救援
午後の授業ほど辛いものは無い。食後、そして気温、さらに午前中の授業の疲労感。全てが狙いすましたかのように相乗効果を帯びて眠気を誘う。
まあ授業中に居眠りするなんてことはないのだが。そんなことをしようものなら親父に木刀で頭をぶっ叩かれるのが普通だった。家を出た今、そんなことをされることもなくなったのだがそれでも意識してしまうのは、体に染み付いているということだろう。
「ふぁぇ……」
さっきから俺の前の席で爆睡中の海斗が何か言っている。断片的でよく分からないが、確実に何か訴えかけている。一体何だろう。
「ふぁっつ……」
FAZZ?こいついつの間にガン〇ムに興味持ってたんだ?
「ふぃふみん……」
ひふみん?ガン〇ムの次は将棋かよ。
「ふぁい……」
夢の中で返事でもしてるのか?
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キーンコーンカーンコーン。
校内に聞き慣れた音が響く。クラスメートたちが一斉に席を立ち、各々の目的地へ動き始める。部活へ向かう者、帰宅する者、はたまた教室に残りお喋りを楽しむ者。まさに青春。
まあそんなものは俺には無縁なのだが。
いつも通り、3階の真ん中あたり、大好きなあの人が待つ部室へ。
ガラガラと音を立てるドアを開け、中に入る。
「あ、龍二くんやほー!」
「よう龍二クン、やっほ~」
そこには椅子に座り心理学の本を読む陽菜さんと、スマホをいじる千秋先輩がいた。
「あ、どうも千秋先輩」
「ごめんねお邪魔しちゃって。ちょいと匿ってほしくてさ」
「ああいえ、大丈夫ですが……匿う?」
随分と物騒な響きだが、何かあったのだろうか。千秋先輩も陽菜さんと同じく美人だし、色々と気をつけてほしいのだが。
「うん、ちょっと面倒なヤツらに目つけられたみたいでさ」
「……詳しく聞いても?」
ますます放っておけない。どことなく千秋先輩も不安そうに見える。
「うん。龍二クンはさ、『杉野祐也』って知ってる? アタシたちと同じ3年なんだけど」
「すみません知らないです」
聞いたこともない。というか同じ学年でさえほとんどの名前が分からないのに他学年など分からないに決まっているではないか。
「あはは、龍二くん他人に興味示さないから……」
「すみません」
「あはは……とりあえずそういうヤツがいるんだけどさ。結構悪い噂が多いんだよ、ソイツ」
苦笑いを浮かべてはいるが、不安そうな様子に他ならなかった。まだ知り合って1日も経ってないから何とも言えないが、この人が不安に思うのならそれなりに危ないことなのだろう。
「女癖が悪いっていうか、自分がイケメンだからって女の子をたらいまわしにしてるらしくて。ヤったら捨てる、みたいなことばかりしてるんだって」
「そんな漫画みたいな奴が……?」
「うん、私は声かけられたことないけど」
「そりゃ陽菜は優秀なSPが付いてるからだよ。悪い意味で有名だから、龍二クン」
あ、SPって俺のことか。まあ確かに陽菜さんにそんなことしようとする奴がいたら紙になるまで叩き切るが。それはそうと。
「俺、そんなに悪名が知れてるんですね……」
ター〇ネーター……。
「ああ、ごめんごめん。アタシは龍二クンが悪いヤツじゃないって分かってるからさ」
「はい、どーもです……」
「えと、話を戻すね。その杉野ってやつから手紙渡されたんだよ。今日の5時間目終わりに。それで、その内容が放課後に校舎裏に来てくれって」
「え、それってもしかして告白!?」
陽菜さんが興奮気味に食いつく。そんなヤワな内容ならまだいいんだろうが。
「それだけなら断って終わりなんだけどさ、どーも怖くて。アイツ、前に街でイカツイ男連れて歩いてるの見たことあるしさ」
「な、何それ怖い……」
うーむ、俺は男だし正直な話親父より強い奴なんていると思ってなかったから怖くも何ともないが、女子なら怖いと思うだろうな……。
「バックレようかとも思ったけど出待ちとかされてたら怖くてさ。とりあえずここで匿ってもらおうと思って」
「なるほど……」
そういうことだったらここに来るのも仕方ないと思う。だが、千秋先輩も気付いているはずだがそれでは根本的な解決にはならないだろう。今日を乗り切ってもまた声を掛けられるとしたらキリがない。だったら。
「とりあえず今日はここでやり過ごして……」
「千秋先輩」
「ん、どしたの?」
「校舎裏に行きましょう。今から」
「……え?」
千秋先輩は驚いたような顔をして言葉を失った。まあそれはそうかもしれないが。
「な、何で? そこには杉野が……」
「危なそうだったら俺が助けます。それにさっさとケリをつけないと余計に面倒臭くなりますよ、その手の奴らって」
