16 影
クレイフィッシュのワイヤーアームはキメラの前足を掴んだ。
飛び立とうとしたキメラがバランスを崩して忌々しげにその腕を見る。
「ぐ……」
キメラは必死で羽ばたいている。翼が動く度に、クレイフィッシュの足が滑り、地面に溝を刻んでいく。
まさか、自重に等しい錘を付けていても飛べるのかと戦慄したカルロスの予測を認める様に、クレイフィッシュの足が一瞬地面から離れた。重心を後ろに傾ける事でどうにか堪えたが肝を冷やす場面だった。カルロスは追加で左腕を地面に突き立てて命綱とする。
「手伝ってくれ!」
「おう!」
「任せろ!」
他の二機がクレイフィッシュの腰に腕を回して一緒に引く。控えめに言っても間抜けな光景だが本人たちは必死だ。
ここでキメラを逃がした場合、相手がこちらを恐れて近寄ってこなくなれば良い。だが逆に復讐に燃えた場合昼夜を問わず強襲を警戒し続ける必要がある。他の魔獣との戦闘中に乱入でもされた時は最悪だ。
将来の不安を取り除くためにここで討つ必要がある。
そんな算段とは裏腹に、キメラは必死で羽ばたいている。その度に機体がずり動く。三機であろうと、キメラの飛行能力は力負けしていなかった。
あの翼だ、とカルロスは判断する。物理的な意味で言うとキメラの翼程度で空は飛べない。魔法的には翼自体は関与していないだろう。
ならば翼はただの飾りか。そんな事は無い。飛行力を生み出すために羽ばたいているという事は、魔法行使のイメージとして翼の有無は重要の筈だった。翼をもげば落ちる。だが遠距離攻撃の手段は、クレイフィッシュのワイヤーアームしか――否。
「『土の槍』だ……!」
「え、何だって?」
「指揮官機の左腕! 付いているだろう!」
「あ、ああ。でもこれってあんなところまで届くのか?」
届く。とカルロスは力強く肯定した。元々中距離用の兵装として開発したのだ。扱いが難しいが、威力も十分な物がある。キメラ相手にも有効だろう。
「アイツの翼を狙うんだ!」
「分かった。やってみる」
可能だと分かったならば余計な問答は交わさない。指揮官仕様機の左腕がキメラに伸ばされた。
「チッ、腕がふらつく」
バランスの悪さは改善されていない。上空でふらふらと飛行しているキメラを狙うが、左腕の重さが照準を邪魔している。
それでもキメラが一瞬止まった瞬間を狙って『土の槍』が放たれた。真っ直ぐに進む土の槍。その先端はキメラの前足を抉って行った――が、翼は無傷。一瞬キメラの飛行力が緩んだだけで終わった。
その緩んだ瞬間に、カルロスはクレイフィッシュの左腕を引き抜いて、上空のキメラに抜き打ちで放つ。
ワイヤーアームの底部には推進用の圧縮空気を噴出する魔法道具が設置されている。その噴射を調整してワイヤーアームが曲線を描いてキメラの翼に喰らい付く。
それを確認して即座に手首を回した。尾よりも脆い翼はねじ切られた。羽が周囲に陽光を透かしながら舞う。一見幻想的な光景が赤に染まるのい時間はかからない。苦痛で絶叫しながらキメラが落下する。その巨体の落下位置を、咥えこんだままの右腕のワイヤーアームを巻き戻して調整する。少し開けた位置に落下したキメラは弱弱しくもがいていたが、まだ生きていた。
「……止めを刺してくれ」
カルロスは疲れた声でそう頼んだ。クレイフィッシュでは基本的に殴る事しか出来ないので過剰に痛めつける事になる。例え魔獣が相手でもそんな事はしたくなかった。
「おう」
アイゼントルーパーの一機が真っ直ぐに首筋へと長剣を突き立てた。一瞬噴水の様に血が噴き出てキメラの動きが完全に止まった。
「森に入って早々厄介な奴と出会ったねえ」
「どうも、貰っていた資料以上に大型の魔獣がいるみたいだ。もう少し慎重に進もう。縄張りと縄張りの境界線辺りを進んでいければ戦闘は最小限に抑えられると思う」
「その辺の判断は任せるよ。あたしらには魔獣の生態なんて碌にわからないからね」
と、投げられたカルロスだが彼としてもミズハの森は中々に初体験に満ちた場所だった。事前調査でも無ければ碌に案内も出来ないだろう。
「それにしてもあんた魔導機士の操縦も出来るんだね」
「……操縦が出来ないと、整備の時も困るからな」
そう言って誤魔化す。本当に、余り深く聞いてこない紅の鷹団の面々には助けられているなとカルロスは思う。せめて操縦のコツだけでも教えて生存率を高める事で恩返しにしようと決意した。
「よし、それじゃあ進もうか」
「待ってくれ団長。その前に機体の洗浄を軽くしておこう。特に止めを刺したアイゼントルーパーと、クレイフィッシュの鋏は魔獣の体液が付着している。乾いたら動作不良の原因になるぞ」
とは言え、何もないところで機体の洗浄を行うのも一仕事だった。結果的に交代で魔導機士が馬車の幌の予備に洗浄液を染み込ませて機体を拭う形となった。
「『いつもすまないね、よしこさん』『それは言わない約束でしょう。お義父さん』」
「ぷっ……」
その姿がまるで背中を流しているかの様だと言い出したイラの寸劇にカルロスが噴き出したり、後からそんな事を言われていたと知った髭の傭兵が二人の頭を撫でまわしたりと言った一幕があったが、概ね順調に作業は進んで彼らはその場を後にした。
◆ ◆ ◆
紅の鷹団が立ち去った後。
キメラの死骸の元に近づく影があった。
漆黒の体躯。複眼。そして肥大化した左腕。紅の鷹団が新種の魔獣と呼び追跡している存在だった。
検分するかのように左腕の爪先でキメラの死骸を探っていた影だったが、何かしらの結論が出たのか。血に濡れた爪を抜き取った。
引き千切られて放棄されたキメラの尾に近づく。それを慎重に爪で摘まむと、己の背中へと付け根を回す。押し当てると、溶け込むように尾が影の背に癒着した。確かめる様に二度三度と尾が動かされる。完全に自分の物としていた。
そして紅の鷹団が向かった方向に視線を向けるとゆっくりとそちらに向けて歩を進める。
その背後にはいくつもの魔獣の姿が付き従っている。殆どが損傷を負っている不気味な魔獣の群れ。その最後尾に、数か所を損壊したキメラが加わった。
不気味な群れを率いる影は、森の深部へと入っていく。紅の鷹団の後を追いながら。




