3-10
仕込みが終わって小夜子さんの家の自分の部屋に戻ると、早速僕は勒さんに連絡用アプリから電話をかける。
「ねえ勒さん、今から勒さんの家に行ってもいい?」
「えっ、急にどうしたんだい由乃くん」
「……ダメかな」
「ダ、ダメじゃない……! 由乃くんは今、どこにいるのかな」
「小夜子さんの家」
「じゃあ、この前花火を渡した駅までの道はわかる?」
「うん」
「じゃあ、その駅から僕の教える駅までおいで。切符代もこの前のハンバーガー屋でのお金が残ってるなら、十分足りる額だから」
「わかった」
「詳しい金額や乗り換えはメッセージで送るよ。とりあえず、電車に乗ったらメッセージを送ってくれ」
思ったよりあっさり約束を取り付ける事が出来た。
小夜子さんは部屋で何か準備をしているようで、家に帰ってからずっと籠もっている。
僕はちょっと買い物に行ってくるとだけ小夜子さんに伝えて、家の鍵もちゃんと持ってから家を出る。
アプリに送られて来た勒さんの家の最寄り駅までは、小夜子さんの家の最寄り駅から一回乗り換えで、三十分の比較的近い場所だった。
「待ってたよ由乃くん、迷わなかった?」
「うん、大丈夫」
目的の駅に着いて改札を抜ければ、勒さんが笑顔で出迎えてくれた。
「今日は特に暑いから、はやく家に向かおう。二十分くらい歩くけど、クーラーは効いてるよ」
それから、勒さんの後に付いてしばらく歩いた。
日差しが痛い位に照りつけて、セミの声がうるさい。
「……暑い」
「あそこのコンビニでアイスでも買っていこうか」
僕がポツリと呟けば、勒さんが少し先に見えるコンビニを指さす。
「いいの?」
「もちろん」
笑顔で頷かれたので、その言葉に甘える事にした。
涼しい店内で、アイスを買ってもらって、僕達はまた勒さんの家に向かう。
「あー、生き返る! 勒さん、ありがとう」
「うん、うん……!」
買ってもらった棒アイスを食べながらお礼を言えば、勒さんはとても嬉しそうだった。
アイスを買ってもらった僕よりもずっと。
ようやく着いた勒さんの家は閑静な住宅街にある一軒家だった。
促されるまま開かれたドアをくぐれば、ひんやりとした空気が僕の肌をなでる。
外が蒸し蒸しした暑さだったので、冷房の効いた部屋の中は息がしやすい。
「うわ、涼しい! おじゃまします」
「いらっしゃい、由乃くん」
「こんな立派な家に住んでたんだね」
外からの見た目の通り、家の中は広々としていた。
「叔父の家の管理を任されてるだけだよ」
「ここには一人で住んでるの?」
「そうなんだ。部屋は余ってるし、僕一人には広過ぎて持て余し気味だよ」
「未梨亜さんは?」
「何度か同棲を持ちかけてみたんだけど、毎回断られてるよ」
寂しそうに勒さんは言う。
この家は、何か曰く付きだったりするのだろうか。
「広いし片付いてるし、僕はいいと思うけどな」
「なら、由乃くんがここに住んでみるかい?」
「考えとくよ」
勒さんは結構真面目そうだから冗談なんて言わないと思ってた。
でも、こんな軽口を言い合える位には仲良くなれているらしいと思うと、魅了体質で良かったと思う。
「小夜子さんと何かあった?」
リビングに通されて、ソファーに僕と隣り合って座った勒さんは、深刻そうな顔で僕に聞いてくる。
「へ?」
「いや、言いたくないなら言わなくていいんだ。帰りたくないならここに泊まっていいし、ずっと居たっていい」
「……なんで?」
なんだか、ものすごく的外れな心配をされている気がする。
「僕は由乃くんの味方だからね。頼ってくれて嬉しいよ」
「う、うん?」
会話が噛み合ってないような。
たぶん、純粋な善意から言ってくれているんだろうけれど。
「突然の事で急だったから、まだ掃除は行き届いていないけど、余ってる客間は由乃くんの部屋にしていいから。そうだ、日用品も買わないと」
