始まりと約束
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりです。
いるかです。
また性懲りも無く連載を始めました。
前回はかなりの反省点を残しやり切れなかったため、今回は前回の反省点を活かしていきたいと思います!
目標は前回同様、皆様の暇つぶしです。
なんとかして達成していきたいと思います!
至らぬ点は多々あるかと思いますが、
よろしくお願いします!
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「キィン――キィン――」
鉄同士が擦れる、甲高い音がドームに響き渡る。
「ズォーーン!」
矢継ぎ早に響くのは、甲高い音とは真逆の音。
まるでジェット機にエンジンがかかるような、胸にズシンと響く重量感のある音だ。
しかしこれはロボット同士の戦いでなければ、ましてや人間同士の戦いでもない。
ゲームによる人型ゲームキャラ同士の戦いだ。
最先端VR格闘ゲーム”フューチャー”
発売当初から急激に売り上げを伸ばし、発売発表から早2年で世界大会が開かれるほどに人気を博した。
今ではeスポーツといえば、と聞かれると誰もが名前をあげるゲームの1つだろう。
そして今現在も、世界大会が開かれている。
総勢31各国で激しい戦いが繰り広げられた本大会は、決勝戦という名のフィナーレを飾ろうとしている。
選手の代わりであり、魂としてしのぎを削っているユニットは、片方が赤き甲冑のような装甲を身に纏い、片方は蒼くほぼ装甲のないスリムな造形をしている。
獲物は互いに長槍。
赤き甲冑を見に纏うユニットは、西洋の槍を手に持つ。
その槍の見た目は、西洋に伝わる槍そのもので、細長い柄の先に円錐状の穂先がついていた。
見た目だけならなんとも地味な造形であるが、その槍の大きさは、異常だ。
人1人分の大きさがあるユニットと比べても、柄だけでユニット半分程の長さがある。
だが穂先は更に大きく、ユニット一機分。
つまり合わせて人が1人と半分の大きさを成していた。
そして赤き甲冑と対を成す、蒼き衣に身を包むユニットは東洋の長槍を手に持つ。
蒼きユニットは、東洋の槍を模した長槍を構える。
その長さもまた異常であり、赤きユニットと同じかそれ以上の長さを持っていた。
「負けないでー! ケリー様ーー!!」
「いけー! 進ー!」
人々の熱気に包まれるドーム。
観客達は観客席に座り、ドーム中央にある円状に作られたフィールドを見ている。
皆の視線が集まる場所には、バーチャルビジョンと呼ばれる立体的な映像が映し出されており、リアルタイムでユニットが動く様を表示していた。
その様は差し詰め、現代のコロッセオと言えるだろう。
「がんばれーーーっ!! 父さーーーんっ!!」
ドームの中は何千、何万もの観客で埋め尽くされており、ドーム内では様々な言語、様々な声色の歓声が飛び交っている。
その歓声の中、1人の少年の、希望と切望と、そして少しの不安が混じった声が他の歓声に掻き消されながらもドームに響く。
『おーーーっと、日向選手、ここで大きく旋回! これはケリー選手と一気に決着をつける作戦かー!?』
実況席から、女性の実況者が声を上げる。
その声はマイクを通して、ドーム内の音響機器からドーム全体に響き渡り、更に観客の歓声に火をつけた。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
観客の声が上がると同時に、日向と呼ばれた選手の赤きユニットが、敵めがけて一直線に突進をする。
『でたぁぁぁ! 日向選手の必殺技、彗星突だぁぁぁ!』
実況者が声高らかに技の名前を叫ぶ。
彗星突。
日向進の十八番にして、最強の技。
その名を実況者が高らかに叫べば、日向のユニットはぐんぐんとスピードを増す。
そして矛先から現れる眩い白き光を身に纏い、今まさしく敵を貫かんと突貫する。
まるで我に貫けぬものは無いと言わんばかりの自信に満ち溢れた、その勇ましくも美しい姿は――
まさしく彗星そのものであった。
「その攻撃、受けて立とう!!」
だが敵ユニット、ケリーと呼ばれた選手の蒼きユニットは、その勢いに一切屈しはしない。
並の人間であれば逃げ出したくなる様なオーラを纏う彗星突を前に、怖ける事なくジッと攻撃を見据える。
観客は皆、固唾をごくり頼み込む。
いつ試合が決まるのか、どちらが勝つのか。
誰もが冷や汗を流し、ジッと見つめる。
1人の観客の冷や汗がポタリ。
まるで朝露が流れるように静かに汗の雫が落ちる。
その刹那――!
ケリーのユニットは、槍をぐっと力強く握りしめる!
そして背中のジェット機にブーストをかけ、彗星突めがけて突進をくりだしたのだった!
『おーっと、ケリー選手! まさかまさかの突撃返しーーー!? これは一体、一体どうなるのでしょうかーーー!!!』
音声機器から、緊張感と高揚感で震えた実況の声がドームに鳴り響く。
観客達も例外なく目の色を輝かせ、その試合の行先を見据える。
赤き彗星と蒼き彗星。
敵同士であるはずの2つの彗星は、互いに互いを高め合うように、己の輝きを更に更に増していく。
そして――!!
