彗星突と勝負
しばらくは毎日投稿になります。
『スリー、トゥー、ワン……』
ゲームから発せられる、機械的な音声がカウントダウンを始める。
今から僕がやるのは、VR格闘ゲーム”フューチャー”。
やり方は簡単で、フューチャー専用のVRゴーグルを頭に装着。
そして付属しているリモコンのようなコントローラーを左右の手で握る。
後はVRゴーグルから送られる、視覚的な情報を元にコントローラーでユニットを操作するだけだ。
かなり独特な操作方法だけれども、慣れてさえしまえばユニットをまるで自分の体のように操作できる。
ルールも非常に簡単だ。
敵の体力を0にした方の勝ち。
しかしそう上手く事は運ばない。
ユニットは動かす毎に、エネルギーというゲージを消費する。
このエネルギーが無くなってしまうと、暫くの間動けなくなってしまうので、このゲージをどう管理するかがゲームのキモだ。
エネルギーは動かないでいれば自動的に回復する。
しかしその行為は、隙だらけという意味でもあるので非常にリスキーだ。
そこで編み出されたのが、持久戦という立ち回り方。
エネルギー消費量は攻撃と防御では、防御の方がエネルギーを使う。
つまり少ないエネルギーでガンガン攻撃して、持久戦に持ち込む。
この立ち回りが、フューチャーの基本とされている。
『ゲーム、スタート』
そうこうしている内にカウントダウンが終わり、機械的な音声が戦の始まりを告げた。
僕はその声と同時に、ユニットを発進させる。
「ゴーッ! サン・フレア!」
サン・フレアは、僕の掛け声と同時に地面から飛び立つ。
僕のユニットは、赤い甲冑を身に纏う武士のような見た目のユニット。
武器は長い槍。
長い柄に円錐の穂先を付けた見た目で、色は赤だ。
歴史の資料でよく見る、西洋の騎馬隊が持っていた槍によく似ている。
名前は「トリアーナ」だ。
戦闘フィールドは市街地。
戦闘フィールドは基本ランダムで選ばれる。
市街地の他には荒野、海岸、城、等々がある。
そして、それらの戦闘フィールドはそれぞれに特徴的な要素が組み込まれている。
今回選ばれた市街地の要素は、遮蔽物だ。
市街地は実際の街のように、ビルや住宅地などが建てられており、それらの建物を使って隠れる事ができる。
人によっては物陰から突如現れ攻撃する戦法を主体としており、そういった人の試合を見ると非常に緊張感があって面白い。
けれど、じゃあ隠れていればいいのかと言ったらそんな事はない。
範囲的な攻撃を行う敵は、建物自体を攻撃してくるので油断ならない。
そしてこれから戦う敵は、範囲攻撃をしてくるNPCユニットだ。
「まずは建物の後ろに隠れて索敵……」
フューチャーでのバトルにおいて、敵の位置を先に知る事は非常に重要だ。
敵の位置さえ分かれば奇襲が出来るし、逆に奇襲に備える事が出来る。
自分の流れを作る事が出来る奇襲は、何としても成功させておきたい。
「……見えた!」
僕は敵の場所を把握した。
場所は僕からそう遠くない。
空中であたりを見渡しながら索敵をしている。
ちなみに敵ユニットは、僕と同じ見た目をしている。
ただし武器と色が違う。
武器は大剣で、ユニットと同じくらいの大きさがある。
色は武器、装甲、ともに白色だ。
相手の武器的に、勝負の結果はこの奇襲で決まる。
その理由は、僕と相手の武器相性にある。
僕の武器は大剣のリーチ外から攻撃が出来る。
つまり奇襲さえ成功してしまえば、後は相手のリーチ外から攻撃をしまくれば僕の勝ちは揺るがない。
しかし相手の武器は、全武器種の中で最強の攻撃力を誇る武器だ。
つまりこの奇襲が失敗してしまうと、大剣による攻撃で僕は速攻ノックダウンしてしまう。
反撃できない事もないけれど、大剣のリーチ内では僕の武器はまともに機能しない。
1、2発相手に与えて敗北が、関の山だ。
「さぁいつ奇襲するか……っ!?」
「ゴゴゴォォォォ!」
いつ奇襲するかと考えていたその時、痺れを切らした敵ユニットが行動を起こしてきた。
なんと近くのビルを破壊して回っている。
僕が見つからないからか、目に入る全てのビルを破壊し障害物を消してしまおうという考えのようだ。
大雑把にも程がある。
なんだか陽子みたいなやつだな。
けれどこの作戦、雑なように見えて実はかなり理にかなっている。
大剣は破壊力はあれど、手数や搦手が一切ない攻撃全振りの武器種だ。
なので下手に敵の動きを探るより、今相手がやっているようにビルを破壊し炙り出す事で、タイマンを仕掛けた方が勝率は上がる。
でも、相手の作戦には1つ大きなミスがあった。
それは僕がいる場所とは全く違う場所を破壊しているという事。
これじゃあ「どうぞ攻撃してください」と言っているようなもんだ。
なので、僕はお言葉に甘えて攻撃する事にする。
あの技のちょうどいい練習相手になりそうだし。
「えっと、確かギューッとやって、ドカーン……」
僕がこれから使おうとしている技は、父さんから受け継いだ秘伝の大技。
その名も”彗星突”
一発逆転すら可能とする必殺技である。
さっき話した通り、フューチャーの定石は持久戦。
そのため発売当初、プレイヤー達はひたすらに弱攻撃を極め続けていた。
しかし僕の父さんは違った。
周りが一撃一撃のエネルギーをいかに節約するかばかりに目がいっている中、あえてエネルギーを爆発的に使い強力な攻撃をするという戦い方を考えだしたんだ。
そして、父さんが出した答えは武器の強化だった。
実は過去に武器の強化については、様々な人間が何度も考案をしていた。
何故ならエネルギーを使えば武器の攻撃力があがり、かつ長い武器を使えば、相手のリーチ外から一方的に勝つ事すら出来たからだ。
しかも武器強化を行うと、強化に使ったエネルギーだけ白く発光するというカッコいい演出から、どうにかして使おうというプレイヤーが後を絶たなかった。
しかし、持久戦という戦い方が確立されて以降は武器の強化を行うものはいなくなってしまった。
それもそうだろうと思う。
いくら強化した武器を使っても、持久戦に持ち込まれると当てる事すら難しい場面が多く出てくる。
ただでさえ攻撃するだけでもエネルギーを使うのに、武器強化にもエネルギーを使うとなると、燃費の悪さがかなり際立つ。
例えるなら息が上がっている状態で、体力満タンの選手と持久走をするようなものだ。
一部の例外を除いて勝てるわけがない。
そう、一部の例外を除いて。
そして、父さんはその例外に目を向けた。
その例外とは、持久走で走る距離を一気に駆け抜けてしまおうというもの。
エネルギーを使って息が上がるのであれば、持久戦相手にでも短期決戦に持ち込めるほど強化してしまえばいい。
言われてみれば単純な事。
しかし単純ゆえに思いつかなかったこの作戦は、フューチャー界に大きな反響を呼んだ。
これまで一度流れを掴まれると逆転は不可能と言われたフューチャーは、やる側も見る側も非常に地味なゲームだった。
「ただひたすらに弱攻撃を繰り出し続ける作業ゲー」とまで言われた程だ。
けれど一発逆転の武器強化により一変。
流れを掴んでも、そして掴まれても武器強化により逆転されてしまう、常に油断できない奥深いゲームへと進化した。
