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4話 あとひとつの奇跡

 ようやく夏休みに突入したある日、俺は彼女と眺めていた週刊誌の中からその記事を見つけた。

「これ行こうぜ!」

 このあたりでは有名な花火大会だ。一万発の花火が一時間かけて打ち上げられるのを、海岸から眺めることが出来る。

「花火とか好きなの?」

「嫌いな奴がいるか?」

 少し考えた朝比奈は、苦笑しながら首を横に振った。


 花火大会の日、海岸は人でごった返していた。その間を縫いながら俺たちはあちこちの屋台を彷徨う。

 ヨーヨー釣りも射的も朝比奈は随分と不器用だったから、俺が代わりに身体を乗っ取ってこなしてやった。コアラのマーチと小さなラムネを手に入れた彼女は随分と嬉しそうだった。

「暑いね」

 そう言いながら朝比奈は手でぱたぱたと顔をあおぐ。

「そうか? 俺は別に何も感じないぜ」

「こういう時は暑いって言ってほしいな」

「わかった。暑い暑い暑い暑い」

「心がこもってないなあ」


「かき氷あるぜ。あれ食ったら冷えるんじゃないか」

 指さした先に出来ている列に並び、無事にメロン味のかき氷を手に入れる。彼女はストローの先でそれをすくい、美味しそうに口に運ぶ。もちろん俺は、それを傍からぼけっと見ているだけだ。

「羽月くん、食べてみる?」

「何言ってんだよ。俺がもの食べれるわけないだろ」

「だから、私の体使っていいよ。それでも感覚わからないかな」

 彼女の体を使えば、俺は感覚を共有することが可能だ。本来の声ではないが人と喋ることもできるし、温度を感じることもできる。

「……いいのか?」

 しかし、彼女が自分から俺が乗り移ることを提案するのは初めてのことだった。

「いいよ。というか、今更だよ。散々私の体で好き勝手してきたじゃない」

 くすくすと彼女は笑う。その言葉に甘えて、俺は彼女に重なった。

「うま!」

 思わず声を上げると、自分の中で笑う声が聞こえる。目を丸くする俺の様子に、彼女が可笑しそうに腹を抱えている。

「かき氷ってこんなに旨かったんだな。しかもつめてえ」

 舌先がじんと痺れる。今は足先にも地面からの熱気が伝わって来る。俺の手はきちんとカップを持っている。指先にこぼれ落ちた氷の破片が冷たくて心地よい。

「でしょ。私も何年ぶりかだけど、すごく美味しい」

「ただの氷にシロップかけただけなのに、不思議だよな。やべえ。ほら、朝比奈も食えよ」

「いいよ、折角だから羽月くん全部食べなよ」

「じゃあ、交代な。半分ずつな」

 傍から見れば、ひとりで二人三脚の台詞を並べ続ける危ない女子高生の姿だ。それに俺が気づいたのは、最後の一口を譲り合って結局もらったあとだった。心なしか周囲から人が減っているようだったが、朝比奈は何も言わなかった。


 この日は、俺がこの世に留まれる最後の日だった。


 俺たちはこっそり灯台に上った。ここの鍵が開いている事を知っている奴は他にはいない。誰もいない、特等席だ。

 花火が上がりだす。きらきらと輝く炎の花が、海面を明るく照らし海の中に消えていく。大勢の歓声や拍手の音が海岸から風に乗って聞こえてくる。

「すごいな」

「うん。すっごく綺麗」

 俺たちはしばらく花火に見とれていた。ちらりと横を見ると、隣の朝比奈の瞳の中で光が瞬くのが見えた。俺の視線に気付いた彼女は、にっこりと笑って伸びをする。いつの間に、そんなに笑えるようになったんだろう。

「終わっちゃうね」

 何が終わるのか、俺にもわかっていた。

「楽しかったなあ」

 俺も、と呟いた。

「もっと、一緒にいたかったなあ」

 え、と俺は声を漏らした。朝比奈が俺の名前を呼んだ。

「一緒に、連れて行ってくれないかなあ」


「どういう意味だよ」

「あの時、私がどうしてここに向かってたか知ってる?」

 なんだか嫌な予感がする。朝比奈はにこにこ笑っているのに、花火は今でも上がっているのに、俺の背を温度のない汗が伝う。

 彼女は、肩に下げていたバッグから一冊のノートを取り出して広げてみせた。それはあの時、俺の目の前から慌てて隠したノートだった。


 ――今まで、ありがとうございました。


 不穏な言葉が一筋。

「朝比奈、お前、まさか」

「私ね、全部どうでもよかったの。友だちのつくり方もわからなかった。笑い方だって忘れてた。もうそれにすら困らなかった。諦めてたんだ」

 嘗ての幽霊少女は、ここを最期の場所に決めていた。彼女の決意を邪魔したのは、皮肉にも幽霊になった俺だったのだ。

「でもそれは、もう昔のことだろ。過ぎたことじゃねえか」

 俺は勢い込んで前のめりになる。

「今はもう、挨拶する相手だって学校にいるだろ。もう少しすれば、もっと友達だってできる。現に朝比奈、こうして俺の前でよく笑ってるじゃねえか」

「それはね、羽月くんがいるおかげだよ。君が乗り移ってくれてるから。私一人だったら、勇気なんて出ない」


「嘘つくな!」

 彼女に潜む幽霊が顔を出しかけるのを、俺は一喝した。幽霊のくせに、花火に負けない大声を彼女に叩きつけた。

「気づいてないのか、もう俺はほとんど手なんて貸してない。朝比奈ひとりで充分やっていけるようになってるんだぜ」

 一瞬ひるんだ朝比奈は、首を軽く横に振る。悔しそうに下唇を噛んで。

「それは、安心してたからだよ。いざとなったら君が助けてくれるって、思ってたから。君の明るさがそばにあったから、いつもやり方を教えてくれたから、私はその真似をしてただけなんだよ」

