遭遇
「龍二、朝よ」
声が聞こえる。おかしい、この部屋に同居人などいないはずなのだが。
「ちょっと龍二? 起きなさいってば」
うるさいな、もう少し寝かせてくれ……遅刻しない程度には起きるから……。
「起きろーっ!!」
「うおおおおおっ!」
耳元で、しかも大ボリュームで叫ばれて俺はベッドから飛び起きた。
「はぁ、やっと起きた」
「何だ、シルヴィか……やめてくれよこんな時間に起こすの……」
頭を掻きながら項垂れる俺の前で仁王立ちしているのは、綺麗な蒼髪をたなびかせるシルヴィだった。
そう、そうだ。俺は昨日付で、彼女の聖戦士になった。これから始まるであろう「聖戦」で生き残るために、共に戦うパートナーがシルヴィなのだ。
「何言ってるの、もう朝じゃない」
「この時間に起きる必要は無いんだって……」
時計が指し示す時刻は午前5時。学校に行く平日でさえ起きるのは午前7時だから、かなり早い起床だ。
「まったくもう、聖戦はもう始まってるのよ。ほら、早く身支度して」
「身支度? だから学校にはまだ早いんだって」
「違うわよ。普通に動ける服装に着替えて武器を持ちなさい。言ったでしょ? もう聖戦は始まってる」
説明不足。まだ目覚めきっていない頭はイマイチ回ってくれない。
「何しに行くんだよ、こんな時間に」
シルヴィは欠伸をしながら尋ねる俺を見て「はぁ……」とため息をつきながら言う。
「あのねぇ、ワタシの話聞いてたの? 昨日言ったわよね、今日にでもバグズは悪さをし始めるって」
「ああ、言ってたな」
「だからよ。まだ分からない?」
「……まさかパトロールでもする気か?」
こんな時間から活動なんて、正直ツラい。俺は朝はあまり強くないのだ。
「まあ半分正解ね」
「半分?」
「この辺りを回るのは合ってるけど、バグズがいたらドンドン取り込むか倒すかするのよ。一般人に被害が及ぶ前に」
蟻達。俺と同じく聖戦に参加させられる者達で、俺と違い負けることを前提に守護戦士を与えられた存在。
だが、ロードに敵わないとは言っても常人とは掛け離れた力を与えられるのがバグズ。5人に1人の割合で選ばれるバグズは、当然善人ばかりじゃない。
その力を利用して好き勝手なことをし出す連中もいて、それを止めるのもロードの役割、だそうだ。
「……仕方ないな」
昨日シルヴィも言ったことだが、高確率で俺の周りの人間にも被害が及ぶはず。陽菜さんもそうだし、千秋先輩もそうだ。下手をすれば海斗も何かしら巻き込まれるかもしれない。
そんなことは絶対にさせない。俺の大切な人たちは、俺が守る。
「動ける格好ってどんなだ?」
よくよく考えれば外出の頻度が少なすぎて、何を着ていけばいいのかサッパリ分からない。部屋着は見た目的にマズいだろうし、制服は動きにくい。
「思い浮かばないんなら道場で着てたのを着れば?」
言われてハッとした。
押し入れの収納ボックス、下から2番目。その中には修行時代に着ていた和服がある。ちょうどシルヴィが着ているようなもので、用途的に考えても戦闘にむいている。
なのだが。
「……」
俺は引っ張り出した和服を見て「はぁ」とため息をついた。
どうしてもこれを見ると昔を思い出す。上手く言い表せないが自分勝手なことを言って家を飛び出した身、罪悪感は少なくなかった。最近になってようやく慣れてきたのだが、思い出を見せつけられるとやはり気分が沈む。
「龍二」
シルヴィに呼ばれ、後ろを振り向く。
「『自由に』。アンタの好きなようにすればいいわよ。別にジャージとかでも構わないし」
言われたその一言で、スッと心が軽くなった気がした。
自由に。
「シルヴィ」
「何かしら?」
「ありがとう」
短くそう告げ、俺は和服に袖を通した。
1年以上着ていなかったとはいえ、体がまだ覚えていた。懐かしい感覚だ。
「龍二、はい。必要でしょ?」
