30 駆け落ちの提案
工房に戻ったらアリッサが既にいた。作業用のテーブルの上に花瓶を置いている。何をやっているんだと思いながらもカルロスは彼女が無事である事に安堵した。
「今日は遅かったな。何してたんだ?」
「ちょっと花でも添えようかと思って……」
なるほど。その為の花瓶かと納得する。カルロスからすればそれは一大イベントでもある試作機同士の模擬戦よりも優先されるのかと思わないでもないが、まあ良いだろうと気にしないことにした。
「しかしデカいな」
「えへへ、いっぱい活けようと思って」
そんなアリッサの姿をクレアは胡散臭げに見ている。単純に人見知りでは無く、相性が悪いというのも嘘ではないのかもしれないとカルロスは思う。カルロスにだってウマの合わない相手はいる。そう考えれば無理に仲良くしろと言うつもりには成れなかった。
「そうだ。先輩」
「うん?」
試作一号機の整備が開始されるのを見守っていたカルロスは隣にいるアリッサの言葉に何気なく返事を返す。
「もし、私が全てを捨てて一緒に逃げて下さいって言ったら頷いてくれますか?」
「それは駆け落ちしようって事か」
何の例え話だと笑い飛ばそうとして――出来なかった。振り向いたアリッサの顔がこれまでに見たことの無い程真剣な目をしていたからだ。
「はい。そういう事です。何もかもに背を向けて、新しい土地で私と」
「それは」
出来ないと言いかけた所でアリッサは言葉を重ねた。
「いえ、ごめんなさい。先輩の気持ちは知っています。だから、私は二番目でもいいので、クレア先輩も一緒でいいから。一緒に、遠くに行きませんか?」
ここで否定を返したらその時点でアリッサはこの話を打ち切ってしまう。そんな予感があった。だからカルロスは慎重に言葉を選ぶ。この問いかけは決してただの言葉遊びではないと、そう感じていた。
「何で、逃げる必要があるんだ? いや、まあ実際にするかどうかは別としてもアリッサがいう事は別に逃げなくても――」
「逃げないとできませんよ。私はもちろん、クレア先輩とも」
それはまるで見透かしたような瞳。何の色も浮かんでいない、見開かれた瞳をカルロスは始めて、怖いと感じた。
「新式の魔導機士。その開発は大きな貢献です。でもだからと言って。それで男爵家が公爵家と縁を結ぶことはできない。公爵家令嬢と言うのは当代のログニスが出せる最大の政治カードです。先輩がその利点を上回るほどの成果を出せれば別でしたが、これじゃあまだ足りない」
カルロスに反論は無かった。そうだ。足りない。元が伯爵ならば――否、子爵であれば或いは。だが現実にはアルニカは男爵家だ。アリッサが言うとおりになる可能性は高かった。
「今回の功績で陞爵して子爵には成れるかもしれません。でも公爵家との婚姻はきっと許可されない」
アリッサのいう事は正しい。正しすぎる。だがただの村娘が――例え村長と言う地主の娘であっても――得るような考え方ではない。
「だから、私たちで逃げて、どこか遠い土地ならば――」
貴族としての責務に背を向けて。何もかもしがらみ諸共捨て去って。
周囲に誰も知っている人間がいない場所ならば。
出来ると。アリッサはそう言う。
その提案はカルロスにとってある一面に置いて――言うまでも無くクレアとの関係に置いて魅力的な物だった。そこに懐いてくれている後輩までいる。ただただ男としての欲求に従うのならば一考の余地はある。
だが。
「それは出来ないよ。アリッサ」
出来ないのだ。したくないでは無く、出来ない。カルロスも、クレアも。青い血が流れている。疎ましく思う事もある。捨てたいと思う事もある。それでも、それをしてはいけないのだ。
「俺たちは貴族だ。その責務から目を逸らす訳には行かない」
それ以前にここまで育てた魔導機士を手放すというのも好ましくない。正直に言えば例えどんな土地であろうとクレアと共に居るならばそこが新たな研究拠点になるとは思うが、イコール今の環境を捨てられる訳ではない。
きっぱりと拒否をしたところでカルロスはアリッサが心配になる。一体何故そんな事を聞いてきたのか。
「なーんて冗談ですよ、先輩!」
やはり、と言うべきか。アリッサの真意は笑顔の奥に隠されてしまった。
「残念ながらまだアリッサが生涯を共にしていいと思う程好感度は高まっていません」
「そう、か」
「それよりも先輩。二号機は整備ですか?」
「ああ。まあ軽くチェックと、後は操縦系の魔法道具を取り外して確認だな」
一号機の場合トーマスが乗った後は少し調子が悪いのだ。恐らくは本人がほぼ無意識に融法を使っている事で魔法道具側に負荷がかかっているのだろうとカルロスは推測していた。もう少しトーマスの融法の位階が上がればそこまで負荷はかからないはずだ。
それはさて置き二号機でも確認しておく必要があった。本当にそれがトーマスの融法が原因か分からないからだ。もしかしたら誰が乗っても起こりうる欠陥かもしれない
「じゃあ一号機しか動かせないんですね」
「まあ一号機も二号機が終わったら整備するからそれが終わるまで模擬戦は延期だ……夜に入りそうだな。照明の準備しておくか」
ふと思いついたことをカルロスは近くを歩いていたカルラとライラに頼む。向き直った時にはアリッサは花瓶の方に向かっていた。その時、首元に見覚えのあるチェーンが見えた。どうやらプレゼントした首飾りを今日は付けているらしい。珍しいなとカルロスは思った。普段は遠慮しているのか、無くすのが嫌なのか付けていなかったのに、と。
「何だったの?」
「……分からん」
それがカルロスの本音だった。何故アリッサがあんなことを言い出したのか。全く見当もつかない。
しばし花瓶と格闘していたアリッサだったが、満足行く出来になったのか。よし、と小さく頷いた。
「それじゃあすみません、先輩。今日も用事があるのでお先に失礼しますね」
「ん。分かった。また明日」
「はい、先輩。さようなら」
そう言ってアリッサは工房を後にした。
「……あの子時々用事があるって言って早めに帰るわよね」
「そりゃ用事くらいあるだろう」
「……そうね。ごめんなさい。ちょっと偏見の目で見ているみたい」
そうやって素直に自分の欠点を認められるのは凄い事だとカルロスは思う。
その日の作業は特に問題なく終わった。




