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VR格闘ゲーム:フューチャー  作者: いるか
第一章 彗星突
4/10

迷いと言葉

 勝ちたくなかった。

負けるつもりだった。

なのに……なのに……。


『勝者! 日向好輝!』


 僕は勝ち残ってしまった。

彗星突コメット・スターの敗北と、父親の侮辱を受けて、僕は勝ってしまった。




「ドンドンッ――好輝、どうしたの? 学校は?」


 母さんが部屋の扉をノックする。

その音で僕は初めて、自分が一睡もしていないという事に気がついた。

でも長い時間を使って行ったのは、己の行動を振り返り後悔しているだけだった。


「起きなきゃ……」


 気だるい体を起こして、学校に行こうとベットから降りようとする。

でも……。


「……行きたくない」

「えっ……?」


 僕は部屋に入ってきた母さんにそう言って、毛布をかぶる。

そして、さっきまで開いていたスマホの画面を見た。


『日向の息子、大した事無かったな』

『彗星突思いっきり受け止められててワロタww』

『まあ所詮は昔の環境の技よ』


 誰かが立てた掲示板。

そこには僕への侮辱だけでなく、父さんへの侮辱も書かれていた。


「――ッ!」


 僕は思いっきり歯を噛み締める。

歯が折れそうなほどに、ギュッと。

本当なら今すぐ掲示板に、あいつらへ文句を書きなぐりたい。

父さんへの侮辱よりも酷い侮辱をぶつけたい。

 でも……僕にそんな事をする資格はない。

だってこうなったのは全て僕の実力不足が原因で、僕の軽率な行いが招いた事だから。


「父さん……」


 この掲示板はまだ作りたてのようで、SNS等で僕の敗北は騒がれていない。

どうやら僕の敗北した瞬間は、動画として使われていないようだ。

 だから彗星突が破られた事を知っているのは、数少ないフューチャーファンと実際に大会に出場した人だけだろう。

 でも、大きく騒がれるのは時間の問題だ。

そして、きっと学校ではもう騒がれている。

日陰の目的が僕の処刑であれば、結果を広げないはずがないからだ。


「……」


 怖い。

後ろ指を刺されるのも、侮辱をされるのも怖い。

でも1番怖いのは、みんなが僕と父さんを馬鹿にする事だ。

そう、あの時みたいに……。


『親が有名人だからっていい気になるなよ?』

『お前金持ちなんだろ? ちょっと金貸してくれよ』

『君って人生楽そうでいいね』


「ぐすっ……ひっ……いやだ……」


 乗り越えたつもりだった。

強くなったつもりだった。

でも、本当は乗り越えてなんてなかったんだ。

強くなってなんかいなかったんだ。

 ただあの時の記憶を思い出す機会が減っただけで、同じ状況になってしまえば僕はこんなにも弱くて惨めなんだ。

 日陰の処刑は見事に成功した。

きっと僕はもう、学校に行くことはできない。

そしてもし学校に行けるようになっても、きっと僕の居場所は……。


「好輝、入るよ?」

「え……陽子?」


 押し潰されそうなほどにのしかかる絶望。

無人島に1人置いてかれたような孤独感。

そんな感情が僕の心を支配していた時、まるでジメジメした負の感情を光で照らすような、聞き慣れた女子の声が僕の耳に入ってきた。


「陽子……学校は?」


 僕はその女子へ、咄嗟にそんな質問をする。

陽子が来ることを想定に入れていなかった僕は、ついお前がいうなと自分自身でツッコみたくなる言葉を口に出してしまった。

 すぐに自分の発言にハッとしたけれど、陽子は軽く笑いながら僕の質問に答えてくれた。


「おばさんから聞いたの、好輝が学校に行こうとしないって」

「母さんが……」

「おばさんはそれとなく聞いてくれればいいって言ってたけど、心配になって来ちゃった」


 陽子はそう言ってニカッと笑顔を向けると、僕のベットに腰掛けた。


「それで、どうしたの?」

「その……」


 陽子は僕の方を見ずに、優しい声で質問をする。

陽子は大事な話をする時、決して目をこちらに向けない。

理由は、真剣な顔を見られるのが恥ずかしいからだそうだけど、僕にはその気持ちがよく分からない。

