頭にハチマキを巻いて、せっせとグラウンドを走っていた。

「何しているの?」

 ぼくが近づいて声をかけると、

「見ればわかるだろう。徒競走の練習をしているんだ」

 カメ吉くんが言った。ぼくはびっくりした。徒競走は三か月も先だったから。

「走るのが好きなの?」

 だから、ぼくは聞いてみた。

「まさか。練習しないと叱られるんだ」

 カメ吉くんは言った。

「ずっとがんばれ、がんばれって言われてる」

「がんばれば兎屋に勝てるからって」

 ぼくは、ますますおどろいた。

「おんなじだ」

 思わず声に出ていた。

「ぼくも毎日叱られてばかりさ」

 そう言うと、今度はカメ吉くんのほうがおどろいてぼくを見上げた。

「のんびりしていると亀屋に先を越されるよ」

「サボったらあとで後悔するからね」

 母さんが怒った時の声まねをして言うと、カメ吉くんがくすっと笑った。

「おんなじだ」

 カメ吉くんも言って、ぼくたちは手をとりあった。ぼくたちが仲良しになったのはこの時だ。

その日、ぼくはカメ吉くんと一緒に帰った。十分もかからない帰り道は一時間以上もかかったけれど、楽しかった。ぼくたちはたくさん話したし、たくさん笑いあった。カメ吉くんは、ぼくが知らないものをたくさん知っていた。道ばたに咲いている小さな花たち。食べ物を巣に運ぶアリの行列。誰かが忘れていった小さな手袋。今までぼくが気づかなかったものばかりだ。


 徒競走の日、昨日まで降っていた雨が嘘のようにすっきりと晴れ、スタート地点には、兎屋と亀屋の親戚が大勢集まっていた。徒競走のコースは昔父さんが走った時と変わらず、丘をのぼり、てっぺんにそびえたつご神木のまわりを一周しておりてくる。


「うちのピョン太は主人が子供の頃より走るのが早いの」

「うちのカメ吉はあのひいひいひいじいちゃんより努力家だって言われてるの」

「勝敗は決まったようなものね」

「それはこっちのセリフ」

 

 ぼくとカメ吉くんをよそに、みんな好き勝手に言っている。ぼくは、カメ吉くんを見た。カメ吉君もぼくを見てうなずいた。


 よ~い、どん。


 ピストルが鳴って、ぼくは先に走り出した。カメ吉くんとは途中で待ち合わることになっていた。マリーゴールドの咲いているところ。ぼくはその花を知らなかったけれど、オレンジ色で、近くに行けば臭いにおいがするからすぐにわかるとカメ吉くんが教えてくれた。カメ吉くんは、もう五回もこのコースを練習で走ったそうだ。


「ピョン太、その調子」

「カメ吉、がんばれ」

「優勝したらイチゴ大福でお祝いだよ」

「いやいやイチゴはショートケーキだ」


 母さんたちがバチバチするさけび声が聞こえた。カメ吉くんのことが気になって、ふりかえりたかったけれど、父さんや母さんから見えるところではだめだ。ぼくは前に進み続けた。

 

 待ち合わせの場所にカメ吉くんがやってきた時、カメ吉くんは汗びっしょりだった。マリーゴールドをかきわけて入っていくと、小さな水たまりがあったので、ぼくは手のひらにすくってカメ吉くんの甲羅にかけてやった。

