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「島田さんはこのイヤリングを昨日の夜、拾ったと言っていたわ。その時に走り去る私の姿も見たと言ってる。昨日の夜何時頃を指しているのかはわからないけれど」
「さっきの島田さんのアリバイを考えると、会社から帰る途中に拾ったんじゃないの?」
「それだけなら、わざわざ私にこんなメッセージを送ってこないと思うの」
スマホを見せながら小夜子さんは言う。
【いくらだ?】
【黙っているのなら、それ相応の金額を払う】
【即金で百万】
「これだけ見ると、ただの貢ぎたがりのストーカーさんに見えなくもないけど、状況からしてたぶん違うでしょうね」
「ええっと……」
まず、貢ぎたがりのストーカーという発想が無かった。
「島田さんがこのイヤリングを拾った時間って、もしかしたら上司の人が殺されたっていう時間と近いんじゃないかしら。例えば、本当なら地元の飲み屋で飲んでるはずの時間とか」
小夜子さんが言わんとしている事を理解した僕は、同時に背筋が寒くなる。
「ひょっとして、島田さんが上司を殺した真犯人で、どうやったかはわからないけど、せっかくアリバイ工作までしたのに、小夜子さんに言い逃れできないような犯行現場を目撃されたと思い込んでるって事……?」
言いながら、勝手に声が震える。
「たぶん、実際に目撃者はいるのよ。そして、その人はこのイヤリングの持ち主で、私に背格好が近いんじゃないかしら」
淡々と状況を整理するように小夜子さんは言う。
確かに、そうだとすると、島田さんの不可解な言動も全部説明が付く。
付くけど。
「どうするの小夜子さん! 殺人犯に目を付けられてるよ!?」
「落ち着いて由乃くん、まだ慌てるような段階じゃないわ」
「慌てるには十分な状況だと思うよ!?」
なんで小夜子さんはそんなに平然としていられるんだ!
「こういう時こそ冷静に現状を理解して、正しい判断をする必要があるわ。慌てたって状況を見誤るリスクが上がるだけよ。それにね由乃くん、これは予行演習でもあるのよ」
優しく僕の背中をさすりながら小夜子さんは言う。
「予行演習?」
「そう。いつか由乃くんが同じような状況に置かれた時の為の予行演習。私の事は私がなんとかするから、それが由乃くんの参考になったら嬉しいわ」
小夜子さんはそう言って僕の頭をなでる。
その手は優しくて、とても頼もしく感じた。
「うん……そうだよね。小夜子さんなら、大丈夫だよね」
「もちろんよ」
にっこりと笑って小夜子さんは頷く。
「……さて、メッセージを見る限り、島田さんはお金で私を黙らせたいみたいね。由乃くんはこのメッセージを見て、どう思う?」
小夜子さんはスマホのメッセージアプリの画面を僕に見せながら聞いてくる。
「仮に小夜子さんが目撃者だったとして、もう警察にかけこんでいる可能性は考えないのかな?」
「もし駆け込んでいても、直接お金を渡すって呼び出して、早々に口封じしたいんじゃないかしら。私が島田さんならそうするもの」
「じゃあ、島田さんはもう小夜子さんを殺すつもりなの?」
「かもしれないわね……私も食い詰めてたら、怪しいと思いつつ、まんまと百万円に釣られちゃいそうだもの。そうならないのはストーカーさん達のおかげね」
急に小夜子さんの声が明るくおちゃらけた感じになる。
「おかげかなあ?」
確かにそのおかげで小夜子さんはお金に困っていないみたいだけども。
そしてたぶん、今のは小夜子さんなりに僕を怖がらせ過ぎないように気を遣ってくれるんだろうなあと思う。
「だからこそ、そんなに簡単に殺されちゃストーカーさん達に顔向け出来ないわね」
キリッとした顔で小夜子さんが言うけれど、むしろストーカー達こそ小夜子さんに顔向け出来ない事をしているんじゃないかな……。
これは、僕を元気付けるために冗談を言っているのか、それとも割と本気で言っているのか。
「それで、これらどうするの?」
「今後の方針を考えるうえでも、もう少し情報が欲しいわね。なんだか新しい小説のネタになりそうだし」
「これを、小説のネタにするの?」
「どうせ危険にさらされるのなら、せめてそれから何か得たいじゃない。例えば新しい企画のネタとか」
あ、本気だこの人。
意気込む小夜子さんから、そんな空気を感じた。
「島田さんはどうやってアリバイを成立させたのかしら。それに、事件を目撃した私のそっくりさんの正体……あ」
「どうしたの?」
どうやら小夜子さんは何かに気付いたらしい。
「由乃くん私、ここ数年風邪って全くひいたことないのよ」
