32 未完成の機体
エフェメロプテラと名付けられた魔導機士は倉庫の屋根を突き破りながら直立する。
ロックボアと言う猪型の魔獣の素材を多量に使ったにもかかわらず、その外観はどちらかと言うと昆虫に近い。創法で完全に原型を留めない程に素材を加工していたので必ずしも元となった魔獣に類似する訳ではないのがその一因だ。もう一つ要員を加えるとカルロスの趣味も多分に混ざっている。
全身のバランス的には胴が小さく手足が長い。特に腕はそのままで攻撃に転用できそうな鋭い爪がある。頭部は世界各地に現存する魔導機士の様な兜を被ったような形状では無く、どことなく生物めいた複眼状のエーテライトを持ちながら鋭利なエッジの利いた形状をしていた。上から見れば三角形の様だった。
複眼状エーテライトで補足した映像は、操縦席内各所に備え付けられた投影画面に各方向の物が映し出されて視界を確保している。
そして妖しい光沢を持つ黒の装甲。強度よりも軽さを優先した結果、機体が生み出せる速度の向上に繋がっている。肩周りの装甲だけは他の箇所よりも厚く作られており、盾としての使用が出来るようになっていた。
一刻も早く地竜の元へと向かおうと一歩を踏み出し――盛大に転倒した。巻き込まれた倉庫の壁が崩れる。
搭乗席のある腹部は地上から約五メートル程もある。突然の垂直落下を経験したクレアはベルトで身体を締め付けられて潰れたカエルの様な声を出した。カルロスは肺の中身が空っぽになり、苦悶の喘ぎをあげる。
「ちょっとカス……真面目にやってくれるかしら」
「やってるっての……!」
バランスの悪さが致命的だった。カルロスの記憶頼りで構築した魔導機士の筐体だが、細かなところで調整不足が目立つ。より正確には調整などまだこれからの予定だったのだから、不足どころの話ではない。
一歩足を踏み出そうとしただけで転ぶ。原因はカルロス自身の操作ミスと、機体の左右のバランスが狂っている事だった。各部駆動部の動きがうまく連動していない。また左右で重量が違うため、出力もそれに合わせて偏らせないと行けなかった。
「時間が無いっていうのに!」
今の直立から転倒。それによってエルロンドに近づいていた地竜がこちらの存在に気が付いた。今はまだリビングデッド・グレイウルフが押し留めているがそれも長くは持たないだろう。急ぐ必要があった。
悪態をつきながらもカルロスは全身に解法を行き渡らせる。どこがどれだけ差があり、どう動かすのが効率的か。それをあらゆる箇所で並行しながら行うのは骨の折れる作業だった。
「糞、絶対にこの制御代行する魔法道具作ってやる」
魔法行使の過負荷で鼻から血を垂らす。操縦桿から手を離すことが出来ず、流れるがままになっていたそれを、クレアが後ろからハンカチで拭った。
「……汚れるぞ」
「別に構わないのだけれども、悪いと少しでも思っているのだったら今度代わりを買うのに付き合って貰えるかしら」
「ああ、この騒動が終わった後なら何時でも」
そしてクレアも創法で魔導炉の出力に介入する。と言っても、こちらの場合やる事は非常にシンプルだ。エーテライトが魔力に触れて、魔力へと溶けだしていくときに、過剰に溶けたらその分を再びエーテライトの還元するという作業。
魔導炉の出力安定と言うのは創法に長けた人間一人が張り付くことが可能ならば難しい事ではないのだ。常に様子を見る必要があり、常用するには向かない方法ではあるが、今回の様に短時間の機動だけならばこれで十分である。
「魔力出力は正常。一定値を維持させているわ」
「助かる。揺らぎがあるとその分も計算しないと行けなかったからしんどかった」
地面に倒れ伏したままのエフェメロプテラが手足をバタつかせる。その度に倉庫は崩れ、もはや見る影もない。カルロスはエフェメロプテラの制御を把握するので手一杯になっており、気付いていないがクレアはその様子を投影画面越しにしっかり見ていた。
(資材とかその辺は……諦めた方が良さそうね)
今カルロスにそんな事を言って集中を乱すわけには行かない。それでも一年近い時間を過ごした場所と成果が押しつぶされていくのは見ていて悲しかった。
「……よし、行ける」
カルロスが小さく呟くと同時。エフェメロプテラが再度直立する。先ほどまで新品同様だった装甲は砂をたっぷりと塗されて歴戦の様な貫録をかもしだしていた。
「今度は転ばないでね」
「任せろ」
と言いながらもカルロスは慎重に操作する。エフェメロプテラが恐る恐ると言った様に一歩を踏み出す。そして二歩。ぎこちないながらもゆっくりと歩き出し、徐々にそのぎこちなさが消えていく。カルロスが実際に動かした事で把握した誤差を修正したのだ。
スムーズに歩けるようになったら歩行から走行に切り替える。力強く地面を踏みしめて蹴る。たったそれだけの操作でシートに身体が押し付けられるような感触を覚える。
自分の足で歩いている時とも、馬に乗って駆けている時とも違う感触。後ろに流れていく光景にカルロスは、今自分が魔導機士に乗っているのだという事を漸く自覚できた。
「やばいな、笑いそうだ」
「不謹慎よ、カス……気持ちは分かるけれども」
まだ未完成とはいえ、カルロスもクレアも魔導機士を再び造り出すことを目的としていた。それが限定的にとは言え叶えられて気分が高揚しないはずがない。
だが快哉を叫ぶのは今ではない。リビングデッド・グレイウルフを再び死骸に変えた地竜がエフェメロプテラに接近する。この場で最も巨大で最も魔力が高い存在。それを真っ先に潰そうと迫ってきた。
両者の距離が急速に接近する。地竜が頭を下げる。エフェメロプテラが肩を前に突き出す。距離がゼロになった瞬間、エフェメロプテラが更に一歩強く踏み込む。両者の体当たり。それがぶつかり合った結果は――エフェメロプテラの力負け。勢いに負けてたたらを踏む。
「くそ、重さが違う!」
体積を比較しても地竜の方が大分大きい。まともに力勝負を挑んだら勝ち目は薄い。
よろめいたエフェメロプテラに地竜が大きく口を開けて噛み付く。それを左腕で受け止める、と言うよりも強引に押し込んで胴体への攻撃を防いだ。強靭な顎は下腕部の装甲を大きく歪ませて、噛み砕こうとして来る。
「この、やろう!」
右手で地竜の上顎を掴む。左腕は下に押し込んで強引に地竜の顎を開いていく。顎と腕の間に隙間が出来た瞬間、エフェメロプテラの足が跳ね上がって蹴りを地竜の胴体に浴びせる。その反動に逆らわずに後ろに下がった。
地竜が威嚇の声をあげる。今の蹴りによるダメージは然程なさそうである。
「……やばい」
「何がかしら」
「攻撃手段が無い」
「それは……まずいわね」
エフェメロプテラの設計思想としては徹底した低燃費だ。魔力出力を抑える代わりに消費量も抑える。
本来の魔導機士ならば、専用の武装が存在し、固有の魔法を持っている。それらを主軸としているのだが、エフェメロプテラにはそれが無い。基本的に格闘戦を仕掛けるしかないのだが、単純なパワー勝負では勝ち目は薄いのは今の攻防で分かっている。
徒手空拳のエフェメロプテラには有効な攻撃手段が存在していなかった。




