特訓と不穏
今回様々なスポーツの引退年齢が出ますが、どれも平均年齢かつ諸説あります。
実際のものとは異なると思いますが、ご了承くださいませ。
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「ですからして……」
今日は前々から企画していた案件の重要な会議。
各部署の部長や、取締役員が総出で集まり会議を行っている。
リモートワークが当たり前となった昨今だけれど、こういった会社の機密情報を扱う会議の際は、流石に出勤してもらわないと困る。
「以上の事から本企画が我が社に与える期待値というのは非常に高いものとなります。しかし本企画において最もネックなのは株式会社バーチャルシステムズの存在です」
入社4年目にして部長クラスへと出世した若社員、飯田誠くんが、企画についてハキハキと私達に向けて説明してくれる。
清潔感のあるスーツに真面目な印象を受ける黒髪。
けれど遊び心が見えるお洒落なネクタイが特徴の彼は、我が社期待の新人エース。
今年25歳になる彼は、年齢からは想像できない落ち着いた印象を受ける。
だからだろうか。
彼の仕事は非常に丁寧かつ迅速だ。
私含め周りから高い信頼を受けるに値する優秀な人間が務めてくれて、社長としてとても鼻が高い。
うん、今日も非常に丁寧な説明で有難い。
今回彼が会議で説明してくれている内容は、彼自身が考案した企画だ。
成功すればバーチャル業界において、他の会社よりも一歩前に進めるかも知れない内容なだけに私達が彼に求めるものは、いつもより更に高いものになっている。
さて、早速彼の話す企画の内容を整理しよう。
本企画はVRCの技術と最新のバーチャル映像技術を使った、VRを使いながら現実世界に干渉するコミュニケーションアプリを作ろうというもの。
もしこの企画が成功すれば、バーチャル技術は更に身近なものになる。
いや、それどころではない。
世界の常識すらも変わるだろう。
そんな企画がもし成功すれば、我が社の利益は莫大なものになる事は間違いない。
例えば家にいながらの本格的な旅行や遊びは可能になるし、地球の反対側にいるような相手とも気楽に会う事ができるようになる。
需要はいくらでもあるはずだ。
例え少なかったとしても、この企画のPVを作成し全国に放送すれば、我が社の広告として十二分に機能する内容でもある。
けれど現実はそう上手い話ばかりではない。
一番の問題はやはりライバル社の存在だ。
特に大きなネックは、彼が言った通り株式会社バーチャルシステムズだろう。
何故なら最新式のバーチャル映像技術は、既にその会社が特許を取得しているからだ。
となれば、本企画においてその会社との干渉を避ける事はまず不可能になる。
しかしそれでは非常に困る。
もしこの問題を解決しなかった場合、破滅の未来は想像するに容易い。
例えばそう……。
このまま企画を通せば、バーチャルシステムズと業務提携を結ぶか、特許料を払うかになるだろう。
その場合、どちらもあまり良い選択には成り得ない。
前者と後者の未来を想定してみよう。
まず前者の場合。
これが恐らく考えれる中での最悪手だ。
バーチャルシステムズは非常に大きな会社。
私達の会社の社員規模や総資産では、悔しいけれど太刀打ちができない。
そんな状態で業務提携を持ちかけた場合、下手すれば情報だけ抜かれて先に世に出される可能性がある。
そんな事をされれば我が社に未来は無くなる。
この企画は言ってしまえばVRCの上位互換。
であるのに情報を抜き取られ世に出されたら……ああ、想像しようとするだけでクラクラする。
では後者の場合。
こちらは最悪手程ではないものの、かなりの悪手だ。
そもそもで特許技術を使うイコール相手と話す必要がある、という事。
特許ライセンスの話し合いで、本企画をバレないように進めたとしても結局は時間の問題。
私達が払った資金で本企画の上位互換を作られる可能性は拭いきれない。
「以上の事から、バーチャルシステムズの特許を使用した場合のリスクは計り知れないものになります」
彼もその事はよく分かっている。
私の想定したリスクの他に様々なリスクを解説してくれた。
つまり彼はこの企画の根本的な問題。
バーチャル映像技術をどうするか、の解決策も用意しているという事だろう。
果たしてどんな解決策を用意してくるのだろうか。
私がワクワクしながら彼の発言を待っていると、開発部部長の山本さんが痺れを切らしたのか、彼に質問を投げかけた。
山本さんは本当にせっかちだからなぁ……。
ロジカル優先だからか、すぐに結果を知りたがる。
「飯田くん、君のいうリスクは十分に理解できた。君はその上でどのような解決策を取るのかね?」
「はい山本さん。そこで今回自分が提案させて頂くのは、我が社独自のバーチャル映像技術を開発するという案です」
けど飯田くんは、山本さんの少し強気な質問にも動じず、いやむしろ待ってましたと言わんばかりに企画の詳細を説明し始めた。
「バーチャルシステムズの特許技術は、VR映像ではなくVR映像を綺麗に写す技術です。つまり我が社が別の方法で綺麗にVR映像を写す技術を開発すれば、ライセンスを取得せずとも企画の進行が可能になります!」
なるほど、彼は我が社独自のバーチャル映像技術を開発する事を考えたのね。
……うん、開発方法も予算の見積もりもよく考えられている。
開発のプロである山本さんが突っ込まないあたり、彼の案はかなり現実的なのだろう。
けれどそうね……。
「製作費見積もり10億円か、ふむ……不安定な企画にしてはあまりに高すぎるんじゃないかね? 失敗したら大赤字だぞ?」
「はい、確かにおっしゃる通り非常にリスキーではありますがリターンを考えると十分に考慮できる案になるかと思われます」
10億円……10億円ねぇ。
もし10億円で製作可能なら、私は今すぐに彼の企画を何よりも最優先にしただろう。
でも残念ながらそんな事はない。
彼はまだまだ爪が甘い。
この10億円という数字は本当に全てがうまく行った時の話だ。
私の経験と考えからすると製作費見積もりは少なくとも100億円。