「僕、別に家出してきた訳じゃないけど……」
そして、いつの間にか勒さんの中で僕がここに転がり込むみたいになっている。
「えっ、そうなの……? なんだ、僕はてっきり……恥ずかしいな」
きょとんとした顔になった後、勒さんは顔を赤らめる。
「勒さん、ちょっとトイレ借りてもいい?」
「トイレはリビングを出てつきあたりを右だよ」
「ありがとう」
少し話した所で、僕はトイレに行くと言って勒さんから離れる。
たぶん、後から小夜子さんもここに来るだろうけど、その前に家の大体の構造位は把握しておきたい。
もしもの時の助けにもなるだろうから。
「うわ……」
とりあえずトイレの位置を確認しようと廊下を歩いていたらドアがあったので、どんな部屋かと覗いてみた。
その部屋には、小夜子さんの写真やいくつかのピンや書き込みのある付箋が付いた地図、橋やプールの写真、図形の書かれた紙なんかが壁に沢山張られていた。
そして、その中のいくつかには見覚えがある。
小夜子さんと花火をした橋の下、今日僕が小夜子さんと行ったプールの写真、振り子の図形や、プール施設の見取り図。
きっとここで計画を練ったんだろう。
振り返れば、ドア横の本棚に竹川夕の小説と、薄い冊子が何冊も並んでいる。
犯行の動かぬ証拠以外の何物でもない。
僕は音を立てないようにそっと部屋から出ると、そのままトイレへ向かい、鍵をかけると、急いでスマホでメッセージを打つ。
リビングに戻る時、玄関の鍵とドアロックがなぜかかかっていたので、一応開けておく。
途中いくつか大きめな窓はあったけど、侵入には不向きそうだったし。
「ところで、家出じゃないなら今日は急にどうしたんだい?」
リビングに戻ると、勒さんが僕にお茶を用意してくれていた。
「もちろん普通に遊びに来てくれたって事ならそれはそれで歓迎するけど」
個別包装のお菓子も用意されている。
「勒さんを助けてあげようと思って」
出されたお茶を飲んで一息つくと、僕はまっすぐ勒さんを見る。
「僕を?」
「小夜子さん、すごく怒ってたよ。これからここに来る」
「えっ、なんで……?」
ポカンとした顔で勒さんは聞き返してくる。
「心当たり、無い訳じゃないでしょ」
「…………」
だけど、僕が念を押すように言えば、気まずそうに目を逸らした。
「あるんだね」
「えっと……小夜子さん、どれ位怒ってた?」
縮こまったような、緊張した様子で勒さんが聞いてくる。
「ピアノ線を両手に持って、落とし前を付けるとか言ってたよ」
「そ、そっかー……」
勒さんは遠くを見るような目で明後日の方を見つめる。
「僕、小夜子さんを殺人犯にしたくない」
「そんなに怒ってるの!?」
「当たり前だよ。危うく殺人犯に仕立て上げられそうになったんだから」
「まあ、そりゃそうだよね……」
両手で顔を覆いながら、勒さんは深いため息をつく。
そんな風に思うなら最初からやらなければ良いのに。
「小夜子さんは、それでも普段はこんなに怒らないよ。実際自分のストーカーさん達が次々殺されていって、自分に犯行の疑いをかけられてもゲーム感覚で犯人を推理して、寸劇を交えながら警察に突き出してたし」
「どういう事なんだ……」
眉間に皺を寄せて理解し難いという顔で勒さんが僕を見る。
「だって、小夜子さんだよ?」
僕は肩をすくめる。
それが答えだ。
「そんな小夜子さんが今とても腹を立ててるのは、きっとお世話になった先輩を重体にされたからだし、勒さんが大事な友達だからだよ」
「友達……? 僕が、小夜子さんの……?」
「小夜子さんは、勒さんが書く小説が一番好きだって言ってたよ!」
「ん? 僕は小説なんて書いた事無いけど……」
勒さんは怪訝そうな顔をする。