「それはそうかもしれないけど……いいの?」
「え? 何がですか?」
俺的には何の問題もないのだが。
「だって、そんなことしたらまた龍二くんが悪い奴だって言われちゃうよ……?」
陽菜さんも同じように、不安そうに言った。恐らくは杉野とか言う奴、表の顔は良い奴で通っているのだろう。そいつをボコしたとなれば俺は今まで以上に叩かれるはず。
まあそんなことどうでもいいのだが。
「別に俺は気にしませんよ? それで陽菜さんと千秋先輩が俺のこと嫌いになるならやめますけど」
陽菜さんに嫌われたら俺はきっとショック死する。そんな気がする。
「……変なヤツ。さすがは陽菜の幼馴染だね」
「それ褒めてます?」
「あはは、からかってる」
「デスヨネー……」
「でもまあ」
千秋先輩は吹っ切れたように言った。
「龍二クンがいてくれるなら安心かな!」
「だね!」
高校生のチンピラレベルなら楽勝だろう。また呼び出しを食らうハメになるかもしれないけど大した問題じゃない。
そんなことより陽菜さんの大切な友達が傷付けられる方がよっぽど困る。
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校舎裏にて。
俺と陽菜さんは陰から偵察中。
「…………」
視線の先には壁にもたれ掛かってスマホをいじる男が1人。杉野祐也だ。
そこへ、千秋先輩が歩いていく。
「あ、杉野くん。ごめんね遅くなって」
位置取りは完璧だ。声もバッチリ聞こえるしタイミングも図りやすい。
陽菜さんが借りてきた園芸部の棒もあるし、アイツが仲間を伏せていても対応出来る。
「ううん、こちらこそ急に呼び出してごめん。来てくれてありがとう、藤野さん」
「あれ、なんか良い雰囲気っぽいよ!?」
隣にしゃがみこむ陽菜さんが囁く。けど。
「……どーでしょうね」
アイツ、作り笑いばかりしてる。何故か分からないがそう見える。
「それでさ、本題なんだけど」
「う、うん」
「藤野さん、良かったら俺と付き合ってくれない?」
言いやがった。とりあえず第1段階だ。
録画もバッチリだ。映像メディア部に「絶対にスクープが撮れる」って陽菜さんが掛け合って借りてきたビデオカメラで。たぶんそんなこと言わずとも陽菜さんが頼めば貸してくれたんだろうが。
「……ごめんね。杉野くんとは付き合えないや」
本当に杉野祐也が告白だけするつもりだったのなら、このデータはすぐにでも消すつもりだったが。
「……やれやれ」
もちろんそんなわけがない。
「来るのは遅い。告白は断る。本当に見た目通り頭空っぽの女なんだな」
「は……?」
杉野がパチン、と指を鳴らす。すると、木の陰から男子生徒が3人、杉野の元へ歩いて来た。
「クズ野郎……!」
「お~、怖い怖い。ま、今からそんな余裕無くなるくらいぶち犯してやるけどな」
「はっ、余裕無くすのはアンタらの方だよ。龍二クン!」
……まだ証拠録画完了してないんですけど。
「あ、あれ?」
「何だ? 連れでもいたのか?」
「祐也さん、龍二ってあの2年の……?」
「あ~、あの桜木にいつも引っ付いてるヤツか。佐々木の龍、だっけか? くはは、ダッセェ」
あ、やばい。今すぐ出ていってぶちのめしたいけど、それじゃ証拠が撮れない。
「で? 健気にもそんなアホに助けを求めたのか?」
「な、何で? 龍二クン……?」
千秋先輩は涙目になっている。スミマセンもう少しだけ耐えてください。
「ちょ、龍二くんまだ行かないの!?」
「もう少しだけ。大丈夫ですここなら見誤ったりしませんから」
焦る陽菜さんを何とか諌めつつ、場をしっかりと見る。見極めを決して失敗せぬように。
「そんな……」
「ははは、見捨てられたんだろうよきっと。剣術道場の息子だか知らねえが結局すぐ逃げるカスだってことだ。おい、お前ら抑えてろ」
杉野は身動きの取れなくなった千秋先輩のワイシャツを容赦なく引きちぎる。ブラを付けた胸元が顕になった。
「いやあああっ! やめて!」
「はは、何だお前見た目より胸あるじゃんか!」
そろそろだな。もう見てられん。
「やだ……龍二クン……助けて……」
「呼びました?」
両手には園芸用の緑色の棒。誰でも見た事のあるはずのアレだ。
「……テメェ」
「はい」
「何しに来た」
「千秋先輩を助けに」
あと俺と実家をバカにした奴をぶっ飛ばしに。これに関しては私怨なので口には出さない。
「お前がか? 笑わせんな」
「え、今笑えるポイントなんてありました? 杉野先輩よく分からないツボしてるんですね」
「ッ……!!」
分かりやすくキレている。面白いくらいに分かりやすい。