 でも、今はその行為がとてもありがたかった。

今の僕は惨めで、陰湿で、とてもじゃないけど目を合わせて話そうなんて気にはならない。

きっと目を合わせられれば、何も喋らなかったかもしれない。

 だから僕は、とても情けない話なのにスルスルと自然に昨日あったことを話していた。


「なんてやつ……許せない」


 陽子は拳をギュッと握りしめて、体を震わせ怒りを示していた。

まるで自分の事のように怒りを示してくれる陽子に、嬉しさを感じる僕だけど同時に情けなくも感じてしまう。

 結局僕は高校生になっても陽子に頼りきりだ。

困ったら陽子に相談して、あまつさえ何とかしてもらおうとまで考えている。

 情けない……。

本当に僕は情けない……。


「……でもまいったわね、解決方法が思いつかないわ」


 陽子はそう言うと、顎に手を当てて唸る。

……そうなんだ、陽子の言う通りだ。

 今回、日陰は何も不正をしていない。

単純に僕が実力で負けて、その様が一部の人達に見られた。

ただそれだけの事。

 結局は大会に出た僕の軽率な判断が、この事態を招いてしまったんだ。

解決策としては……何1つとしてない。


「……諦めるしか、ないのかな」


 僕の口から、こぼれるように弱気な言葉が出る。

本当はこんな事言いたくない。

でもどうしようもない敗北感で心がいっぱいになり、気づいたら口から気持ちがあふれていた。


「好輝、諦めちゃだめよ」

「でも……僕の彗星突はあの時完全に防がれて……」

「け、けど! 私が見ていた動画にはそんな所、映ってなんか――」

「……実際に見られているんだ。だからこんなふうに書かれているんだ」

「好輝……」


 陽子の励ましの言葉を、僕の卑屈が否定する。

本当は僕だって諦めたくはない。

でも、僕の全力はあの時完全に封殺された。

 僕の全力、それはつまり父さんと同じ必殺技。

その必殺技を受け止められたという事は……。

僕と父さんの敗北を意味する……。


「でも、まだ違う方法だって」

「……ないよ」

「好輝……?」

「フューチャーで作った汚名は、フューチャーでないと濯ぐ事はできないよ」


 そう、ない。

フューチャーで作った汚名を、フューチャー以外でどうやって濯ぐというんだ。

 そして僕のフューチャー技術では、日陰に勝つ事なんてできない。

 つまり……僕はまたいじめられた惨めな日と同じ事を繰り返す。


「まだ諦めるには……そ、そうだ! 今から特訓しようよ、そしたらまだ可能性はあるかも! ほら好輝本戦に出場するんだしさ」

「無理だよ、また負けて更に状況が悪化する」

「そ、そんな事ないって、だって好輝のお父さんは――」

「ッ! 僕の実力と父さんは関係ないだろ!!!」


 陽子の言葉に、僕はついカッとなって叫んでしまった。

陽子は僕のために考えてくれてたというのに。


「あっ、ご、ごめん……」

「いや、私こそ……ご、ごめんなさい……」

「……」

「……」


 凄く苦しい無言の時間が続く。

なんで僕は叫んだりなんかしたんだろう。

更なる後悔が、僕の胸を締め付ける。

 でも、どうしても気持ちを抑えられなかった。

僕と父さんは別人だ。

父さんが強くたって、僕が強い理由にはならない。

その事は、今まで何年もの間一緒にいてくれた陽子が、1番分かってくれていると思っていたのに……。


「あの、好輝、本当にごめんなさい……」

「……こっちこそごめん、でも……今は1人にして欲しい」

「分かった、ごめんなさい……」


 陽子は立ち上がると、僕の部屋から出て行った。

その時、目から雫が溢れたような気がしたけれど……僕は気づかない振りをした。




♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



「あーあ、昨日の試合、負けたな」

「うん、負けたね……」

「あ、昨日の試合といえば、お前みたか?」

「え? ああケリーくんの無双?」


 学校の廊下。

生徒が次の授業に備えて慌ただしく移動する。

ある生徒は世界史の教科書を、またある生徒は数学の教科書を持って廊下をすれ違う中、男子2人が窓に背中をもたれかからせ話していた。