これ以上増える事も頭に入れておくべきだろう。
となると、リスクとリターンが見合うかと言われると微妙な所。
かといって捨てるにはリターンが大きすぎる。
皆恐らく私の意見にすぐ辿り着いたのだろう。
その証拠に全部署の部長が、私と同じように皆眉間にシワを寄せて考えている。
「では、今回の会議はここまでとさせていただきます。皆様今日はありがとうございました」
それからしばらく経って会議が終了し、飯田くんがその場を閉める。
結局今回は企画を通す以前の問題で、本企画の再考案が決まった。
まだまだ見積もりが甘い所があるし、そもそもで我が社は危険な博打を打つほど利益が少ないわけでもない。
本企画はもう少し考える必要があるだろう。
それにもう一つ大きな問題がある。
コストやリスク以前に、今は時期が悪すぎる。
我が社は何もVRC一本ではない。
他にも様々な企画を現在進行形で進めている。
こんな状態で新しい企画を実施すれば、従業員への負担は計り知れない。
今回会議に参加したメンバーには、私や飯田くん含め全員にくっきりとしたクマが見えた。
そんな状態で新たな企画を実施するのは危険すぎる。
魅力的な企画ではあるけれど、だからこそ成功させるためにも今は休みは挟むべきだ。
「お疲れ様です、日向社長」
「……あぁ、お疲れ様、飯田くん」
私が会議室から出ず、今後のスケジュールについて考えていると飯田くんが声をかけてきた。
今回彼は私含め様々な人から見積りの甘さを指摘された。
見積もり自体はしっかり出来てはいるけれど、まだ若いからか楽観的な思考が抜け切れていない箇所が多く見えた。
まあ楽観的ではない見積もりを作るには年の功を積まないと習得できないものだから、今指摘しても仕方ない部分ではある。
けれど彼は優秀なだけあって期待値が非常に高い。
だからかつい皆が彼に様々な点を指摘してしまった。
その事で相当へこたれているだろうと心配していたけれど、心配したのがバカらしくなるほどケロッとしている。
こういうメンタルの強さも、若くして出世する人間の秘訣なのかもしれない。
「今回は様々なご指摘ありがとうございました」
「いいえ礼には及ばないわ、部下を指導するのも上司の役目だもの。次の会議を楽しみにしているわ」
「ありがとうございます! 今後ともご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします!」
「こちらこそよろしく頼むわ。これからも貴方や貴方達に頼り切りになってしまうけど、どうかよろしくね」
「はい! 社長のご期待に応えれる様頑張らせていただきます!」
飯田くんはそう言うと、私に頭を軽く下げる。
私もそれに応えて、軽く頭を下げた。
すると彼は要が済んだのか私に背を向けて移動した……と思いきやその場から動かず、何か言いたそうにしている。
どうしたのだろう。
何か分からない所があるのだろうか。
この後は少し暇ができるし、もし何かあるなら答えてあげよう。
私はキーボードを打つ手を止めて、話しづらそうにしている彼に言葉をかけた。
「どうしたの? 飯田くん」
「いえ、その……プライベートな事なのですが……」
「プライベート? 何かしら。少しだけなら問題ないわよ」
仕事の事で何か相談があるのかと思ったら、プライベートの事だったとは。
でも男性の、それも若い子の相談に私のようなおばさんが答えられる事があるのだろうか……。
けれど困っているのなら出来る限り答えてあげよう。
私は必要データを保存し、ノートパソコンを閉じる。
そして彼の目を見ると、彼はそれが合図だと分かったのかスマホを取り出して私に見せた。
「あ、あの! 自分実はeスポーツの大ファンでして、今はフューチャーにハマっています!」
「あらそうなの? あ、もしかして進の事かしら? 悪いけれど進についてのデータは……」
なんだeスポーツの話だったのね。
最近はめっきり少なくなったけれど、ごく稀にあの人の根強いファンが話を聞きにきてくれたり、線香をくれたりする。
彼もその1人なのだろうかと思い、あの人の話を持ち出すとブルンブルンと激しく首を振り否定した。
「あ、いえ! 確かに日向進さんについてのお話も聞きたいです! ご存知かと思いますが日向進さんはフューチャー史の伝説に残る英雄でしてデビュー戦で始めて披露した彗星突は当時いちプレイヤーだった自分にとって非常に忘れ難い思い出となり……」
「オッホン、ありがとう。それで本題は何かしら?」
「す、すみません!」
飯田くんが顔を赤くして饒舌に話すのを、私は咳払いで止める。
まさか飯田くんにこんな子供っぽい側面があるなんて。
普段は正しく、ザ・できる男って感じの人なだけに、こんなかわいい側面があるのは少し驚いた。
そしたらそうね、今度家に招待してあの人の話でもしてあげようかしら。
私がそんな事を考えていると、飯田くんはどうやら私が話を急かしているように見えたらしい。
彼は私の咳払いでハッとすると、スマホを私の目の前に置きゆっくりとスライドさせる。
なるほど、これが本題ね。
どれど……れ……。
「実は今自分、アマチュアプレイヤーを応援するのが趣味でして、特に今推しているのはケリー・マサヨシくんとそして、日向好輝くんなんで……あれ、社長?」
「あ、ご、ごめんなさい、そ、そう、息子を応援してくれてありがとう」
「あーやっぱり息子さんでしたか! いやぁ4日前の試合実に興奮しました。日向彗星の再来と私達の間では非常に話題になっていますよ。あ、日向彗星というのはですね、日向進さんが考案した彗星突を模範した……」
「ウォッフォン、ちょっと待ってもらって良いかしら」
「あ……す、すみません、何度も脱線してしまって」
私はまたしても饒舌に語る飯田くんを止め、顎に手を乗せ思考に耽る。
……なるほど。
今思い返せば好輝にそんな素振りがいくつもあった。
だけどあの子ももう高校生。
プライベートな事にはなるべく口を出さないようにしていたけれど。
でもまさか大会に出場していたなんて。
ん?もしかして隠してた事って大会の事かしら?