シルヴィはそう言って俺に真剣を渡した。その刃を少し見て、気付いた。
「これ……研いでくれたのか?」
暫く研いでいなかった、そもそも振るっていなかった俺の刀は、丁寧に研がれていた。湾れ刃も綺麗に浮かんでいる。これを見るだけでシルヴィが一流の剣士だと分かる。
「えぇ。昨日鞘から抜いてみたら、暫くやってなかったみたいだから。これからは力を貸してもらう刀だしね」
「……ありがとう」
力を借りる、とそう言ってくれた事が俺にはすごく嬉しく感じた。シルヴィからすれば当たり前のことかもしれないが、この刀に篭っている想いに、この刀の存在に、しっかりと敬意を払ってくれていることが凄く嬉しかったのだ。
「なかなか似合うじゃない。じゃあ行きましょうか」
俺は、鏡に写った1年ぶりの剣士姿の自分を見た。
何故か、前に見た時よりも大きく感じた。自分の事だし身長も伸びていないので見た目が変わっているはずがないのだが、そう感じた。これが、良い事なのか悪い事なのかは分からない。
「さぁ、行こうか」
そう言って俺は刀を強く握りしめ、シルヴィに続いて部屋を出た。
『刀には魂が宿っているんだ。持ち主が刀を信じて、自身の体の一部の如く振るえば本当の力を発揮する』
親父の言葉だ。親父は自分の刀をとても大切にしていた。いい加減に変えたらどうかと弟子達に言われても、結局納得せずに愛刀を使い続けている。
俺も、この刀を信じている。4歳の時に初めてコイツを持ってから、ずっと一緒に戦ってきたのだ。雑な使い方をして親父からゲンコツを食らったこともある。
いつだって近くにあった。落ち着かない時はコイツを握って心を落ち着かせた。親父に勝った試合の前日も、コイツを握って心を奮い立たせた。
この刀があれば、俺はどんな奴にだって勝てる。そう信じている。
「覚悟は出来たのね」
隣を歩くシルヴィがそう言った。
「ああ」
「怖くないの?」
「さっきまではな。でも今は違う」
「そう。それならいいのだけど」
まだ早朝の街は静かだった。人の気配はせず、気温も低い。
「……今はまだ大丈夫そうね」
シルヴィが歩く足を止めて言った。
「分かるのか?」
「気配がしないもの。近くにバグズがいればアンタにも分かるわよ」
「それは相手も、ってことか?」
「いいえ。ワタシ達の気配はバグズ達には感知出来ないわ。それが人型の守護戦士を持つ聖戦士の強み」
「なるほどな。存在がバレても顔バレしない限り居場所までは特定されないってことか」
でもまあ、顔隠しなんてする気は無いのだが。結局は最後まで戦い抜かなければならない、つまり逃げも隠れも出来ない。隠し通す事など出来ないだろう。
「でも隠すつもりなんてないでしょ?」
ちょうど考えていたことを指摘され、若干驚いた。
「あ、ああ。ダメか?」
「いいえ。アンタの好きなように。アタシはそれに従う」
「……」
昨日から思っていたことだが、シルヴィはやけに俺に従順な気がする。言葉遣いや態度はそうでなくても、最終的には俺の命令に従う、そういう感じだ。
1つ疑問が生まれた。
「なあ」
「何?」
「聖戦が終わった時、お前はどうなるんだ?」
話を聞く限り、シルヴィは俺の深層意識と願望の具現体。そして聖戦のために生み出された存在。だとしたら、その役割を終えた時シルヴィはどうなるのか。
シルヴィの聖戦士として、知っておかなくてはならないと思った。
「終わり方によるわね」
「と言うと?」
「聖戦中にアンタが先に死ねばワタシは消える。ワタシが先に死んでも、アンタが生き残っていれば聖戦は続く」
シルヴィは淡々と言う。
「そんなことは聞いてない」
「何ですって?」
「聖戦を勝ち抜いた後の話だ。そして神々だったか? この戦いを始めた連中と話をした後のことだ」
「そうなったら、ワタシはずっとアンタと一緒にいることになるわね」
「は? 一緒にいる?」
契約は途切れないってことか?