『ゲームセットォォォォォ!! ウィナー、ジョン・ケリー!!!!』
実況者が勝者の名を叫んだ。
あるものは立ち上がり抱き合い、あるものは項垂れ頭を押さえる。
だが悲壮にくれる観客も、高揚でわきたつ観客も、少しの時間が経てば皆一様に立ち上がり、笑顔を浮かべ両ユニットに拍手喝采を送っていた。
しかしその中でただ1人、ある少年だけは拍手を送らず、笑顔にもならず、今にも泣きそうな顔で蒼きユニットを睨みつけている。
「僕の父さんは強いんだ……!」
少年は一言だけ呟くと、隣にいた母親に縋りつき、必死に涙を堪えるのであった。
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「――で、あるからして、我々人類はこの厄災をターニングポイントとして、更なる躍進を行なったわけだ」
教室の端に張られた、横に長い大きな長方形のタブレット機器、Koku-Ban。
そこに先生がスラスラとタッチペンをなぞらせる。
今日の授業は歴史、それもバーチャル技術に革命が起きた時代だ。
「あーそうだな……よし、優希、ここの厄災について答えられるか?」
先生はぐるりと教室を見渡して、僕の隣にいる優希陽子に声をかける。
「……」
「優希ー」
「……」
「……はぁ、優希陽子!!」
「ふぁ、は、はい、寝てません!!」
先生の大声に、陽子は机からバッと顔をあげ、椅子から慌てて立ち上がる。
陽子は怒鳴る先生に対して「寝てません」なんて無理矢理な誤魔化しを言ってはいるけれど、陽子の髪は陽子自身を否定するように、びっしりと寝癖を見せつけていた。
自分自身を否定する、チグハグな容姿にクラス中から笑いが起きる。
先生はその笑い声が鎮まるのを確認すると、1つ溜息をついて口を開いた。
「睡眠学習もいいが、今は授業を受けるように」
「は、はい……ごめんなさい……」
陽子は先生の言葉と周りから起きた笑いに照れたのか、手をもじもじとした後にゆっくりと椅子に座る。
そして頬を染めながら寝癖をなおしていた。
優希陽子、僕の幼馴染で腐れ縁。
家が近い事もあり何かと一緒になる。
明るい茶髪と、短めのショートヘアがトレードマークで、その髪色と髪型が示すように性格は明るく社交的。
細かい事は気にしない姉御肌な女性だ。
……と言ってはみたけども、まあ要するに明るいだけのアホだ。
そんな調子だから、到底届かないであろうこの高校を第一志望と言った時は驚いた。
でも本当に受かってしまうんだから、案外陽子は天才なのかもしれない。
というのもこの高校、手前味噌ではあるけどかなりの難関校だ。
そのため、毎年数々の落第生を出している。
僕が受験結果を見た時も喜んで飛び跳ねる人より、落胆して落ち込んでいる人の方が多かった。
そんな高校に、授業は寝てるかぼーっとしてるかだけの陽子が受かるんだ。
合格の受験票を見た時は、本気で誰かの受験票を奪ったのではないかと疑ったっけ。
「はぁ、まったく、じゃあ隣の日向好輝、すまんがここ頼めるか?」
「はいっ!」
僕は当然くるであろう先生からの指名に備え、あらかじめ頭の中で構成しておいた答えを口に出す。
「その厄災とは感染症です! 20××年、世界は未知のウイルスの感染症により、人々の交流が薄れ経済が回らなくなりました、その際に着目されたのがリモートワークという働き方で、これを機にVRの技術は発展していく事になります」
「うむ、完璧な答えだな。まさしく今、日向が言ってくれたように、この年に世界は未知の感染症の流行によって、人々は会わなくても会議が出来る、会わなくても交流ができるVRやリモート業務に着目をしたわけだ、ありがとう日向」
僕の答えに先生は納得気に頷くと解説を続ける。
先生の話す内容は、既に僕が知り尽くしている内容ではあるけれど、一応その解説を聞いて僕は椅子に座った。
『キーンコーンカーンコーン』
学校の終了を告げるチャイムが鳴り、担任の先生はホームルームの話を終えた後、教室を後にする。
つまりこれから先は自由時間だ。
僕含め様々な生徒がバックに教科書などを詰め、帰りの支度をしている。
カラオケ、ゲーセン、様々な遊びの話が飛び交う中、今日の授業内容を振り返っていると僕の机の前に女子が2人訪れてきた。
「ねぇねぇ日向くん、日向くんのお父さんって、あのeスポーツの選手で有名な日向進さん?」
「へっ? あ、あぁ、うん、まあそうだけど」
しまった、変な声が出た。
僕は突然の話題に驚いてしまったのと、全く接点のない女子から声をかけられた事もあって、答える声が若干裏返ってしまう。
なんだが恥ずかしくなってしまった僕は、ンンッと軽く咳払いして話を続けた。
「えっと、確かに僕の父は日向進だけど、それがどうかしたかな?」
僕は女子が話しかけてくれた嬉しさで、舞い上がる感情を隠す。
そして極めて冷静に、そしてなるべくクールに答えた。
初対面のイメージは1番大事だ。
確か昨日見た映画の、ダンディな主人公はこんな感じに話していたはず……。
「えー、すごーい! 私達の知り合いに有名人の子供がいるなんて!!」
「ゆ、有名人? なんで今更……」
「だってだってほら、見てこれ、今日のSNSのトレンドに日向進って名前あるよ?」
「え……?」
女子の1人から見せられたスマホには、確かにトレンドに父さんの名前があった。
僕はその画面を見て、首を傾げてしまう
トレンドというのは、その日のホットなニュース、需要があるニュースが上がるものだ。
でも僕の父さんが有名だったのは10年前の話で、今更需要のあるニュースになるとは思えない。
それに、そもそも父さんは……。
「ねえねえ、日向くん、お父さんに会わせてくれない? いいでしょ?」
「え? と、父さんに? うーん……」
「えー、やっぱダメ?」
「いやダメってわけじゃないけど……」
僕が返答に困っていると、陽子が僕と女子の間を遮るように現れた。
「はい終わり終わり、私、好輝に用事があるから、しょうもない用事はここまでね、じゃっ」
「ちょ、ちょっと何よ、いきなり出てきて人の用事をしょうもない用事って!?」
「しょうもないから、しょうもないって言ってんのよ、大体トレンドになってるからって会いに行こうなんてバッカじゃないの? はーしょもなっ、ほら行くよ、好輝」
陽子はそういうと、無理矢理僕の手を引っ張る。
