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ホテルに誘われる程度の関係

「ちょっと付き合ってくれない?」

「どこまで?」

「ラブホ」

「ぶっ………ぐぁっは!」

ドーナツチェーンで頼んだコーラをこれでもかというほど飲み込んでしまう。

正面に座った24才女性は、口をつけていない水のコップを差し出した。

ごくりと飲み込んでしまってから、彼女はなおも聞いてくる。

「で、どう?」

「どうじゃないから!今そっち系の研究してるんだっけ!?にしても相手は選んで」

「彼氏はいないしこういうの頼める人広瀬しか思いつかなかったし」

「これは光栄に思うべきなのか教えてくれない?」

「答えは自分のみ知ってるはず」

「でしょうね!」

話はじめて一時間は経っていた。いつもなら、もう少し話すか、店を出て周囲をぶらぶらしている頃合いだった。

相対している八城奏多(やつしろかなた)は僕と同い年。学齢も同じだ。

違っているのは性別と、職業的身分だけ。彼女は学生で、僕は社会人。社会の歯車として働く僕とは対照的に、相手は大学院生、しかも博士課程在籍中と来ている。

大学四年間のあと研究をしようとすると、修士課程に2年、その先は博士課程となる。

ここまでくると、進路は研究職を考えている人がほとんどで、やむなく公務員になる人がいるというレベルだ。少なくとも、自分が知る範囲の文系院卒の進路としては。

「え、ごめん、ラブホの研究してる訳じゃないんだね?」

「うん。先輩の研究テーマだね。興味がないわけじゃないけど、さすがに博士までいって研究対象変える勇気はないわ」

「変えたらすごいよ」

「ね」

奏多とは小学校が一緒で、大学で偶然再開した。それ以来、卒業までの6年は数ヶ月に一度のペースでダベることが習慣のようになっていた。

「卒業してからは会わないと思ってたのにな」

「まさか八城がこっちに来るとは思わないよ」

「広瀬こそ、いきなりこっちに配属とは思わないし」

僕たちは二人とも関西の出身だ。この年になるまで地元を旅行以外で離れたことがない。僕は就職後、いきなり東海の支店への配属が決まり、奏多は博士過程を関西にある母校ではなく、同じく東海地方の某国立大学大学院で過ごすことに決め、無事合格した。そこで初めて実家を出た。

僕の友人達はみんな東京をはじめバラバラに散ってしまったし、奏多の友達はほとんどが地元に残って就職するか、結婚してしまった。

同期は同じ研究室・支店にいない。先輩との年も離れている。友達は気軽に会いに行ける距離とは言えない。

僕らの境遇は似ていた。

今さら学生時代に戻りたい訳じゃない。ただ、スイッチを切り替えたいとき、ふと息をつきたいとき、関西弁でしゃべりたいときは、こうやってリアルに会うようにしている。

「関西弁使わないの?」

意味がないとでも言いたげに奏多は聞いてくる。

元々強くない奏多は、すっかり東のイントネーションを身に付けていた。

「じゃあ今から使おうか。一番下っぱだから敬語になるやん?だから意識しないとでんのよね」

「せやね。なかなか難しいわ」

緊張して口頭試問を関西弁でしてしまったということで、奏多は標準語を身に付けるべく、お笑い番組を封印し、NHKしか見なかったことがある。

その反動なのか、関西のことばで話すときは心なしか生き生きとしていた。

「で、ラブホ、どうよ」

そらしたと思っていたら、まだ続いていたらしい。

リラックスした様子から、自分はからかわれているのか、それとも考えなしなのか。

「いや、なんで行きたいん?」

「行ったことないから、知識として」

「………はあ?」

奏多は今でこそいないが、高校で一人、大学学部生時代に一人、交際経験がある。どちらも期間は2年くらいだから、おかしくはないと思う。なにとは言わないが、そういう経験があっても。

ただ、シティホテルとか相手の家とか、そういう場所もあるわけで、だったら行ったことがないというのもうなずける。

「それは他の人と行った方がいいよ。その、ほら、研究してる先輩とか」

もしくは将来の彼氏や結婚相手とか。

単なる知識欲だとしても。

食い下がることもなく、彼女は笑みを浮かべた。

「せやね」

「うん、でよか?買い出し行こ」

「おっけー。作りおきの煮物と製品分けて」

「じゃあこれ生協で買ってきてな」

「りょーかい」

僕は無類の本好きで、新刊で手に入れたい派だ。暮らしに必要なものを節約してそのお金で買う。

他方、奏多は面倒を嫌う性格で、特に食事で顕著だ。時短と味の保証から、基本的に自炊をしないという。

5%引きになる大学生協で仕入れてほしい本のリストを奏多に渡す。代金と同じくらいの自社レトルト食品と、手製の作りおきごはんと引き換えで、一ヶ月後、奏多は本を渡してくれるだろう。

