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「普通に怖いよ……」
「だから、小夜子ちゃんに色々勉強させてもらうのよ」
「わけがわからないよ」
そんな話をしているうちに、車は小夜子さんの住むマンションに着いた。
エントランスでお母さんが呼び鈴を鳴らして少し話すと、オートロックの自動ドアが開く。
ドラマに出てくるような大きくて綺麗なマンションだった。
小夜子さんのお父さんが不動産会社をやっていて、このマンションを管理しているそうだ。
マンションの最上階の部屋に小夜子さんは住んでいるらしい。
「叶姉ちゃんも健兄ちゃんもいらっしゃい。由乃くんも大きくなったわね~」
部屋の前の呼び鈴を鳴らして中から出てきたのは、まるでよく出来たリアル風のCGモデルみたいな女の人だった。
さらさらして長い黒髪に、肌は真っ白で発光してるような気さえする。
黒目がちな瞳が印象的なその人は、液晶画面からそのまま抜け出てきたみたいだ。
実はもう百年以上生きてる吸血鬼ですと言われても信じてしまいそうな現実感の無い雰囲気のその人は、僕と目が合うとニッコリと笑う。
心臓が跳ねる。
何か話さなきゃ。
「えっ、えっと、初めまして……」
緊張しながらどうにか絞りだした声は自分でもビックリする程、小さくて頼りなさそうだった。
小夜子さんも、不思議そうな顔で僕を見ている。
なんだか恥ずかしくなって、僕は下を向く。
顔が熱い。
「……久しぶりね。さ、入って入って」
頭の上から明るい声が聞こえて、後ろからお母さんに押されて僕は家にあがる。
その後の事は、あまりよく憶えてない。
小夜子さんのまつげが長かった事と、ピンク色の唇がツヤツヤしていた事、帰り際に笑顔で「来週からよろしくね、由乃くん」と言われたくらいしか憶えてない。
気がついたら僕の両親と小夜子さんの間で打ち合わせが終わっていて、僕は来週から小夜子さんと一緒に暮らす事になっていた。
「ねえ、僕って小夜子さんと小さい頃よく遊んでたの?」
帰りの車の中、どこかふわふわした心地で僕はお父さんとお母さんに尋ねた。
「親戚の集まりで本家のお屋敷に行った時はいつも小夜子ちゃんにくっついて回ってたわね。大きくなったら小夜子ちゃんと結婚するんだって言ってたの憶えてない?」
不思議そうにお母さんが聞いてくる。
「えっ、けっ、結婚!?」
全然憶えてない。
でも、小夜子さんみたいなお姉さんにいつも遊んでもらえたなら、きっと好きになってた自信はある。
「小夜子ちゃんはひいおばあちゃんが死んでから、立て続けに色々あったからな」
「色々?」
お父さんの言葉に僕は首を傾げる。
「まあ、色々だよ。それより今日はこのまま外食にするけど、何が食べたい?」
「お母さんはお寿司が食べたいわ~、ゆーくんもお寿司好きでしょう?」
「好きだけど……」
「それなら家に帰る途中にあるな、そこにしよう」
気付いたら、話は晩ご飯の話題になっていて小夜子さんの事はあんまり聞けなかった。
だけど、昔の話を聞いてしまうと、小夜子さんは僕の事をどう思っているのか気になる。
晩ご飯を食べて家に帰ると、僕はカレンダーに小夜子さんと一緒に暮らし始める日に印を付けた。
そして、今日の日付に×印を付ける。
小夜子さんの家に行く前は不満だらけだったのに、帰りは小夜子さんと一緒に暮らすのが待ち遠しかった。
今になってみれば、完全に浮かれていた。
よく憶えてないけど、多分僕の初恋の相手だろう小夜子さんとの二人暮らしに漠然とした夢を見ていたんだと思う。
「由乃くん、こちら下田さん。お花屋さんよ。下田さん、こちら今日から家庭の事情で一緒に暮らす事になった親戚の由乃くん」
おしゃれなレストランで、ニコニコしながら小夜子さんが僕を目の前に座る男の人に紹介した。
小夜子さんの手にはさっき下田さんから贈られた赤いバラの花束がある。
「えっと、初めまして……」
「う、うん、初めまして……」
僕と目の前にいる男の人、下田さんの間に気まずい沈黙が流れる。