「ちょっ、ちょっと待ってよ陽子、あ、ごめんね、父さんについてはまた今度話すから、じゃっ!!」
僕は不機嫌そうに陽子を見つめている女子2人に、なるべく穏便に済む事を祈りながら声をかけた。
……でも女子2人から返事が返ってくる事は無かった。
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「何あいつ、何様のつもりよ、まじムカつくんですけど」
「どうする? ちょっと懲らしめる?」
先程まで日向と話していた女子2人が、優希陽子の席を見て小声で話し合う。
そして少し経った後、話し合いで何か決めたのか、女子2人のうち、1人が楽しそうにコソコソとポケットから何かを取り出す。
その手にはカッターが握られていた。
「ねぇねぇ、この机傷つけてさ、あいつに弁償させてやろうよ」
「えー、そう上手くかなー?」
「2人でしらばっくれれば余裕だよ」
「ふふっ、ほんとクミってば性格わるぅ〜」
2人のうち1人の女子がカッターの刃を、カチカチッと音を鳴らせ剥き出しにする。
そしてその刃が机に触れようとした瞬間、何者かの手がカッターを持つ女子の腕を掴んだ。
「痛っ!? 何すんのよ!?」
握られた女子が首だけバッと動かし、握られた方向に目をやると、そこには1人の男子が立っていた。
目にはうっすらとクマができてはいるものの、それでも整った顔立ちと、年頃にしてはニキビ1つない綺麗な肌に女子が見惚れる。
しかしその男子は見惚れる女子に目も暮れず、手元からカッターを取り上げた。
「キミ達さ、文字もまともに読めないのかな?」
「え、え? えっと……」
「はぁ、同じクラスの、それもボクの名前を覚えてない時点でそれは無理な話かな」
男子はそう言うと、ウェーブがかかった黒髪を右手でかき上げ、女子2人を見下しながら口を開いた。
「ボクの名前は日陰努、その小さい脳みそを全部使ってでも覚えておきなよ、きっと損はないと思うよ?」
皮肉と直接的な侮辱を混ぜ、見下しながら日陰はそう伝える。
そして次にかき上げた右手を元に戻すと、首を1.2回振るって女子の手元にあるスマホを指さした。
「さ、まずはそのトレンドの記事を見る事から始めてごらん」
日陰の言葉に、女子2人は黙って言われるがままにトレンドの記事を見る。
その瞬間、2人は絶句してしまった。
「分かったかい? 分かったらさっさと去る事だ、そして陽子には2度と近づくな」
日陰は落ち込んでいる女子2人に、そんな言葉を吐き捨てると教室を後にする。
「チッ、どいつもこいつも日向、日向、日向……」
廊下を歩く日陰は、不機嫌な様子でそう呟く。
その姿に誰も彼もがすれ違い様に日陰を見るが、まるで日陰は自分以外誰もいないかのように、視線を気にせず廊下を歩いていた。
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「まったく、デリカシーってもんがないのよ! あいつら!」
帰り道、陽子は腕を組み、プンプンと頬を膨らませて明後日の方向を向く。
どうやら陽子は困っている僕をみかねて、あの場から救い出してくれたみたいだ。
陽子はいつも僕が困っていると、助けてくれる。
その気持ちはすごく嬉しい。
でも今日はすこしやり過ぎな気がした。
「ははは……ありがとう。でも大丈夫かな、あの2人相当怒ってた気がするけど」
「いいのよ別に、あんな奴らに嫌われたってどうって事無いわ」
「うーん、そうかなぁ……」
助けてもらった手前、あの2人と仲良くしろなんて、とてもじゃないけど言えない。
でも陽子の事も心配だから、僕はなんとか穏便に済む方法は無いか考えていた。
だからか僕の返答は、曖昧なものになってしまう。
陽子はそんな僕の様子が気に障ったのか、ギロリと僕を睨みつけてきた。
「何よその返事、もしかして好輝あんな女がタイプなの!? 絶対やめといた方がいいわよ!」
「え!? いやそんなんじゃないよ、それにそもそもでさ、あの2人が父さんの事を忘れてたって仕方ないよ、父さんが死んだのは10年前の事だし」
僕は怒る陽子を必死に宥める。
別に陽子だって怒りたくて怒ってるんじゃない。
僕が怒らないから、代わりに怒ってくれているんだ。
だから僕が気にしていないと話すと、鬼のように怖い顔を、スンッといつもの見慣れている顔に戻した。
ほんと、黙ってれば美人なんだけどなぁ……。
「……まあ好輝がそういうなら良いけどさ、でもアンタもアンタよ、普通父親の命日忘れる?」
「い、いや、あはは……」
そう言われると返す言葉もない。
僕の父、日向進はeスポーツの選手だ。
メインの種目は“フューチャー”というVR格闘ゲームで、公式世界大会では日本人初の準優勝を果たした。
以降この記録は、10年経った今でも破られていない。
そのため日本eスポーツ界の新星だ、とか、フューチャーの英雄だ、とか、様々な所でチヤホヤされていた。
しかし父はその期待に応える事なく、世界大会の数日後に病でこの世を去った。
死因は未知の……いや、過去に未知だったウイルス性の感染症だ。
当時はまだワクチンが普及しきっておらず、その中での有名人の感染と死亡は世の中に衝撃を与えた。
それから暫くは様々なメディアに取り上げられて、まともにお別れも出来なかった事を覚えている。
どうやらトレンドに載っていた理由は、今日が父さんの命日だから、という事らしい。
そうか、あれからもう10年も経つのか……。
今じゃあ僕も高校1年生で15歳。
すっかりダンディな男になったもんだ。
「全然ダンディじゃないわよ、平均的よ」
「ん? なんかいった?」
「いいえ何も。それよりさ、今日この後って暇? ちょっと今日の宿題教えてよ」
陽子は僕の目の前にピョンとジャンプして着地すると、後ろで腕をくんでそう言った。
「もちろんタダじゃないわ、シャイゼのポテトとドリンクバー奢ったげる」
「勉強みてやってそれだけかよ……それに奢るって言ったって陽子がそのポテト殆ど食べるじゃんか。んーでもごめん、この後は無理なんだ、ほら前に言っただろ?」
「え? あー、そっか……」
「そ、だから宿題は夜にVRCでかなぁ」
「ううん、そこまでしなくて大丈夫、ありがと、じゃねー頑張れよっ!」
陽子はそう言うとニカッと笑って、タタタッと駆け出していく。