だとしたら申し訳ない事をしたわね。
恐らくあの子なりに私に気を使って黙ってたのよね。
今日帰ったら沢山抱きしめて許可してあげますか。
「ごめんなさい、飯田くん。えっとそれで?」
「あ、はい。それで日向彗星というのはですね」
「そっちじゃなくて本題」
「あ、あはは、すみません。えっとですね、自分そういったアマチュアプレイヤーを応援するのが好きでして、ぜひ好輝さんにお聞きしたいことがあるんです」
「はぁ、なんて聞けばいいの?」
飯田くんは私の質問に目を輝かせる。
そして、とんでもない事を言い出した。
「はい、毎年プロを発掘するバーチャルシステムズ主催の大会に出場したという事は、プロになりたいのだろうか、というのを聞いて欲しいんです!!」
「……え?」
「えっと、プロになりたいのだろうか、とお聞きして欲しいのです……が……しゃ、社長、大丈夫ですか!? 顔真っ青ですよ!?」
今の私はよっぽど顔を青ざめていたらしい。
飯田くんは私にそう必死に呼びかけていた。
でも今の私にはその呼びかけに応える余裕がない。
どういうことなの?
好輝はeスポーツのプロ選手にならないって言ってたのに……。
「い、今救急車をお呼びします!」
「まっ、待って!」
考えたい事は山ほどある。
けれど私を心配してくれている飯田くんの呼びかけに答えないのは失礼だし、何より救急車はまずい。
私はすぐさま彼の手をとり、中断させる。
「だ、大丈夫だから!」
「い、いやしかし!」
「大丈夫よ、ありがとう。でも今日は早退させてもらうわ」
「わ、分かりました。では自分が皆に報告を」
「いえ、報告くらいは私がやるから、飯田くんは元の仕事に戻って」
「あ、わ、分かりました。あの、申し訳ありません、ご無理をさせてしまって……」
「いいのよ、私が言えた立場じゃないけど飯田くんも体に気をつけてね」
私は飯田くんにそういって会議室から出てもらったのを確認した瞬間、私は我慢できずに頭を押さえて大きくため息をついてしまった。
「どうしてなの……どうしてあなたまでもがeスポーツなんて……」
私は誰もいない会議室でそう呟く。
案の定、誰もいない会議室から答えが返ってくるわけもなく、私の心と同じような異様に静かな無だけが、会議室を支配していた。
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「好輝、母さん会議でちょっと遅くなるから、お昼と夕飯はこれで好きなもの食べて」
「分かった、ありがとう」
「でも栄養があるのを食べるのよ。ピザとかはダメだからね」
「うん、分かってるよ」
「本当かしら……あっ、もうこんな時間!? じゃあ行ってくるわね、何かあったら連絡するのよ」
「はいはい、いってらっしゃい」
僕はリビングで朝ご飯を食べていると、慌ただしく出かける準備をする母さんを見送る。
今日は大事な会議らしい。
母さんは財布から取り出した2000円をテーブルに置くと、そのままピューと仕事場に向かった。
はぁ、やれやれ少し心配しすぎだ。
確かにピザもジャンクフードも捨て難いけれど、僕はどちらかというとアッサリしたものが好きだ。
だから心配されなくとも、それらは避ける。
それに今日は……っと、もうこんな時間だ。
のんびりしてる場合じゃないな。
そろそろ僕も出かけなくちゃ。
今日は午前中で授業が終わる日だ。
僕は食べ終わった食器を片付け、財布に2000を入れた。
「じゃあ、行ってきます」
僕は準備を整え、誰もいない家に向かってそう呟く。
当然だけど返事は返ってこない。
そんな事は当然分かっている。
けれどまあ癖、みたいなものかな。
誰もいなくても挨拶をしないとなんか気持ち悪い。
「あ、おはよ、好輝」
「おはよ陽子」
僕が教室についてから約10分後、陽子は眠そうな目を擦って教室に入ってきた。
「ははは、眠そうだね」
「ふぁぁぁ……うん、昨日変な時間に録画したドラマ見ちゃって……」
陽子はあくびを隠そうともせず、豪快に口を開ける。
そしてまた目を擦った後、ばたりと机に顔をつけた。
そういえば前に見たいドラマがあるっていってたな。
名前は確か……名探偵モリアーティ、だったかな。
まるでセンスを感じない題名だけれど、一気見するほど面白いのだろうか。
いや、陽子のセンスは独特だからなぁ。
前なんて5点満点中0.1点という、今世紀稀に見る低評価レビューを受けたクソドラマで泣いていた。
きっとそのドラマもそんな感じなのだろうか。