 俺は何かを言おうとした。なのに、「それに」と彼女は俺の言葉を遮る。

「羽月くんが、死んじゃったから!」

 意味のわからない言葉に、俺はぽかんとする。

「私は、羽月くんが、大好きなんだよ!」


 へ、と変な声が漏れた。こんな時に何言ってるんだよ。そんな突っ込みすら出てこない。

「入学したとき、初めて見た時から、ほんとは好きだった。でも、いつも明るくて笑ってる君が遠くって、私なんか嫌われるって思って、一度も言えなかった。その間に、君は死んじゃった」

 朝比奈は、泣いていた。溢れる涙を両腕で一生懸命に拭っていた。

「君の笑顔が見られるから、私はなんとか学校に行ってたの。それなのに、勝手に死んじゃって……バカだよ、羽月くんは。大馬鹿だよ!」

 俺とおんなじだ。小倉に告白できなかったことを悔やむ俺と、本当の気持ちを言えなかった朝比奈と。後悔していたのは、二人ともだったんだ。

 その悔しさは、痛いほど理解できる。

 あの日、朝比奈が彼女たちに声を荒げた理由がようやく理解できた。


「だからね、嬉しかった。私にだけ視える君が現れてくれて。こんな力、ずるいよね。でも、そんな罪悪感を忘れられるぐらい、楽しかった」

 ああ、俺はやっぱり馬鹿だ。小倉たちの言うとおりだ。

 こんなに想ってくれる女の子が限りなく傍にいたのに、生前も死んでからも言われるまで気付かなかったなんて。

「俺も、楽しかったよ。ここから消えるなんて本当は嫌だ。俺だって、ずっとこうしてられたらって、思ったよ」

 初めは、さっさと成仏してこの場から消えてしまいたいと思っていた。その考えが消滅していたのはいつの間にか。

「でもな、朝比奈。急がなくたって、俺たちは必ずまた会えるんだ」

 俺は、消えた足で一歩一歩近づく。相手に触れられない指先で、朝比奈の目元を拭った。呼応するように、彼女の瞳からぽろりと雫がこぼれた。

「朝比奈がそうやって俺の方へ来て……だけどそうすれば、それを悔しく思うやつがいるはずだ。俺たちが後悔したように、朝比奈のことを考えて、想ってくれる相手がいるはずなんだ。だからさ、今は生きてそいつに応えてやれよ。見つからなければ作るんだ。俺、散々やり方教えただろ? 大丈夫だ、絶対に」


 彼女はまるで、幼い子どもみたいだった。もう堪えることなんか忘れて、ぼろぼろと涙をこぼしていた。

「俺は、朝比奈かすかが一生笑って生きてくれることを願う。待ってるから。ずっとずっと」


 朝比奈の喉から嗚咽が漏れ出す。もう、彼女の体から幽霊はすっかり抜けていた。その身体を抱きしめられないことが、悔しいなと思った――。


 ――花火は上がっている。歓声が聞こえてくる。俺たちは手すりにもたれて、その光景を眺めている。


 泣き腫らした目を拭った彼女は、恥ずかしそうに笑った。

「ありがとう、羽月くん。君にはお世話になりっぱなしだね」

「なんだよ、急に。俺が好き勝手してるって、さっきは言ってたくせに」

 笑う彼女が肩にかけ直したバッグから、ノートがするりと抜けていった。「あ」の形に口を開いた朝比奈は、それを取ろうと腕を伸ばす。

 パキ、と妙な音が響いた。

 古びた灯台の手すりはすっかり錆び付いていた。彼女が、地面に落ちるノートへ手を伸ばし、体重をかけた拍子に、傷んだ部品は都合悪く限界を迎えた。


 あっという間だった。

 彼女の目が、驚きに見開かれたまま、こっちを向いた。

 俺は見えない足で、コンクリートを蹴った。


 展望台から地上までは随分な高さがあるのに、たちまち地面が近づいてくる。ぎゅっと目を瞑った彼女を触れられない両腕で抱きしめて、自分の胸にその頭を押し付けて、聞こえるようにと願った。

「大丈夫。俺がついてる」

 俺と朝比奈が繋がり合えたのは、きっと奇跡だ。彼女に幽霊が見えたのも、あの日にこの場で出会ったことも、全てがありえない奇跡の技だったんだ。偶然ではない、必然の。


 どうか、あと一つだけ。もう一度だけ、奇跡よ、起きろ。

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