契約
「美味しい~!!」
俺の目の前では今、先程会ったばかりの初対面の女の子がバクバクとご飯を食べている。よろしく、と握手をした直後に腹が減ったと駄々をこね始め、どうしようもなくなった俺は陽菜さんが作ってくれたおかずを冷蔵庫から出して温め、まだ冷えきっていない白米を茶碗に盛り付けて差し出した。
正直に言う。俺は、決して今のこの状況に対応出来ている訳では無い。むしろその逆で、何が何だか分からなさすぎて流されている感じなのだ。
「おかわり!」
「もう無いですよ! さっきから何杯食べれば気が済むんですか!?」
「えー……」
とにかくこの子、食欲が凄い。食べ始めてから10分程度しか経っていないのに、もう炊飯器の中は空っぽである。元々3合しか炊いてないし俺と陽菜さんが食べた後なのだが、それにしてもとんでもないフードファイターだ。
「まあいいわ、ご馳走様」
「はいはい、お粗末様です」
「ねえ龍二」
「何ですか……って何で俺の名前知ってるんですか?」
名乗った覚えはないが。部屋の何処かに書いてあったりしたのだろうか。
「そりゃあアンタの守護戦士だもん。当然じゃない」
いや知らんわそんなこと……。
「すみません、さっきの話も含めて全然頭が付いていかないんですけど」
こんなめちゃくちゃな話を即座に理解出来る方がおかしい。そいつは人間じゃない。
「えーとね、何から言えばいいかしら……」
思えば疑問点も色々とある。何故和装で刀を持っているのに名前は外国風なのか、とか。
「とりあえず、さっきも言った通りアンタは聖戦士として選ばれたこの地区のトップの戦士よ」
「はぁ」
「アタシはアンタがこの地区での戦いで死なないように、ひいてはロード同士の戦いでも生き残れるように与えられた守護戦士なの」
「へぇ」
「戦いに巻き込まれる人間は少なくないけど、アンタは特別。アタシみたいな人型の守護戦士を与えられた者を、人々は聖戦士と呼ぶの」
「ほぉ……え?」
少し気になる部分があった。相変わらず理解は出来ていないが、聞いておきたいところがある。
「俺以外の奴にもアンタみたいな人がくっ付いてるってことですか? それと『与えられた』って……?」
「うんうん、目を付けた所はいいけど」
ゴン。
「いってぇ!」
「いい加減に『アンタ』とか敬語とかやめなさいよ。もうアンタとワタシは契約済みなんだから」
「すいません、じゃなくてごめん」
それにしても急に鞘で殴る事は無いだろうに。
「じゃあ2つ目の質問から答えようかしら。とりあえず、アタシたち守護戦士は神々の命で生み出された即興の殺し合い道具なの」
「か、神々……?」
またもや嘘臭い単語が出てきた。
「えぇ。この聖戦は、神々が会話するに値する人間を見極める為に行われるの。本来はもっと遅い周期で行われるはずだけど、なんだか向こうは今状況が悪いみたい」
「会話する?」
ガールズトークでもするのだろうか。神同士の恋愛もあるらしいし。
「極端に言えば人間達を生かすか殺すかを決めるための会話よ。そこで勝ち抜いたロードが下手な事を口走れば世界に災害が起きたりする」
「はぁ……」
「次に1つ目の質問ね。聖戦では毎回世界人口の2割ほどが選ばれるの」
「せ、世界人口!? しかもその2割だと!?」
さすがに規模が大きすぎる。ドッキリとか言うレベルじゃない。
「って言っても、アンタみたいな人型の守護戦士を持つ聖戦士はそうそういないけどね。日本内では龍二を入れて3人ってところかしら」
「そんなことまで分かるのか……ってことは、他の選ばれた連中はどうなってるんだ?」
「他の『蟻達』と呼ばれる戦士達には武器型のソルジャーが与えられるの。剣とか弓とか、魔法が使える杖とかね」
「ってことは、そいつらはロード? じゃないのか?」
「えぇ。基本的に『蟻達』はロードには敵わないから。この聖戦のルールとして、相手を殺す必要は無いの。負けを認めさせるか、自陣側に取り込めれば殺さなくても敵ではなくなる」