「陽子、そのドラマどんな感じだったの?」
「んー? うーん……スゥー、スゥー」
うわ、席についた瞬間寝始めたよ……。
いつもならほっとく所だけど、今回ばかりは起こそうか。
次の授業は厳しい先生が担当する世界史だからな。
なんで起こしてくれなかったの!?って半べそかく陽子に怒られるのは嫌だ。
さて、どう起こそうか。
あ、確か昨日買ったガムがあったっけ。
何か噛んでいれば少しは違うだろう。
「陽子、ミントだけどガム噛む? 何か噛んでれば目が覚めるじゃない?」
「んーそうする」
陽子はそう言うと、ぱかっと口を開けた。
中に入れろってか。
僕はため息をつきながらガムの包装を剥がし、ヒョイっと口の中に投げ入れた。
「ありがと……んむんむ……あ、そういえば……んむんむ……今日学校早く終わるよね……んむんむ……」
「噛むか喋るかどっちかにしなよ……そうだね、お昼前に終わる予定だ」
「そしたらさ、今日うちに来ない? お昼ご馳走するわよ……んむんむ……昨日夕飯作りすぎちゃって」
ふむ、陽子が作るご飯か、中々魅力的だ。
陽子は毎日自炊をしているだけあって、料理スキルはかなり高い。
前に作りすぎたといって持ってきてくれた肉じゃがに、母さんが舌鼓をうっていたっけ。
……けれどご相伴に預かるのは、残念ながら無理そうだ。
「んーごめん、今日実はマサヨシと特訓なんだ、だから――」
「別に構わないよ、特訓は明日でも」
「そうか、明日でもオッケーなら今日は……てマサヨシ!?」
気づけばマサヨシが隣にいた。
嘘だろ、音もなく隣に近づくなんて彼はニンジャか何かなのだろうか。
「驚いている所すまない、さっきから隣にいたのだけど楽しそうだったからつい黙っていた。だから俺はジャパニーズニンジャじゃない」
オウ……ノージャパニーズニンジャ……。
というかナチュラルに心の声を聞くのやめてくれ。
「それで、どうする? 特訓は明日にしても俺は全然構わない。特訓よりもガールフレンドと過ごしたい日もあるだろう?」
「が、ガールフレンドって、そそそそんなんじゃないわよ!!」
うわっ、びっくりした。
さっきまで眠そうな陽子が、バッと立ち上がり顔を赤くして否定している。
何もそこまで否定しなくても……。
というか今まで散々似たような事言われるような機会あっただろう。
「おっとすまない、まだガールフレンドじゃないんだね」
「……」
「ははは、そんな睨まないでくれ」
うーん、陽子の睨みを華麗に受け流すとは。
マサヨシ……中々にできる。
僕なら震え上がる所だろう。
そんな事を考えていると、マサヨシはハッとした顔をして手をパンッと合わせた。
「それならこんなのはどうだろう? 今日は母もいるし特訓後に俺の家でバーベキューでもしないかい? もちろん優希さんも招待するよ」
「え? でも私フューチャーはしないわよ?」
「なに、ちょっとした親睦会を兼ねた昼食だ。そう難しく考えずに気軽に来てくれ」
「そう? じゃあお呼ばれされようかしら」
「ははっ、そうこないと! 好輝も勿論くるだろ?」
「うん、招待ありがとう。僕もお邪魔させてもらうよ」
バーベキューか。
そういえば最後にしたのはいつぶりだろう。
高校生3人でバーベキュー……。
んー実に楽しみだ、青春の匂いがする。
「じゃあホームルーム終わったら迎えに行くよ、母に連絡して車を出してもらおう」
「ごめんね、ありがと」
「問題ないさ、じゃあまた後で」
マサヨシはそう言うと、スマホを取り出し通話を始める。
そしてそのまま「バーイ」と一言僕らに声をかけて、その場から立ち去っていった。
あれから4時間後くらいだろうか。
僕は早速、マサヨシの家でフューチャーの練習を始めた。
マサヨシの特訓は非常に分かりやすい。
与えられた条件の中で立ち回り、その評価をマサヨシがする。
今回の条件は、最高難易度のNPCをエネルギー強化のみを使って倒す、だ。
「もう説明したから分かっていると思うが、念のため再確認しておく」
マサヨシはそう言って、僕にもう一度エネルギー強化について教えてくれた。
よし、僕も念のため振り返ろう。
まずはエネルギー強化の方法について。
これまでにも僕はエネルギー強化を使ってきたけれど、その方法はあまり効率的じゃない。
何故なら、武器強化と同じ要領でのエネルギー強化は異常なまでにコスパが悪いからだ。
考えてみれば当たり前だろう。
パンチを全力で繰り出すのと、釘バットを全力で振うので使用するエネルギーが同じ場合、まず間違いなく誰もが後者を選ぶ。