「転ぶなよー!!」
僕がそう声をかけた時には、既にかなりの距離が開いていて「大丈夫ー」という元気で小さな声だけが僕の耳に届いた。
「ただいまー、あちーっ」
僕はエアコンが効いた家に、逃げるように帰る。
僕の家は二階建てでそこそこ大きい。
間取りは一階がリビングと客間。
それと母さんの仕事部屋と庭だ。
そして上がって二階には、僕の部屋とベランダ。
あともう使っていないけれど父さんの部屋がある。
トイレや風呂は一階に。
トレーニングルームなんてものも一階にある。
他にもまだまだ部屋はあるけど、紹介するのはこの程度だろう。
ちなみに隣が陽子の家で、間取りは大体同じ感じだ。
玄関を抜けてリビングに着いた僕は、重いカバンを床に放り投げて、冷蔵庫から麦茶を取り出す。
そしてすぐさまコップに注いでカブ飲みした。
薄桃色の桜が散り始め、桜の木から若葉が見え始める今日この頃。
この季節の生暖かい気候は長袖の制服には些か辛い。
今日も気づけば身体中があせばんでいた
「……で……して」
軽くコップを洗ってコップ置き場に逆さに置く。
そうして雑音が無くなった今、ようやく僕は母さんが仕事中なのに気づいた。
リビングの奥から、母さんの敬語で喋る声が細々と聞こえる。
「仕事の邪魔しちゃ悪いな」
まあここから僕の声を仕事部屋に届かせるには、叫ぶか暴れるかくらいしないとダメなので、仕事の邪魔になる事はないと思う。
しかし念には念をだ。
僕はカバンを回収して、そそくさと2階に上がった。
「よっこらせっと」
僕の部屋は大して広くなく、しかし狭くもないちょうど良い広さの部屋だ。
具体的には六畳くらいってところだろうか。
僕は右端にある木製のベットの上に、カバンを放り投げる。
そしてベットの隣にあるクローゼットから、無地の黒い服と黄色い短パンを取り出し着替えた。
汗で気持ち悪くなった制服を脱ぎ捨てれば、次の目的地は勉強机だ。
ベットから窓を挟んで左側にある、木製の折り畳み式勉強机と、その机とセットの木製椅子に腰を掛ける。
「ふぅー」
大きく息を吐いて目を閉じる。
学校での疲れが残っているのか、瞼がとても重い。
ちょっとでも気を抜けば、後は夢の中だろう。
でも僕はなんとか意識を保ちながら、深呼吸を繰り返す。
目を閉じてから30秒程度。
それくらい時間が経った後に目を開ける。
ほんの少しの休憩時間。
しかしその程度の休憩でも、霞かかってボーッとしていた意識は、晴天のようにハッキリとし、何かがのしかかっているかの様に重かった瞼は、嘘のように軽くなる。
「よし、やるか!」
そして僕は、また眠くならない内にカバンから教科書とノートを取り出し、机の端っこに重ねていった。
予習と復習。
父さんが死んでから、耳にタコが出来るほど母さんから聞いたワードだ。
最初は予習も復習もやりたく無かったけれど、慣れてしまえばそう苦でもない。
今ではこの予習と復習をやらないと、なんだか罪悪感に苛まれる程だ。
それに毎日というわけでもなくて、土日は勉強せずに遊びなさい、と母さんからも言われている。
僕は積み上げた教材の山から一番上にある数学の教科書とノートを取り出し、今日習った事、それと明日やるであろう問題を学習する。
今の授業はまだ、中学の頃に習った授業の延長線といった所だ。
でもいつ付いて行けなくなるか分からない。
結局こういった地道な積み重ねが、一番大事なんだ。
「ドンドン――好輝、帰ってきてるの?」
予習と復習を始めて早2時間。
ひと通りの科目を終わらせた所で、ドアノックの後に母さんの声が聞こえた。
「帰ってきてるよ、ただいまー」
僕が声を返すと、ガチャリと母さんがドアを開けて部屋へと入る。
この人は日向愛。
僕の母さんで、株式会社VRコミュニケーションズの社長だ。
母さんの会社は、通信アプリのシェア率第1位を誇るバーチャル・リアル・コミュニケーション、通称VRCを提供する会社で、いわゆる大企業である。
つまり僕はその大企業の息子、こう見えて御曹司だ。
そしてVRCというのは、簡単に言えばVRを使用した通信アプリで、自分で設定したアバターを使用し通話をするアプリだ。
VR通話に必要な専用機器さえあれば、基本無料で使える手軽さが売りで、僕の知り合いは全員がインストールをしてる。
専用機器についても今や一家に一台、いや一人に一台という時代なので、機器の敷居が高いなんて事もない。
だけど人気はその手軽さだけではない。
他にも、様々なサービスや便利な機能、そしてリモート業務が常識とされている時代もあって需要は拡大。
今ではVRCを使用していない会社はない、と言われる程に世界的メジャーアプリの仲間入りを果たした。
ちなみに雑誌いわく母さんの身長は172cmで、スラッとした体型に透き通るロングの黒髪、整った顔立ちから敏腕美人社長として有名で、あらゆる女性のカリスマ的存在……になってるらしい。
正直僕にはそこら辺はよく分からない。
仕事の事については頻繁に話は聞くけれど、僕からすれば仕事してくれて、家事してくれて、養ってくれる普通の母さんだ。
「あら、今予習が終わったところ?」
「うん、これから経営学について勉強しようかなって」
「そう、夕飯出来てるから終わったら降りてきなさい」
「はーい」
僕は母さんといつものやり取りを終えた後、勉強机の奥にある本立てから経営学の本を取り出す。
学校の予習と復習を終えた後、いつも通り僕は経営学の勉強をする。
経営学の勉強は、母さんから言われてやっている事だ。
将来必ず役に立つと言われてやっているけれど、正直いつ使うのか分からない。
まあ書いてある内容は興味をそそるものなので、嫌々やっているわけではないのだけれど。
他人から見れば僕の日課スケジュールはハードなものかもしれない。
でも慣れてしまえば案外簡単だし楽しいもの。
だから今日も僕は楽しく勉強をする。
しかし、今日はなんだか経営学の勉強に身が入らない。
理由はすぐに分かった。
いつもなら出て行く母さんが、今日は出て行かないんだ。
「……ねぇ好輝、今日何の日か知ってる?」
「父さんの命日でしょう?」
「……ええ、そうね」
僕は経営学の本を読みながら母さんに言葉を返すと、母さんはやけに深刻そうな声で答えた。
「母さん、どうしたの?」
