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「お、お待たせしました……」
美桜さんは三十分近く帰ってこなかったので、心配した小夜子さんが声をかけに行こうと椅子から腰を浮かせた時、僕達の前にマスクを付けた小夜子さんが現れた。
そっくりさんとか、そういう段階をすっとばして、ほぼ本人だった。
「私、その服持ってる」
驚いたように小夜子さんが言う。
白い透け感のある薄手のシャツと紺色っぽい生地に大きめの花柄模様がついたフワッとしたスカートは、僕にも見覚えがある。
「あ、はい……同じ物が欲しかったのですが、新品だと高くて古着をフリマアプリで探して買いました。イヤリングは手の届く範囲だったので買えました。バックはまだ手が出なくて……サンダルは似たようなデザインのを見つけたのでそれで」
もじもじしながら美桜さんが言う。
耳にはさっき小夜子さんが返したイヤリングが両耳にそれぞれ付いている。
美桜さんは古着というけど、シャツもスカートもシミやほつれが無いしきれいだ。
というか、さらっと言ってるけど、小夜子さんの着てる服がどこのブランドか特定して更にその古着を探すって結構大変なんじゃないだろうか。
いや、今はそれ以上に気になる事がある。
「顔が、小夜子さんになってる……?」
二階へ上がって行く前とはまるで別人だ。
「えっと、ナチュラルタイプのつけまつげとカラーコンタクトが大きいかな。アイラインとアイシャドーと、ハイライトとノーズシャドーと、あとベースメイクも気を付けたの」
なんか呪文みたいな言葉がいっぱい出てきた!
「すごいわ美桜ちゃん! まるで鏡を見てるみたい!」
「えっ、そうですか? えへへ……」
椅子から立ち上がった小夜子さんが興奮気味に駆け寄って褒めれば、美桜さんは気恥ずかしそうに照れる。
……これはファッションをマネしたなんて言葉で片付けられないレベルだ。
「昨日私の知り合いの人から風邪ひいたのかみたいな心配されたけど、美桜ちゃんだったのね。これじゃあ昼間に見かけてもほとんどの人がわからないわ」
「実は私、前々から小夜子さんの事キレイだな~って目で追ってて、その為に今のバイト先で働き始めたんです。小夜子さんみたいになりたくて……」
美桜さん、新しいベクトルのストーカーだった!?
照れたように美桜さんは言うけど、小夜子さんみたいになりたいと思ってからの寄せ方のクオリティがエグい。
いや、でも小夜子さんが常連の喫茶店でバイトをし始める位なら常識の範囲内なのかな?
小夜子さんと一緒にいると、突拍子のない事が起こり過ぎて普通というのがどういう事だったか、たまに見失いそうになる。
「良かった……気持ち悪がられたらどうしようって、本当はちょっと不安だったんです」
ちょっとなのか……。
いや、でもその視点があるだけ他のストーカー達よりはまともなのか?
「少しビックリしたけれど、こんな可愛い子にそんなに好かれるなんて嬉しいわ」
「小夜子さん……!」
美桜さんは感極まったみたいな反応をしているけれど、小夜子さんのこんな可愛い判定はどこにかかってるんだろう。
メイクした今の状態だと褒めているのは結局自分のような……。
それとも、ここまでせっせと自分のマネをした美桜さんの行動か、美桜さんの普段の顔に対してなのか。
……確かに、小夜子さんとは違うタイプだけど、整った顔立ちだとは思う。
小夜子さん風メイクとマスクで完全に別人、というか小夜子さんになっているけれど。
女の人のメイクってすごい。
「小夜子さんみたいになりたくて、最近フェイスマッサージを頑張ったりメイクの練習をしてたんです。その時にメイクしてマスクを付けたら結構小夜子さんっぽくなる事に気付いて……」
そうして美桜さんは昨日の夜の事を話し始めた。
「昨日の夕方、注文してた小夜子さんと同じ服が届いたんです。着てみたら思いの外、小夜子さんっぽくなって嬉しくて。メイクとマスクをしたら、もう私のテンションが爆あがりしちゃって」
「爆あがり」
小夜子さんの顔で言われると何だか違和感があって、つい僕は美桜さんの言葉をくり返す。
「夜九時頃だったと思うんですけど、両親も自分達の寝室に引っ込んでたので、そのままこっそり外に出たんです。せっかくこんなにおしゃれしたのにこのまま着替えてしまうのが惜しくて……」
「あれ、じゃあ昨日はバイト終わりじゃなかったの?」
僕が思わず聞けば、美桜さんはきょとんとした顔になる。
「私は昨日も五時上がりでしたよ? 届いた服着てたらテンションが上がっただけなので」
こんな風に仕上げるには届いた服へ丁寧にスチームアイロンかけたり、しっかりメイクを作り込んだり、髪だってそれらしくセットする必要があるんです!