そして、その性質からあるものが武器強化をこう呼んだ。
必殺技と。
そう呼ばれ始めてからは早かった。
必殺技の認知が急激に広がり、あらゆる者が必殺技を作っては披露し、地味な立ち回りに大きな花が咲いた。
そして、必殺技を絡めたド派手な立ち回りが様々なスポンサーやeスポーツ協会の目につき、数々の世界大会が開催。
それ以降、フューチャーはeスポーツで有名となり、様々な選手の必殺技に名前がつけられ、大人から子供まで熱く盛りあがれるゲームへと進化していく事になったのだ。
ちなみに父さんの必殺技、”彗星突”もファンの人が名付けた名前で、僕も父さんもすごく気に入っている。
……とまあ、ここまで必殺技を長く語ってきたのだけれど、実はこの必殺技には1つ大きな難点がある。
その難点とは、発動の難しさだ。
「くっ、やっぱり難しいな」
言うは易く行うは難し。
この言葉が示すように、エネルギーを使用し武器を強化する、というのは一朝一夕で出来るものではない。
重要なのはイメージ。
エネルギーは脳内のイメージによって操作が出来る。
でも僕にそんな高度なこと、出来る気がしない。
どんなに上手くイメージをしても、途中でイメージが崩れてしまう。
父さん曰く、彗星突は「ギューッとやって、ドカーンだ!」らしい。
……分かるわけがない。
だから僕は、僕が使えるように少々イメージを変更した。
「流れるは彗星、道のりは流星……」
父さんは彗星突を瞬時に出していたけれど、僕はそんな事出来ない。
だから順序を加える事にした。
彗星突の発動をゴールとし、そこに行き着くための順序をイメージする。
小さな流れ星が集まり、彗星となる。
本来の彗星はそんな事ない。
でも何故かこうイメージすると、うまくいく。
時間はかかるけど、確実な発動方法だ。
そしてイメージが固まったその時、僕のトリアーナは白く輝きはじめた。
強化された武器は白き輝きを放つ。
つまりこれは成功って事だ。
「いくぞ――!」
僕はトリアーナを持って敵ユニットに向かい、ぐんぐんとスピードをあげる。
「うおぉぉぉぉぉ!」
スピードが上がるにつれ、僕の視界はぐらぐらと揺れる。
空気抵抗をも再現するフューチャーは、ただ真っ直ぐ進むだけでも至難の技だ。
だけど僕は、なんとか体勢を維持し敵を見据える。
この迷いなきスピード。
これこそが、父さんの必殺技を形作る、最後のピース!
故に、今ここに、彗星突は完成する!
「――!?」
「そりゃぁぁぁぁ!」
「ガシャン!!」
僕の耳に、勝利を示す敵を貫く音が届く。
僕の彗星突は、完全に敵の不意を突きその体を貫いた。
そして――!
『パーフェクトキル! ウィナー、サン・フレア!』
NPCユニットを1発でキルした。
「うしパーフェクトキル、ゲット!」
パーフェクトキル。
敵から一切ダメージを受けず、倒し切った証だ。
NPC相手では当然の結果だろうけど、何となく嬉しい気分になる。
「ふぅ、まあこんなもんかな」
バトルを終えた僕は、VRゴーグルを頭から外す。
結構重いものだけど、集中していると案外忘れてしまうもの。
でも重い事には変わりないので、現実世界に戻ると一気に肩や首が痛くなる。
「あいたたた……」
僕は肩をぐるんぐるんと回し、首を左右に捻る。
どうやらかなり凝り固まっているようで、少し動かすだけでポキッポキッと関節から音が鳴っていた。
これで20試合目。
全部相手はNPCであるけれど、敵の強さはレベルマックスなので結構疲れる。
「やばっ、もうこんな時間だ」
今日は日曜日。
ケリーさんと話した後、なんとなくやりたくなって始めたフューチャーだけど、時計の針はもう夜の10時を指していた。
明日の準備は既に済ませてある。
僕は専用機器を元の場所に置いて、ベットの中へと飛び込んだ。
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「アマチュア世界大会開催……か」
ボクはユニットの装備をカスタムしながら、ネットに書いてある記事をスクロールして見ていく。
ユニットのカスタムだけなら、タブレットのアプリで事足りる。
フューチャーは常に進化する。
必殺技は勿論の事、装備や武器までもがオリジナリティを求められる昨今、日々ユニットの調整、改良は必須事項だ。
電気を完全に消した、暗い部屋の作業。
ブルースクリーンから発せられる青い光が、ボクの目を刺激する。
ボクはこの空間が大好きだ。
この空間はボク1人しかいない。
誰もボクの領域に踏み入らない。
ここが、ここだけがボクの世界なんだ。
「ドンドン――努、おい努!」
……チッ。
煩いノイズがボクの空間に入ってきた。
父親がドアをノックする音。
ボクはこの音が、とてつもなく嫌いだ。
「……なんの用ですか?」
ボクはドアを開けて、偉そうに立つ父親を見る。
「降りてきなさい、お母さんが待っている、それと部屋をそんなに暗くすると目を悪くするぞ」
「……分かりました」
ボクの肯定に、父親は何も言わず下に降りる。
どうやら今日も、あの話だ。
ボクは父親の二歩三歩後ろで、同じように階段を降りて、母親の待つリビングに向かった。
「努、あなたまだこんなのを買っているのですか?」
母親が握っていたのは、中古屋のレシート。
そこにはボクが買ったゲームの名前が、ずらりと書いてある。
「それは大会の賞金で購入したものです、どう使おうとボクの勝手なはずですが」
「――ッ! 口答えするんじゃありません!!」
バシャン。
ボクの顔に水がかけられた。
母親の手元にあったコップの水だ。
冷たくて寒いけど、冷や水だっただけまだマシか。
お湯で火傷する時と比べれば、痛くも辛くもない。
「ゲームなんてするんじゃありませんと言ってるの!! また没収されたいの!?」
チッ、この人は何を言っているんだ。
もう没収なんてする物、無いはずなのに。
そのレシートだって1ヶ月前の物だ。
どこで見つけたか知らないけれど、買ったゲームはとっくに中古屋に売り飛ばしている。
「……」
ボクは無言で母親を見つめる。
酷く冷たい、無の空間。
髪から滴り落ちる水だけが、ポチャリ、ポチャリと音を立てている。
「……はぁ、もうこれを言うのが何度目か分かりませんが、私達日陰家はね、由緒正しきエリート家です」
また始まった、母が過去の栄光に縋り付く時間。
父親は婿養子なので、一切止めようとしない。
……はぁ、また無駄に時間を使うのか。
「あなたのお爺さんも東大、私も東大、だからあなたも東大に行かなければなりません、なのにこんなゲームばかり……こんなのの何がいいのかしら」
東大、東大、東大。
母親は口を開けば、その言葉ばかり。
かなり有名な、天才が集う大学とは聞いている。
でもボクはそんな所、行きたくもない。
ボクはボクなりのやり方で、この世界に爪痕を残すと決めた。
決められたレールを走るなんて、まっぴらごめんだ。
それも昔からの伝統だなんて、反吐が出る。
「そのくだらないゲームとやらが、今世界を動かしている。いい加減認めてみては?」
だからボクは、あえて挑発的な態度を取った。
ボクは絶対に東大に行かない。
縁を切ってもらって結構だ。
――パシン!