どこか力強い口調で小夜子さんは言う。
「そ、そうなんだ」
相づちを打って、僕はあれ? と思う。
今日、風邪が治って良かった! とか寺崎さんに言われてたような。
「由乃くん、今朝の差し入れの内容を思い出して欲しいのだけど、どんな物があった?」
「え? 抱き枕にアイス……タオルとマスクとネギ? あと飲み物とか目薬とか鼻炎の薬あったような? あ、あとお金」
指を折って今朝の事を思い出しながら僕は答える。
「それって、どんな状態の人に渡すようなものだと思う?」
「風邪? でも鼻炎とか目薬は……花粉症?」
「そうね。そして私はストーカーさん達に家の中の盗撮や盗聴までは許していないのだけど、彼等は外で私のどんな姿を見て私が風邪だか花粉症だかになったと思ったのかしら?」
「外で……夏なのに、マスク付けてるとか?」
「ええ。私もそうなんじゃないかと思う。本人と間違えられるレベルのそっくりさんって中々いないと思うけど、マスクを付けて目元だけ似てて、髪型や服装の雰囲気が近いなら、間違えてもおかしくないんじゃないかしら。しかも夜薄暗かったりすると特に」
「……だとすると、そっくりさんが島田さんと遭遇した現場を目撃したストーカーさんとかいないのかな」
「まあ、差し入れの数からして、昨日一日で随分沢山のストーカーさん達に目撃されているみたいだものね」
僕の言葉に小夜子さんは頷く。
そう断言できるのは、用意された差し入れ達の方向性がかなり違う物が複数あるからだ。
抱き枕はプレゼント用にラッピングされていたし、目薬や鼻炎の薬は薬局のビニール袋に入ってた。
タオルはナイロンのバッグに入っていたし、アイスはクーラーボックスにドライアイスと一緒に入っていた。
全て一人の人間が用意したにしては、統一性が無さ過ぎる。
……だからこそ怖いのだけれど。
「でも、たぶん事件現場を直接見ているストーカーさんはいないわ」
「なんでそう言い切れるの?」
「だって、私がマスクを付けてるだけでこんな差し入れをしてくるストーカーさん達が、目に見えて事件性の高い現場に私が立ち会ったのを目撃したとして、のんきに風邪や花粉症用の差し入れだけ送ってくると思う?」
そう言われると、妙な説得力がある。
防犯グッズとか贈ってきそうだし、なんだったら自分がその場に飛び出して小夜子さんを守ろうとしそうだ。
……そういえば、この前殺された小夜子さんのストーカーにそんな人いたな。
「じゃあ、そのそっくりさんの特徴って、小夜子さんに背格好が似てるのと脚が速いって事くらいかな」
「あら、どうして?」
きょとんとした顔で小夜子さんが言う。
「だって、島田さんは見られたら困るものを見られたんだから、全力で後を追いかけてくるはずでしょ? なのにわざわざ翌日に小夜子さんへ声をかけてきたって事は、その時は捕まえられなくて、そっくりさんは一人で逃げ切ったって事でしょう?」
「すごいわ由乃くん。もうそんな風に物事を順序立てて考えられるようになったのね」
感心したように小夜子さんが僕の頭をなでる。
「でも、そっくりさんが逃げ切ったのは脚が速かったからとは限らないわよ?」
「え、そうなの?」
小夜子さんの言葉に、僕の頭にはクエスチョンマークが浮かぶ。
「殺人現場がうちの近所にある繁華街の路地裏だとすると、被害者の死亡推定時刻である夜九時前後はまだまだ人が多いわ。人通りの多い通りに出れば、迂闊に凶器を振り回したり出来ないだろうし」
「そっか……」
「そして、もしその大通りに私のストーカーさんがいた場合……」
「いた場合、どうなるの?」
「私を追いかける島田さんをナンパしようとしている奴と捉えて、偶然を装って近づくのを妨害したりしてくるかもね」
「そんな事ある訳……あったね。そういえばついさっき」
「寺崎さんの場合はちょっとタイミングが遅かったけど、それでも地元とそれ以外だと、明らかに地元の方が声をかけられづらいのよ。身なりは同じように整えていてもね。つまり、私の知らない間にストーカーさん達同士で牽制し合っているのかも」
「ストーカーさん達は地域パトロールか何かなの……」
パトロールするのは小夜子さんの周辺限定だけど。
「もしかしたら、近い働きをしているかもしれないわね。たまに旅行とかにも偶然を装って付いてくるストーカーさんもいるけど」
「……へえ」
それはそれで事件のような気もするけれど、小夜子さんのストーカーさん達については、話が進まないのでこれ以上は何も言うまい。
「でも、由乃くんと今話してて、一人そっくりさんの心辺りができたわ」
だけど、小夜子さんは両手を身体の前で合わせると嬉しそうに笑った。