と、美桜さんは力強く言う。
「あ、はい……」
僕はそう言う他無かった。
「それで、いざ外に出たのですが、別におかしな恰好をしている訳ではないのですが、やはりいつもと違う恰好は恥ずかしくて、できるだけ人目につかない道を通ったんです。するとある路地裏の角を曲がった時……」
そこまできて、急に美桜さんは口ごもる。
けれど、小さく息を吐いて美桜さんは話し出す。
「血まみれで倒れているおじさんがいて、その奥で手を拭いている黒いジャージの男の人と目が合って……慌てて私は逃げました。本当に怖い時って悲鳴をあげようとしても声が出ないんです。それでも身体は不思議と勝手に動いて、とにかく走りました」
「男の人は追ってこなかったんですか?」
「足音は聞こえていたので、追ってきてたと思います。ただ、途中でなにかがぶつかった音や、誰かにぶつかって絡まれたような声がしました。それでも怖くてしばらく走って振り返ったらもう誰もいなくて……その後は何度も後ろを確認しながら家に帰りました」
……どうやら小夜子さんのストーカー達が小夜子さんが変な男に追われてると勘違いして撃退というのは合っていたらしい。
「でも、家に帰ったらイヤリングがなくなっている事に気がついて……私、昨日はずっとその男が落としたイヤリングを持って家に来るんじゃないかと考えて眠れませんでした」
震える腕を自分の身体に回しがら美桜さんは言う。
「警察に通報とかしなかったの?」
「なんて説明すればいいの? 夜中に女子高生が意味も無く徘徊して、殺人現場にでくわしましたって……?」
途端に美桜さんの目から涙が溢れて、震えた声がますますか細くなる。
「ご、ごめんなさい! 僕は美桜さんを責めようとした訳じゃなくて!」
ポロポロと涙を流す美桜さんを、小夜子さんが抱きしめる。
「話してくれてありがとう。美桜ちゃん、昨日は怖かったわね」
「小夜子さんがこのイヤリングを持ってたって事は、あの人が小夜子さんの所に来たんですよね。私と勘違いして……私……」
「大丈夫、大丈夫よ。周りに頼れそうな人間がいなくて辛かったわよね。確かにあの人は私と美桜ちゃんを勘違いしてるけど、今の話を聞ければ十分よ」
小夜子さんは美桜さんの背中に手を回して、落ち着かせるように優しくさする。
「十分……?」
不思議そうに聞き返す美桜さんに、小夜子さんは一度身体を離すと、真っ直ぐ美桜うさんの目を見て微笑む。
「後は私がなんとかするから、美桜ちゃんは気にしないで。あ、でも私からもう大丈夫って連絡入れるまでは私のコスプレはしないでね」
「なんとかって……どうするつもりですか?」
「要は犯人に犯行を認めさせてしまえば良いのよ」
不安そうな美桜さんに小夜子さんはどこか自信ありげに言う。
「小夜子さん、一体、何する気?」
「やる事自体はこの前と同じよ」
僕は小夜子さんの言う“この前”を思い出して、妙な安心感を持った。
……ダメだ。
だんだん僕も小夜子さんに毒されている。