 片方は髪をオールバックにした口調の荒い男子。

もう1人は眼鏡をかけた、背の高い男子だ。


「ばっか、そっちじゃねぇよ、ほら日陰の」

「あー日陰のね……」

「正直、俺日向が勝つと思ってたわ」

「うん、俺もだよ。けど、まさか惨敗するとはなぁ」


 どうやらこの2人は試合に出場したようで、日向と日陰の戦いを知っているらしい。

 オールバックの男子が、やれやれと手を振って溜息を吐く。

その様子に、眼鏡の男子は苦笑いを浮かべる事で応えた。


「日陰が強いのか、日向が弱すぎるのか分からないけれどさ、今結構ネットで話題になってるんよ、あの試合」

「やっぱそうなんだ……」


 眼鏡の男子がその言葉に憐れみのこもった言葉を呟くと、オールバックの男子がスマホを見せて話を続けた。


「ほらここの掲示板、ボロクソに書かれてるだろ?」

「う、うわぁ……流石にこれは言い過ぎじゃ……」

「まあでも仕方ないよな、突然大会に日向進の息子が現れるんだ、そりゃ期待だってするだろうよ」

「でもこれは酷すぎるよ……」


 一通り書かれた内容を見た後、オールバックの男子はスマホをポケットにしまう。

そしてまたしても大きな溜息をついた。

その様子に眼鏡の男子が不思議そうに質問をする。


「でも君、こういう話題好きでしょ? だからこうして話しかけてくるわけだしさ。なのになんで今回に限ってそんな悲しそうに溜息つくの? いつもウキウキなのに」

「ウキウキって……そりゃまぁ否定はしねぇけどよ。でも流石の俺でも今回はちょっとウキウキになれねぇわ」

「え、もしかして……なんかあったの?」


 眼鏡の男子が、何かを察したのか顔を青ざめて話を続けさせる。

その様子を見てオールバックの男子は、周りをキョロキョロ見た後に小声で質問に答えた。


「実はこの話、結構学校で広がってんだよな……いやまぁ、広がってるというか、広げてるというか……」


 オールバックの男子が困ったようにそういうと、親指で「あれを見ろ」とジェスチャーをする。

そのジェスチャーに応え、眼鏡の男子がその方向に顔を向けると「あぁ」と呆れた様子で納得の声を上げた。


『やあキミ達、僕の試合は見てくれたかな? フフッボクの圧勝だっただろ? これで誰が強いか分かったんじゃない? ぜひ次の試合も応援してくれよ』


「……なっ、ああやって今朝からずっと1人1人、目があった人間に日陰が言ってんだ、そりゃまあ広がるよなぁ、俺達みたいに試合の結果を知ってる奴もいるし……ってやべ、こっちきた」


 男子達は日陰と目があった瞬間、その場を去ろうとしたがほんの数秒判断が遅かった。

 日陰はニヤニヤとした気持ち悪い笑顔を浮かべ、逃げる男子達を呼び止める。


「やあキミ達、次の授業はなんだい?」

「……そこの教室で数学だけど」

「そうかそうか、あ、授業で分からない事があったら是非聞いてくれよ、僕は結構数学得意だからね」

「そ、そうか、じゃあ今度そうさせてもらうわ、それじゃ俺達はこれで……」


 オールバックの男子が友人を連れてその場を去ろうとする。

しかし日陰は去る事を許さないかのように、肩に手を当てて強引に話を続けた。


「そうそうそれでキミ達、昨日のフューチャーのバトルは見てくれたかい?」

「あ、ああ強かったな日陰」

「フフッ、ありがとう、まあでもあの試合はボクが強かったわけじゃなくて、日向クンと、周りがあまりにも弱すぎただけなんだけどね」

「そ、そうなんだ」

「ああ、びっくりするほど弱かった。特に日向クンはね。ボクも最初は英雄の息子だからとかなり警戒してたんだけどねぇ、まさかあそこまで雑魚だとは……なんせ、あの彗星突を片手で止めてしまったくらいだからね。本当見掛け倒しだったよ」

「そ、そうか、じゃあ俺達はこれ――」


 男子達は何とかして日陰から逃げようとするも、日陰は肩に乗せた手を強く握って無理矢理話を続ける。


「それでね、キミ達に助言をしてあげようと思ってボクは話しかけたんだ」

「じょ、助言……?」

「そう助言、キミ達さ、もう日向クンには関わるのやめなよ、彼は親がすごいってだけの無能だ、関わるだけ時間の無駄になる。その点僕は優秀だ。フューチャーの技術は高いし何より未来性がある、どうだい? 今から僕のファンに――」