しかし母親から返ってきたのは、暴力だけだった。
母親はボクを一頻り叩いた後、満足したのかリビングから出て行く。
ほらな、自分の怒りを暴力でしかコントロールできない人間が、自分をエリートだなんて言ってるんだ。
そんな人間の指図を受けるつもりなんか一切ない。
「今に見てろ……ボクはボクのやり方で、いずれお前らを見下してやる……!」
ボクはヒリヒリと痛む頬を抑え、誰もいないリビングでそう呟いた。
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「くー、相変わらず煩いわね、ここっ!!」
ある日、僕と陽子はゲーセンに出かけた。
というのも今日は祝日。
学校も休みなので、久々に陽子とゲーセンに遊びに行く事にした。
でも正直、カラオケとか釣りとかの方が良かったかもしれない。
自動ドアを開けた瞬間、様々なゲームのBGMが耳に流れ込み鼓膜を刺激する。
プリクラ、コインゲーム、クレーンゲーム、その他等々。
ゲームの種類に節操のないこのゲーセンは、まるで子供の玩具箱みたいだ。
確かに遊ぶにはちょうどいい場所かもしれない。
けれどこの節操の無さから生まれる不協和音は、聞いていて非常に体力を持ってかれる。
陽子も耳を抑えて顔を顰めていた。
「ねぇ陽子、今からでも場所変えない!?」
「えー!? なんて!?」
「だーかーらー! 場所! か、え、な、い!?」
「えー!? 映えない!? そんなの当たり前でしょうが!!」
誰がここを見て、映えの話しをするよ。
ここが映えないくらい僕でも分かる。
ここが映えるなら、物置状態になっている家の客間を投稿すれば100万ええやんを貰える気がする。
「はぁ、陽子、場所変えるよ!」
この場所では意思疎通すらまともに取れない。
だから僕は言葉で伝えるのを諦め、無理矢理移動するために陽子の腕を掴もうとする。
その時、僕の目にあるゲームが目に入った。
「フュ、フューチャーのアーケード版だ!!」
VR格闘ゲーム”フューチャー”のアーケード版。
家庭用機器では首が疲れてしまう。
そもそも値段が高い。
もっと臨場感が欲しい。
そんな様々なユーザーの声に応え、1年程前に設置されたのだけれど、まさかこんな所でお目にかかれるなんて……!
「……好輝? どうしたのよ」
基本的な操作は変わらない。
しかし様々なところに手が加えられた事によって、家庭用ゲーム機と大きな差別化を果たした。
その中でも1番の差別化点と言えば、バーチャルビジョンフィールドの設置だろう。
バーチャルビジョンフィールドとは、映像を立体化して表示し、VRゴーグル無しでもバーチャル映像を見る事を可能にした機器だ。
「おーい、好輝ー」
僕の父さんが戦った世界大会でもこの機器は使用され、VRゴーグル無しで大人数の観戦を可能にした。
さらに大会さながらの雰囲気を味わえ、戦況を俯瞰的に見る事による新感覚な操作を実現。
しかもワンプレイ100円で出来るとあって、設置されるや否や長蛇の列を作り出し、フューチャーの知名度を更に上げる事に成功した。
こ、これは是非ともやるしかない!
「好輝!!!」
「はっ、はいなんでしょう!?」
いきなり陽子に耳元で叫ばれ、僕はとても綺麗な気をつけの姿勢をとる
そして、陽子が叫ぶ時は大体めちゃくちゃ怒ってる時だ。
僕は恐る恐る陽子の方を振り向くと、ぷくーっとフグのように頬を膨らませる陽子の顔があった。
「ど、どうかされましたでしょうか……?」
「どうかじゃないわよ、さっきから私の事無視して!」
「い、いや無視って訳じゃないんだ、ほら、アレに気を取られてて……」
僕はフューチャーのアーケード機器に指をさす。
陽子は視線を僕の指した方に向けた。
きっと分かってくれるだろう。
きっと僕と同じ事を考えるだろう。
そう考えてると真っ赤になってた陽子の顔は、どんどんと青ざめていく。
あれ、何でこんなリアクションなんだ?
「よ、陽子?」
「ひ、ヒッ!?」
そして途端に僕の背中に隠れてしまった。
「な、なんだよ陽子、どうしたんだ?」
背中に隠れた陽子に声をかけると、陽子は必死に「シーッ」と人差し指を口元にあげて、僕に静かにしろとジェスチャーしてくる。
どうしたんだろう、何かに追われているのだろうか。
そう思ってもう一度前を向くと目の前に、どこかで見た事あるような男子が立っていた。
「う、うわっ!?」
僕は突然目の前に現れた男子に声をあげてしまう。
えっと彼の名前は確か……そう!同じクラスの日陰努さんだ。
どこかで見た事あったようなと思ったけど、同じクラスなら当たり前だ。
その日陰さんは眉を顰めて睨みつけてくる。
「キミさ、人を見て叫ぶ奴があるかい? 本当、この町の人間は常識がなっていない」
いやいきなり目の前に立つ方が常識ないだろう。
僕は喉元まで出かかった言葉を、ゴクンと飲み込み謝罪する。
「あ、あの、ごめんなさい、失礼しました」
「……フンッ、それよりさ、キミの後ろにいる子、ボクに紹介してくれないかな?」
彼は僕の謝罪を鼻であしらうと、ウェーブがかかった黒髪を右手でかき上げ、見下ろすように僕を見てくる。
「え、な、ナンパですか!? いや、やめといた方が……」
僕は彼の発言が心配になり、咄嗟に助言を口に出すと陽子に尻をつねられた。
痛い痛い、ごめんなさい!
「はぁ埒が明かないね、もういいよ、キミは退きたまえ」
「え? あ、うわぁっ!?」
日陰さんは、不機嫌そうに僕の肩を掴むと、後ろの方に投げ飛ばされる。
よろめいた体をなんとか直し、流石に文句を言ってやろうと思ったその時、僕は衝撃の光景を目の当たりにした。
「優希陽子さん、率直に申し上げます、ボクとお付き合いしてください」
「ごめんなさい、何度も言ってますが、私はあなたとはお付き合い出来ません」
「え、えぇーーーーー!?」
日陰さんが告白し、陽子がその告白を振る。
想像もしてない状況に僕が声を上げると、彼は僕の方を振り向いた。
「なんだい、見せものじゃないよ、キミはもう用済みだからどっかに行きたまえ」
え?え?え?
意味がわらない、訳がわからない。
陽子は確かにモテる。
黙ってれば可愛いし、性格だっていい。
でも流石にナンパされて告白されるのは、初めて見る光景だった。
あれ?でも同じクラスの人間に外で告白されるのって……ナンパって言うのか?