僕は母さんの”命日”という言葉を聞いて、ただ事では無いと思い本を置いて母さんの方に振り返った。
母さんは父さんの命日に、何か特別な事はしない人だ。
最初の1、2年は墓参りをしたり、家で美味しいものを3人前用意したり色々していたけれど、僕が小学校に入学して忙しくなってからは何もしなくなった。
やる事といえば父さんの好物を仏壇に添えるくらいだろう。
その事を母さんは、面倒くさくなったと笑って言うけれど僕は本当の理由を知っている。
僕が父さんの事を思い出さない様にするためだ。
きっかけは、たわいも無い会話。
将来何をしたい?という母さんの言葉に、当時の僕は「eスポーツをやりたい」と答えた。
その瞬間、僕は母さんの怒鳴り声を、生まれて初めて聞いた。
「eスポーツは許しません!」
「2度とその言葉を口に出すんじゃありません!」
その時の内容は殆ど覚えていないけれど、僕と母さんはその日大喧嘩をして、それ以来命日に何かをする事は無くなった。
僕が父さんの事を思い出せば、またeスポーツのプロを目指すかもしれない。
そう思った母さんの予防策なのか、はたまた本当に面倒くさくなったのか。
どちらにせよ、そんな母さんが自分から命日という言葉を出してきたんだ。
きっと大事な話があるに違いない。
良ければ思い出話、悪ければ……再婚だろうか。
僕が声をかけると、母さんはスタスタと歩き僕のベットに腰掛ける。
「好輝は……さ、母さんの意見に反対?」
「意見?」
「ほら、母さんの会社で働くって話」
「ん? 反対なんてしてるわけないよ、だからこうして経営学を学んでるんだしさ」
母さんの意見。
その内容は僕が将来、母さんの会社で働く事だ。
最初は社員として働く。
そして最終的に母さんの会社でもっと働きたいと思えば、社長を目指して会社の勉強をする。
だから今の内に学校で高成績を取るための勉強と、母さんから勧められた経営学の勉強をしている。
どちらも今しかできない、貴重な経験らしい。
もちろん、僕はその意見に何の異論も無いし、反抗した事もない。
むしろ何故こんな話になるか分からない。
だから僕は、母さんに何か変な事でもやってしまったのだろうかと、ここ最近の記憶を巡らせていた。
「……そうよね、ごめんなさい、でもほら、好輝小さい頃に言ってたじゃない、大人になったら父さんみたいにeスポーツのプロになるんだって」
その言葉を聞いて僕は首を傾げた。
確かに昔そんな事を言ったし、その発言が原因で喧嘩もした。
でもその発言はある意味必然で、意味のない言葉でもある。
僕は父さんを尊敬していたし、eスポーツに憧れていた。
だから小さい頃の「eスポーツのプロになる」なんて発言は、当然の発言だ。
でもそれは幼児が「パイロットになる!」と言ってるのと同じようなもので、高校生になっても同じ夢を持っているなんて事は、まずありえない。
まあ例外はあるだろうけど、少なくとも僕はその例外には入らない。
「母さん何言ってるの? そんなの昔の話でしょ」
だから僕は若干呆れ気味に答えて、経営学の本に目を戻した。
心配をして損した。
僕はてっきり「好輝、新しいお父さん、欲しい?」的な事が来ると思っていたのに、肩透かしを食らった気分だ。
母さんはそんな僕の意思が通じたのか、そうよね、と軽く笑うとベットから立ち上がる。
「母さんね、好輝には少しでも安定した仕事をしてもらいたいの、それが母さんの会社以外ないとは言わないけれど、でもね、eスポーツの選手を目指す事だけはやめなさい、安定した仕事じゃないんだから」
「うん、分かってるよ」
僕は経営学の本から目を離さず次のページをめくりながら答えると、母さんは静かに僕の部屋から出て行った。
「ごちそうさま!」
「はい、お粗末様でした」
僕がリビングのテーブルで手を合わせると、母さんは空いた食器を片付ける。
今日の夕飯は、唐揚げ、野菜サラダ、茄子の漬け物、ワカメの味噌汁だ。
どれもこれも母さんの手作りで、そこらの市販よりとっても美味しい。
唐揚げは噛めばジュワッと熱々の肉汁が溢れ出し、茄子の漬物はメインを邪魔しない、でも味の主張はちゃんとするいい塩梅だ。
ワカメの味噌汁は合わせ出汁の鼻から抜ける香りがとても上品で、野菜サラダは……まあ普通だ。
「ありがとう母さん、あ、僕父さんに手合わせにいくね」
「分かったわ」
僕は椅子から降りて隣の部屋、和室の客間に向かう。
客間といっても、この部屋に誰かを呼ぶなんて事はまず無く、ぶっちゃけ物置状態だ。
その部屋にポツンと置かれている仏壇に向かって、僕は手を合わせる。
仏壇には命日という事で、父さんの好きだった市販の三つ入り饅頭がパックのまま置かれている。
割引シールを剥がさない所がなんとも母さんらしい。
多分気づいてはいるだろうけど、面倒くさいが勝ったんだろう。
「……父さん、今日は父さんの命日だったんだね、ごめん、忘れてた」
僕は箱から線香を取り出し、マッチで火をつけて香炉に刺す。
どうやら今日は、母さん以外にも線香をあげてくれた人が何人かいたらしい。
香炉を開けると5.6本分くらいだろうか、線香の燃えカスが入っていた。
やけに今日は客間が綺麗だと思ったら、どうやら今日は客間として機能したらしい。
「気づけたのは陽子のおかげでさ、ははっ、幼馴染に言われたんじゃ世話ないよね……」
僕は父さんに陽子の話、学校の話、母さんの話など、日常の事を色々と話した。
大変だけど楽しい毎日、でも偶にふと感じてしまう。
僕は父さんの死と、どう向き合っていくべきだろうかと。
父さんはeスポーツのプロ選手で、世界中を飛び回っていた。
だから実際に会えるのは年にほんの数回で、基本的にはリモートかVRCでの通話でしか話していなかった。
……そんな過去が理由か分からないけれど、最近僕は父さんとの思い出を振り返る機会が極端に減っている気がする。
確かに母さんの予防策の効果という可能性はある。
けれど根本的な所で、僕は父さんとの思い出が少ないんだ。
「このままで……いいのかな……」
ギュッと拳を握りしめる。
昔の僕は、父さんがいない事がコンプレックスだった。
父さんがいないというだけで学校ではよく虐められて、その度に陽子に救われて、そして父さんの事を思い出して、家の隅で泣いた。
でも今の僕は違う。
今の僕は父さんがいないのが当たり前の事だと思っていて、父さんとの記憶は朧げになっている。
