32 ククルスカノラス
体が動かない。
工房の床に転がったカルロスがまず思ったのがそれだった。手足にまともに力が入らず、立ち上がろうとしては顔を地面にたたきつける結果となった。
「無理はしない方が良いですよ。先輩。解毒しない限りは一時間程度は動けません」
「何で……」
こんなことをと言う問いかけはアリッサと名乗っていた少女――本名が分からないのでカルロスは変わらずアリッサと呼んでいるが――にも伝わったのだろう。どこか芝居染みた仕草で大仰に言葉を放つ。
「不用心ですよ、先輩。この研究は、作り上げた魔導機士は大陸間のパワーバランスを大きく乱す恐れがあるんですよ? 何らかの敵対行動がある事は予測して然るべきです」
まあ、とアリッサは悪意的な笑みを浮かべた。
「ここまでザルだとは思いませんでしたけど」
「お前……!」
「と言うか、先輩凄いですね。まだ喋れるなんて。他の人は喋ることも出来なくて這い蹲っているっていうのに」
アリッサの言うとおりだった。他の人員は皆――そう、皆である。運悪くここには全メンバーが揃っていた。むしろアリッサはそのタイミングを狙っていたのだろう――恨めしげな視線を向ける事も出来ず、倒れ伏したままの姿勢だ。
多分それは直前にクレアが使ってくれた何かの魔法が利いているお蔭であろう。恐らくは活法。代謝を高めて毒を無理やり抜いているのだ。全身に汗がにじんでいるのが分かる。少しでも会話で時間稼ぎをしなければとカルロスは口を動かした。
「お前は、どこの国の人間だ……」
「内緒です」
「何が目的だ」
「内緒です」
「俺たちをどうするつもりだ」
「内緒です」
会話にならなかった。冥土の土産とばかりにぺらぺらと喋ってくれれば良かったのだが、そうも行かないらしい。そんなに口の軽い人間はこんな潜入任務には選ばれないだろうと思っていたからカルロスとしても予想外ではない。
「俺たちを、裏切ったのか」
「……はい」
その一言だけ。即答では無かった。何かを堪えるように、胸元をしっかりと掴んでいる。一体何を――カルロスのその思考を断ち切る様に、工房の扉が開いた。そこから入ってくるのはログニス国軍の軍服。第十三大隊の部隊章を付けた軍人がぞろぞろと入ってくる。その数大凡四十人程。
本来ならば助けが来たと思う所。だが、今のカルロスにはとてもそうは思えなかった。
事実、工房の床に転がっているカルロスを見ても動揺の気配はない。
第十三大隊。ログニスとアルバトロスの戦争に置いて切り札となる部隊。
ただし、それはログニスに取ってのではない。
アルバトロス帝国が十年以上前から仕込んでいた策。部隊を丸ごと一つ、アルバトロスの息がかかった人間、或いは潜伏させていた工作員で構成させる。そして来たるべきときには致命的なタイミングで裏切り――表返らせるという物だ。無論それを実現するためには裏方の人間にも息がかかっていないといけない。
アルバトロスがエルロンドを狙っているという情報を流したのさえ策略の内だ。相手に怪しまれることなく、部隊を動かす切っ掛けを与える。部隊の選定をする人間が手の内にある以上、その時点で成功は約束されていたような物だ。
アルバトロス帝国第二皇子、レグルス・アルバトロスの手は既にログニスの中枢にまで食い込んでいた。無論、カルロス達にそれを知るすべはないが。
「半年にわたる潜伏任務。ご苦労だったな、ククルスカノラス」
「半年程度で労われたら私としては立場がありませんけどね」
「ふっ。確かにな」
と言う短い会話は、第十三大隊がアリッサ側の人間であると証明されただけだった。この中の指揮官らしい男はアリッサに必要な事を次々と尋ねて部下に指示を出していく。
「さて、我々は我々の仕事をしよう……資料は?」
「そこの資料室に全てまとまっているはずです。後はここの技術者の頭の中に」
「そちらは君に任せよう。現物はどうなっている?」
「一機はすぐに動かせる状態。もう一機はタイミング悪く解体整備を始めた所なので……まあ見る限りはあの魔法道具を戻せば最低限は動かせそうですが」
「ふむ。ならばそちらもこちらの技師にやらせよう」
淡々と進められる会話の内容を向こうは隠すつもりも無いらしい。資料室からは第三十二工房で作っていた魔導機士の設計図などが次々と運び出されている。この場から魔導機士に関する全てを根こそぎ持っていくつもりだという事が理解できた。
試作二号機も、起動して工房の外に出される。
「機体を運び出せ……さて、クレア・ウィンバーニはどいつだ?」
「そこの赤毛です」
そのやり取りにカルロスは体温が一気に下がる感覚がした。クレアだけを名指しで。一体何をするつもりなのか。
「ふむ……こんな少女が、か。まあいい。連れていけ」
「止めろ……!」
絞り出すようなカルロスの声に指揮官は何の反応を示すことも無かった。ただ視界の隅でアリッサが悲しそうな顔をした。
力が入らないのか手足を投げ出した状態のクレアが兵士の一人に担がれていく。揺らされながら、クレアの視線が一瞬カルロスを捉えた気がした。
「ククルスカノラス。君の仕事をしたまえ」
「……はい」
暗い声で返事をしたアリッサは技師の一人に手を触れる。するとその技師はびくびくと痙攣しだして、白目を剥いた。一人そうなったら次の人間。そしてまた次の。そのやり取りが何を意味しているのか。この場でカルロスだけが分かった。
「記憶を、吸い出しているのか!」
徹底している。物理的な資料だけでなく、技術者の記憶からも情報を取る。アリッサ達はカルロス達に魔導機士に関する一切の情報を残す気が無い様だった。
記憶を吸い出す魔法は、融法に属する。だがかなりの高位階だ。カルロスにもやれない事は無いが、相手へのダメージが大きすぎる。下手をしたら廃人になるかもしれない。おいそれと試せる物では無かった。それを、アリッサはやっている。少なくともアリッサの融法はカルロスと同じかそれ以上である事が証明された。
クレアが連れ去られていく。技師たちが次々と意識を刈り取られていく。あっという間に半数以上が白目を剥いていた。その頃にはカルロスは自分の身体がほぼ動くことを確認した。
だがどうすればいいのか分からない。相手は完全武装した兵士だ。半数は荷物運びに駆り出されているが、もう半数はこちらを見張っている。
「ロープがありました」
「よし。念のため縛り上げろ」
縛られたら抜け出すのは困難だ。今この場で一か八かで動くしかないかと決断しかける。ちらりと視線を巡らせると、ケビンの視線と合った。顎が小さく動く。彼もどうやってか動ける。それならばまだ希望はある。
何もかもを奪おうとする相手に一矢報いる必要があった。