次々と専門用語が出てきて中々意味不明だが、要点はなんとか掴めているはず。
「逃げることは?」
殺す必要が無いと言っても、急に力を与えられたら人間はおかしくなるに決まっている。バグズとかいうヤツらも必ず俺を殺しにくるはずだ。
「出来ないわ。そんなことをすれば神々の怒りに触れるだけ」
せっかく家を出て暮らしていたというのに、またもや他人によって自分の道が決められていくことに憤りを感じる。
「死ぬ危険もあるんだろ?」
「えぇ。戦いは避けられないからね」
「そんな……」
もし本当に、コイツの言う通り戦いが始まれば俺は陽菜さんとは一緒にいられなくなる。俺が狙われる側な以上、近くにいれば陽菜さんにまで危険が及ぶからだ。
「陽菜を守りたいんでしょ?」
「……は?」
今、コイツは陽菜さんの名前を言ったのか?
「あんだけ可愛い子なんて、バグズ化した奴らに真っ先に狙われるわよ。犯罪行為に手を染め始めるソイツらを叩くのもロードの責務なんだから」
「なっ……!」
陽菜さんまで狙われる……。無関係だとしても、バグズ化した奴らの中に1人でも陽菜さんを知っていて好意を抱いていた奴がいたら、陽菜さんは……。
「拒否権は無いってことか……」
「そういうことね」
「1つ聞きたい。何でお前はそんなに色々と知ってるんだ? 知識やらはともかく、何で陽菜さんの名前まで知ってるんだよ」
「そんなの簡単よ。アタシは、アンタだから」
「……は?」
こいつが、俺?
どういう事だ?
「アタシ、『守護戦士』シルヴァリー・グレイスリードは、『聖戦士』佐々木龍二の深層意識、願望を元にして生み出された存在なの」
声が出ない。
深層意識だと?
だったら、シルヴィが俺の本質……?
「龍二の深層意識と願望を元にしてアタシの性質は構築されてる。聖戦に関しての知識は神々が必要な要素としてアタシに植え付けたものよ」
「だったら、俺は……俺は……」
シルヴィは、刀を持っている。コイツの話を信じるのならば、俺の深層意識が具現化した存在であるはずのシルヴィは剣士としてここにいる。
すなわち。
「俺は、結局剣から逃げられないのか……?」
愕然としていると、シルヴィは「はぁ」と小さくため息をついて話し出した。
「いい? アタシは龍二の深層意識と願望の具現体としてここにいる。アンタの願望はね……」
シルヴィは俺の顔を掴み、自分の顔と近付けて、
「『剣を捨てず、自由に生きたい。人を傷付ける剣ではなく人を助ける剣を持ちたい』っていうもの。分かる? アンタは剣から逃げたいんじゃない。自分のやり方で剣を振るっていたいだけなのよ」
「…………!!」
人を、助ける……自由に……。
だとしたら、俺は……。
「よく聞きなさい、佐々木龍二。アタシは、絶対にアンタを勝利へ導いてみせる。だから、アンタも上を向きなさい。自分のやるべき事のために剣を振るいなさい」
自分の、やるべき事のため……。
「このクソみたいな戦いで死ぬなんて絶対に許さない。何としても生き残って、自分の道を進むのよ」
シルヴィの言葉は何故か心に響く。考え方によっては自分に言い聞かせられているだけだと言うのに。
自分を誰よりも理解してくれている女性に、自分を信じてくれている女性に。何としても勝つ、と。
ならば、俺も腹を括るしかない。
「……分かった、やるよ」
シルヴィの手を借りて立ち上がる。
「俺は、何としても聖戦で勝ち残る。そのためにお前の力を貸してくれ。シルヴァリー・グレイスリード」
シルヴィは俺の顔を見て「ふっ」と小さく笑うと、その場に跪いて、
「しかと承りました。我が主よ、ワタシの命尽き果てるまで貴方の為に戦い抜こう」
シルヴィがそう言うと、「キィン」という小さな音と共に淡い蒼い光が2人の体を包んだ。
「え、何だこれ?」
「ビビらないで!」
立ち上がったシルヴィに肩を押さえられる。
「これで、正式な契約が完了したの。アンタにもロードとしての能力が付与された」
「の、能力?」
ゲームか何かか?
