3-7
「お留守番?」
「ええ。私は今日これからある人と大事な話し合いがあるの。そして、それは由乃くんの教育にはあまりよろしくないものだから。今日は大人しくお留守番してて欲しいのよ」
「昨日言ってた、犯人の人に落とし前を付けてもらいに行くの?」
「……そんなところね。明るい内には帰る予定だけど、お昼は勝手に食べちゃってちょうだい。家にある物は好きに食べていいし、一応お昼代も渡しとくわね」
そう言って小夜子さんは財布から千円札を出して僕に渡す。
「うん、わかった」
今、家には僕の朝ご飯用のシリアルと小夜子さんの完全栄養食、そしてジュースしかないので、お昼は何か買いに行こう。
「由乃くん、くれぐれも知らない人にはついて行っちゃダメだし、私の知らない間に私の知り合いって人がやって来ても、家に入れちゃダメよ」
「わかってるよ」
「私の後をついて来てもダメよ」
「……わかった」
自分の考えが見透かされているようでちょっと悔しい。
小夜子さんが正面出口から出かけて行くのをマンションのベランダから見てたら、小夜子さん僕の方を振り向いて、笑顔で手を振ると、さっさと影になって見えない道へと入ってしまった。
「……気になるなあ」
本当は、エレベーターに小夜子さんが乗った後すぐ階段から降りて、後を追いたかった。
だけど、小夜子さんはそれを見越してか、小夜子さんが下に降りて出かけていくのをベランダで見送るように言ってきた。
「どうしてもついて行っちゃダメ?」
食い下がってもみたけど、
「どうしてもダメ」
笑顔で却下された。
それからしばらくはふてくされてずっとゲームをやっていたけれど、一時過ぎになって空腹の方が気になり始めた。
ハンバーガーとか食べたい。と思った僕は、小夜子さんからもらった千円札を財布に入れて、駅前へ向かった。
すると、意外な人間を見つけた。
「至道さん?」
僕が声をかければ、至道さんは意外そうな、困惑したような顔で僕を見る。
まさか話しかけられるなんて思ってなかったとでも言いたげだ。
「あれ、君は確か……未梨亜の友達の親戚で……」
「由乃だよ」
「今日は一人かな?」
「うん。小夜子さんは大事な用事があるんだって」
「ああ、それで……いや、なんでもないよ」
至道さんは何か思い出したように言いかけて止める。
軽く鎌をかけたつもりだったのだけど、これはもしかしてあたりかな?
「ねえ、至道さんはこの後、時間ある?」
「え、ま、まあ用事はもう終わったし大丈夫だけど……」
ということは、思ったより早く小夜子さんのお説教は終わったのだろうか。
単純にそこから逃げ出してきたという可能性もありそうだけど。
「僕、至道さんとお話してみたいな」
上目遣いで、できるだけぶりっ子して言ってみる。
前に小夜子さんから聞いた話が正しいのなら、魅了体質の人間からこうねだられれば、十人中九人はちょっと話す位まあいいかと受け入れてくれるはずだ。
「え、僕と?」
全くの予想外みたいな顔で至道さんは僕に聞き返してくる。
でもちょっと嬉しそうなので、子供から慕われるのは満更でもないらしい。
「ダメ?」
もう一押しでいけそうな気がした僕は、今度は至道さんの左手を両手で持って、また上目遣いで聞いてみた。
「ダ、ダメじゃないけど……」
そわそわしながら至道さんが答える。
「やったあ、至道さんって、僕の周りにはあまりいないタイプの人だから、お話してみたかったんだあ」
「あ、あまりいないタイプってどういう……」
心配するように至道さんは聞いてくる。
小夜子さんがこんなに入れ込むような人はあまりいないのでつい言ってしまったけど、これは僕の口から本人に言っていいのか。
「ないしょ!」
「内緒かあ……」
とりあえず笑ってごまかしたら、至道さんは安堵したような表情になる。
「ねえ、至道さんはもうご飯食べた?」
「いや、まだだよ」
「僕、今日のお昼は一人なんだ。ハンバーガーとか食べたいなあ」
「じゃ、じゃあ、一緒に食べようか」
「わぁい!」
こうして僕達は駅前のファーストフード店へ向かった。
「由乃くんはどれにする?」
