3-11
ここまできて、勒さんが僕に嘘をつく必要性は無い。
「……忙殺寺ミロクは、勒さんじゃないの?」
「ああ、それは未梨亜のペンネームだよ」
「えっ」
合点がいったとばかりに勒さんは手を叩く。
「忙殺される程売れっ子になって、自分を救いたいという思いからつけたペンネームだそうだよ。まあ、それは叶わなかったんだけど」
「……ならトイレに行く途中にある部屋はなんなの?」
「ああ、アレを見たんだね。それは未梨亜が持ってきたんだよ。自分の家にいる時まで小夜子さんの事考えたくないからって」
「考えなければ良いんじゃないの……」
「何もしない方が考えちゃうみたいだよ。特に狙ってた相手が小夜子さんに入れ込んで殺人事件を起こして逮捕された直後なんて、酷いものだったよ」
「そう、だったんだ……」
つまり、忙殺寺ミロクは勒さんじゃなくて、未梨亜さん……?
いや、でもママ太郎先輩が突き落とされた時、現場には男物の靴跡が……そこまで考えて僕は思い出す。
花火大会の帰り、初めて会った時の未梨亜さんは、服も靴も全体的に身体に合わない大きめの物を身に着けていた。
男物の、がっちりした服や靴を大きめに着るのが好きなんだろう。
つまり、あの足跡は未梨亜さんの物だったんだ。
「大学で出会って以降、自分の一番欲しいものはいつも小夜子さんがかっ攫って壊していくんだって言ってたよ」
「それは……」
もしかしたら、小夜子さんの魅了体質を起因とした対人トラブルがあったのかもしれない。
小夜子さんの話だと、実際取り巻きはいて当たり前の存在だったみたいだし、芸能人でもないのにファンクラブまであったのなら、ソレを面白く思わない小夜子さんに無関心な人がいてもおかしくない。
「憎くて憎くてたまらないけど、それを表に出したら自分が悪者になるだけだし、何より一番腹立たしいのは小夜子さんが未梨亜のその考えを知ってもなお好意的に接してくる事だったらしい」
「ええっと……なんで?」
じゃあもうどうしたらいいんだ。
「自分は小夜子さんの事が嫌いで憎んでいるのに、それさえ受け入れられて好意を向けられたら、圧倒的な器の違いを感じざるを得ない訳で、それが余計に彼女の自尊心を傷つけたらしい」
面倒くさい……!
「だから未梨亜はそんな自分を見ないよう、大学卒業後は小夜子さんと距離を置いて、小夜子さんが自分の小説をいたく気に入っていた為に筆を折った。他にやりたい事、好きな事を探して、それまでとは違う自分になろうとした」
……なんというか、それは小夜子さんも未梨亜さんもお互いに気持ちがすれ違っていたようだ。
未梨亜さんの面倒くさい性格は小夜子さんに伝わっていたし、それでも小夜子さんが好意的に接していたのは、未梨亜さんの書く小説が好きだったからだ。
だけど、結果的に小夜子さんのその行動が未梨亜さんの筆を折らせてしまったのは皮肉としか言いようがない。
「そして、将来結婚したいと思う程好きになった相手が出来たけど、ある日その相手から一方的に別れを切り出された。その時だよ、僕が未梨亜と自殺希望者同士のグループで出会ったのは」
未梨亜さんとは共通の趣味の集まりで出会ったと勒さんは言ってたけど、共通の趣味が重すぎる。
「ああ、僕は別に死にたかった訳じゃない。ただ、人生に絶望して死にたがっている子を救って、その子の生きる理由になりたかったし、僕の生きる理由になって欲しかった。今まで良くて二位止まりの人生だったから、せめて誰かの一番になりたかったんだ」
自殺グループが出会い系みたいな使われ方をされてる。
というか、この人も色々こじらせてるな……。
「出会った時、未梨亜は死にたがってた。そんな時に彼女の話をひたすら聞いて距離を詰めて、後日その彼が殺人罪で逮捕された時、正式に付き合う事になった」
小夜子さん側からの下田さんとの話も知っているから、まるで風が吹けば桶屋が儲かるみたいな話だ。
「そこまでは上手く行ってたんだ。なのに、彼女の大学時代の知り合いが、最近男にふられたらしいという情報を聞きつけて、花火大会に誘ってきたんだ。そして、小夜子さん達の雑談の内容で自分が彼にふられたのも、彼が逮捕されたのも小夜子さんが原因だと知ってしまった……!」
膝の上で握った勒さんの拳が小刻みに震えている。
「でも、それなら未梨亜さんが突き落とすべきは花火大会に誘った知り合いじゃなくて、小夜子さんじゃないの?」
だからといって、小夜子さんを突き落とされても困るけど。
「それがそうはならなかったらしい」
勒さんはため息交じりに首を振る。
「自分をふった相手が小夜子さんに入れ込むあまり殺人まで犯して逮捕された。何重負けなのかわからないその状況を知った時、一瞬相手が小夜子さんならしょうがないかと納得してしまって、その事がまた未梨亜の精神を苛んだ」
未梨亜さんの性格、難儀すぎでは……?
