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人生とはなんぞや

作者: 芽吹鯛

人生とは時間と言うベルトコンベアによって絶えず一定の方向に流れゆくものだといえよう。

初期ステータスによっては伝説級の装備を持って生まれてくる奴もいれば裸一貫からスタートの奴も大勢いる。

もしかしたら呪い付きの装備をつけたまま生まれてくる悲運な者だっている。


以前人間は存在しているだけで価値があるから命は大切だということを述べた者がいたが果たしてそうだろうか?


彼が言いたいのはその人が死ぬことによって周りの人々になんらかのマイナスの影響が生じるからということであると思う。

しかしそれでは他人の不利益から死んではいけないということになる。

善良な者ならばそう思って仕方がないしそれを知っていて死ぬような不義理なやつを私はメチャンコ軽蔑する。

しかし命はその個人の所有物である。

他人が笑おうと泣こうと人の生き死には勝手ではないのか。

(ぶっちゃけ死にかたによるが)


上述のように生まれてくる場所、時代によって命の価値は変化する。

世界中には死んだように生きている、物のように扱われている、又は何らかのハンディキャップを持っている人々が大勢いる。

此のように生まれてそもそも固体差、不平等を神様から頂いている人間に存在するだけで価値のある命がいかほど在るだろうか?


ならば命に価値を付与するためには生まれてから、つまり人生というベルトコンベアに乗ってからが重要であると私は思う。

なぜ人生というものが歩むものでもなく、メリーゴーランドでもなくベルトコンベアなのか


それは時間というものが存在するからだ。

人間が向き合わなければいけない最大の障害は

恐怖でもなく

隣人トラブルでもなく

『時間』である。

時間は不可逆であり未来にしか向かわない。

それは普段摂取し身近である水が浸透圧という凶器を隠し持っているように当たり前だが

気がつかないような恐ろしいものだ。

時間の経過によって劣化しないものはない。

過去のどんないい思い出も景色も感動も時間により劣化する。

逆に嫌な思い出を笑い話に変えるという優しい面もあるが、それは時間がもたらす成長という副産物だ。

またベルトコンベアのレーンは1人1人別の物接近することはあれど真に交わることはない。

人間が孤独だということもそういうことではなかろうか。


人生がベルトコンベアであるならば載っちゃった後は環境により束縛を受けない限りその人の行動次第である。

手当たり次第色んなパーツを得て自らに組み込む者も居れば、出会いに溢れるレーンに載る者も居る。

しかしそのベルトコンベアに裸一貫で載りながらなにもしなかった場合どうなるであろうか。

人生というベルトコンベアのレーン上では製品チェックとばかりに自分を試される場が多々ある。

その時に何も強みの無いものは弾かれるのが市場、つまり社会では当たり前だ。


不可逆なこの世界ではこの1分1秒が大切なのであり

怠けは長期的に観ると命とりとなりえる。

不平等であっても製品価値もとい存在価値を手に入れるためには怠惰や停滞そして現状維持という時間による劣化を誤魔化すための方便とはさよならしなければならない。


私も書いていて悲しくなるほど残酷で面倒くさいが

例えばうんこを我慢しているときほど思考が研ぎ澄まされるようになにか焦りと緊張感を人は時に持ちそして行動し生きなければ

命の価値を真に見いだすことはできないのかもしれない。

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