今じゃ顔を思い出す事もままならない程だ。
この事を話せばきっと母さんは「それでいいのよ」というだろうし、陽子は「たまには思い出してやりなさい」と笑っておしまいにするだろう。
でも僕は迷っている。
僕は今の生活を、今の日常を、父さんのいない世界を、受け入れていいのだろうか……。
それとも、やはり父さんを絶対に忘れず生きるべきだろうか。
「父さん……」
結局僕は、今日も答えが出せないまま眠りについた。
次の日、僕と母さんは家の掃除を始めた。
とりあえず今は、リビングを掃除中だ。
「母さん、この加湿器どうする?」
「そうね、それはものお……客間に置いといてくれるかしら」
「はいはい、客間ね客間」
何か理由があるわけじゃない。
まあ強いて言うなら僕も母さんも休みで、特に用事がないくらいか。
こういう時、僕達親子はよく家の掃除をする。
要するに単なる暇つぶしだ。
特に綺麗好きというわけでもないけど、案外いい運動にもなるし、やってみれば楽しいものだ。
そして僕は今、リビングにあった加湿器をものお……客間に移動している最中だ。
流石に歩くだけで汗ばむような今の季節に、加湿器は必要ないだろう。
「うんしょ、うんしょ、よっこらせっと」
この加湿器はそこまで大きいものじゃない。
でもやっぱり機械だからか、そこそこ重い。
僕は力を使ってプルプルと震える手が落ち着くまで、休憩をする事にした。
「しっかし、ここも掃除をしないとだなぁ」
ものお……いやもう物置でいいだろう。
父さんの仏壇が置かれた客間兼物置は、結構なもので溢れている。
右から客用の椅子、布団、客用の机、それに座布団と掃除機。
他にも色々あるけれど、全てを確認していれば日が暮れてしまう。
そしてどれもこれもが、使いそうで使わないものばかりだ。
客用の椅子だってまず客が来る事はないし、布団だって僕ら家族は皆ベット派だ。
客用の机と座布団も、客間が和室だから、という理由で母さんが買っただけで使われた事は数回しかない。
掃除機だって自動のがあるし、ほとんど必要ない。
昨日も、父さんの命日で人が来るから片付けが大変だった、と母さんも言っていたし、この掃除を機に一部でも捨てるべきだろう。
「母さん、物置のもの、せめて布団くらいは捨てたら?」
僕が物置から出ると、母さんは腰に手を当てて、ムッと眉を挟める。
「客間と言いなさいと言っているでしょう、あと布団は必要よ、陽子ちゃんが泊まりに来たらどうするの? それにお友達だって泊まりに来るかもでしょ」
「そんな小さい時じゃあるまいし、陽子が泊まりに来るなんて事はないよ、それに友達と遊ぶにしたってVRCで十分だし」
「あら成長したのね、ちょっと前までは、陽子ちゃんが居ないと寝れないよ〜、て泣きついてたのに」
「いっ、いつの話してるのさっ!! それにその時だって同じベットで……ってそうじゃなくて!」
母さんが変な話をするから、変な事を思い出してしまった。
僕は熱くなった顔をフルフルと振って、母さんをもう一度見ると、母さんはニヤリと笑って僕を見ていた。
「何思い出してたの? お・ま・せ・さん、あ、てか好輝、あなた好きな子くらい出来たんじゃないの? たまには女の子の1人や2人家に呼んできなさいな、あ、もちろん陽子ちゃんでもいいわよ? むしろ大歓迎!」
「なっ! よ、陽子とはそんなんじゃないし、そもそも好きな人なんていないっての!!」
僕が全力で否定すると、母さんはかなり絶望した表情で僕を見ている。
「う、うそでしょ……はぁぁぁ……あなたには青春のロマンってのが無いのね、少しはVRCに頼らない生活をしてみたら?」
「いやそれ母さんが言ったらダメなやつでしょ……」
僕と母さんはそれから暫く話し合った後、掃除機を捨てる事になった。
別に母さんも僕も掃除が好きってわけでも無いし、自動掃除機もあるし、まあ妥当な判断だろう。
布団については……まあ使うかもしれないし……。
「よいしょっと」
僕は袖を捲り、腰に力を入れて掃除機を持ち上げる。
昔買った掃除機なせいか、モデルは結構古く重い。
出している会社自体は軽い事で有名なとこだけど、平均的な男性と比べて非力な僕は、これくらい力を入れないと持ち上がらない。
それでもなんとか完全に掃除機を持ち上げたその時、下に何かノートがあるのを見つけた。
「ん? なんだこれ……後で見てみるか」
掃除の鉄則として、古い物を見つけてもその場で見ないというものがある。
理由は簡単で掃除が中断してしまうからだ。
古い少年シャンプ然り、卒業アルバム然り。
僕は集中力がない方なので、こういうノート等は後回しにしておいた方がいい。
「じゃあこれゴミ捨て場に置いてくるから」
僕は母さんに一言言って、粗大ゴミシールを掃除機に貼って、家のゴミ捨て場に向かった。
「さてと……これが問題のノートか」
あれから僕は、見つけたノートを部屋に持っていき掃除を再開した。
そして掃除がひと段落した今、僕は部屋に戻りノートを前にしている。
ノートに題名はない。
しかしノートにあった埃の量的に相当古い物だろう。
だとすると少々怖い。
何が怖いって、それは虫だ。
ノートは紙で出来ているから、虫が餌や巣にするしダニだって湧く。
そして、僕の目の前にはその可能性があるノートがある。
そんなの誰だってめちゃくちゃ怖いだろう。
急に虫が出てきたらどうするんだ。
いくらダンディな高校生の僕でも気が引けてしまう。
でも興味も恐怖以上にめちゃくちゃにある。
このまま捨てるのは絶対に嫌だ。
「……ゴクリ」
僕は少しの時間を、覚悟を決めるために使った。
そして固唾を飲み込み、意を決してノートを開いた。
「は、良かった、虫はいないみたいだ」
でもその覚悟は杞憂で終わった。
1ページ目を開いた時、ダニや虫がいたら速攻でゴミ箱に放り投げようとしていたけれど、ノートの中身は案外綺麗なものでシミ1つない。
意外なほどに清潔だった。
でもそれ以上に中身が意外なものだった。
「父さんとの約束ノート……あんな所に置いてあったのか」
父さんとの約束ノート。
僕にとって小さい頃の父さんはヒーローそのものだった。
だから僕も父さんの様になるため、父さんの真似をしてみたり、ゲームをしてみたり色々頑張ったものだ。
そしてこのノートも、その頑張りの1つだ。