「大学時代より更に大きな憎しみを抱えた彼女は、その発露について考えた。もし、自分の憎しみをそのまま小夜子さんに直接ぶつけたとして、それが成功したとして、小夜子さんはどんな反応をするのか」
わからない。
「万が一にも小夜子さんにそれを許され、同情されたのなら、小夜子さんと未梨亜の立場は決定的なものになり、それで小夜子さんが命を落とせば、もう二度と覆らない呪縛となる」
考え過ぎじゃないかなあ……。
確かに致命的なまでに面倒くさい性格をしている。
でも、たぶんそういうひねくれた考え方から生まれた未梨亜さんの作品が、小夜子さんは好きだったんだろう。
「そこで未梨亜は考えた。では一体どうなるのが一番自分の心を落ち着かせるのか。もし小夜子さんが、自分と同じか、それ以上に自分を憎んでくれたなら、その時やっと自分達は対等になれる。それが未梨亜の出した答えだった」
「……よくわかんないや」
なぜ、その結論に行き着くのか。
「僕もよくわからないよ。だけど、未梨亜の中ではそれがロジックとして成立していて、その為に未梨亜は小夜子さんに殺人の冤罪を被せようとその計画をせっせと練っていた」
「ああ、だから大介侍さんが病院送りになって小夜子さんから色々言われても、気にせずプールにトラップを仕掛けたんだね……むしろ予定通りだから」
つまり、小夜子さんに何を言われたところで、未梨亜さんには辞める理由にならないんだ。
「そうだね。そして、今の話だと、由乃くんが僕を忙殺寺ミロクと勘違いしていただけで、小夜子さんはちゃんと未梨亜の所に向かったんだね」
「うん、忙殺寺ミロクさんが犯人で、これからカチコミに行くとは言ってたから」
「なら良かった。これで未梨亜も満足して死ねるだろう」
勒さんは安心したようには胸をなで下ろす。
「……え? それって、どういう事?」
「未梨亜は今、やっと小夜子さんと対等な状態になれた。けれど、この先小夜子さんが未梨亜の事を許す可能性はゼロじゃない。だから、二人のこの瞬間を永遠にしたいんだそうだよ」
「それは、未梨亜さんがカチコミに来た小夜子さんと無理心中しようとするって事?」
「僕に未梨亜は手に負えない。かといって、僕から未梨亜をふると、彼女のトラウマを刺激して刺されそうだからね。彼女の目的を応援して、厄介者同士消えてくれるなら、それが一番だよ」
「厄介者って……」
穏やかに笑う勒さんに、僕は薄ら寒いものを感じる。
「由乃くん、小夜子さんがいなくなったら、君は一人ぼっちになっちゃうね。だけど大丈夫。これからは僕が君とずっと一緒にいてあげるからね」
「なに、言って……」
急に強い眠気に襲われる。
辺りがグルグル回って、身体を起こしていられない。
「やっと薬が効いてきた。頑張って長話した甲斐があったよ」
遠のく意識の中、そんな声が聞こえた。
「やあ、由乃くん、目が覚めたかな?」
「タンクトップ山田さん」
目が覚めたら、ゴツゴツした膝枕で寝てた。
「ああ! 俺が来たからにはもう大丈夫だ!」
身体を起こして視線を向ければ、タンクトップ山田さんが大きく頷いた。
「クソッ! 一体なんなんだお前は! どっから入って来た、不法侵入だぞわかってんのか!」
声がした方を見れば、ガムテープで拘束された勒さんが床に転がっている。
どうやら、間に合ったらしい。
合気道の心得がある小夜子さんが本気で暴れたら僕にはどうしようもない。
そう考えた僕は、小夜子さんと更衣室前で別れた後、すぐにタンクトップ山田さんの元へ走った。
怒りで我を忘れている小夜子さんが道を踏み外さないよう助けて欲しいと言ったら、二つ返事で協力を約束してくれた。
「名乗る程の名じゃないが、そう、あえて名乗るならば、通りすがりのタンクトップ山田さ」
そう言ってタンクトップ山田さんは勒さんにサムズアップをしながらパチンとウインクする。
「だから、なんなんだよ!」
勒さんの渾身の叫びだった。
タンクトップ山田さんには小夜子さんを止めてもらう予定だったけど、結果的には僕が助かった。
「そうだ、小夜子さんが危ない!」




