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勇者よりも大事な人

作者: 瑞紀

 カラン。乾いた音がした。


 (ひざ)をつく屈強(くっきょう)な男。その喉元(のどもと)には、刃を(つぶ)した試合用の剣が突きつけられている。


 彼が持っていたはずの剣は、少し離れたところに転がっていた。


 対戦相手だった相手には目もくれず、一人の男が堂々と立っている。


「二回戦第五試合。勝者は前回王者、ライ!」


 審判(しんぱん)が叫ぶ。


 一瞬の静寂。直後にわきあがったのは、歓声(かんせい)ではなく、ブーイングの嵐だ。


 手の(こう)で乱暴に汗をぬぐったライは、後ろを振り返ることもなく、会場を後にした。


 誰の評価も気にしないその背中。


 それがどこか寂しそうに見えるのは、きっと私の気のせいか、願望なのだ。




「勇者」という言葉が名ばかりになったのはいつからなのだろう。


 (いにしえ)の時代の勇者は、歴史に名を刻むような英雄だった。


 誰もが認め、(たた)える伝説の存在。誰よりも勇敢(ゆうかん)で、圧倒的(あっとうてき)な実力をもつ戦士たちが、名を(つら)ねている。


 でも、現代の「勇者」は違う。


 年に一度開かれる闘技(とうぎ)大会で、優勝した者に贈られる称号(しょうごう)、それが現代の「勇者」だ。


 本物の勇者たちのお陰ですっかり平和になった世界で、退屈した市民のためのお遊び。


 普段は奴隷(どれい)たちが命を(けず)り合うこの場所で、死なない保障(ほしょう)のもとに戦う。ルールの中で行われる、あくまで娯楽(ごらく)のためのイベントだから。


 力自慢の男たちが自分の力試しにぶつかり合い、観客はそれをハラハラしながら見守る。




 ライは、私の婚約者だ。……そして、何代目かの「勇者」でもある。


 私とライはいわゆる幼馴染(おさななじみ)というやつだ。ライは私の2つ年上。


 親同士の仲が良かったから、幼い頃からそれなりの親交があった。


 最初は友達のように、兄妹のように過ごしていただけだった。


 きっかけは何だっただろうか。そう、たしかアンナがこう言っていたのを聞いたのだ。


「ライって、カッコいいよね。彼女とかいるのかな」


 その時私が何と言ったのかは覚えていない。そうだね、と言ったのか、知らない、と言ったのか、はたまた違うことを言ったのか。


 ひとつだけ確かなのは、私がそれを「嫌だ」と思ったこと。他の女の子と笑い合ってキスをするライを想像したときに、覚えた胸の痛みは、(まぎ)れもない嫉妬(しっと)だった。