父さんと約束を交わし、その約束を守る。
そしてこのノートが埋まるまで約束を守り続ければ、僕も父さんと同じようなヒーローになれる。
そう父さんに言われて始めたノート。
でもいつのまにか僕はやめてしまっていた。
まあその父さんが死んだんだ、当たり前といえば当たり前か。
「母さんの言う事を聞く、母さんの手伝いをする、か……」
ノートに書いてあったのは、なんて事は無い、親子でよくする約束ばかりだ。
ノートに書いてある内容の大体は母さんの事だけれど、たまにある、父さんの肩たたきをする、や、父さんを臭いと言わない、という私利私欲の混じった内容を見ると、クスッと笑ってしまう。
「あ……」
ありし日の、懐かしい記憶に頬を緩めながら見ていると、僕は最後の約束を目にした。
ノート1ページにはそれぞれ3つの約束と、書いた日付があり、約束を果たすと丸をつける形になっている。
だから僕はすぐにこの約束が、最後の約束だと理解した。
「フューチャーの世界大会で優勝する……か」
この約束だけノートに1つだけで、丸がついていない。
そして日付は父さんが死ぬ数日前。
つまりこの日が、父さんと約束を交わした最後の日だ。
「……」
父さんの死については、僕はもう乗り越えた。
今更父さんの死について人に何か言われても、何も思わないし、何も感じない。
でも、こうやって思い出で父さんが死んだんだと実感すると、少し寂しい。
心にポツンと穴が空いた気になる。
「見るんじゃ、なかったかな……」
僕はそのノートをゴミ箱に捨てようとした。
個人的には取っておきたい。
悲しい思いはしたけれど、これだって思い出の1つだ。
でもそれで母さんに変な誤解を与えたくは無い。
母さんは明らかに、父さんが死んでからeスポーツを嫌っている。
嫌っている理由はもちろん僕の未来のためだ。
それなのに、もしこのノートを僕が持っていて、そして母さんが中身を見て不快な想いや、あらぬ誤解をするようであれば、無い方がいい。
だから僕はノートを捨てようと持ち上げる。
でもその時、手から滑ってノートが床に落ちてしまった。
「え……?」
その時僕の目に入ったのは、ノートの最終ページ。
そこには本来埋まらないはずの、父さんとの約束が埋まっていた。
「好きな事には全力で突き進め……」
他の約束を書いた字体とは全く別の字体。
他の約束は優しい字体で書いてあったのに、この約束だけ殴り書きで、紙が破れそうなくらい力強く書かれていた。
所々水で濡れたせいか、シワが出来ているのが目につく。
僕はその約束を見て、絶対に忘れてはいけないはずの、父さんとの最期の約束を思い出した。
『好きな事には……全力で突き進め……』
父さんが死ぬ間際に、僕の手を強く握って言った言葉だ。
あの日、ワクチンを家族の中で唯一打っていた僕だけが父さんを看取る事が許された。
僕が父さんを見た最後の記憶。
僕が父さんと話した最後の会話。
僕は父さんとの日々だけでなく、父さんが最期に残した、本当の遺言までも忘れてしまっていた。
「……そうか」
そして父さんを看取った僕はその日、すぐに家に帰って、その約束をノートに殴り書きした。
落ちる涙をそのままに、悔しさ、怒り、悲しみ、様々な感情を筆に乗せて僕はその約束を書いたんだ。
『好きな事には全力で突き進め』
忘れてしまっていた、父さんとの最後の約束。
僕は今、本当にこの約束を守れているのだろうか。
僕は……。
『え? 世界大会に出場?』
翌日、僕は自分の部屋でアメリカにいる、ある人物にVRCで通話を繋げた。
その人物とは、ジョン・ケリーさんだ。
フューチャーの世界大会に何度も出場し、何度も優勝を重ねているフューチャーのチャンピオン。
そして、10年前に僕の父さんを破った相手でもある。
……といっても別に仲が悪い訳ではなく、年に一回必ず命日には父さんに線香をあげに来てくれる。
そして僕ら家族はケリーさんを歓迎している。
恐らく香炉にあった燃えカスの1つは、ケリーさんの線香だろう。
小さい頃は親の仇のように(本当に仇ではあるのだけれど)ケリーさんの顔を見る度に睨みつけていた。
でも今となっては気のいい親戚のおじさんって感じだ。
ちなみにケリーさんの使用しているアバターは、本人の自撮り写真から作られた、本人そのもののアバターだ。
綺麗な金髪のショートに、日焼けした肌。
タキシードを着てはいるけれど、それでも感じられる筋肉質な体が非常にダンディだ。
僕もこんな体を目指したい。
比べて僕のアバターは、初期設定で選ばれる丸っこいアニメチックなウサギ。
陽子が「似合うから」と勝手に選択したアバターだ。
何度か変えようとしたけど、その度に陽子に怒られたので、結局このまま何年も使用している。
そんな2体のアバターが、VRCで作成した白い空間の中向かい合っている。
こういうの、なんて言ったっけ。
シュール?だったかな。
「はい、お忙しい中、突然のご連絡申し訳ありません、僕そういうのに詳しくないもので……」
『おいおい変な気遣いはやめてくれよ好輝くん、君と私の中じゃないか、いつでも連絡してきてくれ。でもそうか、好輝くんが……それで、お母さんには話したのかい?』
「えっ、いや、その……」
『ははは、まあそんな事だろうとは思ったよ、じゃないと突然VRCで連絡してこないだろうしね』
僕はケリーさんの言葉で、流石に露骨すぎたかと反省した。
何故露骨すぎたかというと、世界通話の通信料金が1番安いのがVRCだからだ。
VRCというアプリがシェア率1位を誇っている理由、それはまず間違いなく通信料金の安さだ。
チャット、通話といった手段での外国との通信料金は非常に高い。
なので、アメリカにいるケリーさんとの通信で使用してしまえば、一瞬で母さんにバレてしまう。
しかしVRCは、シェア率が高いという実績から国内、国外問わず通信料金を驚く程に安く設定しており、薄利多売での経営で利益を儲けている。
母さん曰くかなりの賭けだったらしいけど、結果この作戦が成功してシェア率1位を獲得した。
更に多少のラグはあれど、まったく時差を感じさせない通信に、最新鋭の通訳アプリを使用した同時通訳といった、ストレスフリーなシステムが多く実装され、今ではVRC海外ツアーなんてものも開催される程だ。
……僕の宣伝の方が露骨すぎるだろうか?