「まあ簡単に言えば身体能力の大幅な強化ね。早く走れるとか力が強くなるとか。戦うことに向いた体になるの」
「ほぉ……」
見た目的な変化は無いようだった。筋肉量が増えたわけでも背が伸びたわけでもない。
ふと目の端に入った、トレーニング用の鉄アレイを持ち上げてみる。すると。
「あれ? 軽っ!」
5kgの、慣れてきたとはいえ中々重いはずの鉄アレイがまるでただの棒切れのように感じる。ここで完全にドッキリの類の可能性は消えた。
「ね? 強化されてるでしょ?」
「ああ、すごいな……」
「それじゃあ早く寝るわよ」
「え? もう寝るのか?」
時刻はまだ午後11時。シルヴィが急に現れたお陰で宿題もまだ終わっていない。
「当たり前よ。今、きっと世界中のロードとバグズ適合者が自分の能力を試してるはず。明日になれば悪さをし始めるバグズも出てくるわ」
喋りながら、シルヴィは軽々と俺の体を持ち上げた。
「お、おい!」
華奢な体には想像出来ないほどの力があるようだった。家を出てからもトレーニングは怠っていないから、体重は70kgはあるはずなのだが。
「だから、寝れる時に寝る! いいわね!」
シルヴィはやや乱暴に、俺をベッドに降ろした。
「分かったよ……って、お前は寝ないのか?」
俺をベッドに降ろした、というより落としたシルヴィは刀を手にして座り、壁にもたれかかった。あの姿勢では深くは眠れないだろう。
「えぇ。2人とも寝たら襲われた時に対応出来ないじゃない」
それはそうかもしれないが。
「寝なくても平気なのか?」
「そうよ。ソルジャーは所詮モノだもの」
「……何か気に入らないんだよなぁ」
「どういう意味?」
「さっきの話の時からそうだったけど『与えられた』とか『モノ』とか、シルヴィをそんなふうに言うのは気が引けるんだが……」
人を物扱いするのはあまり気が進まない。そう思うのは俺の性格だからかもしれないが、こういう話をすると昔を思い出す。
『人間はみな平等なんだ。虐められたり、困ってたりするヤツがいたら出来る限りの事をしてやるんだ』
子供の頃、まだ剣を持ったばかりの時によく親父に言われていた言葉だ。
「優しいのね」
「お前なら俺がそんな奴じゃないって分かってるだろ」
からかわれたような気がして反論した。俺は優しい人間なんかじゃない。他人に興味が出ず、陽菜さんたちにも迷惑を掛け続けているどうしようもない奴なのだ。
「さあ、どうでしょうね。まあとにかく、ワタシは大丈夫だからゆっくり眠って」
そう言いながらシルヴィは部屋の電気を消した。その直前に見せた穏やかな笑みは、不覚にもドキッとしてしまうほど綺麗だった。
真っ暗になった部屋に静寂が訪れる。
「……なぁ」
「何かしら」
「俺はシルヴィをモノ扱いしたりしないよ」
「な、何よ急に」
「別に。言っておきたかっただけだ。おやすみ」
「……バカ」
最後に罵られたのは聞こえた。うん。
この時の俺は、まだ分かっていなかった。
今回の『聖戦』がいかにおぞましく、歪んでいるかということに。人の本質がいかに恐ろしいものかということに。