そんな交換条件は、ウィンウィンで気に入っている。

駐車場へと歩きながら、僕は小柄な相手に目を向ける。

真っ黒のショートカットは昔から変わらない。

「八城、運転できる?」

自分の車を光らせながら、聞くだけ聞いてみる。

「多分二人とも死ぬから無理」

「やっぱり?」

助手席に乗り込んだ奏多は、手早くシートベルトを閉めた。

免許を取った時期は変わらないが、あちらはペーパーだ。

ゼミで運転手をしたときには、物損事故を二回やらかしている。

僕も最初はあわあわとなったけれど、いつのまにか慣れてしまった。

「フィールドワークとかあるんじゃないっけ?」

「電車と歩き」

「地方はどうすんの」

「タクシー拾う。一回香川行ったときはやばかったなあ。タクシー拾うの時間かかっちゃって。一人ぽつーんって」

「練習あるのみやね」

「ですよねー」

信号が赤に変わる。エンジンブレーキで減速し、ゆっくりと止まった。外は暗い。今にも雨が降りそうだ。

FMラジオから流れてくるJ-POPを耳にいれていると、息を吸い込む音がした。

「優しいね、ヒロは」

「なにが?」

うつむきがちな奏多は、次の瞬間にっこりとこちらを見る。

「車の運転。性格出るっていうやんか?だからヒロは優しいんやと思う」

もう何十回と言われた言葉を体に染み込ませ、笑みを浮かべる。

「ありがとう」

信号が青になった。



僕は自分が特別優しいとは思わない。人並みに好き嫌いはあるし、すべてを許せる菩薩でもない。けれどもまわりはそうは思ってくれないようで、いつのころからか、優しい人ポジションに収まっていた。もう何年も動く気配はない。

昔奏多に言われたことがある。不良系ブームが終わって、次は爽やか系ブームだろう。だから彼女ができる、と。

実際その通りになったのだけれど、初めてできた彼女とは、自分が修士課程に進むタイミングで別れた。

彼女は就職したし、自分にこだわる必要がなかったのだ。

「やっぱ将来性とか金だよな」

嫌いではなかった。全てを忘れるほど大好きでもなかった。断る理由がなかったから付き合っただけ。けれど、やはり別れを突きつけられ、受け入れるしかなかったのは地味にきた。だからそのときは、奏多に愚痴ったものだ。

「この年になってくると、浮わついた話だけじゃだめで、地に足ついた話が多くなってくるからな」

慰めるでもなく、奏多はただ冷静に現状を分析した。

「そっか、八城みたいに教職とってたらよかったのかー」

「何か変わったのかもしれん。でもイフでしかないから誰にもわからんよ」

コーヒーフロートを煽りながら、中高社会と情報の免許を取った同級生を見た。

履修科目が多過ぎて、かつかつになっていたことは記憶に新しい。

「僕は学芸員と司書だしなあ」

「過程修了してどっちもとれたのはすごいことやで。ただ、就職ができるかってだけの話で」

フォローは嬉しい。一方で思う。

保険として資格をとるなら、教職だろう。採用数が明らかに違う。待遇はおいておいて、正社員や無期雇用は、学芸員と司書は少ない。

「うん。女子的にどうなん、文系の院生」

「人による、としか言えんよ。あえて一般論言うなら、理系に比べて就職はどうなん?ってなるし、経済やロースクールじゃなかったらなんで行ったの?って言われるかもね」

「なんで社会学いったのかなあ」

「知らねえよ」

梅酒を飲んで赤くなった奏多は、塩のきいたねぎまを頬張った。

さっぱりとした性格の、数少ない院の同級生を羨ましく思う。

ゆっくりと咀嚼している姿を目にしながら、ふと口をついてでた。

「なんで八城は院に進んだん?」

「仮面就留?」

さらりと言ってのけたが、確かにこの12月、後期の大学院入試二ヶ月前まで、奏多は就職活動を続けていた。

がりがりに痩せ、密会場所のドーナツ屋で、僕の方にドーナツを渡しながらESの添削をしたものだ。

このまま卒業ぎりぎりまで就活をすると思ったら、院試に切り替え、ものの見事に結果を出した。

彼女はトップ合格で入学金免除は確定している。面接と研究計画書、どちらの出来も10年に一度レベルらしい。この分だと授業料も免除になるだろう。

「すごいなあ、八城は」

「私に言わせてみたら、広瀬がなんで受かってた大手蹴って院に行ったのか分かんないけどね」

「言えてる」

そりゃあ彼女も逃げるか。

場酔いしたのか、笑いが止まらなかった。



「ありがとね、助かった」

米と油など、かさばるものを積み込んだ僕に、奏多はそう言った。

あのあとディスカウントストアに行って、生活用品を仕入れたのだ。

「いいよこれくらい。っていうか普段何食べてるん?」

「ごはんをたいたの」

「それと?」

「それだけ」

「もっと食べろよ!」

「学食で食べてるから」

「ああああもう!」

栄養士を目指している妹が聞いたらぶちきれそうな発言。

150センチ代で、体重が40キロ半ばの彼女は、もっと肉をつけてもいいはずだ。

「静香くんに言われたくないです~」

僕はといえば、170センチで体重が50キロ代。BMI的にはあまり変わらない。

仕事であっぷあっぷの日々なので、気を抜いて作りおきを用意し忘れたら食べないから、人のこと言えないか。

「ふー、そうだね。遅くなっちゃったし、送るよ」

「ありがと。やっぱ優しいね」

「よく言うよね、それ」

「本当のことだから」

助手席に座る人は真顔だ。

それには答えずに、ゆっくりと車を発進させた。






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