「見て。空がうつっている」

 カメ吉くんが水たまりをのぞいて言った。

「ほんとうだ」

 水たまりにうつった空に、ゆっくりと雲がながれていた。こんなふうに空を見下ろすことができるなんて、カメ吉くんはほんとうにすてきなものを見つけるのが得意だ。

「もう少し行くと、きれいな石があるよ」

 カメ吉くんはそう言って、また走り出した。道はだんだん険しくなって、きつい坂道が続いていた。カメ吉くんは息を切らしながら進み、ぬかるんだ段差の前で立ち止まった。

「よし」

 カメ吉くんは勢いをつけてジャンプした。けれど、なかなか手が届かない。しがみついては滑り落ちる。それを何度も繰り返していた。

「この前はうまくいったのにな」

 きっと昨日の雨でよけいに滑りやすくなっているのだ。

「押してあげる」

 カメ吉くんのうしろにまわり、ぼくがおしりを持ち上げてやった。

「ありがとう」

 カメ吉くんがニコニコ笑ってぼくを見ていたので、ぼくはちょっぴり照れた。続いてぼくもジャンプして段差に飛び乗った。


 カメ吉くんが教えてくれた石はそこから少し進んだ砂利道にあった。灰色の砂利の中で、その石だけがキラキラと光っていた。まるで宝石みたいだ。思わず手にとってズボンのポケットにしまおうとすると、

「だめだよ、持って帰っちゃ」

 カメ吉くんが言った。

「どうして」

 と聞くと、

「楽しみが減るから」

 カメ吉くんが言った。また丘をのぼる時、その石があったらがんばれるから。カメ吉くんはそう言った。

「ほんとうにそうだ。カメ吉くんの言う通りだ」

 ぼくは感心してしまった。


 丘のてっぺんは、さえぎるものが何もなくて、気持ちいい風がふいていた。ご神木の前に立って空を見あげると、雲に手が届きそうだった。ぼくはご神木の根元に寝そべって空を見あげた。カメ吉くんもぼくのとなりにやってきて、短い首をめいっぱい伸ばして空をあおいだ。

「気持ちいいなぁ」

「気持ちいいねぇ」

 ぼくとカメ吉くんはかわるがわるそう言って、いつまでも空を見ていた。

「こうしていると、どんどん時間がすぎていくね」

「ひいひいひいじいちゃんもこうやって空を見ていたのかなあ」

ぼくは、ひいひいひいじいちゃんのことを思った。こうして空を見ていると、ひいひいひいじいちゃんが近くにいるみたいだった。


「ねえ、カメ吉くん。ぼくたちのひいひいひいじいちゃんは、どんな人だったんだろう」


 ぼくが言うと、カメ吉くんはじぃっと空を見つめていった。

「ぼくのひいひいひいじいちゃんは、まじめでいっしょうけんめいだったと思う」


「じゃあ、ぼくのひいひいひいじいちゃんはどうだろう」


「わからないよ。会ったことがないもの」

 しばらく考えて、カメ吉くんが申し訳なさそうに言った。


「ぼくは、今までぼくのひいひいひいじいちゃんは徒競走の途中で昼寝をしちゃうようなさぼりやだって思ってた」

「でも、今はちがう。ぼくのひいひいひいじいちゃんは、早く走るだけじゃない大切なものがたくさんあることを知っていたんだ」

 ぼくが言うと、カメ吉くんは興味深そうにぼくの顔を見た。


「今日、ぼくはカメ吉くんと一緒に走って、急いでばかりいては気づかないことがたくさんあるってわかった。水たまりに映る空。宝石みたいに光る石。カメ吉くんと一緒じゃなかったら気づけなかった。ひいひいひいじいちゃんは、もうずっと昔にそのことをわかっていたんだ」

 

 ぼくが話し終えるまで、カメ吉くんはじっと聞いていてくれた。それから大きくうなずいて、

「ねえ、こういうのはどう?」

 そう言って話しはじめた。

「ピョン太くんのひいひいひいじいちゃんとぼくのひいひいひいじいちゃんは仲良しだったんだ。ピョン太くんのひいひいひいじいちゃんとぼくのひいひいひいじいちゃんはお互いすてきなものを見つけては、教えあっていたんだ」

 カメ吉くんの話を聞いていたら、仲良く笑いあっているひいひいひいじいちゃん同士の顔が本当に見えるみたいだった。それから、ぼくたちは互いに言い合った。


「ぼくは、カメ吉くんとずっと友だちでいたい」

「ぼくも、ピョン太くんとずっと友だちでいたいよ」


 風が、やさしくおなかをなでていった。眠りをさそうやわらかい毛布みたいだ。もうすぐ丘をおりないといけないのに、まぶたが閉じるのをがまんできなかった。ふと横を見やると、カメ吉くんはとっくにすやすやと寝息をたてていた。