「うーん、ハンバーガーのAセットかなドリンクはコーラにする」
「わかった」
「えっ」
至道さんは僕の話を聞くなりレジに行って僕の分と至道さんの分の注文を済ませてしまった。
「僕お昼のお金はもらってるし、自分の分は自分で払うよ」
「これ位なら僕が払うよ。使わなかった分は自分のお小遣いにしたらいい」
「いいの? ありがとう!」
「……」
「え、どうしたの?」
図らずもお昼代が浮いてラッキーだと思っていたら、至道さんが急に黙り込む。
「いや、まさかハンバーガーセットをおごった位でこんなに喜ばれると思わなかったから……」
「なんで? 僕嬉しいよ?」
「それは……僕も嬉しいな……」
至道さんはどうやら感動しているらしかった。
僕もまさかお礼を言っただけでこんなに感動されるとは思わなかった。
「ねえ、至道さんの字ってどう書くの?」
空いている適当な席に至道さんと並んで座った僕は、早速一番聞いてみたかった事を聞いてみる。
「え、こう、だけど」
スマホのメモ帳に表示された【至道勒】の文字に、僕はにわかにテンションが上がった。
「へえ、道に至る弥勒……弥勒菩薩だね!」
「……名前負けだよ」
ちょっと得意気になりながら僕が言えば、至道さんは気まずそうに目を逸らした。
「そうかなあ」
「道に至る所か、今まで何一つ成し遂げられなかった人生だよ」
自嘲気味に至道さんが言う。
「至道さんは、どんなお仕事してるの?」
「……勒」
「え?」
僕は首を傾げる。
「由乃くんには、下の名前で呼んで欲しいな」
「勒さん?」
「うん」
僕が名前で呼べば、勒さんは満足気に頷く。
急に僕と勒さんの心の距離が縮まった気がする。
今まで特に意識してこなかったけど、これが魅了体質の力なのか。
「勒さんは、どんなお仕事してるの?」
「しがない会社員だよ」
思ったより普通だ。
「ふーん、でもそれだと勒さんは未梨亜さんとどう知り合ったの? 接点無さそうだけど」
髪型から服装から、未梨亜さんからは会社勤めという雰囲気がしない。
「……共通の趣味を通してSNSで知り合ったんだ」
少しぼかすように勒さんは言うけど、それが小説を書くような集まりだったのかな。
あの小夜子さんがあんなに全力で警察沙汰にするのを避けたがってるなんて、よっぽど面白い小説を書くのかな。
「そこから未梨亜さんと仲良くなったんだね」
「そうだね。仲良く止まりだけど……」
何か含みのある言い方だ。
「仲良く止まりって、仲良くなるより先があるの?」
「えっ、ま、まあそれは、心を開いてくれるというか、身を預けてくれるというか……うん、そうだな、彼女にはもっと信頼されたいんだ」
僕が尋ねれば、なぜだか勒さんが急にドギマギしだした。
「でも、二人は付き合ってるんだよね?」
「付き合ってるって言っても、俺はたまたまキープから彼氏に昇格出来ただけだから……」
「キープって何?」
「ご、ごめん! 由乃くんはまだ知らなくていいんだ!」
また勒さんは慌てる。
「あ、いや言葉の意味は知ってるんだけど」
「知ってるの!?」
「お母さんの見てたドラマとかで……」
「そ、そっか……」
勒さんはさっきから慌てたり安心したり忙しいな。
「そうじゃなくて、なんで勒さんが最初から一番じゃないのかなって思って」
「かっ……買いかぶりすぎだよ由乃くん!」
あ、なんか嬉しそうにもじもじしだした。
「それに、相手は生花店をチェーン展開するやり手の経営者だったんだ。僕なんかじゃ相手にならないよ」
「え」
困ったように笑う勒さんの言葉に、僕は固まる。
一瞬、最近逮捕された小夜子さんのストーカーを思い出したからだ。
「どうかした?」
「ううん、勒さんは運良く未梨亜さんの彼氏になれたって言ってたけど、その人に何かあったの?」
いや、まだそうと決まった訳じゃない。
生花店の経営者なんて、別に珍しい職業という訳でもないし。
「人を殺して逮捕されたらしいよ。飲み物に毒を混ぜるイタズラをして三人位殺したって……ああ、由乃くんもそのニュースを見たのかな?」
「う、うん、一時期ワイドショーでやってたから……」
下田さんだった。