「あ、あの、お2人はどういったご関係で……」
頭がテンパって、陽子にまで敬語を使ってしまう。
そんな僕を見かねて、陽子が1つ溜息をついて説明してくれた。
「日陰くんにはね、入学式当日から言い寄られてるの、毎回お断りをしてるんだけど、しつこくて……」
「毎回言い寄っているんじゃない、毎回ボクはキミにチャンスをあげているんだ、ボクという人間と付き合えるチャンスをね」
う、うわぁ……こいつ完全にやばい奴じゃないか。
日陰さ……いやこんな奴、呼び捨てでいい。
なんとかして日陰から陽子を守らないと。
「あの、すみません、流石にそれはストーカー行為では? 校則にある、健全な男女の付き合いに反すると思います、それに校則以前に犯罪です」
僕が陽子の前に出て、日陰にそう言う。
実はこういう輩は、前にも経験がある。
陽子は明るく気さく、そんで黙ってれば可愛いので、結構モテるタイプなんだ。
でも誰彼構わず同じように接するので、厄介なのに狙われやすい。
中学の時も同じような奴がいて、こんな感じで撃退した。
流石にこの程度の脅しでは直ぐに収まらないだろうけど、しばらくの間陽子と一緒にいればその内諦めるだろう。
なんなら中学の時みたいに、また彼氏役でもすればいい。
「……チッ、キミ、覚えておきなよ」
僕の言葉に日陰は舌打ちをすると、そそくさとその場から立ち去っていった。
あれ、案外厄介な奴じゃないのかな?
「ごめん好輝、ありがと……」
「いいさこんくらい、それで今日はどうする?」
「……今日はもう帰る」
「了解、家まで送るよ」
僕はゲッソリとなっている陽子の手を掴み、ゲーセンを後にした。
『キーンコーンカーンコーン』
学校の終了を告げるチャイムが鳴り、僕達は帰りの支度をする。
あれから日陰が僕達の所に来る事は無かったけど、念には念をだ。
今日も陽子と一緒に帰ろう。
「陽子、帰りの支度できた?」
「うん! 一緒にかえろー!」
陽子は席から立ち上がり、カバンを背負うと先に教室を出る。
僕も続いて教室を出ようとした時、なにか周囲から奇妙な視線がある事に気づいた。
陽子との仲を噂されているのだろうか。
……いや違う。
何か別の、まるで珍しいものを見るかのような目だ。
僕は両親が特殊な事もあって、何かと視線に晒されてきた。
ある時は記者の張り込みだったり、ある時は母や父とのコネクションとして誘拐まがいな事をされそうになったり。
だから視線については何かと分かる。
でも何故僕がそんな視線で見られているのだろうか。
母についても父についても、入学式そうそうに知られはしたけれど、すでに興味は薄れたはず。
今更こんな視線を受ける心当たりはない。
「なあ日向、お前世界大会に出るって本当か?」
「え!?」
僕がクラス中を見回していると、そこそこ仲のいい男子に声をかけられた。
僕が彼の話す突然の内容に驚いていると、彼はニヤニヤと笑いながら肘で僕を突く。
「んなくさい演技して隠さなくたっていいって、ほらこれ、あ、今通訳オンにするな」
彼はそう言うと、僕にスマホを見せる。
そこにはケリーさんが報道陣の前で、何かを発表する動画が映っていた。
『ケリーさん、あなたがバーチャルシステムズがメインスポンサーの、アマチュア世界大会に出場されるのは本当ですか?』
1人の男性が、マイクを持ってケリーさんに質問をする。
ケリーさんはその男性を見たあと、カメラを見てニヤリと笑った。
『ああ本当だとも、私はその世界大会に出場する』
ケリーさんの言葉の後、シャッターを切る音が室内中に響き渡る。
動画越しからも伝わるフラッシュに、目がチカチカしそうだ。
『ではライバルと思われる選手などは、いらっしゃいますでしょうか!?』
次は取材陣の中から、女性が立ち上がり質問する。
その質問にケリーさんは暫く悩んだ後、顔を上げ口を開いた。
『そうだな、まずは私と同世代のリアム・スミス、それと息子のマサヨシ、あとは……我が永遠のライバルの、息子かな』
その言葉を聞いて、僕は固唾を飲み込んだ。
その瞬間これまで以上のシャッター音が、動画から鳴り響く。
同時に取材陣の歓声も、シャッター音に混じって聞こえた。
『永遠のライバルと言うことは、それは日向進選手の息子さん、という事でよろしいでしょうか!!?』
さっきケリーさんに質問した女性が、興奮した声で再び質問をする。
しかしケリーさんはニヤリと笑うだけで、肯定もしなければ否定もしなかった。
『えーこの後ケリーは調整に入るため、取材はここまでとさせていただきます、ありがとうございました』
ケリーさんのマネージャーと思われる男性が、ケリーさんを外に案内する。
その行き先に取材陣が集まるけれど、結局動画はここで終わり。
その後の言葉は聞く事ができなかった。
「うそ、だろ……」
「なあなあ、そこんところ、どうなんだ?」
彼が僕にぐいぐい来る。
答えろよー、とか、黙秘権かぁ、とか僕に話しかけてくるけれど、正直そんなのに相手してる暇はない。
「ぼ、僕行くところが出来たから!!」
「え、あ、おいっ!」
「ちょ、好輝!? どうしたの!?」
僕は彼を置いて、外で待つ陽子の腕を手に取る。
そして急いで学校を後にした。
♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎
「……チッ!」
どいつもこいつも日向、日向、日向。
何が英雄の息子だ。
クラスを見渡す限り、1人残らず日向の話をしてやがる。
日向好輝が何をした。
日向好輝が何を残した。
何もやってない人間が、何もなし得ていない人間が注目される世界なんて間違っている。
ボクは何度も大会に優勝してるんだ。
小学生の時から、何度も何度も何度も大会に優勝している。
なのにどうして皆ボクを見ない。
どうして親はボクを見下す。
ボクの方が偉いはずなんだ。
ボクの方が日向を見下すはずなんだ。
クソ、クソ、クソッ!