「昨日も言ったけどアンタはワタシ。運命共同体ってのがいい表現ね。聖戦の勝利者はその先ずっと幸福に生きていけると約束されるの。それを守るのが勝ち残った後のワタシはの役割になる」
幸福が約束される、か……。
幸福の定義なんて人によって変わるはずだ。神が約束するなんて言うからには、当事者に合わせてどんな状況でも用意出来るということだろうか。いや、実際にここまで現実離れしたことが起きているのだからそれくらいは造作もないことかもしれない。
「なあ」
「今度は何?」
「お前さ、やりたいこととか無いのか?」
「やりたいこと?」
シルヴィは訝しげな顔をした。
聖戦がどれだけの期間続くのかは分からないが、少なくとも世界規模ならば1日2日で決着が着くとは思えない。それに話を聞く限りロード同士でもいきなり戦うことが得策とは思えないし、はっきり言ってかなり長期戦になることが予想出来る。
バグズの暴走は早期の段階で俺を含めたロード達が抑えるはずだし、普段通りの生活に戻ることも有り得るはずだ。
「そうだ。趣味とか、行きたいところとか」
「何でそんなことを聞くのかしら?」
「だって、趣味の1つでも無いとつまんないだろ? 俺を守るって言ってもそれだけじゃせっかく現界したのに勿体ないじゃないか」
シルヴィが、シルヴァリー・グレイスリードという女性がここに来る前に何をしていたのかは知らない。だが、この世に存在している限り幸福であってほしいと思う。
血なまぐさい戦いの中でも楽しいと思えることを見つけてほしい。
「……本当に変なヤツね」
シルヴィはおかしい奴を見るような目で俺を見ている。結構痛い視線だ。
「いや、それを言ったらお前もだろ……」
「まあ、考えておくわ」
「ああ、そうしてくれ」
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しばらくしてスマホの画面を見ると、時刻は午前7時を回っていた。
「なあ、そろそろ帰らないか? 支度しないと学校に遅刻する」
「……」
「シルヴィ? どうした?」
様子がおかしい。焦っているような、警戒しているような、とにかくあまり良くない表情を浮かべている。
「おかしいと思わない? こんな時間までバグズ達が何も起こさないはずがないのに」
言われてみればそうかもしれないが、まだ気配を感じ取ってもいない俺からすればあまりピンと来なかった。
ところが。
「俺達が気配を感じ取れてないってことは?」
「そんな筈は無いわ。インプットされた知識ではちゃんと居場所まで」
「じゃあアレは何だ?」
俺はシルヴィの言葉を遮り、ある方向を指差した。
「煙……?」
その先には、モクモクと立ち上がる煙が見えた。建物に遮られてその発生源は見えないが、何かしらのトラブルが起きているはず。それに加え、小さく悲鳴のような声も聞こえる。
「行くぞ」
すぐに俺は走り出した。シルヴィも少し遅れて続く。
「そんな、何で……? アレがバグズだとしたら、何で気配が感じられないの……?」
明らかに動揺していた。だが、今はそれどころではない。
身体能力の大幅な強化のお陰で、煙の元にはすぐに到着した。走る速度もスタミナも信じられないほどに強化されているようだった。
「あいつか……?」
曲がり角の壁から様子を伺う。
視線の先には、腕に黒い筒のようなものを嵌めたスーツ姿の男がいた。煙の原因はあの男で間違いないようだった。すぐ近くの崩れた家屋から煙が立ち上っている。
だが、見るからに様子がおかしい。動きも普通じゃないし、識別出来ないような譫言を叫んでいるようだった。
「シルヴィ、あいつがバグズか?」
「ええ、間違いないわ。あの右腕に嵌っているものがアイツのソルジャーね。キャノン型で、遠距離攻撃用の武装よ」
「様子がおかしいのは?」
「……妙ね。いくら力を手に入れて人格が変わる人間が出てくるとしても、根本的に狂わされることはないはずなのに」
話していると、男は体を大きく反らせながら人体構造的に有り得ない動きをした。そして、破壊された向かいの家屋に砲撃を行なった。家屋は内部で爆発し、大きく崩れて炎上し始めた。
「クソッ!」
立ち上がり、止めに行こうとする俺の手をシルヴィが握った。
「何だ、行かないのか?」
「龍二、先に言っておくわ。あのソルジャーはバグズの中でも最下層に位置するレベルのものよ。だから、今回はワタシは手を貸さない」
シルヴィは真っ直ぐに俺の目を見て、なお続ける。
「身体能力強化があってあの程度も1人で倒せないようじゃ聖戦で勝ち残るなんて無理よ。だからやりなさい」
そのあまりにも透き通った目を見て、俺は「はぁ」と息をついた。
「分かった。じゃあお前はケガ人の救助を頼む」
「それには及ばないわ。あの2つの民家に人の気配は無いもの」
「そんなことまで分かるのか?」
「ええ。人型のソルジャーはそれだけ優秀なのよ」
「お、おう。それじゃ、まあやりますかね」
体に力を込め、緩める。反応は上々だ。これなら十二分に動けるはず。
そうして、俺にとって聖戦での初めての戦闘が始まった。