まあそれは置いといて、そのためVRCで通話をする事によって、母さんやケリーさんに変な勘繰りをさせないというのが、僕の作戦だったのだけど……。
どうやら僕の意図はケリーさんにはバレバレだったようだ。
『しかしそうか、世界大会か……まあ、あると言えばあるが……』
「本当ですか! それで、その世界大会にはどうすれば出場できるのでしょうか!?」
『……株式会社バーチャルシステムズがメインスポンサーとなるアマチュア世界大会が近々開催予定との事だ、目指すならこの大会がいいかもな』
「バーチャルシステムズってあの!?」
株式会社バーチャルシステムズ。
僕の母さんの会社と並ぶ、VR技術を使用した大企業だ。
主にVRの立体映像による技術を始め、様々なVR映像技術を発信しており、VRの映像技術に関しては右に出る会社はないだろう。
もちろんフューチャーの映像も、今僕達が使用しているアバターも、この会社の技術を使用している。
『まあな……で、好輝くんのフューチャー技術はどれほどのものなんだ?』
「えっと、10年前からやってはいますがオンラインは殆ど……大体NPCとやっています、最高難易度の」
『そうか、だとしたら予選トーナメント出場は厳しいかもな』
「え!? 予選トーナメントにすら出れないんですか?」
僕はその言葉に驚き声をあげると、扉の先から母さんのこもった声が聞こえた。
「好輝どうしたの? 何かあったの?」
「あ、いやなんでもない! ちょっと通話してて!!」
「そう、邪魔してごめんなさいね、お昼できてるからキリがよくなったら出てきなさい」
「は、はーい! ありがとー!」
僕は母さんを適当にやり過ごした後、階段を下る音が聞こえなくなった時を見計らって、VR通話専用の機器を頭にかけた。
「す、すみません、お騒がせしました」
『ははは、なに、問題ないさ、それより予選の話だったね』
「は、はい、それで予選に出れないって、どういう事ですか?」
僕がケリーさんに聞くと、ケリーさんのアバターは腕を組んで、地面を足でトントンと叩くモーションをとった。
課金専用モーションだ。
母さんいわく1番売り上げがあるらしい。
お買い上げありがとうございます。
僕は心の中でケリーさんにそうお礼をした。
『それがな、このアマチュア大会は各国で予選があるんだが、その受付人数が、確か日本が8000人なんだ』
「8000ですか!?」
『ああ、各地から参加者を募り、書類選考で8000人を絞る。そしてそのメンバーでサバイバルモードを行い、予選トーナメント出場者を決めるって流れだ』
「しょ、書類選考ですか……」
『あ、いや問題はそこじゃない、好輝くんの場合は書類選考はまず問題ない、日向進の息子というビックタイトルがあるからな』
「あはは……プレッシャーだな……でも、書類選考が問題じゃないって事は」
『そう、サバイバルモードだ。予選のサバイバルモードについては、詳しく発表はされていないが、まあ恐らく1000人づつでグループ分けをすると思う。好輝くん、サバイバルモードの経験は?』
「一応はあります、キル数で勝負したり、最後まで生き残ったりですよね、あっ……」
『そう、つまり好輝くんは、あくまで仮定だが1000人の中から1人になるまで生き残らなければならない。まあもしかすると8000人で生き残り8人や16人、もしかしたらもっと人数を選出するという可能性もあるが……まあどの道、必要となるスキルは高いものになるだろうな』
僕はその話を聞いて、スンッと肩から力が抜けてしまった。
勝てるわけがない。
確かにキャリア自体はそれなりにあるけれど、最近は勉強優先で1日1時間やるかどうかだ。
別に優勝出来るとは思ってもいない。
でもせめて予選トーナメント出場くらいは、できると思っていた。
僕が落ち込んでいると、ケリーさんは僕の気持ちを察したのか、優しい声で話しかけてくれた。
『まあなんだ好輝くん、君の目的は何も優勝じゃないんだろ?』
「……やっぱりケリーさんは凄いですね、はい、その通りです」
『なら結果よりも、しっかりと楽しんできなさい、その経験が好輝くんの未来を作るのだから』
「……はい、分かりました!」
『はははっ、頑張れよ、少年! 君達がこの先の未来を作るんだからな! あ、お母さんにはあまり心配かけるなよ! あと困った事があればいつでもかけていいぞ』
ケリーさんは最後にそう言うと「バーイ」と言って
通話を切った。
僕はVR機器を外し、一息つく。
「8000人、か……」
僕は天井を見上げて、途方もない数字をポツリと呟いた。
まあでも、予選さえ出場できるならいいだろう。
僕の目的はケリーさんの言う通り勝つ事じゃない。
父さんとの約束を守る事。
父さんとの思い出を作る事。
父さんと一緒にいた記憶が薄れていく中で、唯一僕が強く覚えているのは、父さんから教わったVR格闘ゲーム”フューチャー”の技術だけだ。
まあそれも薄れてきてはいるのだけど。
だから僕は父さんと同じ目線に立って、父さんと同じユニットを使って、父さんがみていた景色を少しでも共有したい。
父さんとの新しい思い出を作りたい。
そして、それがきっと僕の好きな事であり、父さんの死と向き合う事に繋がるかもしれない。
「サン・フレア……」
父さんからもらった、10年前に世界大会準優勝を決めたユニット。
僕はそのユニット名を何となく呟き、母さんの待つリビングへと向かった。
♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎
『いきなりなんだ親父、日本とアメリカでは時差があるの知らないのか?』
「いきなりご挨拶だな、マサヨシ」
『そう言われたくなければ日本時間の深夜にVRC通話をしない事だな、それでどうしたんだ?』
VRCアプリで生成された真っ白な空間。
そこにジョン・ケリーのアバターと、マサヨシと言われた人間の、チワワのようなアバターが向かい合っていた。
「高校はどうだ? 楽しくやっているか?」
『まあそうだね、うまくやってるよ、ただ俺としてはアメリカの方が喋りやすくはあるかな、まだまだ通訳機器に頼る事はあるから』
「マサヨシ、いい加減、父さんみたいに日本語を学んだらどうだ?」
『善処しとくよ、それで? 何か本題があるんだろ?』
マサヨシの言葉にジョンのアバターは、腕を組んで地面を足でトントンと叩くモーションを取る。
『親父また課金したのか? お袋に怒られても知らないぞ?』
「ははは、お前が黙ってれば問題ないさ」
『いや口座から下ろされてるんだからバレるんだって……』
「マジでか……て、そうじゃないそうじゃない、お前、昔俺が話した日向進さんは覚えているか?」
『覚えているも何も、フューチャーの英雄だろ? それがどうしたんだよ』
「おうその通りだ、もし忘れてたらお母さんに頼んでお小遣いを減らす所だったぞ、で、どうやらその息子、日向好輝くんが大会に出場するらしい」
『日向……好輝?』
「どうした? 心当たりでもあるのか?」
マサヨシの呟きにジョンが反応する。
しかしマサヨシは、首をふるモーションを取ると話を促した。
『いや、なんでもない、学校の廊下でそんな名前を聞いた気がしただけだ。それでそいつがどうしたんだ?』
「そうか……それでな、もしお前の元に好輝くんが来るようであれば、是非しごいてやってほしいんだ」
『はぁ……まあいいけど……』
「はははっ、そう言ってくれると助かるよ、お母さんにお小遣いを増やすよう頼んでやろう」
ジョンは、マサヨシを抱き上げるモーションを取る。
しかしマサヨシは、そんなジョンをジト目のモーションで見つめていた。
『いや、それはいいから親父、金遣い抑えろよな、また課金ガチャしたんだろ? お袋が怒ってたぞ』
「マジでか……」
その後、マサヨシの母にジョンからの一本の電話と、その電話に対して鬼のように怒鳴るマサヨシの母の姿があったかとか、無かったとか……。
♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎
さて、今回はここで終わりになります。
最後までお読みになっていただき、ありがとうございます!
第一話、楽しんでもらえたでしょうか?
更新日時は今の所不定期です。
のんびりやっていきたいと思います。