 ぼくは花畑でカメ吉くんと遊んでいて、さらさらと音のする方へ近づいて行った。流れているのは光る石だった。なん百もなん千も、数えきれないほどのたくさんの石が流れていた。

「すごい。天の川みたいだ」

 すぐにカメ吉くんを呼んだ。大きな声で「見て」とさけんだら、その声で目がさめた。あたりはすっかり暗くなっていて、空に一番星が光っていた。


 大変だ。みんなゴールでぼくたちのことをまだかまだかと待っているはずだ。急がなきゃいけない。ぼくはカメ吉くんを揺り起こした。

「夢を見ていたよ」

 半分だけ目をあけて、カメ吉くんが言った。

「光る石がね、川を流れていたんだ」

「数えきれないくらい」

「知っているの?」

「ぼくたち、同じ夢を見たんだよ」

 カメ吉くんはおどろいていた。

 ぼくは、カメ吉くんを背中に乗せた。身体は小さいけれど、カメ吉くんは案外ずっしりと重い。そのせいで高くは飛べなかったけれど、ぼくは一生懸命走った。

「ごめんね」

「ぼく重いよね」

 カメ吉くんの泣きそうな声を背中で聞き、

「ぜんぜん」

「ちっとも重くなんかないよ」

 ぼくは、はじめてカメ吉くんにうそをついた。


 ぼくは走った。途中つまずいて転び、左の足をねんざしたけれど、平気だった。ぼくは止まらなかった。やがて、ゴールが見えてくると、父さんや母さんのさけぶ声が聞こえた。

「帰って来たぞ」

「ふたりいっしょだぞ」

 背中からカメ吉くんをおろし、ぼくたちは手をつないでゴールテープをきった。

「兎屋と亀屋、ふたりとも一等!」

 審判がさけんだ。


「探しにいこうとしたのよ」

「心配かけて」

 次々言われて、ぎゅうっと抱きしめられた。カメ吉くんも頭をくしゃくしゃになでられ、抱きしめられていた。


 「さあ、記念撮影だ」

 父さんが言って、すぐに和室に飾られているあの写真のことだとわかった。いったいどんな写真を撮るのかぼくもカメ吉くんもわくわくした。

オレンジ色とむらさき色の折り重なる空をバックに、ぼくは、カメ吉くんと並んだ。ふたりして一等の旗をしっかりと握り、カメラを見つめた。

「まるで月面着陸した宇宙飛行士だな」

 父さんが言ってシャッターを切った。

「うん、いい笑顔だ」

 父さんが言うと、

「歴代、いちばんのね」

 母さんも、カメ吉くんの家族も、みんながそう言った。


 その晩、ぼくの家にカメ吉くんの家族が集合した。カメ吉くんがぼくの家に来たのははじめてだ。ぼくたちはみんなで鍋をかこみ、食後にカメ吉くんが持ってきたいちごのショートケーキを食べた。はじめて食べたショートケーキは、甘くて、ふんわりしていて、口の中でとろとろにとろけておいしかった。

「うちの和菓子も日本一うまいぞ」

 父さんはそう言って、カメ吉くんに大福をすすめた。カメ吉くんも大福は初めてだと言い、ほっぺたをふくらませてもぐもぐ食べていた。

「カメ吉くん、ゆっくりお食べ。のどをつまらせるよ」

「ピョン太もそんなに急いで食べないよ」

 母さんがそう言ったので、ぼくはおかしくなってふきだしてしまった。

「なんだい、この子ったら」

「だって。急がなくていいって聞いたの、はじめてなんだもん」

 ぼくたち家族は遅くまで食べて飲んでおしゃべりをして過ごした。食事のあと、父さんがぼくたちの写真を和室に飾るとみんなが拍手した。ひいひいひいじいちゃんが、一瞬ウィンクしたように見えた。


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