「上等だ。テメェ、ただで済むと思うなよ? テメェをぶちのめして桜木陽菜もボロボロになるまで犯して」
陽菜さんの名前が出た瞬間、俺は間合いを詰める動きに入っていた。反射的に。
そして何千回も繰り返した動き。左手の武器を右から左へ振り抜き、敵の喉を潰す。実戦ではなかなか成功しないが、相手が止まってベラベラ喋っているような奴なら簡単に当てることが出来る。
「がっ、ゲホォッ!」
まあ、そりゃあ痛苦しいだろう。焦った分微妙に浅かったみたいだが、ちゃんとヒットすればしばらくはまともに喋れなくなるはずの技なのだから。
「なっ……」
周りの連中もビビったのか知らないが戸惑っている。
「アンタらはどうします? 今やめとけば未遂で済ませてビデオにもモザイクつけますけど」
「ビ、ビデオ……?」
「どこから、とは言いませんがバッチリ録画済みです。そのバカが千秋先輩のワイシャツ破るあたりまで。っていうか今も撮ってるのかな?」
「……すみませんでした! もう2度としないのでオレ達は勘弁してください!」
「ほいほーい、じゃあお疲れ様ですー」
取り巻きの3人は情けなく逃げ去っていった。コッテコテのモブキャラである。
あんなこと言って悪いが、ここまでやってお咎めなしは厳しい気がする。モザイクかけるとは言っても杉野が言えば1発でバレるし。まあそこら辺は知ったことではないのだが。
「千秋先輩、大丈夫ですか?」
その場に蹲る千秋先輩に手を貸す。その手は少しばかり震えている。
「来るのが遅い。怖かった」
「すいません。証拠撮らなきゃいけなかったんで」
すると、立ち上がった千秋先輩は突然俺を抱き締めた。
「え? ちょ、千秋先輩?」
「罰としてもう少しこうさせろ。バカ後輩」
「す、すいません」
めちゃくちゃディスられるんだが。
「……ありがとう」
「お安い御用です」
と、コイツ放ったらかしだった。さっさと処理せねば。呆気なさすぎて拍子抜けもいいところだ。
「さてと、続きはまた後で。とりあえずコイツ職員室に連れてきますか」
「ふざけんな!」
おお、まだ喋れるとは。なかなかやるではないか。だが。
「……まだやるんですか?」
あれだけ実力差を見せてやったのに、これ以上は愚かと言わざるを得ない。
「クソ野郎が、テメェみたいな桜木のストーカーが調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「龍二くんはストーカーなんかじゃない!」
茂みに隠れていたはずの陽菜さんは、いつの間にか俺の斜め後ろに来てそう言った。
陽菜さんアンタいつの間に俺の背後に。
「あ?」
「龍二くんはストーカーなんかじゃないもん! アンタみたいな変態と一緒にするな!」
「黙れこのブス女が!」
「ひっ……!」
杉野が咆哮し、陽菜さんが怯えた瞬間。またもや俺の体は勝手に動き出していた。我ながら困ったものである。
さっきと全く同じ動きで間合いを詰めつつ、上半身は別の動きを。さっきは左手の武器だけだったが、今度は両手の棒を一気に叩き付ける動きで。
避ける余裕など与えず鼻と顎に攻撃を叩き込む。食らった杉野は派手に吹っ飛び、鼻血ブー子になっていた。
「かっ……!」
俺は倒れた杉野にゆっくりと歩み寄り、
「なあ杉野先輩。アンタさっき陽菜さんのことブスって言ったよな?」
「言っ、て、ない……!」
「嘘言わないでくださーい!」
思い切り右手の武器を振り抜き、右耳の上あたりを殴る。
「ぐああっ!」
「な、暴力振られるのって怖いだろ? 人に蹂躙されるのって怖いだろ? 自分より強い相手って怖いだろ?」
そして俺は2本の棒を思い切り杉野の頭の両隣に突き立てた。
「ひっ……!」
「アンタが千秋先輩にやろうとしてたこと、自覚出来た?」
「……! ……!」
杉野は何も言わず、涙目で必死に頷いた。
これだけトラウマにしてやればもう大丈夫だろう。
「じゃ、さっさと逃げてください。俺の気が変わる前に」
「ッ……!」
そうして、杉野は泣きながら逃げ帰っていった。
俺は2人の先輩の元へ歩いていく。
「ま、こんな感じです、千秋先輩。幻滅しました?」
やり過ぎないようにしようとは思っていたのだが、最後は完全にやってしまった。陽菜さんのことを言われたせいで自制出来なかったのだ。
「……まさか」
千秋先輩は破れたワイシャツを着直して言った。
「それよりさ、続き、いい?」
「……どーぞ」
「えへへ」
嬉しそうに千秋先輩はまた俺に抱き着いた。
面と向かってされると不意打ちより全然恥ずかしかった。
愚かな、とても愚かで間抜けな俺はここで陽菜さんが複雑そうな表情を浮かべていることに気付いてはいなかった。