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「ところで下田さん、喉は渇かない?」
ガサガサと音がして、小夜子さんがカバンから何かを取り出す。
話の流れからして、多分アレだろう。
「……それは?」
「さっき、そこのコンビニで買ったの。アプリコットピーチすもも味ですって。これがまた美味しくて」
「ひっ……」
四分の一程度中身が残っているペットボトルを小夜子さんが見せただろう瞬間、下田さんが小さな悲鳴をあげた。
ペットボトルのフタを開ける音がする。
「一口いかが?」
急に小夜子さんの声が明るくなって、下田さんにジュースを勧める。
「……いや、遠慮しておくよ」
「えいっ」
下田さんが断った直後、僕の頭上で水音が聞こえた。
「うわぁっ!! 水! 早く水を! 目が!!」
直後、人のほとんどいない公園に下田さんの声が響き渡る。
突然の声にびっくりして尻餅をついた僕が上を見上げれば、立ち上がって両目を手で抑えている下田さんが見える。
小夜子さん達がいる側はちょうど街灯に照らされているので、下田さんのその様子は影になっている側の僕達からはよく見える。
「あらあらどうしたんですか? ただのジュースですよ? ……ぷはっ、ね?」
「なっ……!」
動揺した様子の下田さんを前に、立ち上がった小夜子さんが楽しそうに説明する。
今、小夜子さんが持っているのは、この為にわざわざ新しく買って、いくらか中身を減らした物だ。
今日の朝、小夜子さんの出したゴミに中途半端な量を残して混ぜられていたらしいジュースと同じ銘柄のジュース。
ちなみに、毒入りジュースを手に入れてしまったタンクトップ山田さんは、小夜子さんが直接SNSからDMを送ったのにすぐ気づいたので、ジュースには口をつけていない。
事情を説明して、警察に連絡してもらった。
タンクトップ山田さんはなぜか感動してその場に崩れ落ちていた。
一体、どういう感情なんだろう?
「なんでそんなに慌てるんです? 目に入ると最悪失明してしまうアルカロイド系の毒物が入っているならまだしも、ただのジュースをかけられた位じゃ失明はしませんよ」
小夜子さんはベンチから立ち上がって下田さんと向き合うと、わざとらしく下田さんの顔を下からのぞき込む。
確かにジュースが目に入っただけなら失明はしないだろうけど、早めに目は洗った方がいい気はする。
アンズのような桃のような、甘ったるい香りが僕の所まで漂ってきた。
きっと服も早めに洗った方がいい。
明らかにそれどころじゃないけど。
「状況から見て、下田さんが私の出したゴミを漁っていたストーカーさん達を殺したのでしょう?」
もう一度ベンチに座った小夜子さんは、笑顔でポンポンと空いたスペースを叩いて下田さんにも座るよう促すと、小夜子さんは優しく話しかける。
「それは、私の為に?」
「……そうだね、全部君の言う通りだよ。僕は君をあのストーカー達から守りたいんだ」
小夜子さんのテンションに当てられたのか、さっきまでは動揺していたはずの下田さんもおかしな事を言い出して、小夜子さんの手を取る。
アプリコットピーチすもも味の、フルーティーな香りを漂わせながら。
「でも、私の為に下田さんを犯罪者にしたくないわ」
もうなってるよ!
困ったように話す小夜子さんに、僕は心の中で力一杯つっこみを入れる。
「僕は、君を守る為なら何だってできる! お嬢様育ちの君は知らないだろうけど、世の中には悪意が満ちているんだ。君を付け狙っていた奴らは、いつ逆上して君に危害を加えてくるかわからないんだよ!?」
ぐいぐいと小夜子さんの側に迫りながら下田さんが力説する。
さっきと打って変わって、急に強気だ。
「うーん、私の父は不動産会社を経営しているので結構簡単に引っ越せますし、弁護士の方との繋がりもあるので、もし何かあったらすぐに起訴できる体制は整ってますよ?」
ものすごい気迫で熱弁する下田さんを前に、どこかのんきに小夜子さんは答える。
たぶん、下田さんが言っているのはそういう事じゃないと思う。
「だとしても、それは無事逃げ切れた場合で、被害に遭った後の話じゃないか! 被害に遭う最初の一回目でいきなり知らない人間に殺される事だってあるんだよ!?」
興奮した様子で下田さんは言う。
下田さんの言いたい事はわかる。
今現在、まさにそんな状態なんじゃないだろうか。
「だから、その可能性がある人を下田さんが先に殺したんですか?」
少し、小夜子さんの声が低くなる。
「そうさ、君は普段の生活でも無防備過ぎる! そんなんじゃいつ誰かにさらわれても殺されてもおかしくない! だから僕が君を守るんだ!」
人気の無い公園に下田さんの声が響く。
「怪しい人が現れる度、その人を殺すんですか?」
「君の為ならそれもいとわない、だけど、もっと簡単で誰も死なない方法がある」
下田さんは小夜子さんの質問に首を横にふる。
「そんな方法があるんですか?」
もちろんあるとも、と、下田さんは小夜子さんとの距離を詰める。
「結婚しよう! 君の事は俺が養う! 君は外に一切出ない、そうすれば誰も君を傷つけられない!」
力強く下田さんは言うけど、それってたまにニュースとかで見る軟禁というやつじゃないか?
「なるほど、確かにそれも一つの手ではありますね。でもそれには一つ、大きな問題があります」
ちょっと考える素振りをした後、小夜子さんが困ったような様子で言った。
「……問題?」
それはなんなんだと言わんばかりに下田さんは小夜子さんに尋ねるけど、問題は一つどころじゃないと思う。
「私、下田さんみたいにカジュアルに人を殺しちゃう人って生理的に無理なので、ごめんなさい」
言い方はともかく、思ったよりも真っ当な理由だった!
さっきから小夜子さんが普通に話してるので感覚が麻痺しそうだったけど、ほとんどの人は簡単に人を殺す人間と一緒に生活とかしたくない。
「そんな、俺は君の為にやったのに……! 君は俺を弄んだのか!?」
「あと、自分が勝手にやった事の責任を他人に押しつけて正当化する人も地雷です」
うろたえる下田さんを、小夜子さんがばっさりと切り捨てる。
とても明るい、はっきりよく通る声で。
「………………そうか、そうか……はは……ははは……」
「うふふふ」
呆然とした様子で下田さんが魂が抜けたように笑えば、横で小夜子さんが楽しそうに笑う。
……なんで突然、笑い合ってるんだこの人達。
下田さんがちょっとこっちに視線を向ければ、尻餅をついたまま動けないでいる僕とすぐ目が合うだろう。
明らかに普通じゃない様子で異様に笑い出す下田さんからは今すぐにでも離れた方がいいのは僕にでもわかる。
なのに、どうしても目が離せない。
動けない。
「あっはっはっはっは! なるほどなるほど! 君の気持ちはよくわかったよ。なら、君はここで死んでくれ!!」
そう言って下田さんは突然ナイフを取り出すと、それを小夜子さんに向かって振り上げた。