 日陰の言葉がどんどんと早口になり、男子達がげんなりとした顔を隠そうとしなくなったその時、日陰の肩をポンッと誰かが叩いた。

 日陰は話を止められたのがそんなに嫌だったのか、不機嫌なのを隠そうともせず、むしろ聞かせるように舌打ちをして後ろを振り向いた。


「チッ! なんだ……いっ!?」

 

 だが日陰は後ろを向くや否や突然襟を掴まれ、気づけばそのまま空中に上げられる。

日陰は地につかない足を必死にバダバタさせ目を見開き、驚きと恐怖で顔をのけぞらせた。

 そんな日陰の視線には、フューチャーのライバルであるケリー・マサヨシが立っていた。


「と、突然何をするんだ!?」

「お、おいケリー、どうしたんだ突然」


 普段穏やかなケリーから想像できない、腕力に物を言わせた暴力に日陰含めて周りの人間が動揺する。

何人かは止めようと話しかけるも、ケリーはその一切を無視し、怒りを堪えた笑顔を日陰に向けて口を開いた。


「あまり好かないな、そのやり方は」

「な、何がだい!?」

「敗者を勝者がさげすむ事だよ。確かに勝負において勝ち負けは絶対だ、でもだからって相手を陥れていい理由にはならない、勝者も敗者も勝ち負けに関係なく互いを高め合うべきだ」

「い、痛い! 痛い、離せマサヨシ!」

「今すぐ日向好輝に謝りたまえ、そして全力をもって日向好輝の評価を戻すんだ!」

「は、離せよマサヨシ!!」

「コラッ! そこで何をしている!」


 マサヨシが怒りで声を震わせ、日陰に謝罪を要求する。

だが結局マサヨシは、日陰が言葉を受け入れる前に教師に取り押さえられてしまった。


「ゲホ、ゴホッ、クソッ何をするんだ!」

「当然の報いだよ、日陰努」

「コラッ、いい加減にしろ! とにかくケリー、お前こっちこい」


 教師は無理矢理マサヨシの腕を掴むと、引っ張るようにマサヨシを連れて指導室に向かう。

 側から見ればマサヨシによる突然の暴力

本来であれば誰もが日陰を心配し、マサヨシに恐怖をするであろう。

 だが今回に限っては、周りにいたほぼ全員がマサヨシに「よくやった」と心の中で拍手を送っていた。




♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎




「クソクソクソクソ、クソがっ!!」

 

 ボクは帰り道、近くにあった石を罵声と共に思いっきり蹴飛ばして怒りを何とか抑える。

でも怒りは全く収まらない。

 むしろ親と同じように暴力で怒りをコントロールしている自分が虚しくなって、更に怒りが湧いてくる。


「くそっマサヨシのやつ! 教師にウソをつきやがって」


 あの後ボクは、何故か教師に注意をされる羽目になった。

理由はボクが日向をおとしめたからだ、と言っていた。

 チッ、あの無能教師が。

マサヨシの言葉を信じやがって。

ボクはただ、不自然に上がっていた日向の評価を元に戻していただけなのに。

 クソッ、まだ締め付けられた時の喉が痛む。

マサヨシの野郎め。

有能だと思っていたのに、結局は周りの馬鹿どもと思考は同じだったか。


「……ただいま戻りました」


 何とか家に着くまでに怒りを抑え、冷静に帰宅の挨拶をする。

本来であれば母親が迎えに来て、今日学校であった事を報告する事になっている。

 報告といっても、話すのは授業の内容ばかりだ。

どんな授業をしたのか。

分からなかった点はあったか、次の授業で学ぶのは何か。

 一頻り報告を終えた後、予習復習をして大学の勉強をする。

遊びやゲームなんて許されない。

ノルマを達成しなければ飯も食べられない。

地獄のような一日が、今から開始する。


 しかし今日はいくら待っても母親が迎えにくる事は無かった。

何かあったのだろうか。

 僕は部屋に行くためにリビングを通った時、電話をしている母親と目があった。

その瞬間、母親はギロリとボクを睨みつけて、そこにいろ、とジェスチャーをした。


「はい、はい、うちの息子が申し訳ありません、はい、はい……キツく言っておきます、はい……はい、この度はお手数おかけして申し訳ありませんでした。はい、はい……失礼いたします」


 ガシャン、と母親が通話を切りリビングの椅子に座る。

そしてボクを睨みつけた。


「努、そこに座りなさい」

「……はい」

 

 僕が座ると、その瞬間平手打ちが飛んできた。

興奮で顔を震わせ、充血しきった目がボクをにらむ。


「あなた、学校でおかしな真似をしたそうですね」

「……おかしくありません、当然の事をしたまでです」

「口答えをするんじゃありません!!」


 パシンッ!

