01 義兄
第二章開始です。
爆発。
エルロンドの郊外に存在する巨大な倉庫が立ち並ぶ倉庫街。響いたのは人気の少ない場所には似つかわしくない耳障りな騒音だ。
その発生源はどこかと探すより先に、その内の一つから弾かれたように飛び出してくる影があった。カルロス・アルニカである。
金髪は最早恒常的に毛先が焼け焦げている。以前はマメに手入れをしていたのだが、この頃は面倒になって成すがままに任せている。
美少年と言って差し支えの無い風貌は今は煤で黒く汚れている。万人受けするとは言い難い状態になっていた。
地面を一回転。更にもう一回転。マントが土に塗れて鉤裂きが出来ている。そんな状態になっても勢いは殺せず、隣の倉庫に叩きつけられて漸く止まった。
動かない。
「……何をしたの、カス?」
倉庫に空いた大穴を驚いたように見ながら顔を覗かせたのはカルロスの研究パートナーであるクレア・ウィンバーニ。ここしばらくは別々の研究をしていたため、クレアの赤い髪には焦げ跡も、煤もついていない。十人いれば十人が振り返る美少女振りを損なうことなく、辛辣な言葉を吐いた。
言葉だけを捉えれば間違いなく罵倒か叱責の言葉なのだが、心配そうな表情と気遣う様な声音がそれを否定する。
「まあそれは良いのだけれどもカス、コーヒーよ」
とは言えそれもすぐに消え去り、傍若無人な面が顔を覗かせた。地面に伏せている相手にも容赦がない。
「この状況を見て他にいう事無いんですかねえ!」
理不尽な要求を受けて漸くカルロスが身体を起こした。叫んだことで痛むのか顔を顰めながら。
「いや、ちょっと魔法の練習をな……」
「それでこの惨状?」
倉庫の中は水浸しだった。元々広大なスペースを占有していた物が無くなったため、スペースに余裕がある。その余裕があるスペース全てが水浸しになっていた。
「ふと思いついたことがあったから試してみたんだけど失敗した」
「それは見れば分かるけど……」
クレアはもう一度壁に空いた大穴を見る。――二週間ほど前、とある事情で半壊した倉庫をクレアの創法――物体を創り出す魔法で修繕したのだが、彼女の表情は失敗したかと言っていた。水程度で穴が空くはずがないのだ。
「まあこれは失敗だから気にしなくていいって」
そう言いながらカルロスは自分で創法を使って空いた穴を直していく。クレアの物と違って修繕した跡が残ってしまうが、仕方のない事と割り切った。
そして水浸しになった床を見て顔を顰めた。溜息を一つ吐くと掃除用具置き場に雑巾とバケツを取りに行く。
「掃除の前にコーヒーよ」
「へいへい」
最近倉庫の方にも置いたコーヒーメイカーで何時も通りにコーヒーを淹れる。カルロスには何が良いのか分からない。何時も通り美味しくも不味くも無い微妙なコーヒーだ。それを呑んでクレアは満足そうな顔をする。
その中で。倉庫の入り口を叩く音がした。
クレアが眉を動かす。本来、ここを尋ねる人間などいない。カルロスとクレアの秘密研究所とでも言うべき場所だ。表向きは食肉加工場だが。
そんな場所に来訪者という事でクレアは警戒を露わにするが、カルロスは気にした様子も無く、扉の鍵を開けた。
扉を開けて入ってきたのは長身の男だ。クレアはその顔に見覚えはない。だが着ている服が何なのか理解していた。純白に金の刺繍。それを纏う事が許されるのは王の膝元を守る者のみ。
「王都守備隊……?」
「その通り。王都守備隊第一大隊副隊長。イーサ・マカロフです。初めましてウィンバーニ令嬢」
「ええ、初めまして……カ――スロス?」
流石に初対面の人間の前でカス呼ばわりはまずいと思ったのだろう。言いかけたところから強引に口を動かして名前に呼び方を切り替える。滑舌が悪いような言い方になってしまって少し悔しそうな顔をしながら、視線で一体誰なのかと問いかけている。