「キャー!? 何あの人、超イケメン!!」
チッ、なんだこんな時に。
ドアの周辺が何やら騒がしい。
ボクの思考を邪魔する醜い雌豚どもめ。
日向の次はイケメンの話とはな。
静かにする事すら出来ないのか。
同じ人間とは思えない。
「キミ達さ、叫ぶ暇があるなら歩いて外に出も……っ!」
「ああ、騒がしてしまってすまない、実はある人物を探していてね、日向好輝っていうらしいのだけど……」
明るい金髪に碧眼。
前髪中央を上げているこの男は、間違いない。
ケリー・マサヨシだ。
ジョン・ケリーの息子にして、ボクと同じ様に数々の大会で優勝している男。
何度も戦った事があるから分かる。
こいつの実力は本物だ。
しかしそいつが何の用事だろうか。
……ふむ、いい事を思いついた。
「あれ、君は確か……日陰努くんかい!? いやぁ奇遇だね、前の試合はとてもexcitingだったよ」
「ああ奇遇だねマサヨシ、あと自動翻訳機のスイッチが付いていないようだ、念のため付けておくといい」
「Oh sorry……よいしょ、これで大丈夫かな」
「ああバッチリだ」
自動翻訳機は素晴らしい機械だ。
喋った言語をそのまま、別の言語に変換しボク達に伝えてくれる。
しかも声の周波数を登録することによって、自分の声だけを掻き消せるため、スムーズな会話を可能にしている。
こういう発明をする人間こそが、人の上に立ち見下すべきなんだ。
っと、そんな事を考えている暇はない。
これから彼とは有意義な話をしなければならないんだ。
「それで確かキミ、日向好輝くんを探しているんだよね?」
「ああその通りだ、それで努くんは何か知っているのかい?」
「もちろんだとも、だけど生憎、彼はもう帰ってしまっていてね」
「そうか、残念だ……なら明日にでもまた来るよ」
「すまないね、是非そうしてくれ、ああ、それと彼からキミ宛に伝言を預かっていたよ」
「え、俺に伝言かい?」
ボクは首を傾げるマサヨシに、ある言葉を話した。
クラス中の皆が聞こえるように、大袈裟に。
フフフッ……思った通りクラスの馬鹿どもが歓声を上げている。
これで何もかもが上手くいくはずだ。
♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎
「ははは……災難だったわね」
「災難なんてもんじゃないよ!!」
帰り道、陽子に事情を話し、これからの事を相談する。
ああ帰りたくない……帰りたくないー。
「でもeスポーツの選手を目指すってわけじゃないんでしょ? だったらおばさんだって許してくれるんじゃない?」
そう、これから僕は母さんに事情を話さなければならないんだ。
ケリーさんの動画はSNSのトレンドで1位になっていた。
つまり母さんは確実に僕が大会に出ると知っている。
うう、胃が痛い……。
母さんならきっと分かってくれるとは思うけれど、でもさっきから嫌な予感ばかりするんだよなぁ
「はぁ、なんでケリーさん、あんな事言うのかなぁ」
「ははは……でもなんでまた急に大会出場を? 好輝そういうの、これまで一回も出たことないじゃない」
「あーうん、まあ……色々とね」
陽子の質問に、僕はなんとなく答えをはぐらかす。
別に隠すような事でもないけれど、陽子はこう見えて結構気を使う人間だ。
そんな陽子に、僕が大会に出る理由は話せない。
父さんと新しい思い出を作りたい、なんて言えばきっと気を使わせてしまう。
「なによ、ハッキリしないわね。まあでも、どんな理由があるにしても、やっぱり親に隠し事は良くないわよ」
「……そうだね」
まさしく陽子のいう通りだ。
いずれバレていた事ではあるし、何も悪い事をしようとしてるんじゃない。
堂々としてればいいだろう。
「じゃ、また明日ねー!」
「……うん、また明日ー」
僕は元気に手を振る陽子を羨ましいと思いながら、手を振り返す。
ああ、胃がキュルキュル鳴る……。
何もなければいいのだけれど。
「ただいまー……」
「おかえりなさい」
母さんがリビングで座ってスマホを見てる。
おかえりのトーンが若干低かった。
……ああ、これアカンやつや。
古の言葉で言うと、激おこプンプン丸ってやつだ。
そんな軽い雰囲気ではないけれど。
「遅かったわね」
「そ、そう? いつも通りな気がするけど……」
「……好輝、何かお母さんに隠し事してない?」
「えっと……」
どうしようか、もうここで言うべきだろうか。
でもなんて言えばいい。
父さんと同じ景色を見たかった?
父さんとの思い出を作りたかった?
ダメだ、どれもこれも地雷な気がする。
そんな事のために時間を使うのはやめなさい、とか言われそうだ……。
「eスポーツの選手、目指してないわよね?」
僕が悩んでいると、母さんは僕の目をじっと見て口を開いた。
僕はそれに咄嗟に答える。
「も、もちろんだよ! 本当にそんな事はない!」
嘘じゃない。
これは本当の事だ。
僕はeスポーツの選手を目指していないし、目指そうともしていない。
だから僕はジッと母さんを見つめ返す。
「……そう、変な事聞いてごめんなさいね、冷蔵庫におやつのプリンがあるから適当に食べなさい」
「う、うん、ありがとう」
ふう……なんとかやり切れたようだ。
でもいいのだろうか、このまま大会の事、隠し通してて。
いや、まあいいか。
どうせ予選のサバイバルモードで落ちるだろうし、問題ないだろう。
むしろ変に話して期待させてしまったら、負けた時が恥ずかしい。
とりあえず今はそう考える事にして、冷蔵庫のプリンを部屋に持っていった。
……結局プリンは口に入らなかったけれど。
「あ、おい、きたぞ」
「まじかっ、あいつが……」
「へー、楽しみだね」
……聞こえてるっての。
僕が陽子と登校すると、門をくぐった辺りでそんなひそひそ話が、そこかしこから聞こえる。
注目される事自体にそこまで抵抗は無い。
けれど、僕を見せ物かなにかだと勘違いされているのは不愉快だ。
問題は起こしたくないけれど、あまりに酷いようなら何かしらの対応はしなければならない。
「やあ日向クン、すごい人気だね」
僕が校門前でどうしようか考えていると、日陰がニヤニヤとしながら話しかけてきた。
タイミングといい表情といい、怪しすぎる……。
もしかしてこの騒ぎは一昨日の報復か?
ケリーさんの件という事も考えられるけど、それにしては視線に違和感を感じる。
なんだろう、まるで一大サーカスのピエロを見ているような期待と嘲笑の混ざった視線だ。
「日陰くん……この騒ぎは君の仕業か?」
「ははは、日向クン、何を言っているんだい?」
僕がこの騒ぎの原因を確かめるためにハッタリをかますも、日陰は表情を変えずに肩をすくめている。
「とぼけてるんじゃないわよ! こんなのどう考えたってアンタ以外ありえないじゃない!」
そんな日陰に陽子はイラついたのか、荒れた口調で日陰に問い詰める。
僕も陽子と同じ事をしたい気分だ。
でも僕は今にも暴れだしそうな陽子を静止させた。
ここで争いが起きれば日陰の思う壺だ。
そもそも、この騒ぎを日陰が起こしたという確たる証拠は無いし、何より人目が多すぎる。
更に変な噂を立てられても困るし、ここは素直に引き下がるべきだろう。
「陽子、大丈夫だから」
「でもっ!」
「そうか……ならそういうことにしておくよ日陰くん、でも例えどんな手を使ったとしても、昨日の意見は変わらない、それだけは覚えておいて。それじゃあ僕達はもう行くよ」
僕は日陰にそう言って、その場を後にしようとする。
しかし日陰は、すれ違う僕の肩に手を触れ行手を阻んだ。
「……何かな?」
「まあそうピリピリしないでくれよ日向クン、ほら、お客人だ」
「お客人……?」
僕がその言葉で校門の方を振り返ると、そこには見慣れないイケメンの男子が立っていた。
前髪の中央部分だけを上げた、金髪でショートヘアの髪の毛。
気品漂う出立ちに、碧眼から覗かせる自信に満ち溢れた視線。
その、まるで異国の王様かのようなオーラに同性でありながらも僕は少し見惚れてしまう。
「やあ、君が日向好輝くんかい?」
「……え!? あ、そ、そうですけど」
この人が僕のお客人……?