もう一度、ボクは母親から平手打ちをくらう。

かなり力が入っていたようで、口の周りにじんわりとした生臭い鉄の味が広がった。


「あなた、自分が何をしたか分かっているの?」

「……」

「……あなたは日陰家の名前に傷をつけたのよ!!」


 今度の平手打ちは、さらに強かった。

ボクは勢いを抑えきれず、椅子から崩れ落ちる。


「フーッ、フーッ、いい、私達はエリートの家系、失敗は許されない、他人からの評価が全て、それは教えたはずよ」

「……はい」

「エリートは他を見下ろし、他から見上げられないといけない。なのに見下げられる立場になってどうするの!!」

「……」

「なに、その反抗的な目は! 日陰家の評価が下がれば、あなたの未来にも関わるのよ!」


 それから何度も暴力がボクを襲った。

跡が残らないように同じ箇所は避けて。

何度も何度も執拗に。

母親の怒りが収まるまで。


「今日は夕飯抜きです、その身に今回の反省を刻み込みなさい、次は無いですよ」

「……」


 母親は、ボロボロになった僕を見て満足すると自分の部屋へと入っていった。

 ……クソが。

何でボクがこんな目に遭わなければならない。

何で勝者のボクが周りを見下せない。


「これじゃ……だめだ」


 見下さなきゃ、意味がないんだ……。

ボクが、ボクが上に立たなきゃ……母親にも、父親にも、日向にも、マサヨシにも!!

じゃないと、この状況は変わらないんだ……!!!


『ピロリン』


 ……通知音だ。

この音は普段使わないメールの……という事は!


「は、はは、本戦の、次の相手が決まった!」


 対戦相手は……日向好輝!

……フフッ、ハハハッ!

どうやらまだボクにチャンスが回ってきてる。

 次こそはうまくやる。

マサヨシにも勝って、世界大会に優勝して、ボクの実力を世界に知らしめる!

 そしてボクはeスポーツの選手となり、母親や父親よりも稼いで見下すんだ!!


「そこで何をやっている」

「――ッ!?」


 ボクとした事が、完全に油断していた。

あまりにも浮かれすぎて、父親が帰宅した事にすら気づかなかった!


「こ、これはっ!」

「何を隠した」

「ち、ちがっ!!」

 

 ボクは咄嗟にスマホを隠してしまった。

大会に出場している事がバレないために。

でもそれは考えうる限り、最悪な抵抗手段だった。

 何もせず誤魔化すのが最適だったんだ。

この距離じゃメールの本文は分かりはしない。

なのに……クソッ!


「出しなさい」

「や、やだ!」

「いいから出しなさい!!」

「あ、ああっ!!」


 ボクは無理矢理体を抑えられ、後ろに隠していたスマホを取り上げられた。

そして……読まれた……。


「お前これ……」

「……」


 万事休すか……。

僕は全てを諦め、せめてもの抵抗に父親を思いっきり睨みつける。


「うるさい、何をしているのですか」

 

 そして、母親まで来た。

ああ、おしまいか……。

せっかくのチャンスを、ボクのどうしようもないミスで無駄にした。

くっ……。


「いや、私の勘違いだ、すまない」

「そうですか、でもあまり騒がないでください、騒音問題となれば日陰家の恥ですよ」

「すまない、気をつける」

「はい、そうしてください」


 父親はスマホをテーブルに置くと母親に謝罪する。

その様子に母親は一瞬怪訝な顔を見せるも、何か用事があるのか追及する事なく、また部屋へと戻っていった。


「……何のつもりだ」

「親に敬語を使わないと、また母さんに怒られるぞ」

「……」

「……」


 父親の言葉にボクは黙って睨みつける。

こいつが何を考えているのか分からない。

婿養子の父親は、母親に従わないと生活すら怪しい身の上だ。

なのに何故、ボクを庇ったんだ……?