「ごめんなさいね、今日由乃くんが来るって、うっかり忘れてたの。まさか小学生の子を同居一日目でいきなり放って出かける訳にもいかないでしょう?」
嘘だ。
僕が今日小夜子さんの所に来る事は一週間前からわかっていたはずだし、前日から僕が待ち合わせ場所に向かう直前までちゃんとやりとりをしていた。
用事があったなら事前に時間や日にちをずらす事は出来たはずで、つまりこの人はわざとやっている。
「そ、そうだね……」
下田さんの笑顔が引きつっている。
これ、多分デートだったんじゃないかな。
悪いとは思うけど、僕もまさか両親に待ち合わせの駅まで送ってもらって小夜子さんに合流したと思ったら、そのまま小夜子さんのデートに同行させられるなんて思いもしなかった。
「……じゃあ、由乃くんは夏休みの間はずっと小夜子さんの家にいるのかな?」
「ええ、あと八年くらいは私が預かる事になってるわ」
「は……? なんでそんな事になっているんだい」
気を取り直したように尋ねてきた下田さんは、小夜子さんの言葉に驚いたように目を見開く。
「親戚の中で、由乃くんを預かれるのは私しかいなかったんだもの」
しんみりした顔で小夜子さんが言うと、下田さんはそれ以上僕について何も言わなくなった。
……嘘は言ってないけど、その言い方だと与える印象が実際の僕の状況とかなり違うような気がする。
毎週休みの日にはお父さんとお母さんが会いに来てくれる事になってるし、元の学校の友達ともスマホアプリで連絡取り合ってる。
それに、オンラインゲームで時間を合わせて頻繁に一緒に遊んでいる。
前住んでた所も車だとすぐだから、その気になれば車で送ってもらって、またいつでも直接会って遊べる。
要するに、引っ越しと聞いて最初はもう両親や友達と完全に会えなくなるのかと思ったけど、別にそんな事はなかった。
「随分、急な話だね」
「急に決まった事だもの」
「まあ、今日は美味しい料理を食べて行ってくれ。由乃くんも好きなものを頼むといい」
気を取り直したように下田さんが言う。
それから僕達にメニューが配られたけど、メニューは名前だけで写真も値段も書いてなかったから、とりあえず小夜子さんが頼んだのと同じのにしてもらった。
少しすると何度かに分けてサラダやスープが運ばれてきた。
コース料理というものらしいけど、左右に色んな形や大きさのスプーンやフォークやナイフが並べられていて使い方がわからない。
料理が運ばれてくると、
「由乃くん、ナイフやフォークは外側から使うのよ。前菜はコレとコレを使って食べるの。今日はまず私が先にお手本を見せるから、由乃くんは真似して食べてみてね」
と言って小夜子さんが実際に食べて見せてくれたので、なんとか食べられた。
「少し痩せたんじゃないか? どうせまた例の完全食とやらだけで食事を済ませているんだろう。君は普段から食が細過ぎて心配だ」
「体重は変わってないわ」
「それに、シャンプー類を変えたようだが、前の香りの方が好きだ。この後一緒に買いに行こう」
「別にシャンプーは変えてないわ。ボトルが古くなってきたから買い換えはしたけれど」
食事中、下田さんと小夜子さんが色々話していたけれど、僕は慣れないナイフとフォークで料理を食べるのに忙しくてあまり憶えていない。
「しかし、今後結婚の事を考えると、せめて由乃くんについては事前に相談して欲しかった……」
だけど、下田さんの一言に僕の手は止まる。
それは……確かに二人が結婚を考える関係なら、これからしばらく一緒に暮らす僕の存在は、邪魔だろうだろうけど。
「そもそも、私達付き合ってすらないじゃない」
「今は、な」
いや、付き合ってないの!?
「結婚の予定もないわね」
「そのうちできるさ」
まだ付き合ってすらないのにそんな自信満々に結婚の予定だとか、小夜子さんの食生活とかシャンプーについて口を出してたの!?
僕の中で下田さんに対する認識が180度変わる。
なんで小夜子さんはわざわざこの人と食事に来てるの……?