学校ではこの人と関わった覚えはないし、私生活でも話しかけられるような覚えはない。
こんな凄い人学校にいたっけ……。
いや、そもそもこんな人が僕なんかになんの用事だ?
「そうかそうか、君が日向好輝くんか、学校では始めまして、かな?」
「は、はぁ……」
「ちょっと! いきなり入ってきてアンタ誰よ! 私達は今大事な話をしてるの! 部外者は引っ込んでおいて!!」
でも陽子は相変わらずだった。
僕が首を傾げていると、ガルル、と威嚇しながら彼を睨みつける。
その様子に彼は困った表情を浮かべると、僕達に頭を下げた。
「これは失礼した、日陰くんからここで君と待ち合わせ、と聞いていたのだけど違ったのかな?」
待ち合わせ?
僕がその言葉を聞いて日陰の方に視線をやると、日陰はニヤリと笑って僕達の一歩前に出た。
「大丈夫、あってるよマサヨシ、いやぁすまない、ちょっと彼等と世間話をしていてね」
マサヨシ……?
どこかで聞いた名前だ。
マサヨシ……金髪……碧眼……。
まさかっ!!
「き、君って、ケリー・マサヨシくん!?」
「おや? 俺の名前を知っていてくれたのかい? 日向好輝くん」
知ってるも何も、耳にタコが出来るほどに聞いている。
ケリーさんと話をすると、大抵はマサヨシくんという息子の話が始まる。
前回ケリーさんとVRCで通話した時も、マサヨシくんについて小一時間話しそうな勢いだったので、軌道修正が大変だったんだ。
「好輝、誰よそれ」
「そうか、陽子は知らないんだっけ、ほら、よく昔うちに遊びに来てたケリーさんっているだろ? その人の息子さんだよ」
「ケリー、ケリー……ああ、昔そんな人がいたわね」
ケリーさんは日本に来た時、必ず僕達家族に顔を出しに来る。
父さんが死んでから1、2年は来日の周期が多かったため、陽子が家に来た時何回か会っていた。
まあ相当前の話だし、忘れてしまうのは当然か。
「それで、そんなあなたが私達になんかようなの?」
「えっと……すまないが君に要はないんだ、俺が会いたかったのは日向好輝くん、君だ」
「えっと、僕に何か……?」
僕が首を傾げていると、鏡のようにマサヨシくんも首を傾げた。
「あれ? 確か君からの伝言だったのだけど……今日の放課後、フューチャーで俺と勝負がしたいと」
「え? そうなの好輝?」
「え、いやいやいや、そんなやくそ――」
「いやぁ、すごいね日向クン!」
僕が否定をしようとすると、日陰が僕の言葉に覆い被せるように声を出した。
それも大声で、皆に聞かせるように。
「大会に何度も優勝し、更には近々開催される世界大会の優勝候補でもあるマサヨシくんに勝負を挑むなんて!」
「えっ、ひ、日陰くん、何を言ってるんだ!?」
世界大会優勝候補!?
ケリーさんそんな事一言も言ってなかった。
話す事といえば学校での成績とか、最近何にハマってる、とか、そんな事ばかりだ。
フューチャーの事なんて一言も……。
って、いやいやそうじゃない!
問題はなんでそんな話になってるんだって事だ。
「いやぁ楽しみだよ、日向好輝くん、是非ともいい勝負にしよう、それでは俺はこれで」
「え、ちょ、え!?」
僕は否定するために、立ち去るマサヨシくんを追いかけようと一歩前に足を出す。
けれど日陰が僕の肩を押さえ邪魔をした。
「離してくれ、というかこれはどういう事だ!?」
僕は日陰の手を振り切り、睨みつける。
しかし日陰はそんな僕に目もくれず、いきなり両手を掲げ嘲笑うように拍手をし始めた。
「いやぁ、すごいね日向クン、これはいい勝負になりそうだ! そうだ、学校の皆も是非観戦しないかい!? アーケード版もオンラインで観戦可能だ!」
「なっ!?」
僕は日陰の発言に驚き、声を上げる。
そしてすぐに黙らせようとするも、時既に遅しだった。
「まじかよ、日向とケリーの勝負とか歴史的な勝負じゃねぇか!」
「ライバル同士の息子達が戦うなんて……! これはバズる!」
「くそーー今日は塾だぁぁ!」
日陰の身勝手な言葉に、近くにいた登校中の生徒達が歓声をあげる。
そして己が盛り上げた歓声の中で、日陰がニヤリと見下すように僕を笑った。
「どうだい? これで逃げられなくなったんじゃないかな?」
「日陰くん……これが君の報復か?」
「報復? はっ、勘違いしないでくれよ、ボクは君の評価を正そうとして上げてるんだ」
「評価……?」
評価という言葉に僕が訝しむと、日陰はニヤニヤした笑いを止めて僕に指をさす。
「そうだ、キミは正当な評価を受けていない、努力をしていないキミが、人の注目を浴びていいわけないだろ? だから今日、その間違った評価を正してあげるよ」
「……日陰くん」
「ちょっとアンタ! 言ってる事めちゃくちゃよ! 第一誰が努力をしてないですって!? 好輝はね――」
「なに、別に君達にも悪い条件ってわけじゃないんだ」
陽子が声を荒げると、またも遮るように日陰が言葉を被せる。
「日向クン、キミが勝てばボクは陽子から手を引くよ、どうだい?」
日陰はそう言うと、ウェーブがかった髪の毛をかき上げ、僕達を見下すように見つめてくる。
その仕草か、それとも差し出してきた条件か。
何が気に触れたのか分からないけれど、陽子の顔はたちまち赤くなる。
そして今にも日陰に襲い掛かるのではないか、という剣幕で声を荒げた。
「あ、アンタねぇ! ふざけるのも大概にしなさい!」
「分かった」
「――!?」
でもすぐに陽子は黙り、目を見開き僕を見る。
恐らく僕も同じように反対すると思っていたのだろう。
けれど僕は、日陰の条件を受け入れた。
「でもそこに条件を付け足して欲しい」
「条件?」
「僕が勝ったら陽子から手を引く、そこに陽子とは二度と関わらない事を加えるんだ」
僕が日陰を睨みつけるようにそう言うと、彼はニヤリと笑って踵を返す。
「フフフッ、いいよそれで。じゃあボクは一足先に登校するよ、それじゃあね」
僕の言葉に日陰は楽しそうに答え、手を振りながら校内に入っていく。
周りの生徒達もこれ以上何もないと思ったのか、その様を合図に続々と校内へと進んでいった。
「ちょっと好輝! なにオーケーしてんのよ!」
そして2人きりになった校門前。
陽子は誰もいない事を確認すると、僕の肩を掴み怒りとも悲しみとも取れる複雑な顔で叫ぶ。
「なんで私なんかのためにそこまでするの! これで好輝が負けちゃったら、ずーっと学校でバカにされ続けられるわよ!」
陽子はそう言って僕の体を譲る。
多分、陽子の言う通りここで負けたら僕は3年間ずっと馬鹿にされ続けるだろう。
そして恐らくそれこそが日陰の目的。
その証拠に僕が承認しやすい様に、陽子と僕を引き離すような条件は加えてこなかった。
あくまで条件は、日陰が陽子を諦める事のみだ。