「金……ですか?」

「……」

「貸し……ですか?」

「……」


 ボクは父親の目的を知るために、探り探り質問をする。

しかし父親は、まるで可哀想な物を見るかのような目でボクを見つめていた。


「……次はうまくやれ」

「えっ……?」


 結局父親は、特に真意を言うことなくボクにスマホを返すと、その場から立ち去ってしまった。

 ……何をしたかったんだろうか、あいつは。

しかし理由はわからないけれど、これでもう一度ボクにチャンスが回ってきたのは事実。

 ……次こそは、絶対に成功してみせる。

ボクはたった1つのチャンスをモノにするために、部屋で思考に耽った。




♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎




「……」


 結局僕は陽子を追い出した後、学校に行かず一日中部屋に篭った。

あれから陽子からは連絡はない。

 母さんからも何か言われる事もなく、12時になると昼ご飯が部屋の前に置かれ、20時になると夕ご飯が部屋の前に置かれた。

 今は21時。

引きこもりを始めてもう14時間。


「……」


 カチ、カチと薄暗い部屋の中、秒針が時を刻む音だけが僕の耳元に入る。

ひどい孤独。

今すぐにでもこの部屋から抜け出したい。

でも、僕には一歩前に進む勇気がなかった。

 本当はこんな事したくない。

また明日からいつもの日常を送りたい。

 母さんにおはようと言って、陽子におはようと言って、学校で皆と話して笑って、陽子と一緒に帰って、母さんとあったかい夕飯を食べながらいろいろ話して寝る。

 そんないつもの当たり前な生活を送りたい。

でも……。


『おい日向、金貸してくれよ』

『日向好輝とかいうクソ雑魚プレイヤーwww』

『え? お母さんを紹介してくれない……? このクソガキ! 調子乗ってんじゃねーぞ!?』

『実際、日向進って強かったんか? 息子があれじゃあ弱く見えてしまうんだが……』

『君、両親がすごいからって偉そうにしないでくれる?』

『日向進も所詮は環境を作っただけの男だからな、実際は親子揃ってクソ雑魚なんだろ』


「うわぁぁぁぁ、やめろやめろやめろ! 違う違う違う違うちがーーーう!!」


 でも僕の頭には、もう忘れたはずの言葉が、気にしないと決めたはずの掲示板の言葉が、何度も何度も頭の中を駆け巡る。

 怖くて外を歩けない。

恐ろしくて人と話せない。

僕は日向愛の息子である前に、日向進の息子である前に、ただの日向好輝という人間なのに……。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 もう何度目か分からない幻想と幻聴を振り払う。

気づけば僕の体は、冷や汗でびっしょりだった。

そういえば昨日の夜からお風呂に入っていない。

汗の乾いた、気持ち悪い匂いが鼻をツンとつく。


「せめてシャワーだけでも……」


 そう思って、シーツがぐしゃぐしゃになったベットから立ち上がる。

そしてドアノブに手を触れようとした時、僕の手は止まった。


「母さんになんて言おう……」


 今は21時。

部屋から出れば、ちょうど家事と仕事を終えてお酒を飲んでいる母さんに出くわす。

その時、僕はなんて言えばいいんだろう……。

そう考えていると、がしゃりとドアノブが回った。


「えっ……」

「……」


 これまで僕に干渉してこなかった母さんが、僕のドアを開けた。

何を言われるんだろう。

何を言えばいいんだろう。

動揺と緊張と罪悪感で、僕の心はぐちゃぐちゃになる。


「あの……えっと……」

「お風呂、入りなさい」

「あ……うん……」


 母さんはそれだけ言うと、部屋から出た僕を確認して部屋のドアを閉める。

そして、その後に何か言う事も無くリビングの方へと向かっていってしまった。


「……あの、母さん」

「ん?」

「僕に……何か言う事とか……ないの?」


 怒られるのだろうか。

心配されるのだろうか。

色々と考えてた事が馬鹿らしくなる程、いつも通りの母さんに僕は変な質問をしてしまった。


「好輝は、母さんに何か話したい事あるの?」

「えっ……それは……」


 質問に質問を返され、僕はおどおどとしてしまう。

母さんに言いたい事は山ほどある。

 隠し事をしていてごめんなさい。

学校に行かなくてごめんなさい。

心配をかけてごめんなさい。

 でも……話していいのだろうか。

母さんにもっと心配をかけさせてしまうのではないだろうか。

 そう思うと、どれもこれもが言葉となって出る前に消えてしまう。


「……」


 結局僕の答えは無言。

ずっと拳を開いたり握ったりするだけで、何も言えなかった。

そんな僕を見た母さんは、呆れたのか困った顔を浮かべる。


「好輝、お風呂から出たら母さんの部屋にいらっしゃい」

「え……? う、うん、分かった」


 そして母さんは僕にそれだけ言うと、軽く笑って一階に降りてしまった。





「……母さん、出たよ」

 

