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「こんな風に頭を強く打っている時は、下手に動かしちゃダメよ」
うつ伏せで寝ている男の人の身体を仰向けにしようとしたら、小夜子さんに注意されて手を引っ込める。
だけど、僕はこの人の顔に見覚えがあった。
「この人、花火大会の時にわざわざ証言しに来てくれた人だよね」
「ええ、この眼鏡とヘッドバンドは間違いないわね」
僕の言葉に小夜子さんは頷く。
「この前はヘッドバンドじゃなくてバンダナだったよ」
「あら、そうだったかしら」
そんなやり取りをしながら、僕達は倒れている男の人を観察する。
「倒れている原因は、このブロックが頭に直撃したからなんだろうけど」
男の人が倒れているすぐ目の前には三脚で固定されたカメラがある。
位置的に、花火をしていた僕達を撮影していたんだろう。
「このコンクリートブロック、血以外でも濡れてるわね」
天井から吊されたコンクリートブロックの写真をスマホで撮りながら小夜子さんは言う。
「たぶん、左右のどちらかに……あった」
辺りをキョロキョロ見回した小夜子さんは、橋の影から出た辺りに街灯に照らされてキラキラ光っている塊を見つけてまたスマホで撮影する。
「何これ、氷?」
「この氷を使って、ブロックをあの橋のへりに固定してたんじゃないかしら。こう、何も無いとギリギリバランスを崩して下に落ちる位置にブロックを置いて、その上に大きめの氷を乗せて重さのバランスを取るの。後はこの暑さで氷がブロックを押さえきれない位に溶けたら……」
「バランスの崩れたブロックが下に落ちて、ロープに繋がれてるからそのまま振り子みたいに動いてこの人の頭にぶつかった?」
じゃないかしら。と、小夜子さんは僕の言葉に頷く。
僕達はもう一度ロープがぶら下がっている場所へと戻る。
ロープは橋の鉄骨を補強するように渡された細い部品が交差する部分に引っかけてある。
「この橋の天井は結構高いのに、どうやってあんな所に紐を通したんだろ」
「高いと言っても、せいぜい七、八メートル程度だもの。そんなの簡単よ」
言うなり小夜子さんはその辺に落ちていた石を天井に向かって投げる。
石はロープの渡されている補強部分と鉄骨の間を通って地面に落ちた。
「確かに、石は投げたら届くけど……」
「その石なりボールなりに釣り糸でもなんでも軽くて強い糸をくくりつけておけば、跡からロープの端にソレを結んで、反対側から引っ張り上げられるわ」
「なるほど……」
小夜子さんはむき出しの地面に石で図を描きながら僕に説明する。
「後は同じように橋の上にも糸を結んだボールを投げて、後からロープを引き上げればいいわ。そして橋の上に置いておいたコンクリートブロックにロープを結んで、歩道の下のへりに乗せれば完成よ。ここ、向こうの橋と違って車の交通はほぼないし」
小夜子さんが顔を上げた視線の先には、大きな道路に直接繋がっているここよりも太くて立派な橋がある。
「原理はわかっても、この仕掛けを用意する手間を考えると大変そうだなあ」
「……そうね。こんな仕掛けを思いついてもわざわざ本当に作って実行するなんて、きっと頭のいいお馬鹿さんなのね。いっそロマンチックだわ」
推理小説でもあるまいし、とため息交じりに小夜子さんは言うと、視線を倒れている男の人に戻す。
「小夜子さん、これは明らかに誰かの仕業だよね?」
男の人の上にぶら下がるコンクリートブロックとソレを支えるロープを見ながら僕は言う。
本当に推理小説みたいだ、と僕の胸は高鳴る。
「気候の変化で起こる自然現象では無いわね……ああ、やられたわ」
突然小夜子さんが右手で額を押さえて悔しそうに言う。
「やられたって、どういう事?」
「この仕掛けを使えば、わざわざ橋の上にいなくても、時間経過でこのブロックをこの辺にいる人間にぶつける事が出来るわよね」
「そうだね」
それがどうしたんだろう。
「このロープの長さと位置は、ちょうど草むらに寝転がって隠れながら対岸の私達を撮影している彼の頭にしっかりブロックがぶつかるように調整されているわよね。まあ、そうじゃないと、こんな事になりっこないんだけど」
「つまり、犯人は最初から僕と小夜子さんの様子を撮影するこの人を狙ってこんな仕掛けをしたって事?」
「でしょうね」
小夜子さんが頷く。
「でも、この暑さで氷が重りの役を果たさない位に溶けるのなんて、せいぜい一、二時間位でしょうから、ブロックとロープのしかけ自体は人目につかない早朝や深夜に出来ても、いざ氷を置いてこの時限式の仕掛けをセットするには、今から一、二時間位前にこの場所に来る必要がどうしてもあるわ」
「まあ、そうだね」
「今日、ここで花火をしようと決めたのは?」
「小夜子さんだよ」
「いつ決めた?」
「花火やる直前……」
「こんなコンクリートブロックがあんな高い場所から勢いよくぶつかってきたら、最悪死ぬかもしれないわよね」
「うん……」
「私は、この人が私達のストーカーさんで、こうして盗撮している事を花火大会の日から知っているわ」
「そう、だね」
「つまり私は、この犯行に必要な情報を持っていて、実行可能で、動機がある一番怪しい人間なのよ……」
小夜子さんの質問に答えながら、僕はやっと今の状況を理解する。
「僕も、一応その条件に当てはまらないかな?」
「当てはまるけど、小学五年生の男の子と成人済みの女なら、後者の犯行と考えるのが一番自然なんじゃないかしら。しかも私は今まで何度も自分のストーカーさんと揉めてる経歴があるから……」
「ああ……」
つまり、現状この事件の一番有力な容疑者は小夜子さんだ。
「私達が花火を始めたのは約三十分前で、その頃にはこんなロープはぶら下がってなかった。つまり、ブロックはその間に振り下ろされた。多めに見て、今から大体三時間前までの連続したアリバイがあればなんとかなりそうだけど……」
小夜子さんの言葉に、僕はふと思い出して男の人が固定しているカメラを見る。
「あ、まだ動画撮ってる」
「少なくとも、私達がここで本当に花火をやっていたのかって事はこれで証明出来そうね」
カメラから少し離れた場所で、小夜子さんが小声で話す。
「後、マンションの防犯カメラの記録で出入りを証明出来ないかな。そしたらその時間には家にいましたっていうのもわかるし……」
「今日は水族館に出かけてたから、電子マネーの履歴で最寄り駅に帰ってきた時間は証明できるわね。問題はこの橋が駅からの道すがら簡単に寄れてしまう点だけれど……」
何かを思いついた様子でまたスマホを取り出した小夜子さんは、SNSのアプリを立ち上げる。