陽子もその事に気づいて、僕を心配してくれる。
けれど僕はそんな優しい陽子の腕を手に取り、陽子が発言した言葉の一部を否定した。
「陽子は、なんかじゃない、僕が守るべき大切な人だ」
「へっ、ちょっ、な、なに急に!?」
ちょ、ちょっとクサかっただろうか。
だとしても、この言葉は真実だ
陽子は昔から今まで、ずっと僕を守ってきてくれた。
僕がいじめられた時は、いじめっ子達と殴り合いの喧嘩をしてでも助けてくれた。
1人で泣いていた時は必ず側にいてくれた。
僕が悩んでいる時は、隣で一緒に悩んでくれた。
あれから僕も成長した。
あの時の恩をこんな事で返せるとは思っていないけれど、それでも僕は陽子を守り続けたい。
それに……。
「それに僕はこの勝負、逃げるわけにはいかない」
「どうしてそこまで……?」
陽子が頬を赤く染めて僕を見ている。
まだ怒っているのだろうか。
だとしたら、陽子に話すには今しかないだろう。
ここで誤魔化せば陽子はもっと怒る。
「僕が世界大会に出場する理由、それは父さんと同じ景色を見るためだ」
「お父さんの景色……?」
僕は自分自身に宣言するように、陽子にその言葉を口にする。
そう、ここで逃げてちゃ僕は父さんと同じ景色を共有なんて一生出来はしない。
もし似たような事があれば、父さんは必ず同じように助けていたはずだ。
父さんと同じ景色を共有するというのは、何もフューチャーをやればいいって事じゃない。
こんな風に、大切な人を守るために戦う。
それこそが、同じ景色を共有するって事だと思うんだ。
父さんが、僕と母さんを、命が尽きる最期までフューチャーで守ってくれたように。
「だからこの勝負、逃げるなんて事はしない」
「好輝……」
「それにもし負けても大丈夫さ、その時は今まで通りの生活を続けていけばいい。その内相手も諦めるよ。僕の方も心配いらない、人の視線には慣れきってるしね」
「……ごめんなさい、それと、ありがと」
「――!」
あれ、こんなしおらしい陽子初めて見る。
陽子ってこんなに可愛かったっけ……?
いや、何ドキドキしてるんだ僕は。
陽子はもう親戚みたいなもんじゃないか。
「おいお前ら、まーだこんな所にいて、そろそろ授業が始まるぞ、さっさと学校に入れ」
「「あ、は、はい!」」
そ、そうだった、今僕達は校門にいるんだった。
はやく席につかないと遅刻しちゃう!
「いこっ! 好輝!」
「う、うん!」
僕は先に走る陽子の手を握る。
さっき変に意識したせいか、ちょっと恥ずかしい。
「好輝……あのね」
「え、な、なに?」
「さっきの、ちょっとクサかったよ」
「……そういうのは黙っておいて欲しかったんだけど」
その言葉の瞬間、僕のドキドキは嘘のように消え失せた。
そして放課後、僕と陽子、それとマサヨシくんはゲームセンターに向かった。
自動ドアが開いた瞬間、鼓膜が破れるほどの騒音が流れてきたけど、緊張のせいか全然気にならない。
むしろ僕の心臓から聞こえる鼓動がうるさすぎて、
耳よりも心臓を心配するくらいだ。
ここ最近鼓動が過剰業務をしている気がする。
ぶっ倒れて父さんと会う、なんて事だけはないようにしないと。
そんな縁起でもない事を考えながら、僕はアーケード版フューチャーに100円を入れ対戦用の部屋を作成する。
その瞬間、観客人数限界である1000人が瞬時に埋まっていった。
「観戦人数1000人って……カンストじゃないか……」
「フフッ、どうやら俺達の試合は相当期待されているらしい、頑張って答えようじゃないか、日向好輝くん」
「は、はい……」
僕は余裕そうなマサヨシくんに答え、手汗をスボンの布で拭き取りコントローラーを握る。
コントローラーもVR機器も、家庭版とそう大差はない。
でも立ちながらの操作になるので、緊張で震える足をどうするかが、操作の問題になりそうだ。
「では始めるとしよう……魂のバトルを!!」
「うわっ、何急に!」
「あ、この人コントローラー握ると性格変わるタイプだ」
マサヨシくんの急変に陽子と僕が驚いていると、彼の言葉に反応したかのようにフューチャーがカウントダウンを始める。
いけない、集中しないと。
気を抜ける瞬間なんて、どこにもないんだから。
『スリー、トゥー、ワン…… ゲーム、スタート』
「いくぞアキレス!」
「ゴーッ! サン・フレア」
無機質なボイスによる試合開始を告げる宣言と共に、戦いの火蓋が切って下された。
僕達は同時にユニットの名を叫び、発進させる。
エリアは市街地。
ならばまずは索敵だ。
僕は近くにあったビルの後ろに隠れる。
でも、マサヨシくんはそれを許さなかった。
「バレているぞ! サン・フレア!!」
「――ッ!」
僕が隠れた場所に一閃、まるで豆腐を切るかのように、滑らかに斬撃が縦に走る。
そして隙間から見えたのは――!
「あれはっ!!」
10年前、父さんを倒したユニット。
青く輝くボディに、申し訳程度の薄い装甲。
片手に持つ獲物は……短剣か!?
「何をぼーっとしている!!」
「くっ!?」
斬撃一閃。
僕はその攻撃を間一髪で回避する。
10年前に僕の父さんを倒したユニット。
その姿に酷使したユニットを見て、一瞬僕は固まってしまった。
けれど考えてみれば当然の事。
相手は父さんを倒したケリーさんの息子だ。
僕と同じように譲り受けていても、なんらおかしな事はない。
僕はなんとか思考を戦闘に戻し、前を見る。
でも一瞬の遅れによって、完全に流れはマサヨシのものになった。
「そらそらそらそらそらっ!」
「くっ、は、はやいっ!!」
なんとか攻撃は回避できるものの、反撃の手段は一向に見えない。
僕が出来るのは、まるで舞うかの如く連撃を繰り出すアキレスから、なんとか逃げる事だけだった。
「フッ、上手く避ける、だがそんな中途半端なスピードでは俺のアキレスには敵わないぞ!」
「……!」
完全に見抜かれてる……!
僕の、そして父さんのサン・フレアが持つ欠点。
そう、ステータスの問題だ。
サン・フレアのステータスは全てがほぼ均等のバランス型になっている。
攻撃も防御も俊敏も、どれもがそこそこ出来る。
しかし、だからこそアキレスのような極振り型には何もできない。
勝負できるステータスがない上に、得意分野では絶対に勝てない。
それこそが、サン・フレアの弱点だ。
けれど勝てないかといったらそんな事はない。
アキレスには極振りだからこその致命的な弱点がある。
それは装甲の薄さだ。
スピードを高めるために限界まで削られた装甲は、中途半端な攻撃力でも1発で十分致命的なダメージになるだろう。
しかし、装甲が薄いからこそ出せる異次元の機動力に、反撃どころか僕は翻弄されっぱなしだ。
でも――!