 風呂上がり。

僕の体からツンと刺さる汗の匂いが全て取れて、石鹸の心地よい匂いが僕の体を包み込む。

 いつもならリラックスできるこの匂い。

でも今はバクバクと鳴る鼓動の音がうるさ過ぎて、匂いどころかリラックスすら出来なかった。


「いらっしゃい、そこに座って」

「う、うん」


 母さんが指さすソファに僕は腰掛ける。

目の前の机には、2つの麦茶が置かれていた。

 母さんの部屋はとても物が少ない。

ソファと机と、パソコンにモニター。

それと専用の冷蔵庫とエアコン。

それだけだ。

 というのも、母さんには専用の部屋がなく普段はリビングにいる。

母さんが部屋を使うのは、それこそ仕事の時と寝る時くらいだろう。

 だからなのか母さんの部屋は物が増えないし、本人も増やそうとしていない。

僕が座っているソファも1つしかないので、必然的に母さんが隣に座る。



「……ねぇ好輝、好輝は母さんに隠し事してるでしょ」

「……うん」


 僕は正直に答えた。

母さんは嘘を見抜くのが得意だ。

契約話や社員の面談などで、相手が嘘をついていないか見抜くために色々と勉強し、実践してきたらしい。

 だから嘘をつくだけ無駄だし、何より母さんには隠し事はしても嘘だけはつきたくない。


「そう……」


 僕の答えに母さんは、それだけ言うと麦茶を飲んだ。

釣られて僕も飲む。

普段なら麦の香りと清涼感が僕を癒すだろう。

でも今は緊張で香りどころか、温度すら分からない。


「……」

「……」


 それから母さんは何も口に出さなかった。

1秒が永遠に感じられるほど、長い無言の時間が続く。

その時間に僕は耐えられなくなって、口を開いた。


「……聞か、ないの?」

「何を?」

「隠し事を……」

「話したいの?」

「……」


 母さんの質問に僕は無言で返す。

今置かれている状況を全て話してしまってもいいのだろうか。

 僕と父さんがネットで誹謗中傷を受けている事。

日陰という人間に負けて、怖くて学校に行けない事。

これからどうすればいいのか分からないでいる事。

 でもどれもこれもが、自分の蒔いた種だ。

ここで母さんに頼っては、また陽子に頼ってた小さい頃と変わらない。

いや、下手すればもっと酷くなる気がする。


「話したくないのなら、無理に話さなくていいのよ」

「え……?」


 母さんは無言で俯く僕の頭に、ポンッと手を乗せてそう言った。

そしてキョトンとする僕に、軽く笑って言葉を続ける。


「あなたは今、母さんに頼る事を躊躇っている。自分で答えを出そうとしている。でも、まだ答えは出てないのよね」

「うん……」

「だったら悩みなさい。何日でも何週間でも、何年でも何十年でも」

「……」

「そうやって悩んで悩んで悩んで、出した答えに意味があるの、たとえ間違っていたとしてもね。だから母さんは何も言わない」

「母さん……」


 母さんはそう言うと、僕の頭から手を離しノートパソコン取り出した。

 そしてカタカタとキーボードを鳴らすと、薄れいく記憶の中で、今なお僕の記憶から離れない、あの時の動画を母さんは再生した。


『おーーーっと、日向選手、ここで大きく旋回! これはケリー選手とここで一気に決着をつける作戦かー!?』


『でたぁぁぁ! 日向選手の必殺技、彗星突だぁぁぁ!』


『ゲームセットォォォォォ!! ウィナー、ジョン・ケリー!!!!』


 動画にしておよそ2分半。

父さんとケリーさんが世界大会で戦い、お互いの必殺技をぶつけ、そして父さんが敗れた戦い。

 今見ても胸が躍るこの熱い闘いを、母さんは目を細め、尊いものを見るかのように大事そうに見ていた。


「あなたがeスポーツの選手を目指すのを、私が快く思ってないのは知ってるわよね」

「え、う、うん」

 

