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傷を舐めあう関係

「あれ、広瀬さん早いですね」

 集合場所の駅改札についたとき、見慣れ始めた顔の同期に見つけられ、おまえもな、と言いそうになった。

 さすがに30分早く着いたら誰もいないだろうと思っていたのに。

「松井こそ早いね。さすが幹事」

「へっへー。ギリギリまで家にいたらせっかくの休みもったいないなーと思って。早く出てきちゃったんすよ」

 まあ、ついだらだら過ごしてしまい、一日が終わる経験がないわけではない。

「そっか。一人暮らしだったらそうなるよね」

「でしょ?」

 人の目がないからこそ自由すぎて。

 良し悪しを考えさせられた。

 会社の同期の中で一人暮らしをしているのは、僕の他には松井だけだ。

 あとは実家か、社員寮に住んでいる。

 どうも院卒と大卒で研修ルートが大幅に違うらしく、他の大卒同期が集合研修を受けている間、僕は一人OJTだった。

 大卒男子は来週一週間、僕がいる支店で研修を受ける。

 次にいつ会えるかは分からない。

「それにしても、会社の用意したアパートで共同生活っすよ。男ばっかり四人って、いくらなんでも横暴すぎません?」

「広さによるだろうけど、それは帰って寝るだけのパターンだよね」

 というか、雑魚寝するだけでも一苦労なのでは。

「そっすよ!やばいっしょ?」

 なんとなく。 その先が分かるような気がした。

「かわいそうと思うならどうか!広瀬さんとこに泊めてください!」

 ぱんっと手を合わせるところからも、陽気で人懐っこくて、人の懐に入っていける松井の性質がよく分かる。

「ごめん、今妹が来てるから難しいなあ」

 いつもなら二つ返事で引き受ける。今は断らないといけない。ここでオーケーを出したら最後、きっと一緒に下宿まで帰るパターンだ。

「あ、妹さんいるんすね!それじゃあ予定が早まって、行けそうだったらまたお願いします」

「うん、ごめんね」

「といいつつ実は彼女が来ていたりして」

 油断、していたのかもしれない。

「……………はあっ!?」

「今めっちゃ素が出ましたよ、もしかして図星とか?」

「んなわけないやろ!」

「関西弁出てますよ」

「………………そんなんじゃ、ないから」

 絞り出してきた声は、思いの外低かった。

 駅の喧騒からここだけ切り離されたようだ。

「………なんか、すみません」

 松井はそれ以降、深く聞いてこなかった。

 悪いことをしてしまった思いと、説明に困るから助かったと思う気持ちが半々だ。

 僕と奏多の関係は、僕自身もよく分からない。



 おかしいと思ったのは、講義が始まって10分を過ぎたときだ。

 半期に一度の時間割変更で、選択した講義のうち1つか2つは奏多と被る。

 今日の昼イチ、3限目も奏多と一緒に授業を受けていた。

 お互い用事がなければさぼらないようにしているし、休むならレジュメの融通については早くにやりとりする。

 スマホを確認しても、女友達からの連絡は入っていない。

「今日休み?一番左の前から六番目にいるよ。レジュメもとってる」

 机の下でメッセージを送り、スマホをポケットに入れる。

 そこからは講義に集中した。

 だけど90分が経っても、奏多は姿を見せなかった。

 もう一度スマホを確認すると、奏多からの着信履歴が残っていた。

 普段電話はしないのに。

 ざわめく廊下の隅っこで、着信履歴から電話をかける。

 呼び出し音が8を越えたころ、繋がった。

「もしもし、八城ーー」

「ねえ広瀬、どうしたらいいのかなあ」

「………え?」

 弱々しく、どことなく掠れた声だった。

「わかんないよ、もう」

 鼻をすする音が電話口から聞こえる。

「八城、どうし」

「振られちゃった」

 彼女は無理やり明るく絞り出していた。絶句するしかない自分がもどかしかった。

「ごめんね、連絡くれてたのに返せなくて」

「…………なんで」

 聞かずにはいられなかった。名前も知らない奏多の相手にぶつけるべき疑問だったはずなのに。

「そんなの、わかんないよ」

 泣くのをこらえているようで、一人ぼっちだ。

「…………ごめんね、電話、ありがとう」

「ちょ!」

 電話は切れた。

 二人の間になにがあったかは知らないし、立ち入ることはできない。

 それでも、奏多をこのままにしていいのだろうかという思いは消えなかった。

 大学四年の初夏だった。

 リクルートスーツに着られるようになり、夏服はスカートがまわったりもったりとした印象が強くなっていった。

 なにより表情が消えてしまった。

 順調に付き合っていたときの八城奏多は、まるで死んでしまったようだった。

 ぼんやりと講義室に座り、大学図書館では参考書を開いたまま目は動いていない。

 彼女が助けを求めたのは、あのとき一回だけだった。

 無理やりにでも聞いておけばよかったのか。

 その後、奏多が受験した公務員試験は全滅。民間も落ち続けた。

 学食では、僕の頼んだ定食のミニうどんをすすり、就活ダイエット、などとのたまう。

 就活がうまくいかないという話はたくさん聞いた。

八城なら大丈夫だよ。根拠なんてないけれど、そう言うと奏多は安心したように少しだけ和らいだ顔つきになった。

秋も深まって内定式を過ぎた頃には、10キロくらい落ちていたように思う。

久しぶりに一緒に帰り、電車で横並びに座っていたときだった。

「静香くん」

「ん?」

「私は静香くんが羨ましい」

 黙って先を促してやる。同じようなことは、同級生からも言われた。

「羨ましい」

 それっきり、奏多は黙ってしまった。



「じゃあみんな彼女いないのか、やべー!」

 飲み会では、男ばかりという場もあって、節操ない話で盛り上がっている。

 嫌いではない。かといって、そんなに好きな方ではない。

「広瀬さんどうなんすか?」

「え、昔いたけど、文系の院行くならいいって言われて振られた」

「うわ、ないわー」

「そんなん付き合い続けなくてよかったっすよー」

「他にいい人いますって!」

「そだね」

 すっかりネタとなったエピソードだった。

本当のことだし、隠すことでもない。これはこれで終わりと思っていた。

「にしては広瀬さん、彼女欲しそうに見えないっすね」

「これが大人の余裕か!」

「いや、二歳しか違わないから」

「うわーさりげなく大人アピールきましたー」

「二歳はでかいっすよー」

 笑いながら思い当たる節がある。

 僕は奏多のように、交際相手から別れを告げられても引きずらなかった。人並みにショックを受け、そのときは奏多にお悩み相談をしたけれど、一時的なものだ。

 一方の奏多はどうだろう。

 少なくとも、四年前から彼女の本心はわからなくなった。

 僕のことを、広瀬、ヒロ、静香くんと気分に合わせて呼ぶみたいに。

 全てを忘れたように研究に打ち込むか、ラブホに行こうと言ったみたいに突拍子がないことを言うか。

 傷口から知らない奏多が生まれてきたみたいだった。


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