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「惜しいストーカーさんを亡くしたわ……」
「惜しい……なんて?」
普通に聞き流しそうになって、僕は聞き返す。
味気ない朝食を飲んでいた手が止まる。
小夜子さんは、きょとんとした顔で僕を見た後、またテレビの方へ視線を戻す。
ニュース番組では、最近世間をざわつかせている連続不審死事件で新たな犠牲者が出たと報道している。
「惜しいストーカーさんを亡くしたわ」
さっきと同じ声と表情だ。
「いや、聞き取れなかったんじゃなくて」
色々つっこみたい事が多すぎて、どこからつっこんでいいのかわからない。
僕が小夜子さんと暮らし始めて、まだ一週間も経っていない。
だけど、僕が十八歳になるまでの八年間、これからずっとこの人と暮らすのかと思うと、頭がくらくらしてくる。
それもこれも、最近発覚した僕の体質のせいだ。
物心ついた頃から僕は平凡な、ごく普通の子供だったはずだ。
勉強も運動も、全くできない訳じゃないけど、取り立てて優秀でもない。
仲の良い友達はいたけど、別にクラスの人気者って感じでもなかった。
だけど、いつからかそれが急に変わり始めた。
僕自身は何も変わってない。
朝起きたらものすごくカッコよくなってた訳でも、突然足が速くなったり、勉強ができるようになった訳でもない。
ある日、最近なんだかクラスメートや先生が優しいな、と気付いた。
皆、機嫌良さそうにニコニコ笑いながら僕に話しかけてくる。
登下校中にも、近所の顔見知りの人や、知らない人まで、笑顔で僕に挨拶してきた。
たまに自販機でジュースを買ってくれたり、お菓子をくれる人も何人かいた。
特に変だと思ったのは、お父さんとお母さん。
やたらと抱きついたり、なでたり、ほっぺにキスしたり、今までそんな事はしなかったのに急に僕にベタベタし始めるし、僕が何を言っても、やっても、褒めてくる。
欲しいものは新しいゲームソフトでも、ゲーミングパソコンでも、何でも買ってもらえるようになった。
僕が行きたいと言ったら、映画館でも、水族館でも遊園地でも、必ずすぐ連れて行ってもらえる。
始めは気分が良かったし、嬉しかったけど、やっぱりちょっと気味が悪い。
だけどそれもしばらく続くと“いつもの事”になった。
お母さんもお父さんも、ある日突然僕がこうなった事に、何か心当たりがあるようだったけれど、僕がその事を尋ねても適当に話をはぐらかされた。
どこに行ってもちやほやされる変な居心地の悪さにも慣れた頃、家族で出かけた先で、バラエティ番組のインタビューを受けた。
少しして、テレビに映った僕の画像が『リアル天使』とか『これは良いショタ』とかネットで騒がれて拡散されたけど、もう驚かない。
僕がテレビに一瞬映っただけで、すぐに家や学校はその話題で持ちきりになった。
僕がインタビューをされているシーンだけを切り取った画像や動画がネットで大量に出回って、クラスメイトには動画配信したら絶対儲かると勧められたりもした。
どうやら僕は“特別”らしい。
自分ではよくわからないけど、皆そう言うんだからきっとそうなんだろう。
なんだか僕はそれが怖い。
まるでゲームのバグ技みたいに、明らかに不自然な事が起こっているのに、世界中の誰もそのおかしさに気づいてないみたいだ。
テレビに映ってしばらくしたら、芸能事務所の人が家にやって来た。
その人は僕をスカウトしに来たみたいだったけど、いきなりそんな事を言われてもわからない。
お母さんはまずは家族で話し合いたいと話を切り上げて、その日の夕方、お父さんもいつもより早く帰ってきて家族会議になった。
「……という訳なんだけど、ねえあなた、もうこれは間違いないでしょう? ゆーくんは『魅了体質』よ!」
「そうだな、初めは親の欲目かと思ったがこれは……」
芸能事務所から僕にスカウトの声がかかった事を説明してから、お母さんが確認するように言えば、お父さんが嬉しそうに頷く。
「みりょうたいしつ?」
初めて聞く単語に首を傾げる。
「言うなれば、超愛され体質よ。すごいわ! これでもう将来は安泰よ!」
興奮した様子でお母さんが僕を抱きしめる。
「そうなの?」
「魅了体質というのは簡単に言うと人に好意を持たれやすい体質で、お父さんやお母さん達の家系ではたまにそういう人間が生まれるんだ。大体十歳頃に発現してからは死ぬまでそれが続く」
「常に色んな人からモテモテで、男でも逆玉の輿が狙えるし、芸能人みたいな人気商売なら成功は間違いなしよ!」
お父さんの説明の後、お母さんが嬉しそうに付け加える。
「お母さん、若い頃から魅了体質に憧れてたから、ゆーくんがそうなってくれて嬉しいわ~! とりあえず、早速小夜子ちゃんに電話ね!」