 唐突な話の切り替えに、僕はどもりながら答える。

その様子を見た母さんは、軽く笑って動画ファイルを再生する。


「だからあなたをeスポーツに近づけさせないために、あらゆる物から遠ざけたわ。流石にゲームを没収するのはやめたけど、父さんのトロフィーとか、父さんのコントローラーとか」

「うん……」


 母さんは僕のために、わざと父さんから遠ざけた。

eスポーツの選手を目指させないために。

それは知っているし、この前もそんな話をした。

なのになんで急にそんな話をするんだろう……。


「実はね、その他にも気づいてないかもしれないけれど父さんが映ってるインタビューとか、試合の動画とかも殆ど消したのよ」

「えっ、そうなの!? でも……」


 それは初耳だった。

そういえば確かに言われてみるとそうだ。

父さんとの思い出の品がない事は知っていたけど、動画とか画像データも殆ど存在していなかった。

けれど、それなら何故目の前の動画は……。


「……そう、この動画だけは消せなかったの」


 僕の疑問に、母さんは質問する前に答える。

優しく、そして少しの哀愁が漂った顔で動画ファイルを見つめながら。


「何度も消そうと思った。でもその度に悩んで、また今度、また今度と考えちゃう」


 動画ファイルには「進 試合 0584」と書いてあった。

つまり、0001番から0584番以上あった数ある動画ファイルの殆どを消しても、この動画だけは消せなかったということを意味する。

 母さんは父さんとの思い出を全然話さないけれど、動画に残しているという事は、毎回試合を楽しみにしていたという事なんだろう。

 そんな貴重な思い出を、僕のために消してくれた。

その事に胸が熱くなると同時に、やはりあの疑問が強くなる。


「どうして母さんは、この動画を消せてないの?」


 当然の質問だ。

けれど、なんとなく答えが分かるような気がした。

僕がそうであるように、母さんもきっとこの思い出だけは消したくないんだ。

 だから僕は母さんから僕と同じ意見を聞きたくて、あえて質問を口にする。

その質問に母さんは、遠い目で此処ではない何処かを見て答えた。


「それはね、この動画を見ると……とても幸せな気持ちになるの」

「幸せな……?」

「そう、幸せ。ふふっ、好輝にはまだ内緒だけどね」

「え、えぇ……」

「そうね、あなたが大人になった時に教えてあげる。年齢的にも、精神的にもね」

「大人になった時……?」


 予想外の答えに、その言葉の真意が分からず首を傾げてしまった。

てっきり僕と同じ理由だと思ったのだけど……。

 母さんが疑問で首を傾げる僕を見ると、もう一度動画ファイルを再生する。

そして動画を見終わった後に、また優しい顔で僕を見た。


「まあただ1つ言えるのは、この彗星突は父さんにも、母さんにもすごく大事な技なの、そしてこの動画の彗星突だけは、私の心に強く響いているって事ね」


 母さんはそう言うと、ノートパソコンを閉じる。

そしてお茶をぐびっと飲んだ後、視線を僕に戻した。

その視線には、もう父さんとの思い出話をする哀愁漂う姿はない。

優しくてカッコいい、いつもの母さんの視線だった。


「好輝が何を悩んでいるか分からない、でもね、あなたの倍は生きている母さんですら、こうやって悩んでいる事があるのよ、だから急がないでゆっくり答えを出しなさい。たとえそれが間違っていたとしてもね」

「……間違っていたら、どうするの?」


 僕は母さんを見つめ、質問する。

確かに答えは必ずしも合っているとは限らない。

なら間違っている時はどうしたらいいのだろうか。

僕の問いに、母さんは僕の頬に手を添えて答えた。


「また悩めばいいのよ、そうやって何度も何度も悩んで、答えを出してまた悩む。それが生きるって事よ」


 悩んで、答えを出して、また悩む、それが生きるって事……か。

僕は心の中で母さんの言葉を復唱する。

まだ僕は答えを出せてはいないけれど、でも、こうやって悩んだ先に、きっと僕だけの答えがあるはずだ。

 その答えがあっているか分からないけれど、その時はまた悩めばいい。

そう思うと、途端に僕の心は軽くなった。

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