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2話 朝比奈さんと羽月くん

「ねえ、羽月くん、いつまでいるの」

「んー。成仏するまで」

 朝比奈の部屋は片付いていて、面白いものはなさそうだった。幽霊少女の趣味といえば、本棚に並んだクラシックのCDくらいだろうか。あとは文庫本と漫画本が数冊。

 本を持てない俺は、彼女が開く漫画本を横から覗き込むしかなかった。生きてれば息のかかる距離。というか、三分の一くらい被ってんだけど。

 彼女がページをめくる手がやけに速くなった。一ページ戻してくれと言いかけて、俺は彼女の頬が若干赤らんでいることに気がついた。

 なるほど、照れてるんだな。

 ありふれた青年漫画の、ちょっとしたそういうシーン。といってもパンチラ程度の子ども騙しなんだけど。残念ながら、今の俺には三大欲求というものが存在しなかった。腹も減らなければ、眠くもならない。よく、死んだら風呂を覗きに行くという展開があるが、そんな気にもさらさらなれない。男も女も形態上の違いだけ、大した差はありはしない。まあ流石に、男のパンチラは勘弁して欲しいが。

「照れてるな」

 耳元で低く呟いてやると、「ひゃっ」と声を上げて朝比奈は飛び上がった。大人しいくせにリアクションは人一倍だ。

「そっ、そんなこと」

「顔赤くなってるし」

 きししと笑ってやると、彼女はもう顔を真っ赤にして本を投げつけてきた。だが勿論、それが俺に当たるわけがない。

「効かない効かない、そんなもん……ぶわっ」

 突然、粉っぽい感触が顔面に吹き付けられ、俺は声を上げた。なんだか苦しい。呻きながら床に転げると、スプレーの先をこっちに構えてきょとんとしている彼女と目が合った。

「なん、だよ。それ」

「ファブリーズ。噂は聞いてたけど、まさかほんとに効くなんて」

 市販のそれをシュッシュと撒き散らすものだから、俺は情けなく逃げ回るしかなかった。除霊されるとは、こういう感覚なのか。



 朝の靴箱。多くの生徒が行き交い、一日の始まりの挨拶を交わしている。

「おはよう」

 隣で靴をしまっているクラスメートに声をかけた朝比奈かすかは、相手の返事も待たずに足早にその場を去っていった。

「なになに何で。何やってるの?」

 混乱に陥り頬に手を当てる彼女は、またしてもすれ違う同級生に挨拶をする。「おはよう」。そうそう、きちんと笑うのも忘れないで。ほら、向こうもつられて挨拶した。この調子だ。朝比奈は急いでトイレに向かう。そういえば、女子トイレって初めて入ったなあ。


「羽月くん、ふざけないでよ」

 どの個室も空っぽみたいだ。その一つに入った朝比奈の前に俺は逆さまにぶら下がる。

「ふざけてなんかねえよ」

「ふざけてるじゃない。私の体で遊ばないでよ」

「おはようだなんて、別に普通のことだろ。それよりホームルーム始まるぞ、遅刻したらめんどくさいぜ」

 俺の言葉を肯定するように予鈴のチャイムが鳴った。ぐぬぬ、と唇を噛んで少し考えた彼女も、仕方なく個室を出て教室に向かった。


 この日から、朝比奈かすかの口数はほんの少しだけ増えた。挨拶をしておきながら真っ赤な顔をする女の子になった。


「なあ、寄り道とかしないのかよ」

 ある日の帰り道、俺の提案に朝比奈は怪訝な顔をした。

「寄るところなんて、ないよ」

「なくてもいいんだよ。朝比奈なら、本屋とか行かないのか」

「欲しい本とか、今ないし……図書室で十分だし」

「あーもう、いいの。俺が暇なの」

 半身乗り移って足をむりやり繁華街のほうに向ける。随分慣れっこになってしまった彼女も、ため息をつきながら自分でそっちの方に歩いてくれた。


「こっち行こうぜ、こっち」

 隣を歩きながら――厳密には違うんだけど、漂いながら俺は彼女の肩を指先で叩いた。気合を入れれば、僅かながら物に触れられる。例えば、こうしてちょこっと相手を振り向かせたり、置いてあるコップを落としたり。こういうのを心霊現象とかいうんだろう。

「私、こんなとこ行かないよ」

「入るだけだって、な」

 やかましいゲームセンターの前で口を尖らせる朝比奈は、俺に付き合って中に入ったはいいものの、ちっとも気乗りしないらしかった。俺もゲーセン自体は友人とたまに遊びに来るぐらいで特別な思い出なんてなかったけど、久々に学校外の活気のある空気を感じて少しわくわくしていた。


「これ、朝比奈すきなんじゃないか?」

 UFOキャッチャーの中には、彼女の部屋で見かけた犬のぬいぐるみが並んでいる。彼女がそっちを向いて一度目を見張ったのを俺は見逃さなかった。抱えるぐらいのそれが、絶妙な位置関係で鎮座している。

「でも、私こういうの取れないし……」

「やってみろよ。取れるかもしれないだろ?」

 わかりやすくぐずぐずと躊躇っている彼女を見かねたのか、若い青年店員がやってきた。

「えっと、あの、やるって決めたわけじゃ」

 配置を変えようかという店員の申し出に、これまたわかりやすく彼女は驚いて歯切れの悪い返事をする。

 その隙に思いついた俺は、取り出し口から台の中に侵入する。「あっ」と彼女が顔を上げると、店員もつられて訝しげな顔を向ける。

 バンと音を立てて、俺は中から叩くようにプラスチックのケースに張り付いた。ケースに押し付けた俺の変顔が可笑しいのか、口元に手を当てて笑いをこらえる彼女の横で、何事かと店員が目を見張っている。俺の姿は視えなくとも、音は聞こえるんだ。


 この店員に恨みはないが、俺はぬいぐるみの一つが突き出している短い前足を振ってみせる。不器用に手を振るそれを見て、「えっ」と店員が声を上げて身を引いた。

 俺は中から、指先でケースを軽くつつく。先にあるのは百円玉の投入口。

 言いたいことを理解してくれた朝比奈は、鞄から財布を取り出して硬貨を二枚投入した。軽快な音楽が鳴り出し、彼女がボタンを押した通りにアームが右方向へと動き出す。

 宣言通り彼女の手際はよろしくなく、下り立ったアームは犬の耳を引っ掻いただけで再び上がっていく。

 その爪に引っ掛けるように、俺はぬいぐるみの片腕を持ち上げて誘導した。まるでぬいぐるみが自分でアームを握り締めてぶらさがってるみたいだ。取り出し口の真上に来たところで、その犬を抱えてくるりと回し、ぱっと手を離す。

 明らかに不自然な動きをして、無事にぬいぐるみは取り出し口に落下した。

 店員の悲鳴が、やかましいゲームセンターに響き渡った。


 店を出て、俺たちは顔を見合わせて大声で笑った。両腕でぬいぐるみを抱える朝比奈も、珍しく声を出して笑っていた。

「羽月くんって、不良だね」

「だろ? でも朝比奈も同罪だぜ」

 腕の中にいる犬のぬいぐるみを指差すと、彼女はどこか挑戦的な目をしてこっちを見る。

「……たまにはいいね。寄り道も」

 俺が突き出した拳に、彼女も少し迷いながら拳を向ける。ぶつかりかけてすっとすり抜けてしまう、それが可笑しくて俺たちはまた笑った。

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