 こうなってしまっては、他の同年代の異性とは明らかに違う気持ちを抱いていることに、気がつかないわけにはいかなかった。


 それが1年ほど前のことだ。


 半年前に両親からライとの結婚の話を提案された。


 都合の良い夢を見ているのかと思ったけれども、そうではなかった。この時ほど、親同士の親交をありがたく思ったことはない。


 ライと、結婚できる。


 私は一も二もなく頷こうとして、やめた。


「ライがそれを望むなら」


 私の答えに、両親は満足そうな笑みを浮かべた。すべてわかっている、とでも言いたげなその顔には少しムッとしたが、何も言わないでおいた。


 だって、ライと結婚できるのだ。そんな些細(ささい)なことには寛容(かんよう)でいられもする。


 あとから聞いた話だが、ライも同じ日に同じ話を持ちかけられたのだという。そして、ライもその提案に乗った。


 私たちは無事に婚約した。


 劇で見るような大恋愛とはほど遠い。でも、私はたしかにライのことを愛しているし、それはライも同じだと信じている。




「勇者」の称号を初めてライが手にしたのは3年前、彼がまだ10代半ばだった頃。史上最年少の優勝者に、国中が熱狂(ねっきょう)した。私もそんな中の一人だった。


 人が殴り合ったり蹴り合ったりして傷つけあうのを見るのは嫌いだった。


 お父様に連れて来られて、いやいやながら観戦していた私だったが、彼の姿には目を奪われた。


 ライの戦う姿は無駄がなくて、本当に綺麗だったから。


 あの時のことは今でも鮮明(せんめい)に覚えている。


 熱気がこもった闘技場。さっきまで繰り広げていた死闘(しとう)(あかし)のように、砂ぼこりが舞っている。


 周りを囲むように円形に作られた観客席から、声援(せいえん)と、祝福の拍手が降りそそぐ。


 それ以来、ライはずっとこの「勇者」の地位を守り続けている。


 2年目は良かった。連覇(れんぱ)を狙うライを応援してくれる人が大勢いた。再び「勇者」の称号に輝いたライには温かい祝福の言葉と拍手が贈られた。


 3年目には、どこか冷めた拍手だけが寄越された。もう、誰もライを見ていなかった。


 婚約も決まったことだ。きっとライは大会には出ないだろう。恐らく誰しもがそう思っていた。


 ねぇ、今年はもう出なくていいんじゃないかしら。私がそう言おうとしたのを見計らったようなタイミングだった。


「結婚は、俺が四度目の『勇者』になるまで待ってほしい。必ず勝って見せるから」


 思いつめたような顔でライは言った。私は返事に困ってしまった。


 闘技大会(とうぎたいかい)の歴史はそう長くはないけれども、四回連続で優勝した人は今まで一人たりともいない。


 正直なところ、大会に出てほしくなんてない。いくら命の心配はなくても、怪我(けが)をするかもしれない。


 何より、望み通り「勇者」の称号を手にしながら、笑顔の一つも浮かべないライをもう見たくはなかった。


 それでも、私は、いいよ、と頷いた。


 前人未踏(ぜんじんみとう)偉業(いぎょう)を成し遂げようとする彼を止める言葉を、私は持ち合わせていなかった。


 ライが望むことなら、支えてみせようではないか。私が弱音をはいていてはライも気にするだろうから、やめた。前向きな言葉で、堂々と彼を応援しよう。


 ライを応援する人がいないなら、私が味方になろう。私がライの心を守ってみせる。




「今年の優勝もまた『勇者』かよ?」

「つまんねぇの、今年こそ誰かあいつをぶっ飛ばしてくれねえかなぁ」

「さっさと親父の跡でも継いで大工になればいいのに」


 試合を終えたライの元に少しでも早く向かいたくて走る。待機場所に行く途中、そんな会話が耳に入った。


 会話をしているのは、出場者ではない。そうだったらどれほどいいか。彼らはただの観客にすぎない。


 そして、その言葉はまさしく、この会場の大多数が考えているのと同じだろう。


 観客が味わいたいのはスリルだ。圧倒的(あっとうてき)な強さを持つ勇者なんて、誰にも求められてはいない。


 目を逸らし、まっすぐ歩き出す。


 今までにこの大会で四連覇(よんれんぱ)()()げた者はいない。


 その理由を、私は単純に実力の問題だと思っていた。でも、意外とそうではないのかもしれない。