だからこそ父さんの時代では武器強化が主流とされ、様々な必殺技が作られた。
その時代は長らく続いたけれど、父さんが死んだ後すぐにこの環境は終わりを告げた。
何故なら丁度そのタイミングで、ある人がエネルギー強化の効率化に成功させたからだ。
その人の名前は、リアム・スミスさん。
彼が考案したエネルギー強化は瞬く間に広がり、それと同時に武器強化の時代は幕を閉じた。
ここで気になるのは、何故環境を変えるまでエネルギー強化が流行ったか。
その理由は、一重にコスパの良さだろう。
武器強化のコンセプトは、一瞬でエネルギーのほぼ全てを使い果たし勝負を決める。
前の例で言うなら棒を釘バットにして、1発で仕留めるために全力で振るう感じの強化だ。
そんな武器強化に対しエネルギー強化のコンセプトは、ほんの少しのエネルギーを使い長時間ステータスアップを維持し続ける事に重きを置いている。
例えるならメリケンサックをつけて殴りにかかる、といった感じか。
もちろんこのエネルギーを多く使えば、エネルギー強化は更にかかる。
これがいわゆる、最新の必殺技だ。
アーリ・マンユのアフラマズダ・リベンジがこれに該
当する。
マサヨシのユニット、アキレスが使うラピドゥス・イーリアスも同じなのだろうと質問したけれど、少し違うらしい。
何故違うかは今度教えてくれるそうだ。
話が逸れたけど、つまるところエネルギー強化には武器強化と違って出力に選択肢が存在する。
だからこそ武器強化は廃れていったのだろう。
「さて、おさらいした所で実践と行こうか」
「うん」
マサヨシの言葉を合図に、試合開始を知らせる機械音声が僕の耳に届く。
「ゴーッ! サン・フレア」
そして僕はすぐさま、サン・フレアを出撃させた。
フィールドは市街地。
練習にはもってこいの場所だ。
「いいかい、エネルギー強化が成功した証は発光の色だ、それは覚えてるね?」
「うん」
マサヨシのいう通り、エネルギー強化時はエネルギーが発光する。
その配色は武器強化が白、攻撃強化が赤、俊敏強化が青だ。
まずは敵と距離を詰めるために、俊敏強化を行おう。
「こんな感じか……な!」
「そうだ、うまい」
マサヨシは僕のVR画面をモニターに映して確認している。
その画面ではサン・フレアは正常に青く発光しているようだ。
「俊敏強化時はジェット部分が青く輝く。サン・フレアのジェット部分もちゃんと輝いている。そのまま距離を詰めるんだ」
「うん!」
僕はマサヨシの言葉に強く頷き、サン・フレアを敵の目の前に移動させようとコントローラーを動かした。
が、しかし。
「う、うわっ、通り過ぎた!」
ガシャンッ!
想定以上のスピードに僕がうまく操作できず、サン・フレアは近くのビルに激突した。
「ははは、まあ最初は仕方ない。ゆっくり練習していこう」
僕の間抜けな姿を見たマサヨシは、乾いた笑いを浮かべながら続きを促した。
「はぁぁぁぁ」
あれからおよそ20戦。
時間にして2時間ほどだろうか。
それくらい練習したものの、エネルギー強化はまったく習得できなかった。
エネルギー強化は成功する。
けれど上手く制御ができなくて、一瞬でエネルギーを使い果たしてしまう。
非常に困ったものだ。
もしエネルギー強化が習得できれば、彗星突の対策を攻略する手がかりになりそうなのだけど。
「まあそう落ち込まない方がいい、誰だって最初はそんなものだ」
「そうよ好輝、私にはよく分からないけど落ち込んでたらせっかくのバーベキューも味が分からないわよ」
「んーそうだけど……」
バーベキューの炭に火がつき始めた頃。
僕がつい吐いた溜め息に、マサヨシは腰に手をつけながら、陽子はトングで肉達に威嚇しながら答えてくれた。
まあ確かに今はバーベキューの時間だ。
いつまでもウジウジしてるのはよろしくないだろう。
でもエネルギー強化は今のところ唯一、対彗星突を封じる切り札になり得る要素。
完成しないという事は、これ以上は勝てないという事と同義。
だからやっぱり焦りが出てしまう。
次の試合は確か3日後。
対戦相手は恐らく明日決まる。
近づいていく次の試合に、僕はどうしても焦る気持ちを抑えられない。
「ほら好輝、お肉焼けたわよ。体細いんだから沢山食べなさい」
「ちょ、陽子、こんな所でやめてよ恥ずかしい」
僕が悩んでいると、紙皿に陽子がお肉を乗せてくれた。
それに玉ねぎとピーマンも。
嬉しいけれど、まるで母さんに面倒見られているようで恥ずかしい。
