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楽しい修羅場の歩き方  作者: 和久井 透夏
第三章 昔馴染み冤罪事件
30/41

3-9

「ぬをおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!! だ、誰か!!!!!!!! 誰かぁ!!!!!!!!」

 プールサイドにタンクトップ山田さんの野太い声が響き渡る。

 左右に手すりのあるジャグジー風のプールで、タンクトップ山田さんがプールの端に手をかけて水面ギリギリで身体を真っ直ぐ支えている。

 ちょうどまっすぐ立ってバンザイした体勢をそのまま横にしたような体勢だ。

 はたから見ると、異様に体格の良い男の人がただふざけているように見える。

 だけど、小夜子さんはすぐに異変に気付いてタンクトップ山田さんに駆け寄ると、まず手前側にある手すりの柵に引っかけられたI字型の金具を縦にして外す。

「……脚の方の糸は外したので、もう立てるはずです」

 周囲をキョロキョロ見渡しながら小夜子さんが言う。

 小夜子さんが取り外した金具にはよく見ると糸のような物が結ばれていて、

 ジャグジー風のプールに目を向ければ、下から上がってくる空気の形がある場所でだけ不自然な形になっていた。

 そこだけ上がってくる空気が二つに割れている。

 僕がそれをじっと見ていると、小夜子さんがプールに入り、奥にももう一つセットされていた糸のような物を手早く回収した。

「小夜子さん、それ……」

「ピアノ線ね。場合によっては人間の肉も切ってしまう、推理小説ではおなじみのアイテムよ」

 僕が尋ねれば、小夜子さんは回収したピアノ線を周囲から隠すように見せてくれた。

 どうやらI字型の金具の真ん中にピアノ線の両端をそれぞれ結んだものを、ジャグジー風プールの手すりに引っかけて、二本のピアノ線が張られていたようだ。

 近くでゼイゼイと息を上げながら座っているタンクトップ山田さんの足首辺りには左右一本ずつカッターか何かで真っ直ぐ切られたような傷があって、血がにじんでいる。

「死ぬかと思った……一度ならず二度までも命を救ってくれるなんて……小夜子さん、やはり貴女は俺の女神だ……!」

 小夜子さんの前にタンクトップ山田さんが跪く。

「いいえ、タンクトップ山田さんが助かったのは、腕を伸ばせばプールの端まで届く類い希なる体格の良さと全身を支える筋力、ジャグジーの空気があったとはいえ、水面に張られた異物に気付く動体視力、そして足下の状況から目の前の存在の危険性を理解して避けられる咄嗟の判断力によるものよ」

 首を横に振って小夜子さんは言う。

 そう考えるとタンクトップ山田さん、かなりすごいのでは。

「いや、しかし、前回も今回も、俺一人の力ではどうしようもなかった。貴女の知性があってこそです。俺の筋力と小夜子さんの知力、両方が合わされば、きっと無敵だ。そう思いませんか小夜子さん!」

