三
昼休み。僕らは決まって旧校舎にある美術室を利用した。
僕が美術部に所属している(実際的には、幽霊部員だったが)為、自由に出来たのだ。
また、文化祭前を除いては殆んど活動停止状態のクラブだったから、
昼休みに態々部室に来る様な部員は皆無だった事も一つの要因だ。
従って、この教室はほぼ僕らの私物と化していたのだ。
例に拠って、僕らはその日も美術室に足を運んだ。
「暑いな」僕は教室に入って開口一番に呟いた。
「うん。じき夏だな」土屋は、教室の窓を開けながら答えた。
窓の外に並ぶ樹木は、いかにも夏らしい若葉を茂らせていた。その葉を揺らす風も既に夏めいていた。
「夏か…土屋は夏休みどうするんだ」
「夏の予定?ある訳無いだろ」
「ふーん。まあ、塾行ってないもんな。それ以前に必要無いし」
「ああ、塾は行かないけど勉強は多少するぜ。一応受験あるからな」
「多少って…全国の受験生が必死になるのに」
「それは、積み重ねて来なかった奴の話だろ。サボって楽な道に流された。同情なんぞする余地無し」全く、剣もほろろな口調である。
「うーん…まあ、正論なんだけどさ…積み重ねて来なかった、俺みたいな奴にとっては、痛い言葉だな」
「クク。ま、これから積み上げていけば良いんだよ。年にいっぺんくらい真面目になってさ」
「実際夏が勝負だもんな」
独り言の様に呟いた。今からでも大丈夫、これからやればそれで。そんな土屋の言葉を信じたかったのだ。
その時、窓外から、再び視線を感じた。
窓の外を一瞥したが、対面した校舎には数名の生徒がいるばかりで、
その内の誰かがこちらを見ていたのかどうか、そんな事は丸で分からなかった。
「どうかしたのか?」不思議そうに土屋が聞いた。
「いや…」視線を感じたのが僕の勘違いかも知れないという事を考慮して、土屋には敢えて黙った。
土屋は、特にそれ以上詮索しなかった。恐らく、これ以上僕が何も言わないのを察したのだろう。
「そう言えば、次の授業って何だっけ?」土屋は、アナログ式の古びた腕時計に目を落としながら言った。
「えーと。金曜の5限だから…あっ体育じゃなかった?今何時だ?」
「1時10分」悪戯な表情で土屋が答えた。
「なっ…後5分しか無いじゃん!早く行こうぜ!」
慌てて僕は立ち上がった。然し、慌て過ぎた罰で、椅子に向こう脛を強かにぶつけてしまった。
「っ……!!」声にならない程の激痛が走った。
「ははは。千里、慌て過ぎ」土屋は、腹を押さえて笑っている。
「おい、本当は何時なんだ?」睨み付ける様に土屋の顔を見る。
「悪い、悪い。本当は1時ちょっと前だ」
やっぱり。土屋のあの悪魔的な笑みの意味をもっと深く考えるべきだった。
そうして、土屋の虚偽を見破るに至りたかった。
「全く。何でそういう事するかな」
「でも、千里はすぐ騙されるなぁ」
土屋の顔にはまだ悪戯な笑みが残っていた。
「まあいいや。どっちにしても、あんま時間無いし、行こうぜ」
こんな事もよくあったが、不思議な事にあまり腹は立たなかった。
多分、少なからず土屋を尊敬していたからだろう。
単純に勉強が出来るとか、ルックスが良いとか、そういう分かりやすい部分でなく、もっと人間的な部分で、
人間として尊敬していた節があった。
僕らは空っぽの美術室を後にした。
残された教室の窓外では、午後に傾いた太陽が、青い空に高く上り、教室の中を暖かく照らしていた。