「ははは、本当に君達は仲がいいね。しかし残念だ、日陰くんも誘ったのだけど……」
マサヨシはどうやら日陰と陽子の仲を知らないらしく、僕達に内緒で日陰を誘ったらしい。
本人はちょっとしたサプライズのつもりだったのだろうけれど、もし日陰が来ていたら雰囲気はどうなっていた事か。
日陰には申し訳ないけど、断ってくれてありがたい。
今度お詫びにご飯でも誘おうかな。
「は、ははは、残念だったわね〜。そ、それよりマサヨシ、お肉なくなったんだけど、おかわりどこにあるかしら?」
陽子がジャンジャンと焼き始めていくからか、あっという間に用意されてあったお肉が無くなっていた。
念のため追加で買っておいてよかった。
念のためというよりかは、最低限のマナーとしてなのだけど。
流石に招待された上で何もかも用意されるのは申し訳ない。
マサヨシは友達で、今は僕の面倒を見てくれている恩人。
だから用意されるばかりじゃ悪いと思い、車で案内された道中にマサヨシをなんとか説得してお肉や野菜を買っておいた。
結果すごい量になったけれど、僕も陽子もマサヨシも今は食べ盛り。
気づけばぺろりと食べてしまっている。
「おや、じゃあ母に持ってきてもらおう。お袋! お肉追加!」
「はいはーい」
マサヨシが口に手を当てて響くように言えば、家の奥からマサヨシのお母さんから返事が届く。
そして1分もたたずに、おかわりが運ばれてきた。
「あ、申し訳ありません、僕手伝います」
「いいのよ好輝くん、それよりバーベキュー楽しんでる?」
「は、はい」
そう言ってお肉と野菜を運んできてくれたこの人は、マサヨシのお母さん、ケリー・マユミさん。
日本人の方で、肩に触れるかどうか程の長さがある綺麗な黒髪が特徴だ。
とても優しい人で、車での案内からバーベキューの準備、進行までをずっと笑顔でやってくれた。
また非常に気を遣ってくださる人で、道中のスーパーも同じ日本生まれだからか感性が分かったのだろう。
マサヨシの説得に一役買ってくれた。
「それよりごめんなさいね、主人とマサヨシがお世話になっているのに、今までまともに挨拶も出来ていなくて」
「い、いえとんでもないです。むしろこちらこそマサヨシやジョンさんにお世話になっていながらご挨拶できず申し訳ありません、えっと……」
「マユミでいいわよ、フフッ、礼儀正しい子ね。そしたら今度、好輝くんのお母さんも誘って皆でどこか行きましょうか。もちろん陽子ちゃんも連れてね」
「へっ、わ、私ですか!?」
マユミさんは陽子に軽くウインクする。
それに陽子は戸惑いながらも小さく頷いた。
遠慮しがちな陽子がこうもあっさり落ちるとは。
なんだろう、包容力ってやつかな。
「そういえば好輝、君の家族についてはあまり知らないな。もし差し支えなければ教えてもらう事はできるかな?」
再度盛られたお肉を、マサヨシはひょひょいと網に並べながら突然そんな事を言い出した。
僕の家族か……。
別にいうのは構わないけど、聞いても仕方ないだろうに。
僕が不思議に思っていると、マユミさんは僕が機嫌を損ねたと思ったらしい。
すぐにマサヨシのフォローを入れてきた。
「息子が突然ごめんなさい、よく主人が帰ったりVRCをすると必ず好輝くんや家族について話すものですから、マサヨシも私にも気になってたのよ」
「いえ、別に大丈夫です。ただ特別面白い家族ってわけでもないので、聞いてもつまんないかもですが」
「つまらなくてもいいさ、面白い家族の方が珍しいだろう。それより君の口から聞きたいのさ」
「そ、そう? ならまぁ……」
マサヨシとマユミさんにそう言われれば話さないわけにはいかない。
僕は照れて上手く回らない頭を何とか回しながら、両親の話を進めた。
最初は両親の話を軽くするだけで終えようと思ったのだけど、マサヨシがあんまりに目を輝かせるもんだから、僕もついつい口が軽くなってしまう。
だからか今まで陽子以外に話していない事も、気づけばケリー親子に話していた。
母さんが社長である事。
父さんがeスポーツのプロ選手である事。
けれどそんな母さんや父さんに劣等感や周りとの違いからコンプレックスを抱いていた事。
小さい頃に経験した辛い話から楽しい話まで。
どうやらかなり長くなってしまったらしい。
話し終えた頃にはお肉も野菜も無くなっていた。
「ううう、苦労したのね好輝くん。頑張ったわね」
「ふむ、そんな事があったのか……」
あ、あれ、どこに泣く要素があったのだろう?