 かなり興奮した様子でタンクトップ山田さんが言うけど、一体タンクトップ山田さんは何と戦うつもりなのか。

「ごめんなさい、私この程度のトラップも自力で脱出出来ない殿方はちょっと……」

「なんと……!」

 タンクトップ山田さんが愕然とした表情になる。

「くっ! 俺に、俺にもっと筋肉があれば……!」

 蹲って床に拳を叩き付けながら何か言っている。

「小夜子さん、今の……」

「面倒な事になる前に、早く帰りましょう。ピアノ線は回収したし、幸いまだ周りの人はカップルが騒いでる位にしか思ってないわ」

 内緒話をするように、近づいて小声で確認しようとすれば、小夜子さんは小さく首を横に振って足早に歩き出す。

「でも小夜子さん、さっきの防犯カメラに映ってるんじゃ……」

「たぶんあれはダミーよ。首振り動作が不自然だし、昼間にもLEDが常時点灯してるし、質感が安っぽい」

 後を追いかけながら心配すれば、小夜子さんは淡々とそれに答える。

「そ、そうなんだ……」

「仮に本物でも、こんなすぐ取り付けられる形のピアノ線じゃ、肉眼でも一見わからないし、カメラを通して見たら何が起こったか説明されないとわからないわ」

 つまり、自分達が黙っていれば、この出来事は起こっていないのと同じだと小夜子さんは付け加える。

「でも、タンクトップ山田さんがこの施設や警察に訴えたら」

「たぶんしないわ。タンクトップ山田さん、さっきの私の言葉でむしろトラップを回避出来なかった自分を恥じているから」

 立ち止まって振り返った小夜子さんに習って振り向けば、まだタンクトップ山田さんはジャグジー風プールの前で蹲っているのが見えた。

「ああ……」

「由乃くんは、相手の言葉を額面通りに受け止め過ぎちゃダメよ。相手がどういう立場と意図でそんな事を言っているのか気を付けないと、悪い大人に騙されてしまうわ」

「小夜子さんは、悪い大人?」

「世の中には完全な善人も、完全な悪人もいないと私は思ってるわ」

 ニッコリと小夜子さんは笑う。

「……忙殺寺ミロクさんは、悪い大人?」

「悪い寄りの、ダメな大人ね」

「あのトラップ、ちゃんと発動してたらどうなってたの?」

「初めの浅いところで脚を引っかけて水面に転んだら、タンクトップ山田さんの首にピアノ線が食い込んで、動脈まで届いたらそのままあそこは血の海になってたでしょうね。水場だからすぐに止血するのも難しいでしょうし……」

 わざわざピアノ線の位置が体格の良いタンクトップ山田さんの首に合わせられてたから、あれも最初からピンポイントで狙ってたのね。

 プールエリアを真っ直ぐ突っ切って歩きながら静かに小夜子さんは言う。

「小夜子さん、これからどうするの?」

「カチコミかしらね」

 小夜子さんの語彙がどんどんストレートで物騒になっていく。

「今までのやり方からして、相手の目的は、恐らく私に冤罪をかける事なんでしょうけれど……」

「なんで、忙殺寺ミロクさんはそんな事するの?」

「……私を貶めたら、相対的に自分の立場が上がるとでも思っているんじゃないかしら」

 冷たく言い放つと、小夜子さんは立ち上がる。

 気がつけば、男女それぞれの更衣室への分かれ道まで来ていた。

「由乃くん、今日はせっかくプールに遊びに来たのに、ごめんなさいね。埋め合わせはまた今度するわ」

 僕の方を振り返った小夜子さんは、申し訳なさそうに言う。

「小夜子さん、カチコミって、一体何をする気?」

「もう二度とこんな事をしようなんて考えないように、“説得”するだけよ」

 ピン、と回収したピアノ線を小夜子さんは両手に持って軽く引っ張る。

 説得するのに、どうしてピアノ線を引っ張るのか。

 一体小夜子さんは何をする気なのか。

「じゃあ、着替え終わったら出口に集合ね。帰ったら準備もしないと……由乃くん、悪いのだけど、今日の晩ご飯はまた一人でいいかしら?」

「う、うん……」

 小夜子さんが女子更衣室に入っていくのを見届けて、僕は走り出す。

 流石に小夜子さんが洒落にならない暴行や殺人事件を起こす前に止めないと。

 でないと最悪、小夜子さんと一緒に暮らせなくなってしまう。

 幸い、勒さんの連絡先は知ってる。

 そして、その事は小夜子さんに知られていない。

 先回りする事は十分可能だ。

 小夜子さんはなんだかんだ僕には甘いので、僕がその場にいたら、新聞に載るレベルの凶行には走らないはずだ。

 なんとかして、僕が小夜子さんのブレーキにならないと。

 ……上手くいく確証はないけれど。

 でも、少しでも上手くいく確率を上げる方法は思いつく。

 今の僕に必要なのは、筋肉だ。


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