「なら、これでどうだ!」
「なっ!?」
僕は中途半端にあるサン・フレアの防御力を信じ、不意打ち気味にタックルをかます。
ずっと逃げ続けた相手がいきなり、それも無理矢理攻撃に転ずる。
その攻撃はいかに熟練のプレイヤーであろうと、いや、熟練だからこそ引っかかりやすい。
……はずだ。
けれどあくまで不意打ちなのは変わらない。
冷静に対処をすれば被害は最小限に済んでしまう。
その証拠にマサヨシは、アキレスを瞬時に引き下がらせて続く僕からの攻撃を回避した。
「フッ、なかなかトリッキーな動きをする」
「……流石にこれじゃダメか、なら!」
僕はアキレスが近づく前に、近くにあったビルを槍で一閃。
そして出来た瓦礫を、向かってくるアキレスに蹴り飛ばす。
「フッ、このような子供だまし――ッ!」
アキレスはその言葉通り僕が飛ばした瓦礫を、ひらりと身をかわすことで直撃を回避する。
しかし僕がしたいのは、瓦礫による攻撃なんかじゃない。
低装甲故に避けなければならない、その隙。
その隙にこそ僕の勝機はある!
「はぁぁぁぁ!」
「っ!?」
僕の槍は、近距離から繰り出されるインファイトにとても弱い。
長さはある分、小回りが効かないので避けるしかないんだ。
だからさっきは逆転が出来なかった。
でも、その長さは勝負を決定づける利点でもある。
「君の短剣じゃここまで攻撃できないはずだ!」
そう、それは距離。
相手が攻撃できない距離での一方的な攻撃。
これこそが僕の槍が、真の強さを発揮する土俵だ。
「くっ、流石だな! だが甘い!」
僕は一方的優位な距離から、槍で攻撃をする。
しかしアキレスはたった一瞬の内に――
姿を消した!!!
「えっ!?」
いや、そうじゃない!
目にもとまらぬ速さで移動したんだ!
「こっちだ!」
「――ッ!? うわぁ!!」
目の前で起きた不思議な光景。
その光景を整理する一瞬の隙。
その一瞬の隙に、僕は背中に攻撃を喰らう。
「このっ!!」
僕は背中に受けた衝撃をそのまま利用し、半回転する。
そしてその勢いを使って槍を後方になぎ払った。
しかし一瞬見えた青いボディは、またも突如にして姿を消す。
「くそっ、また!」
僕は消えたのを確認した瞬間、即座に近くの住宅街に避難する。
確かにスピードはとてつもないものだ。
でも障害物が蔓延るこのエリアでは、そのスピードが一瞬にして仇となる。
「フッ、流石だな、アキレスのスピードを目にしてなお、冷静な判断ができるとは」
僕の予想通りアキレスは攻撃をやめ、空中で僕のユニットを見下ろしている。
ようやく相手の流れは止まった。
でもそれはいい事ばかりではない。
流れがないという事は、どこかで自分の流れを作らなければならいという事。
でも僕には、その流れを掴むきっかけが何処にも無かった。
「さて、そこからどう動く?」
マサヨシの言う通り、現状で僕に流れが起きるものは存在しない。
障害物があるエリアでは、マサヨシは攻撃をしてこない。
しかし、そうなれば当然僕が動くしかない。
けれどそれでアキレスのいる上空に行ってしまえば、結局同じ事の繰り返しだ。
つまりこの対決。
どうにかして相手の土俵で勝つ。
この課題をクリアした方に勝機がある。
さがせ、さがせ、さがせ。
この状況を1発で逆転する方法。
その方法を、相手よりもはやく見つけるんだ!
「ふむ、君に策は無し……と、では――」
なっ、まさか、アキレスにはあるのか!?
この状況をひっくり返す切り札が!!
「日向好輝くん、せっかくだ、君には俺の全力を見せよう、見るがいい、これが最先端の必殺技だ!」
その瞬間、明らかにアキレスが変わった。
それも最悪な方向に。
今まで感じられた、微かな勝機。
その勝機が、途端にアキレスから感じられなくなった。
「見るがいい! これが俺の必殺技! ラピドゥス・イーリアスだ!!」
マサヨシくんがそう高らかに宣言した瞬間だ。
アキレスの体が、いやジェット機が青く輝く。
そして同時に、アキレス自体も赤く発光する。
一体、何が始まるんだ!?
「――ッ!?」
一瞬のうちだった。
目なんて離すはずもなかった。
なのに、なのに気づけば、アキレスが……!
僕の隣にいる!!
「ハァッ!!!」
ガシャン――!
僕はアキレスに蹴り上げられる。
その方向は――
上空!!
「しまった!?」
さっきまでとは比べものにならないスピード。
考えることすら許されないスピード。
気づけば上空に蹴り上げられ、視界は乱れる。
回転をつけられて蹴られたせいか、姿勢制御が一切効かない。
つまり僕は今、反撃ができない!
「そらそらそらっ!!」
ガシャン、ドゴン、ガキン!
サン・フレアの装甲が破壊される音が鳴る。
敗北が近づく音が鳴る。
まるで死神の足跡かのように、焦燥感を煽るように。
「クソッ!!」
あまりに一方的な状況に、口から自然に悪態が出る。
いや、もはや悪態しかつく事ができない。
反撃が封じられた中、僕は減りゆく体力ゲージを眺める事しか出来なかった。
「フッ、これで、どうだ!!」
グシャリ――!
アキレスの踵落とし。
その攻撃を受けたサン・フレアから、嫌な音が僕の耳に届く。
その瞬間、僕の視界に一部砂嵐が走った。
「メインカメラが!!」
装甲破損。
ユニット勝負において、体力ゲージとエネルギーゲージの他に、もう一つ気にしなくてはならないゲージがある。
それが、装甲ゲージ。
この装甲ゲージは、一定ダメージをくらい0になると装甲が破損し行動に支障をきたす。
そして今僕は、相手を確認するためのメインカメラが装甲破損した。
「なんて強さだ……」
まさしく一方的。
僕は今、視界を奪われ地面に叩きつけらた。
しかもその衝撃で両足、そして武器を持っていない左腕までもが装甲破損している。
近づく敗北に背筋が凍る。
必死にその場から逃げようとしても、もう逃げるための足がいう事を効かない。
「くっ……!」
この勝負、必ず勝たなければならない。
陽子のためにも、僕のためにも。
そして何より、父さんとの約束を守るためにも!
「うごけ、うごけ、うごけ!!」
僕は必死にサン・フレアを動かそうとする。
腕も足も動かないなら、せめて片腕だけでも動かして、この勝負に挑まなければ!
しかしサン・フレアは、まるで僕に諦めろとでも言うかのように、その場から動こうとしない。
焦りと汗で手が滑る。
恐怖と絶望で頭が回らない。
勝たなければならないのに……。
勝たなければならないのに!!
「もう少し骨があると思ったんだがな……仕方ない、これでトドメとしよう」
来る!
アキレスが短剣を構え、その視線をサン・フレアに向けている!
うごけ、うごけ、うごけ!!
「うごけよぉぉぉぉぉ!!!」
僕は馴染む視界の中、赤と青に輝くアキレスに怯えながら、ただ叫んだ。