マユミさんは目を赤くして、マサヨシはしんみりと、そして噛み締めるように頷いている。
陽子も知っているだろうに、しみじみと頷いている。
確かに苦労はしたけれど、ここまで親身になってくれるとは……。
嬉しいけれど、なんかちょっと小っ恥ずかしい。
「よし、じゃあ今度はお礼に俺が色々話そう。好輝が腹を割って話してくれたんだ、俺も小さい頃から話そうかな」
マサヨシはそういうと、僕達に飲み物を注ぎながら話してくれた。
「実は俺も昔いじめられていてね、好輝のように親が特殊だから、てわけではなかったんだけど」
「そ、そうだったんだ……」
「ああ、発言する事が苦手でおどおどしてしまっていてね、殴る蹴るは当たり前、酷い時は肥溜めの中に落とされた時もあったな……。おっと失礼、食事中にするような話ではなかったね」
日本では昔からイジメが問題視されていたけれど、海外でもそれは変わらないらしい。
むしろいじめの内容的に僕の方が幸せだと思えるくらいだ。
マサヨシは昔の事だと笑っていうけれど、その目の奥は笑っていなかった。
「だから暫く不登校になった時期があってね、そんな時に支えてくれたのが親父だった」
「ジョンさんが……」
「といっても直接的な事はしなかったけれどね。俺がいじめられてもゲーム優先のクソ親父だったよ」
「は、ははは……」
マサヨシの本気なのか冗談なのか分からない言葉に、僕は乾いた笑いをしてしまう。
そんな僕の様子を見たマサヨシは、冗談だよと言いたいのか肩をヒョイっと上にあげると、麦茶を一口のむ。
そして今度は懐かしそうな顔を浮かべ、手に持った紙コップをいじりながら、僕達ではない何処か違う所を見ながら話を続けた。
「でも悔しいけどその背中に何度も救われた。どんなに辛くても、どんなに負けそうでも歯を食いしばって立ち上がる姿にどれほど勇気を貰った事か」
「勇気……か」
僕はその言葉を聞いて、色々と助けてくれた陽子の顔が自然と浮かんだ。
辛い時も寂しい時も嬉しい時も、僕の側には陽子がいてくれた。
マサヨシにとってのそれは、お父さんだったのか。
「ところで、好輝はeスポーツ選手の引退年齢を知っているかな?」
「え、引退年齢?」
突然の質問に驚いたけれど、僕はすぐに頭に浮かんでいた思い出を振り払い思考に耽る。
引退年齢か……。
確か父さんが世界大会で準優勝した時の年齢は……29歳だったけ。
だとすると、大体35歳くらいだろうか。
「35歳かな?」
「惜しい、およそ平均25歳だ、遅くても30代前半が限界だろうと言われている」
「えっ!?」
「eスポーツというのは厳しい世界だ。動体視力、瞬発力、反応速度、これらはどうしても20代前半で衰える。その中で結果を残すとなるとかなり厳しい」
「そうだったんだ……」
マサヨシ曰く、eスポーツ選手の引退年齢は他スポーツと比べるとあまりに短命らしい。
有名な所で比較すると、野球はおよそ30歳前後。
長い所では競輪で40歳前後。
短い所だとサッカーで20代後半らしい。
それに比べてeスポーツの選手寿命はおよそ20から25歳。
ゲームの種類によっては変わるものの、競争率が激しい所では22、3歳で引退が視野に入るらしい。
ちなみにフューチャーの引退年齢は平均25歳と言われている。
「だからこそ日向進という人間は今でも化け物と呼ばれ恐れ敬られている。当時29歳だったにも関わらず様々な若いプロプレイヤーを下し、当時25歳の親父と互角以上の攻防を繰り広げたのだからね」
引退年齢の話を聞くと、また1つ父さんがどれだけ凄いのか気付かされた。
20代前半あたりが引退の目安とされている世界の中、29歳という年齢で準優勝まで行った父さんはどれだけ稀有な存在だったのだろうか。
興奮気味に話してくれるマサヨシを見て、少し嬉しくなる。
「そんな親父も今は35歳。今はフューチャーのチームバトルを専門とする事で何とか衰えを誤魔化しているが、限界が近いのに変わりない。だからこそ……」
マサヨシはそこで言葉を区切ると、空を見上げて深呼吸をする。
よほど覚悟を決めているのだろう。
マサヨシを漂うオーラが、いつもの気品あるものから刺々しくも凛々しい緊張感のあるものに変わっていくのを感じる。
そして、覚悟を決めたのかゆっくりと僕と陽子、そしてマユミさんを見渡すと力強く言い放った。
「俺はeスポーツのプロプレイヤーとなって、親父とお袋を支える。そして親父から勇気をもらった時と同じように、様々な人たちに勇気を与えるんだ」
「……すごい」
僕はマサヨシを見て、まるで電撃が走るような感覚が身体中を走った。
今までeスポーツについてそこまで興味はなかったけれど、様々な情報を知る事で改めてその厳しさを痛感した。
けれど厳しさと同時に、誰かに夢を与えられる仕事であり、その業界に挑む人達にこれほどまでの覚悟を持っている事を知り、僕のeスポーツへの見方が180度変わった気がした。
「さて、僕はここまでかな。よし次は優希さんの番だね」
「え、わ、私? うーん……流石に2人の話には負けるからなぁ」
「ははっ、家族の話に勝ち負けなんてないさ」
「え、あー……」
マサヨシはぐいぐいと目を輝かせて陽子に詰め寄る。
どうやらスイッチが入ってしまったらしい。
陽子も困っているし、ここは1つ僕が……。
「こらマサヨシ! レディに根掘り葉掘り聞くんじゃないの! 全くデリカシーがないんだからこの子は」
「いて、何すんだよお袋」
僕が動こうとした所、見かねたマユミさんがマサヨシの頭にぐりぐりとゲンコツをする。
うん、助かった。
陽子もアイコンタクトでマユミさんにお礼をしている。
「さて、じゃあ時間も時間だし片付けて部屋に入りましょう。そろそろ寒くなってきたし」
「あの、ありがとうございます……それで何をすればいいですか?」
「ありがとう陽子ちゃん、ならマサヨシは火の後始末、好輝くんはゴミの片付け、陽子ちゃんは私と洗い物を手伝ってくれるかしら?」