カルロスが答えるよりも先にイーサが自己紹介した。
「そして、そこにいるカルロスの義理の兄でもある。元気にしてたか?」
歯を見せて笑う姿はとてもよく似合っていた。そこにカルロスが補足した。
「イーサ義兄さんは俺の姉さんの旦那さんなんだ」
「そうなのね」
クレアは一応の納得をした。二週間前の迷宮騒動の援軍として王都守備隊が駆けつけてくれたことは記憶に新しい。偶然だろうがそこに身内がいたともなれば様子を見に来ることもあるだろう。
そんな考えは次の言葉で吹っ飛んだ。
「そんでもって現役の魔導機士の乗り手でもある。今日は魔導機士を見せて貰おうと思って呼んだんだ」
クレアの目がきらりと光った――かどうかは定かではない。
「まあ本当は部外者に見せるのもアウトなんだが可愛い義弟の頼みだからなあ」
「そうそう」
「後は隊長からも許可が下りてるってのもある。聞いたぞカルロス。お前魔導機士作ったんだって?」
「うん。正直未完成も良いところだけど」
「いやいや。普通未完成でも動かせるレベルの実機を作った奴なんていねえよ」
楽しげに会話をするカルロスの姿は、クレアには見たことの無い物だった。リラックスしている? それはクレア自身と会話している時もそうだという自負がある。敬意を払っている? カルロスとクレアもお互いに認め合っている関係だ。敬意は忘れたことが無い。
考えたところで彼女は理解した。
甘えている。カルロスはイーサと言う年長者に対して甘えていた。それは悪い事ではない。ただクレア自身馬鹿らしいと思っても嫉妬しただけだ。
自分も甘えられたいなどと、素面では口に出来ないような嫉妬。
「はっきりと言えば上の方にもカルロスが魔導機士めいた物を作ったって話は上がっているんだ。ほぼ独力でそこまで行けたのなら、支援して完璧な物を作ってもらおうって意見があってな」
上司である大隊長の報告を聞いた時の顔は中々忘れられそうにない。その後頭を抱えて王都への報告書を如何に嘘に聞こえないように書くかに苦心していた姿も。副隊長のイーサもそれを手伝うべきだったのだが同僚と部下に任せて上手く逃げ回っていた為半ば他人事だ。
「あら、凄いじゃないカルロス」
「もちろん、貴女もですウィンバーニ令嬢。上の方は期待を掛けている様です。失われた古代魔法文明の秘術。その一端が蘇るのではないかと」
「つってもイーサ義兄さん。正直俺らがやってるのって再現と言うよりも代行だぜ?」
「それならそれでも構わないという判断みたいだ。新たな技術で過去の不明箇所を代用できるのならばそれでもかまわない。魔導機士の製造技術を手にしたというだけで価値があるのだから」
なるほど、とカルロスとクレアは頷く。そんな二人を見てイーサは照れ臭そうに頬を掻いた。
「まあこれうちの隊長の受け売りなんだけどな」
「だと思った。イーサ義兄さんがそんな難しい事考えてるとは思わなかったし」
「お前言う様になったな。昔はミネルバの後ろにくっついて可愛かったのに……」
ミネルバ――イーサの妻であり、カルロスの姉である女性。イーサとカルロスが初めて会った時は、二人の間に常にミネルバが立つ様な関係だった。
当然ではあるが、大分深い付き合いだと察したクレアは前々から気になっていた事を尋ねる。
「そういえば、カルロスは中々教えてくれなかったのだけれども、小さい時のカルロスってどんな子供だったんでしょうか」
「ほう、それを聞くか……良いだろう。俺の知る全てをウィンバーニ令嬢にお伝えしよう」
「まってイーサ義兄さん。それは止めて」
「すまんが義弟よ。俺は女性の頼みは断れない」
「結婚してるんだからそこは断れよ! 姉さんに言いつけるぞ!」
結局、カルロスは自分でも忘れている様な恥ずかしい話をイーサの口から語られて身もだえすることになる。
その話を聞いたクレアは終始ご機嫌だった。