「そうだな、由乃が魅了体質とわかった以上、できるだけ早く小夜子ちゃんの所に行った方が安全だろう」
スマホを取り出してどこかへ電話をかけ始めたお母さんに、お父さんは頷く。
安全って、どういう事なんだ。
「小夜子ちゃんって、誰?」
「誰って、親戚の小夜子ちゃんだよ、小学校に上がる前はよく遊んでもらってただろう」
そんな事を言われても、小学校にも入る前の事なんて、ほとんど憶えてない。
「ゆーくん、お父さん、小夜子ちゃんとこれから会う事になったわ」
「今から!?」
「ええ、これからゆーくんがお世話になるんだし、早めにご挨拶しておかないと。ちょうど同じ都内だし」
色々と唐突過ぎる。
展開の早さに頭が追いつかないまま、なぜか僕はその小夜子さんに会いに行く事になった。
「なんで僕が魅了体質だと、その人にお世話になるの?」
「うちの一族では魅了体質の人間は、そうとわかった時点で同じ魅了体質の大人に十八歳になるまで預けられるしきたりなのよ」
「初めて聞いたんだけど!?」
そもそも、魅了体質についてもこの時に初めて聞いた。
「あまり一族の人間以外に話すような事じゃないから、魅了体質については魅了体質が発現した本人以外には、分別の付く歳になるまで黙ってる事になってるのよ。厳密に守らないといけない掟という訳ではないけれど」
「小夜子ちゃんも由乃くらいの頃は、ばあちゃん……由乃からするとひいおばあちゃんの所に預けられていたんだ」
「まさか僕、今日挨拶に行ってそのままその人に預けられるの……?」
「ははは、そんな訳ないだろう。転校の手続きとか他にも色々あるし、由乃を預かってもらうのは夏休みが始まってからだな。二学期からは新しい学校だ」
「夏休みからって、あと一週間も無いんだけど!?」
そんなに急に決められても困る。
友達にだって、なんて説明したらいいんだ。
呆然とする僕をお母さんが車に連れ込む。
「最近、学校の近所で由乃の事を聞いて回ってる不審者が複数目撃されたって話もあるし、ちょうどいいだろう」
車に乗り込んだ時、お父さんが言った。
「えっ……」
なんだそれ。
「魅了体質の人間は知らないうちに好かれ過ぎてしまう事がある。魅了体質にはさっき言ったような良い面もあるけど、同時に知らないうちにトラブルに巻き込まれてしまう事もある」
お父さんの声が急に低くなる。
「今朝のニュースでも、ストーカー殺人が取り上げられていただろう」
急に胸の奥が冷えていくような不安に襲われる。
「それをできるだけ回避できるように、同じ魅了体質の大人にいざという時の対処法や日常での振る舞いを教わるのが、由乃を小夜子ちゃんに預ける目的だ」
その話を聞いて、僕は急に寒気がした。
いままでうっすら感じていた薄気味悪さや、ぼんやりとした恐怖が、急に具体的な形で僕の前に正体を現したからだ。
愛され体質どころか、もう呪いじゃないか!
「あの……もし、ちゃんと教わらなかったらどうなるの?」
「まあ、今までも魅了体質が発現した時、身内に存命している魅了体質の人間がいなかった場合もあったらしいが……」
そこまで言って、お父さんが口ごもる。
「詳しい人が近くにいないと、魅了体質が発現したばかりの若い時に色々対処を間違えて大変な事になりやすいから、こうする事で圧倒的に生存率を上げる事ができるのよ!」
だから大丈夫! と隣に座ったお母さんが僕の背中を軽く叩く。
「圧倒的に上がる程、元々の生存率低いの……?」
全然大丈夫に聞こえないんだけど!?
じゃあ、もし僕がその小夜子さんに気に入られなくて放り出されたら結構な高確率で死ぬって事!?!?
「そうは言ってもひいおばあちゃんが若い時も他に存命中の魅了体質の人はいなかったらしいけど、大往生だったから平気よ」
「そ、そうなんだ」
微かな希望が見えて、僕はちょっと落ち着く。
お父さんとお母さんはいとこ同士で結婚したから、二人のおばあちゃんは共通だ。
確か、僕が小さい頃に死んだらしくて、会った事も無いけれど。
「ええ、直前にひいおばあちゃんを巡って本家のお屋敷で情痴殺人や乱闘、遺体や遺品の争奪戦が起きた時はびっくりしたけど、ひいおばあちゃん本人は老衰で家族に見守られて安らかに息を引き取ったわ」
「えっ」
情報量が多すぎて理解が追いつかない。
まるで常に選択を間違えたら死ぬアドベンチャーゲームを強制的にやらされているみたいだ。
「介護されるような歳になっても、ひっきりなしに二十代の介護職員さんや資産家のおじいさんに結婚を申し込まれたりしてると、やっぱり羨ましく思っちゃうわね」
うっとりした様子でお母さんが言う。
そこはうっとりする所かなあ?