「「分かりました!」」
「分かったよ」
言われてみれば、もう空は黄金色に変わりつつある。
ほんの一瞬のように感じたけれど、かなり長い時間が経っていたようだ。
宴もたけなわってやつか。
僕達はマユミさんの言葉にそれぞれ反応し、片付けを始めた。
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「あの、さっきはありがとうございます……」
「フフッ、気にしなくていいわよ、それよりごめんなさいね躾がなってなくて」
陽子とマユミは、慣れた手つきで洗い物を片付けていく。
マユミが食器についた洗剤を洗い流し、陽子がその食器を拭いて片付ける。
2人の様子を見れば、きっと誰しもが親子なのだろうと思うだろう。
それ程までに、抜群のコンビネーションを見せていた。
そんな中、陽子は食器を綺麗に拭きながら感謝を告げると、マユミは水を止めて手を拭き呆れたように答える。
「いえ、別に話すのはいいんです、ただ2人の後だとちょっと恥ずかしくて……」
陽子はギュッと食器拭きを握り、恥ずかしそうに顔を伏せる。
さっきまで見せていた強気な様子はなりを顰め、照れ笑いを浮かべる様は正しく可憐な乙女。
その様子があまりに可愛く見えたのだろう。
マユミは、優しい笑顔を浮かべると拭いた手で優しく頭を撫でた。
「あ、え、へっ?」
「平凡だっていいのよ、他と違っててもいいのよ、陽子ちゃんは陽子ちゃんなんだから」
「……その、ありがとうございます」
陽子は照れ臭そうに笑うと、小さく頷き手をモジモジとさせる。
その様子を見たマユミは、目を細めてそっと頭から手を離した。
その手を名残惜しそうに見つめる陽子だが、視界にある人間が映るとパッと顔を驚きのものへと変える。
「こ、好輝!?」
「あら好輝くん、ゴミ集め終わったのね、ありがとう」
「いえ、マサヨシもその内戻ります」
「そう、ありがとう。じゃあ食後のデザートでも食べましょうか、何かあったかしらねぇ」
たった1人の男子が来ただけで、さっきまで甘えていた様子は一瞬でなくなり、バーベキューの時に見せていた強気の様子に戻る。
そんな忙しない陽子を見たマユミは軽く笑うと、洗い場の隣にある冷蔵庫に手を触れる。
そしてパカっと開けて唸りながら見渡していた。
「あ、あの!!」
そんな時だ。
好輝は人の家であるにも関わらず、大きな声を出してマユミを止めた。
決して好輝が無礼者であるということではない。
これまで人の目を浴び続けた人間だ。
むしろ人一倍礼儀を重んじる人間であろう。
にも関わらず、好輝は声を上げた。
であれば、理由はただ1つ。
「ん? どうかしたの? 好輝くん」
「その、マユミさんはジョンさんと結婚して辛かった事とか……ありました……か?」
とても聞きづらい、しかし絶対に聞いておきたい大事な事を聞きたかったからだ。
今まで好輝の周りには、同じような境遇の人間はただの1人も居なかった。
しかし目の前に自分と同じ境遇の人間が現れ、更に母親と同じ境遇の人間がいれば、聞かずにいるのはまず不可能であろう。
たとえその答えが、どれだけ残酷であろうとも。
「好輝……」
陽子は震える様子で返答を待つ好輝を、心配そうに見つめる。
陽子はもう何年も好輝と同じ時を過ごしている。
だからこそ分かるのだ。
何故こんな質問をしたかが。
「……そうね」
マユミも彼の覚悟と思いを察したのだろう。
最初こそ驚いていたものの、冷蔵庫をパタリと閉めると徐に目を閉じる。
そして考えをまとめたのか、ゆっくりと目を開け好輝を見ると優しい笑顔を浮かべた。
「辛かった事が無い……といえば嘘になるわ。寂しいと思った事もあるし、マサヨシの子育てもほとんど1人だったから。だからそうね……辛いと思った事は数えきれない程あった」
「……」
好輝はギュッと辛そうに拳を握る。
想像できたとはいえ、あまりに直接的な言葉に好輝は体を強張らせる。
だが問題はない。
何故ならその拳は、既に暖かく優しいマユミの手に包まれていたからだ。
「けどね、辛い以上に幸せよ」
「辛い以上に……ですか?」
「ええ、辛いけど頑張ったから主人は今夢を全力で追いかけているし、マサヨシもああやって元気に育ってくれてる。確かに他の家庭と比べれば特殊だし辛いのかもしれないけれど、これが私の……私達の幸せなの」
「……」
「きっと好輝くんのお母さんもそう。幸せじゃなかったらきっと好輝くんは好輝くんになれなかった」
「僕が僕に……?」
「ええ、あなたが今のいい子な好輝くんに成れてるのは、お母さんがお父さんとあなたを愛しているから。だからあなたは、ただその愛を受け入れなさい」
「……はい、ありがとうございます」
話し終えた後には好輝の拳から力が抜けていた。
その様は、まるで好輝の心を表していた。
緊張と恐怖と不安で凝り固まった心が解かれたように、春を告げる雪解けのように。
「フフッ、いいのよ。じゃあデザートにしましょうか、確か冷凍庫にチーズケーキがあったわ」
「あ、私手伝います!」
「ありがとう、じゃあお皿4人分用意しましょうか。好輝くんも手伝ってくれる?」
「は、はい!!」
「あれ、もう皆集まってたのか? 酷いな俺を置いてケーキ食べようとするなんて」
「遅いあんたが悪いのよ、さっさとケーキ切るの手伝いなさい」
「人使い荒いなお袋は……はいはい分かったよ」
まるで家族のように温かく繋がった3人は、マサヨシを加え笑顔でチーズケーキを切り分ける。
そして、幸せそうに切り分けたチーズケーキを頬張るのだった。
とても、とても幸せそうに。
一件着信アリ。
『好輝、早く帰ってきなさい。大事な話があるわ』
だが好輝は知る由もない
その幸せが、たった数時間後に崩れようとしている事に。
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