 実力とは離れた、もっと別の理由があったのだろう。




 ()()さる視線を無視して、参加者の待機場所にたどり着く。


 参加者は、ライへの敵意(てきい)を隠しもしない。彼の努力も才能も、褒める人は誰もいない。


 周りを見渡すが、探している姿は見当たらない。


 あと何回戦えば、ライは解放されるのだっただろうか。暑さで馬鹿になった頭でそう考えた時だった。


「リリー、なんでこんなところに」


 探し求めた声がした。


 声がした方を振り向くと、思った通りライが立っていた。汗で赤みがかった茶髪が額に貼りついている。


「婚約者に会いに来ちゃいけませんの?」


 堂々と、強気で言い放つ。私がしゅんとしていたら、ライが気に病んでしまう。私がしっかりしないと。


 ライは困ったように眉を寄せる。


「ダメ、とは言わないけど……。ここはお前が来るような場所じゃ」

「でも」

「とりあえず場所を変えるぞ」


 有無を言わせずに、ライは私の手を引いて歩き出した。分厚い手は、ごつごつしている。それなのに歩調は不自然にゆっくりで、不器用な優しさに頬が熱くなる。


 どうしてこんなにも優しいあなたが、つらい思いをしなくてはならないの。定められたルールの中で、正々堂々と戦っているあなたが。


 人が少ない場所で足を止める。ライは長く息を吐いた。


「こういうの、苦手なんだろ。無理して見なくていい」


 こういった場が苦手だと伝えた記憶はないのだが、気づかれていたらしい。一瞬本当に、試合を見ないで済ませてしまおうかと考える。


 でも、ライが頑張ると決めて努力していることから目を背けたくない。その一心で、平気なふりをする。


「あなたの活躍するところですもの。見るに決まっています」

「ならいいけどよ……。お前、箱入りなんだからさ。俺の血なんか見たら倒れそうで」

「倒れませんわ。だって、あなたは負けませんもの」


 言葉には力が宿る。いつだったかお母様がそう言っていた。


 だから、あえて私は強い言葉を使う。口にした言葉がライを守ってくれるように。


「ライ、次も勝ってくださいませね?」


 傲慢(ごうまん)に、そう言って笑みを浮かべる。本当は勝敗なんて、どうだって構わないのに。




 順調に勝ち上がって、いよいよ決勝戦。


 手に汗を握りながら、観客席からライを見つめる。


 張りつめた空気感が、ここまで伝わってくる。細かい表情が読み取れないほど、遠く離れているのに。


 あぁ、神様。どうかライをお守りください。勝敗なんてどうだって構わないから、怪我(けが)だけはしないで。


 ライが一気にしかける。流れるような攻撃。相手は対応するのに精いっぱいだ。


 3回の大会にわたって頂点を極めるライの実力は伊達(だて)ではない。


 そう、そのまま、あと少し。


 そこから、何が起こったのか、私の目では捉えることができなかった。


 会場のどよめき。膝を折った男。その横で高らかに剣を空に突き上げ、咆哮(ほうこう)したのは、ライではない、知らない男だった。


 茫然(ぼうぜん)としながらも、認めないわけにはいかない。ライは、負けたのだ。


 こうなって初めて、私は勝敗に興味がないと思っていながら、実はライの勝利を疑っていなかったことに気づかされた。


 膝をついたライは、別人のように小さく、頼りなく見えた。




「ねぇ、ライ。いいじゃないですの。また来年挑戦すれば」


 ふさぎこんだライに何と声をかけたものか迷いながら、明るい声を出す。本当は気を抜いた瞬間泣いてしまいそうなのに。


 でも、私が泣いたらライを困らせてしまう。今は私がライを(なぐさ)める時だ。


 幸い、ライに大きな怪我(けが)はなかった。すり傷がほんの少しあるだけ。


 深刻なのは、むしろ精神的なダメージの方だった。


「俺が悪いんだ。あの時、気を抜いたから」


 ライ曰く、攻撃をするときは、防御への意識が低くなるらしい。だからこそ相手からの攻撃に警戒しなければならないのだと。


 しかし、ライは、(わず)かに気をそらしてしまった。その隙を見事に突かれたのだ。


「何を、考えていたんですの?」


 口に出してから、しまった、と思った。尋ねるつもりはなかったのに。責められているように感じはしないだろうか。


