25 龍言
トーマスがイングヴァルド専属通訳に就任してから三日後。そのイングヴァルドに呼び出されたカルロス達はバランガ島の裏――港とは正反対の未だ未整備の地点に集まっていた。第三十二分隊の面々+ひょこひょこ付いてきたハーレイ。そしてそれを迎えるのはアルとイングヴァルドと言うメルエスの二人。
「来ましたか弟子よ」
「師匠? 俺達いきなり来なさいって言われて連れてこられて訳が分からないんですが……」
「我が主の準備が整いました。これより組成の儀を執り行います」
「すみません、師匠。人間語でお願いします」
何を言っているのかさっぱり分からなかったカルロスはまさかと思いながらそう言った。まさか大和の様にメルエス語だか、長耳族語でもあるんじゃないかと言う疑いを持たざるを得なかったのだ。何を言っているのか分からなかった。そう言うとアルは細い指を顎に当てる。
「陛下からは話を聞いていると思いましたが……」
「や、龍皇様の言葉は俺達には難解で……トーマス位しかまともに分かる奴が居ないんですよ……」
「なんですって?」
カルロスのその言葉に一番驚いたのはアルである。アルの翻訳は基本的に融法でイングヴァルドの思考の表層を捉えての解釈である。思わず本音が口から漏れる。
「……まさか陛下のあの言葉を理解できる変人がいるとは」
「師匠?」
「何でもありません。そうですか。ならばそのトーマス君に訳して貰うとしましょう」
楽が出来る。そう口にしないだけの分別は有った。
「よし、出番だトーマス」
「俺騎士なんだけどなあ……よろしくお願いします龍皇様」
実質初対面のトーマスはイングヴァルドにそう挨拶をする。そんな彼を見上げていたイングヴァルドは感情の伺えない視線でトーマスを見つめる。胸元に運ばれた手が纏っているローブの生地を皺だらけにする。
「……不愉快なる魂の輝きよ……」
「あれ!? 何か俺いきなり罵倒された!?」
今のはカルロス達でも分かる。訳すまでも無い。露骨に不愉快と言われたトーマスは大層ショックを受けた顔をしていた。まさかの拒否反応にカルロス達も少し困惑する。これはもしかすると、トーマス翻訳計画は見直しの必要があるだろうか。対照的にアルは面白そうな表情をしていた。肩を落としたトーマスを庇う様に前に立ちながらカルロスは龍皇に問いかける。
「えっと、こいつが気に入らないのなら今までどおりに師匠に通訳して貰いますが……」
「不要。妾の守護する圏内を犯さぬ限りは我が側に控える事を許す」
「えっと……?」
カルロスがトーマスに視線で助けを求めるとトーマスは一つ頷いて言った。
「近寄り過ぎない限りは気にしないって言ってる」
「そう、か」
それならそれでいいんだがとカルロスは引き下がった。ふと己の師の方を見ると大層面白そうに笑みを浮かべている。アルがこういう表情をしている時は基本的に何か新しい特訓を考え付いた時だった。今回の場合は自分では無く――トーマスだろうか。一応釘を刺しておく。
「師匠、トーマスは貴重な戦力なので変に潰す様な真似は――」
「しませんよ。弟子、貴方は私を何だと思っているのですか」
「弟子を潰すギリギリで鍛えるサディストだと思っています」
カルロスの顔を掴もうと伸ばしたアルの腕を掻い潜ってカルロスは勝ち誇った顔を見せる。
「甘いですよ。師匠! その動きは見切りました」
「そうですか。ではこちらで」
軽く曲げられた指先。それに合わせて突風がカルロスを襲った。錐揉みしながら宙を浮かび、強引に反転させられて顔から地面に落ちる。素直に締め上げられた方がまだダメージは少なかったかもしれない。
「さて、馬鹿な弟子は置いておいて……トーマス君」
「は、はい!」
「陛下がこれからやろうとすることは龍体の生成……その一部です。貴方達が欲しがっていた龍体の骨格だけをこの場で作り上げます」
「うむ、龍族の秘技。括目して見るがよい」
「成体となった龍族が本来龍体を用いて行う様な儀式……それを無理やり人間体で行いますので龍皇様にも負担がかかります。貴方にはフォローをお願いします」
意外な人選に集まった面々も少し驚いた表情を作る。特に驚いていたのは指名されたトーマス本人だ。
「へ? 俺ですか?」
「はい。私の見立てでは貴方が一番適任でしょう」
「む。我が従者よ。魂の交差路を成すのはそなたでは無かったか?」
そのアルの判断はイングヴァルドに取っても初耳だったらしい。アルへの問い掛けはしかし、トーマスにも上手く翻訳できなかったらしい。龍族特有の固有名詞の様な物が混ざっていた様だった。
「その予定でしたが、気が変わりました……大丈夫です。彼ならば私よりも上手くやってくれる」
「むう……」
不服そうなイングヴァルドだったが、アルがその判断を変えないと言う事を悟ったのだろう。不満をそうに口を尖らせながらトーマスの方に向き直った。
「近くに」
「はい」
不機嫌そうなイングヴァルドに余計な口を挟むことも出来ず、トーマスは指で示された場所に控える。それを見て、イングヴァルドは手を組む。膝を着いてまるで祈りを請う様な姿勢になった。
「――――――」
歌う様な響き。確かな意味を持った音の連なりが広がっていく。地面から起き上がったカルロスがその歌声を聞いてアルへと問いかける。
「これは……?」
「龍言。そう呼ばれる物です。今となってはそれを言語として使う存在は居ません。龍族特有の魔法と思えば良いでしょう」
アルがどこか憐れむようにそう言う。何気ない雑談を装って、彼は龍族について語る。
「龍族の年齢……陛下が今、人間だと何歳相当であるか分かりますか?」
「いえ……」
「14歳。概ね100年で人間の1歳に相当すると思えば良いでしょう」
「14歳……」
その数字はカルロスにとっても驚きだった。何となく幼さが見え隠れするとは思っていたが、精神的な年齢は完全に年下だ。その割にはより幼く感じるが――。
「ではここで歴史の問題を出しましょう弟子よ。人龍大戦……あの忌まわしき戦は何年前ですか」
「……約600年前です」
「よろしい。龍皇様のその時の年齢はまだ800歳……人間で言えば8歳です。それまで母親とだけ暮らしていた陛下は、人間の言葉など知りませんでした。我らの祖先も龍言など知らなかった。言語による対話が成立するまでに200年近い時を必要としました。その空白期間のせいで陛下の精神性は少しばかり幼いのですよ」
溜息の様に、アルは言葉を吐き出す。
「あの歌――龍言こそが唯一陛下とその母親を繋ぐものなのです。子守唄、と言い換えても良いかもしれません」
「……何故、そんな話を?」
「何、ただ待つだけなのも退屈ですからね。年寄りの昔話です」
そう嘯くアルだが、カルロスは知っている。この師は無駄な事をすることは無いのだと。