 それに、ライの答えを聞くのが怖かった。大会に集中するために私との結婚を先延ばしにまでしたのに。


 その大事な試合よりも優先した考えは何だったのだろう。もしそれが別の女の人だったら。


 そこまで考えて、ため息が漏れた。こんなときまで自分のことばかり考えてしまうなんて。自分が嫌いになりそうだ。


「……これで、胸を張ってお前と結婚できるなって」


 だから、聞こえてきた言葉はあまりに予想外だった。


「え?」

「お前の家は裕福(ゆうふく)だろ。俺だって貧乏ではないけど、きっと実家にいる時より苦労させる」


 とりあえず私は相づちを打った。話の筋道がまったく見えない。


「だから、せめて強くなってリリーを守ろうって思って……。四連覇(よんれんぱ)したら初だろ、そしたら俺が一番強いって言える」


 けどもうダメだ。吐き捨てるように、ライは言った。


「えっと、それは、つまりどういうことですの?」


 ずっと、ライは「勇者」になりたいのだと思っていた。そしてそれは間違いではない。間違いではないけれども。


 もしかして私たちは、重大な思い違いをしているのかもしれない。


「お前に相応(ふさわ)しい男になりたかった。幼馴染(おさななじみ)だからとか関係なく、俺が結婚相手で良かったって思ってほしかった」

「だから『勇者』になろうとした、と?」


 ライはうなだれた。それが何よりの肯定(こうてい)(あかし)だった。


 笑いがこみ上げてくる。笑ってはいけないと思いつつも、おかしくてたまらない。


 なんだ、そうだったのか。こんな簡単なことに、どうしてお互いに気がつかなかったんだろう。


 私の笑い声に気づいたライが、不思議そうに顔をあげる。私はとびっきりの笑顔を贈る。


「私は、あなたに『勇者』になってほしくなんかなかったんですのよ?」

「え、でも」

「私はてっきり、あなたがどうしても『勇者』になりたいんだと思ったから」


 そう、気づいてしまえば簡単なことだ。


 私たちはお互いに相手を尊重して、守っているつもりになっていただけだったのだ。


「じゃあ、俺に絶対勝てって言ったのは?」

「負けてもいい、と言うよりご利益(りやく)がありそうでしょう?」

「はは……なんだそれ……」


 ライは力なくつぶやいた。心配になって顔を(のぞ)き込もうとするが、その前に震える肩が目に入った。


 その震えは次第に大きくなり、やがてライは顔をあげて、ははは、と声を出して笑った。


「結局、二人でめちゃくちゃ遠回りしてただけかよ……!」


 顔を見合わせて、またおかしくなって二人で笑った。こんな喜劇みたいなことが本当に起こるなんて思いもしなかった。


 どうやら私たちに足りなかったのは、お金でも愛情でも力でもなくて、言葉だったらしい。


「じゃあさ」


 不意に、ライが言った。やけに緊張した面持(おもも)ちをしているせいで、私の心拍数(しんぱくすう)まで()ね上がる。


「『勇者』の名前は逃しちまったけど、それでも俺と結婚してくれますか?」


 まっすぐな眼差(まなざ)し。


 ライは汗と涙と鼻水にまみれているし、私の髪や服も砂ぼこりで台無しになっている。劇に見るようなロマンチックさには欠ける。


 でも。


「あら、あなたって意外とお馬鹿なんですの?」

「お前な、馬鹿ってなんだよ」


 だって馬鹿としか言いようがない。私の答えはずっと前に決まっているのに。



「私は『勇者』じゃなくてライが好きなんですのよ? ……答えは決まってますわ」


 そう言って、私はライの頬に唇を押し当てる。すぐに、ライに背を向けて走り出した。


 せっかく気取って返事をしたのだ。真っ赤に染まった顔を見られてしまったら台無(だいな)しだから。




 頭上に広がるどこまでも青い空。鐘の音が身体の芯を揺らす。隣に立っているのは、真っ白な服に身を包んだライ。


 少しだけ遠回りをしてしまったけれども、その分きっと幸せになれる。いや、ライとならなってみせる。


 だって、私の(ライ)は、どんな勇者様よりも最高なんだから。


お読みいただきありがとうございます。

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